月光嗜好症候群 *ユキアキ+トウアキ、むしろユキトウ(ユキ)×アキラだったらいいなくらいの気持ち *ED後の話、ユキヒト・トウヤのモンスター(?)化注意 その日の仕事を終えて、午後8時頃、アキラはアルバイトをしている洋食屋を後にした。 アキラがユキヒトと共に住まうアパートは、バイト先から徒歩で20分ほどの街の中心部からは外れた場所にある。バスも通ってはいるのだが、歩くのは苦痛ではないし、交通費の節約にもなるため、アキラは専ら徒歩で家とバイト先を往復していた。 外へ出ると、しんと冷えた空気が顔に触れた。春先ということもあって、日中は春を思わせる暖かな日差しがあったのだが、陽がなくなるとやはり冷えてくるらしい。心持ち足早に、アキラはアパートへの道のりを急いだ。 ネオンの鮮やかな繁華街から、窓に蛍光灯の灯りが幾つも点るオフィスビルの群れを抜け、街の中心部から離れていく。アパートに近づくにつれて、辺りは住宅が多くなってくる。ぽつりぽつりと点っている家の街灯の灯りの合間には、時折ぽっかりと空間が空いて闇が落ちている部分があった。建物が建てられるでもなく、駐車場か何かに利用されるでもなく、空き地のまま草が茂るのもそのままに放置されている土地だ。第3次大戦とその後の内戦のためにニホンは経済的に厳しい状況にあり、前の持ち主が土地を手放した後買い手がつかないまま有耶無耶になっているこのような土地は、よく見かけられた。 そのうちの一箇所が、アパートへの帰り道にある。 そこを通りかかったとき、アキラはふと足を止めて空を仰いだ。灯りのない空き地にしては、今日は何だか明るいように思えて違和感を覚えたせいだった。見上げれば、空には完全な丸の形をした月が出ていて、いつになく明るい光を放っていた。空き地は月の光に照らされて明るく、夜の闇の中でさえアキラの足元に薄い影が落ちていた。 月明かりを受ける空き地を眺めながら、アキラは廃墟の街トシマのことを思った。 後になって思えば、あそこは奇妙な場所だった。殺し合いのゲームなんてしている癖に、普段街は死んだように静まり返り、人の気配もない。凶悪な者が徘徊するという夜な尚更で、その日塒にした廃墟の中から通りをのぞけば、人気のない街並みが月の光に照らされて、いっそ幻想的なほどだった。 今、トシマは戦火の只中にある。日興連とCFCの内戦は、あの街を呑み込んでいまだ続いている。もう随分と遠い場所のようにも思えるが、今夜のような夜ばかりはアキラが今見ているのと同じ月の光に、あの廃墟も照らされているのだと思うと、不思議な気がした。懐かしい、とは感じない。もとはといえば自分の過失でケイスケを失ったあの街を、懐かしいと感じることはない。というより、絶対に懐かしんだりしたくはないのだ。懐かしさとは、「あのときはよかった」という思いを含む感情だと思うから。 アキラは首に掛かるタグの感触を意識しながら、再び歩き出した。 アパートの建物は、もうじき見え始める頃だ。 *** アパートの部屋のドアを開けると、風が顔に吹き付けた。 おそらく、窓を開け放したままなのだろう。ユキヒトが描いた絵が2枚、玄関まで飛ばされてきている。アキラはそれを拾い上げ、少し皺が寄っているのを伸ばしながら、玄関から室内の様子をうかがった。部屋の中は明かりも点いていないが、ユキヒトはいるはずだ。だって、玄関の鍵は開いていたし、靴もちゃんとあるのだから。 「――ユキヒト……いるのか?」 声を掛けながら、部屋へ入っていく。と、明かりを点けようとするより先に、寒風が吹き込むんでいるというのに普段着のままで暗い部屋の中窓際に佇むユキヒトが見えて、アキラは小さく息を呑んだ。 「……一体どうし、……」 言い終わらないうちに近づいてきたユキヒトが、アキラの身体を引き寄せる。