想い果てるなどあるはずもない 2 どうしようもないと諦めて、せめてシキとアキラの姿を見るまいと目を閉じ、私は身体の力を抜いた。それを切欠に、シキが半端に乱れた衣服の隙間から手を差し入れて、温度のない指先で皮膚を辿る。同時に首筋に濡れた舌の感触が落ちてきて、思わず身を竦めた。 つぅと首筋から鎖骨へ滑った舌先が、左胸のふくらみの半ばで止まる。と、不意にその部分に予想外の痛みが走って、「っあ…!」私は大げさな悲鳴を上げた。驚きに目を開ければ、顔を上げたシキと目が合い、次いで肌の上の歯を立てた痕が視界に入った。皮膚の薄い部分で歯形はしっかり残っているものの、出血まではしていない。――そういえば、先程アキラが同じ場所に口付けの痕を残したのではなかったか。 シキは黙って顔を伏せて愛撫を再開し、私はまた痛みが与えられなかったことに安堵して知らず知らずのうちに強張った身体の力を抜く。途端、また別の場所に軽く歯を当てられる。「っつ…」来るべき痛みを予想して身を硬くすると、今度はそれ以上強く噛むこともなくシキは唇を移動させていく。 そんなことを繰り返されて、そのうち何度かは実際に痛みを与えられて、いつしか泣くような声で喘がされていた。 壊されていく――熱に浮かされていく頭の片隅で、私はそんなことを思う。 身体が傷つけられるのではない。与えられる痛みは耐えられないほどのものでもない。ただ痛みによる緊張と安堵とを繰り返すうち、確実に心の方が崩れていくような気がするのだ。 アキラも、こうしてシキの手で“壊され”たのだろうか…。 唐突にスカートの裾から手を差し込まれて、私は考え事どころではなくなった。 すっと太腿を撫で上げた手が、その続きのように下着を下げてその奥に触れる。そこはまだ触れられなかったものの、既に潤みを持ち始めている。 「濡れているな」 指摘するシキの声は淡々としていたが、私は自分の浅ましさを暴かれるような気になって目を閉じる。相変わらず温度のない指先は、その間にも浅くその部分をまさぐってから更に奥深い箇所へと沈んでいく。身体の奥をかき回され、差し込んだ指を抜き差しされる感覚を無視しようとして、私は唇を噛んで身を硬くした。 少ししてから指先は抜き取られ、次いで衣擦れの音がした。指と入れ替わりに押し当てられたものが、私に怯む間すら与えずに身体の奥深くへ埋まっていく。 昂ぶりを受け入れた箇所は、濡れていたとはいえ十分に潤っていなかったのだろう、痛みまではしないももの直に痛みに変わりそうな違和感を訴えている。「っ…」耳に届いた微かな吐息と、受け入れた箇所に馴染ませるような緩やかな動きに、どろどろと何かが溶けていきそうになる。 そんなものを全部堪えるために、私はこれ以上ないくらいに身体を強張らせた。 「そんなに硬くなっても、辛いのはだよ?ほら、力を抜いて」耳元に吹き込まれるアキラの囁きに、硬く目を閉じたまま首を横に振る。すると、密やかな笑い声が聞こえた。「強情、だね」 不意に顎を捉えられ、深い口付けをされる。口内を貪られる感覚に煽られて、気付けばもう熱を受け入れた箇所に異物感も痛みも感じなくなっていた。それどころか、身体の奥深くにはっきりと快楽を覚えて、怖くなる。 「ねぇ、シキ、この子昔の俺に似てるでしょ?結構気の強いところとか」 唇を離して、アキラの楽しげな声。それに応じるシキの声は、僅かに憮然としている。 「俺はそうは思わんが。――仮にそうでも、所有するのはお前だけでいい。他は要らん」 「勿論、は俺のだ」そう笑ってからアキラは次に私に囁く。「あぁ…緊張を解いてあげようと思ったんだけど、余計硬くなっちゃったね。大丈夫、怖くないよ」 そんな言葉と共に、何にも縋りつく気になれず固めた拳を温かなものが包み込む。握り締めた指先をそっと抉じ開けて入り込む指先。その柔らかな感触に安堵して目を開けると、私の指先を絡め取って手を繋いだアキラが、宥めるような笑みを浮かべていた。 「怖くないから」 怖いわけじゃない。一瞬そう思ったものの、確かに私は怖がっていた。 シキと身体を重ねていること。抱かれる様をアキラが見守るという異常な状況であること。2人に浅ましい姿を晒すこと。自分でもわけの分からないくらい怖いことだらけで――それなのに、恐れも、思考も、全てやがて身を貫くペースが速まると快楽に侵食されていく。 強くなる快楽が怖くて繋いだ手に力を込めると、安堵するほどに強く握り返された。 *** 細く開いたままの扉から、寝室の嬌声が聞こえる。 高く、細く、途切れながら届くその声で目覚めて、私はソファから起き上がろうとする。 早く、衣服を整えて。ここを立ち去って。寮の自室に戻って。 早く、シャワーでも浴びて。布団に入って。 けれど、そうしようと立ちかけたところで身体が支えきれず、冷たい床にへたりこんでしまう。どうにも足に力が入らない。こんなことは初めてで、私は一瞬呆然とした。 今まで、アキラと抱き合った後にここまで消耗していたことはない。今回とそれ以前とでしていることに大差はないはずで、だとしたら何故今回はこんな風になってしまうのか。――身体がどうというよりは、気力が擦り減っているのかもしれない。 (だって、アキラ様はあんな触れ方はしない)あんな、痛みと快楽を与えて心を壊していくような触れ方は。もっと、戯れるような労わるような触れ方をする。 考えたくないのに、どうしても先程の出来事を思い出して私は緩く頭を振った。 立ち去ろうにもまだ身体は回復せず、冷たい床から立ち上がることもできないまま、寝室の扉へ視線を向ける。そこで急に胸が詰まって、自分を紛らわすように衣服を整えたものの、やはり堪えきれずに目の前にあるソファの上に顔を伏せた。ゆっくりと涙が溢れてくるのに任せながら、逃げ出すことさえできずに寝室からの嬌声を聞く。 悲しいのか、悔しいのか、妬ましいのか、何なのか。よく分からない。 それでも、たとえば自分が寝室の中で嬌声を上げる立場であれば良かったのに、と思わないことは確かだ。 そうする内にいつしか眠りに引き込まれ、私は夢を見た。子どもの頃の夢だ。 私はほんの子どもで、父と母と一緒に居る。まだ基準の年齢に達していないので、軍事教育のために親元から引き離されてはいない。私たちは、親子で郊外にある祖父母の代以前からの古い一軒家に住んでいた。 古い家というのは、とにかく色々なものがたくさんある。祖父はとても読書好きであったらしく、書斎には古い本がたくさん残されていた。当時私はまだ祖父の本を読んで理解できるほどの年齢ではなかったけれど、本というモノ自体が好きで書斎に入り浸っていた。 『――ここで眠るな』 父が私の肩を揺さぶる。また書斎で昼寝しようとしたのが見つかったか。けれど、叱られるとは分かっていても、今は眠くてとても移動できそうにない。つい、嫌だ嫌だと我が儘を言ってしまった。 『ここで眠るなと言っている』もう一度、肩を揺さぶられる。 (だって…眠たくて起きられないよ、父さん…) そろそろ怒られると思いつつも我が儘を言うと、ふぅと溜め息が聞こえた。『まったく…』低い呟きと共にふわりと抱き上げられる。しっかりと身体を支える腕の強さが妙にリアルで、私はひどく安らかな気分になった。 この夢が現実であればいいのに、と思う。 そうすれば第三次世界大戦もまだ起こっていない。終戦後、シャッフル家族制度で私の両親に余所の子が割り当てられ、成人年齢に近い世代の私は一人社会に放り出されてもいない。私の家族は、私のものだ。 けれど、そんなことは夢想にすぎない。目覚めればまた第三次大戦と内戦の後の、<ヴィスキオ>による支配が待っている。辛いと思うことはあるが、背を向けて逃げ出すつもりはなかった。一度逃げれば逃げ続けるようになる気がするから。 *** ふと目を覚ますと、私は照明を落とした薄暗い部屋にいた。 先程は確かに冷たい床に座り込んでいたのに、今背にあるのはベッドのシーツの感触で、それも明らかに寮の自室のベッドではないから混乱する。その上、腰に回されていた誰かの腕がそれに拍車をかけて、私は目覚めた直後に思わず叫びそうになった。 けれど、半開きの扉から漏れてくる灯りで腕の持ち主の顔が見え、私はほっと息を吐く。アキラだ。――ということは、ここは彼とシキが共有する寝室なのだろう。どうして自分がこの場にいるのかは分からないが、眠るアキラからは何も聞きだせるはずがない。 (別にいいか)ここを立ち去るという次にとるべき行動は明確なのだから。 私は腰に回されたアキラの腕を、可能な限りそっと解いて抜け出した。ベッドを降りたところで掛け布団をすっぽりと眠るアキラに被せる。<城>の中は完璧に空調が効いているので夏の暑さは感じないが、逆に身体を冷やすことがある。ましてや、アキラはシャツ一枚を羽織っただけの姿だから、なおさらだった。 掛け布団を引き上げてから、私はアキラが不安定なときよくするように髪を梳いてから額に口づけようとして、止めた。 (――シキ様がおいでですもの) 結局のところ、こうした些細な触れ合いにしろ“遊び”の相手にしろ、アキラはシキの不在中のみそれらを必要とする。本当に必要とするものが現在手の届く場所にあるならば、その代替品など不要を通り越して邪魔だろう。 「おやすみなさい」 小声で告げて私はベッドの傍を離れる。