強引に唇をユキヒトのそれで塞がれて、アキラは言葉の先を続けることができなくなった。一体どうしたのか、と戸惑ったアキラだが、唇を掠める尖った感触にふとあることに思い至る。口付けの合間に焦点も合わないような近さでユキヒトの目を見れば、普段は茶褐色の虹彩が外から差し込む街灯の光を受けてか一瞬金色を帯びたように思えた。 次の瞬間、ちりりと唇の端に痛みが走る。ユキヒトが噛み破ったのだ。思いがけない悪戯に、アキラが仕返しをしようと左手に拳を作る。すると、気配を察したユキヒトは、血の滲んでいるであろうアキラの唇をぺろりと舐めてから顔を離した。 「――やっぱり、お前の血は甘い」愉しそうに言うユキヒトへ、 「……っ、……何が甘いな、だ……バカっ……」 アキラは息を弾ませながら、悪態を吐く。心情的に、そうせずにはいられない。 このところ、ユキヒトは、こんな風にアキラの血を求めるようになっていた。きっかけは――そう、セックスのときだ。ユキヒトは度々アキラの首筋に歯を立て、皮膚を噛み破ることがあり、そのうちその行動が愛撫というよりは血への欲求から来るものなのだと分かった。 いつもではないが、時折訪れるその欲求の波が今訪れているのだろう。ユキヒトが血を求めるとき、本人よりも心配するのは、むしろアキラの方だ。血への欲求がどれほどのものなのか、どんな感じなのか、全く分からないから気を揉んでしまう。本人は、むしろ落ち着き払っているのが常だ。 「また……血が欲しいのか……?」 「あぁ。頼む」 血を求めるといっても、ユキヒトの欲求が向けられるのは、アキラに対してだけだ。本人がそう言っていた。その言葉は真実で、他人を襲って血を奪うということはないので、ユキヒトの妙な性質が現れてからも2人は特に困ることはなかった。アキラが、血を少し与えればいいだけの話であったから。 ユキヒトの求めに応じて、アキラは鞄を床に置きコートを脱いでベッドに腰を下ろした。頭を少し傾けて首筋を晒せば、ユキヒトが身を屈めてそこに顔を埋めてくる。硬く鋭く変化した歯が皮膚に当たってその箇所が裂ける。傷ができると、ユキヒトは舌で滲んだ血を舐め取り、全てを舐めてしまうと唇を押し当ててて傷口を吸った。 「……んっ……」 まるで愛撫の一環のようなやり方。寒風の吹き込む部屋の中、アキラはユキヒトが口付けた箇所から、悪寒にも似た熱が生まれるのを自覚する。熱が身体に拡散していき始めているのを無視しながらもたらされている感覚に耐えていると、じきに離れるかと思えたユキヒトは逆にアキラをベッドへ押し倒した。 「――なっ……何するんだ、ユキヒト」 「何って、分からないわけじゃないだろ?」 「分からないわけじゃないけど、今は駄目だ。血を吸うだけだって言っただろ。帰ってきたばかりですることもあるし、窓だって開いたままで寒い」 「じゃぁ窓閉めるから」 「だから、それだけの問題じゃない!」 すると、ユキヒトは拗ねたように鼻を鳴らして、ことりとアキラの肩に頭を押し付けてきた。「じゃぁ、もうちょっとだけこのままで。血が欲しくなるときは、気分がざわざわする。お前にくっついてると、ちょっと落ち着く」ユキヒトがそう言うものだから、アキラも邪険にはできない。ため息を吐くと、ユキヒトの背に腕を回して背中を撫でる。 と、そのときだった。 コツコツ……と、小さな物音がする。部屋のドアを誰かが叩いているような音だ。 2人は一瞬動きを止めたが、すぐにユキヒトがアキラの上から退いた。まるで何かを察知したような素直さだ。その態度に思い当たることがあって、アキラは素早く身を起こすと、玄関へ歩いていく。誰が部屋を訪ねてきたのか、何となく分かる気がしたのだ。ごく細くドアを開けると、隙間からするりとヒトより遥かに小柄なシルエットが滑り込み、足にまとわりついて来る。アキラは膝を折って屈み、そのシルエットに手を伸ばして触れた。 と、ぱっと部屋の中が明るくなる。ユキヒトが窓を閉め、明かりを点けたのだ。 アキラはちらりとユキヒトを見てから、ヒトよりは小柄なものを撫でた。 「――やっぱり来たんだな……トウヤ」 するとアキラに頭を撫でられて目を細めていた犬は、言葉が分かったかのように頭を上げ、緑色の瞳でアキラを見返した。 *** 土に汚れた犬の足を、アキラが雑巾で拭ってやる。汚れを落とし終えて「もういいぞ」と言ってやれば、犬は部屋に上がってきて、今度はユキヒトの足元にじゃれついた。ユキヒトが屈んで、その頭を撫でてりながらため息を吐いた。 「どうも気分がざわざわするとは思ってたけど、お前も“発症”するなんてな」 「満月だから、とか……?」アキラは首を傾げる。 「まさか、そんな狼男じゃあるまいし……って、まぁトウヤは犬男か。非現実的だけど、何が原因であっても可笑しくないな」 ユキヒトの吸血鬼化。トウヤの犬化。 時折訪れるこの奇妙な現象が発覚したのは、ほんの数ヶ月前のことだ。発覚は、ユキヒトの方が先だった。彼が妙にアキラに噛み傷を付けたがるようになった頃、この部屋に飲みに来て泊まったトウヤが夜中に2人の目の前で犬の姿に変化する騒動が起こったのだ。 初めこそそれは騒動だったが、当事者の一人であるユキヒトが落ち着き払っていたため、混乱は少なかった。ユキヒトはバーで噂を耳にして、知っていたのだそうだ。かってのイグラ関係者に奇病が発症している、と。 その奇病は、まさに奇病と呼ぶに相応しいものだった。水に入ると魚に変化してしまう者、身体が透明になる者、翼が生えた者――病気というより、まるでハロウィンのモンスターのような。ラインを服用した者に副作用が現れているのかといえば、どうもそうでないらしい。ラインを服用した・しないに関わらず、第三次大戦後イグラが開催されていた時期のトシマにいた者に発症する可能性のある奇病だった。 発症する条件も、未だ不明である。たとえば、ユキヒトやトウヤは発症してしまったが、アキラは何の変化もない。トウヤのチームのメンバーの中にも、他に発症した者はいない。アキラは心配したが、発症した2人は決して取り乱すことはなかった。 『まぁ、死ぬわけじゃねぇしよ』とトウヤはあっけらかんとした態度で、 『他人に迷惑を掛けなきゃ、別に大騒ぎするようなことでもない。近視なんかと一緒で少し不便はあって対処しないといけない部分もあるけど、ただそれだけだ。そういうものだと思って普通に暮らしてればいい』と、ユキヒトも何でもないことのように頷いていた。 その言葉通り、2人は普段どおりの暮らしを続けている。 変わったことといえば、時折ユキヒトがアキラの血を求めたり、一時的に犬の姿になってしまったトウヤが一人でいるのが嫌なのか犬の姿でこの部屋へ訪ねて来ることだった。おかげで、玄関の近くには常に足拭きようの雑巾が一枚、常備してあるようになった。それくらいのものだ。 非nicol体質のせいか偶然か、身近な仲間の中で一人奇病にかからないままのアキラはいまだに不安と少しの疎外感を覚えないこともないが、当人たちが平気な顔をしているから、何事もないように接することに決めていた。何も起きないうちから不安に駆られて、怯えながら平穏な日常を浪費するのはもったいない。心配は、何かあってからすればいい。 だから、このときも犬の姿のトウヤと、いつもとはちがう光の加減で金に見える目をしたユキヒトに向かって、普段どおりの言葉を掛けた。 「さぁ、そろそろメシにしないか。2人ともまだなんだろ?」 *** 翌朝、アキラが目覚めると、毛布を巻きつけた半裸の姿で箪笥を漁っているトウヤの姿が見えた。寝ているうちにヒトの姿に戻ったらしい。トウヤが犬の姿でこの部屋を訪れると、朝方元に戻るのはいつものことだ。まさか犬の姿で人間のときの衣服を着ていられるわけもないから、姿が戻ったときは必然的に裸になる。そのため、この部屋の箪笥の中にはトウヤ用の衣類が、幾らか置かれているのだ。 しかし、半ば寝惚けているためか、トウヤは衣類を見つけられないようだった。見かねたアキラはまだ眠っているユキヒトの隣を抜け出し、ベッドを降りた。横に立ち、箪笥の中から衣類を見つけ出してトウヤに渡してやる。 「おはよう、アキラ。サンキュ」 「おはよう。身体とか、気分とか、大丈夫か?」 「おう。もう戻ったぜ」ぱっと笑顔になって見せたトウヤは、ふとアキラの方を見て案じるように眉をひそめた。「そういえば、コレ、痛そうだな。ユキヒトが付けたのか?」そんな言葉と共に、指先でつぅっと首筋の噛み後を撫でられる。 くすぐったさに肩を竦めてから、アキラはトウヤに頷いた。 「そうなんだ。痛いのは、まぁそれほどでもないけど、服を着ても見える場所だから困る。毎回ユキヒトには注意してるけど……血が欲しいときはそれどころじゃないみたいだし。バイトのときは絆創膏を貼って隠してるけど、ちょっと変な目で見られる。度々だから言い訳もネタ切れだ」 「気持ちは分からんでもないけど……いいんじゃないか?まぁ、虫除けくらいに思っとけば」 「虫除けって……」 自分はそんなに言い寄られ易そうに見えるのか、とアキラは思わず眉をひそめる。反論の言葉を返そうと口を開きかけたとき、唐突にトウヤが「お」と声を上げた。「まだ血が滲んでるじゃないか」そう言うが早いか、トウヤはアキラの肩を掴んで顔を寄せ、首筋の傷口に舌を這わせた。昨夜のユキヒトとは異なる、傷口を舐めて癒そうとするためだけの、優しい感触。アキラは首筋にトウヤの舌を感じながら、抵抗したくともできず、佇んでいた。 非nicolの体質のことは、トウヤにも伝えてある。ユキヒトとトウヤが奇病を発症したとき、自分だけ秘密を持っていることも気分的にできなくて、また、2人がアキラと接触することによって何か異変が起きてしまうかもしれないという心配もあって、ユキヒトとアキラは非nicolについて分かる限りのことを話したのだ。とはいえ、本当に非nicolは奇病とは無関係のようで、結局まだ何も起っていないのだが。 それでも、他人が自分の体液を口にすることは、アキラには抵抗のある行為だ。 敢えてトウヤを咎めなかったのは、非nicol体質のアキラを普通に――奇病を発症してからもアキラが2人をそう扱っているように――扱おうとする彼の思いやりを感じたからだが、不安がないではない。そんな葛藤を感じたのか、トウヤはすぐにアキラの首筋から顔を上げて、笑った。 「ほら、これですぐ治る」 かって聞いたことのある台詞に、アキラは少し可笑しさを感じた。傷なんて舐めておけば治るとは、ユキヒトもかって言ったことだ。全く異なるタイプのようでいて、妙なところで気の合う2人だった。 「トウヤも、ユキヒトと同じことを言うんだな」 そう言って少し笑ったとき、ユキヒトがのそりとベッドで起き上がった。名前を呼ばたのが聞こえて目が覚めたらしい。ユキヒトは大きなあくびをすると、眠そうな目でトウヤとアキラを見た。 「――何か言ったか……?」 「おはよう、ユキヒト。お前とトウヤは似たもの同士だって話してたんだよ」 するとユキヒトはあからさまに嫌そうな表情を見せ、それを目にしたトウヤはいたく傷ついた様子でアキラに縋りつく。何てことはない、それはごく平穏な日常の光景だった。 2009/02/11 |