踵を返して、ゆっくりと灯りの漏れる半開きの扉へ向かって歩いた。 *** 予想通りというべきか、書斎に入るとシキがそこに置かれたデスクで本を読んでいた。部屋の中央へ歩いて行った私は、向き合うような形でシキの正面に立つ。すると、シキは本から顔を上げてこちらを見た。 「シキ様…私の、処分についてお教えいただきたいのです。私はあなたがご不在の間、何度もアキラ様に触れました。ですから」 「アキラとお前の件なら知っている。――そういえば、先程、お前は殺せと言っていたが…」 唐突に、シキは椅子から立つと、デスクの脇を通ってこちらへと歩いてきた。互いの距離が狭まってくるとその威圧感が感じられ、私は思わず後ずさろうとする。すると、シキはすっとこちらへ腕を伸ばす。「っ!」暴力を振われるのではないかと思い、私はとっさに身を硬くしたが、予想した痛みは訪れない。代わりに喉元にひんやりとした指先があてられ、緩く力が込められる。それだけで、その先の苦痛を予想した身体が勝手に震えだした。 「この程度でもう震えるほど恐ろしいか。だが、安心しろ、お前に危害を加えはしない――お前はアキラの持ち物だからな」 するりと喉元の手を離して、シキはデスクの方へ戻っていく。驚いていた私だったが、数秒後にシキの言葉の意味を理解した途端、焦燥のようなものが込み上げてきた。気付けば戻っていく背に声をかけていた。 「それでは困ります!確かに私は口で言う程も覚悟なんて出来てない…でも…私はあなたに殺されたい」 言ってしまってから驚く。死ぬのは怖くて嫌なのに、殺されたい? 一瞬矛盾しすぎた自分に呆然とするが、胸の内を探れば確かにどちらの感情もあるのが分かる。死への恐怖と、憧れ。そう、この憧れはシキのことを思うのに似ている。シキから与えられるものだと思うからこそ――憧れる。 カチン、と。胸の内を探った指先が、埋もれた答えに行き当たるような感覚があった。 「そう、私は殺されるのなら、あなたに殺されたかった。到底手の届かない方でも、斬られる瞬間だけは近くにいることができるから。――私は、あなたをお慕いしていました。愛されたいとか望んでいたわけではなくて、ただ姿が見られるだけで幸せでした」 「――俺は自分が斬った人間の顔など覚えん」 「きっと、そうなのでしょうね。別に、私もあなたの心に留まりたいわけではないからいいのです。ただ、斬られるときには普段より間近にいられるから、それで私は良かったのです」 「愚かだな」 「自分でもそう思います」 シキはいつの間にか足を止めていたが、私の言葉を聞き終えてからこちらを振り向いた。赤い瞳が何かを品定めするように、すぅっと細められてこちらを射抜く。泣きたいような、誇らしいような気持ちで私はその視線を受け止めて微笑み返す。 我ながら、呆れるほどに子どもじみた憧憬だと思った。とても20を過ぎた女が抱くような感情ではない気がする。けれども、それはいつの頃からか根付いて私の中の芯のようなものになっていて、今更手放す気にはなれなかった。 「殺す気はないと、何度も言わせるな。お前を生かすも殺すも、俺ではなくアキラが決める」 「そうですか」 シキの言葉で、全身に緩やかな諦めが広がっていく。それは決して嫌なものではなく、どちらかといえば“全力を尽くしたものの及ばなかった”というような穏やかな感情であったから、私は泣きそうになりながらも笑っていられた。 それから許可を得て退出しようとすると、部屋を出掛けたところでシキに呼び止められる。呼び止めたシキは、無表情ではあるものの僅かに困惑しているようにも見えた。 「俺が殺さなければ、お前はこの後どうする。自ら死ぬか」 「自殺なんてとんでもない。そんな痛くて苦しそうなことは嫌です」私は敢えておどけた調子で首を横に振って、それからそっと笑って見せた。「私は生きている限りはだらだらと生きますよ。何食わぬ顔で明日からも同じように仕事をします。何か突発的な事情で死なない限りは」 言下に、今夜のことがあったからといって態度を変える気はないのだという意味を込めて。私は言いたいことだけ言うと、シキの返事を待たずに部屋を後にした。 廊下に出た途端、堪えていた涙が込み上げてくる。悲しいのか、ほっとしたのかよく分からない。もう深夜で人気の無い時間帯であったので、私は涙を抑えることもせずに泣きながら更衣室へ行って着替えてから帰った。 結局、帰宅するまで誰とも顔を合わせなかったことが、とても幸運に思えた。 End. 配布元:『模倣坂心中』“SCISSORS Parts-bolt”より 「想い果てるなどあるはずもない 」 目次 |