あなたが神さまになってくれればよかった 1



 柔らかな日差しの降り注ぐ庭園。そこに造られた四阿で、彼女はゆったりと椅子に腰掛けている。周囲には誰も居らず、ひとり眠るかのように穏やかな表情で目を閉じている。が、唐突に傍らの小ぶりのテーブルの上で通信端末が小さく音を立てると、彼女はゆっくりと瞼を上げた。
 シュン。
 まるで彼女が目を開けたことを察知したかのように、通信端末が作動する。空中に光線が投じられ、その中に立体映像が映し出される。
 『――失礼した。貴女の眠りを妨げてしまっただろうか?』
 立体映像として映し出された男は、真っ先に彼女に詫びた。その生真面目な様子を微笑ましく思ったのか、彼女は穏やかな顔に微笑を浮かべて首を横に振ってみせる。
 「いいえ、少し休んでいただけよ。眠っていたわけではないの。…それにしても、あなたから連絡をくれたということは、あのお願いを聞いていただけるということかしら?」
 『ああ、そのつもりだ。しかし、本当に貴女はそれで構わないのか?記憶を移すというのは…こちらとしてはやりがいのある仕事だが、』
 「私が願ったことよ」
静かに、けれど動かしがたい意思を込めて、彼女は男の言葉を遮る。すると、男は「そうか」と言い微かな笑顔を見せた。


 「無理を言ってごめんなさいね。我が儘を聞いてくれて、あなたには本当に感謝しているの。ありがとう――n」



***


 夢をみた。
 花の咲き乱れる庭園で、見知らぬ男と話す夢だったように思う。
 それにしても、あれは誰だったのだろう?何の話をしたのだろう?
 …思い出せない。とても大切なことだと、そう思っていたはずなのに。

 眠りと目覚めの狭間に漂いながら考えていると、不意に意識が浮上しようとするのを感じた。目覚めが、近い。けれども、今目覚めれば大切なことを忘れてしまいそうで、私はそれに抗った。
 途端、意識が目覚めに絡め取られる。
 深海から海面に急上昇するように、一気に意識が引き上げられていく。



***


 目覚めたとき、私は何故かぬるま湯の中にいた。足の先から頭のてっぺんまで液体に浸かっているのだ。――ということは、呼吸は?
 思い至って焦った拍子に、鼻からと言わず口からと言わず、容赦なく水が流れ込んでくる。その苦しさと恐怖に夢中でもがけば、伸ばした腕や足に硬質の感触がぶつかった。
 どうやら私の周囲を囲っているらしい硬質の何かを、目を開けて確認するほどの余裕もなく夢中で叩いた。すると、水中にビシッという破裂音が響いて水が流れ出していく。周囲を満たしていた水が流れ去ると、浮力による支えも失われて、私はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。
 気管に入った水のために咽ながら、私は当面水死の危険からは免れたことを知る。濡れた身体が空気に晒されて震えるほどだったけれども、死に比べればずっといい。

 「とんだじゃじゃ馬だな…自らカプセルを破壊するとは」

 唐突に低く響きのよい声が投げて寄越される。ひとしきり咳は止まったものの、まだ喉や胸に違和感を覚えながら私は顔を上げた。
 視界に入ってきたのは、薄暗い研究室のような部屋。明かりを落とされた中、用途の分からない大型の機械類が並び、そこに取り付けられた幾つかのディスプレイがぼんやりと光を放っている。私の正面には、出入り口らしき扉がある。けれど、その扉と私の数メートルの距離の間には、黒衣の男がいた。
 薄暗い部屋にいれば闇の中に紛れてしまうほど、男は見事に黒ずくめの格好だった。その顔立ちは造りものめいて整っており、どうも現実感がない。ただ、そんなぼんやりした感想は、男の苛烈なまでに意思を宿した目を見た途端飛んで行ってしまった。こんなきつい視線、他に知らない。恐ろしいような惹かれるようなよく分からない感覚に捉われて、私は男と視線を交わらせたまま動きを忘れた。
 数秒後、肌に感じるあまりの寒気に、視線を動かして私は自分の身体を見た。

 何も身に着けていない…。

 反射的に目の前の男を見上げると、また視線が合う。数秒間見詰め合ううちに自分の状況が理解できてきた。
 「裸…っぎ、やあああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 叫びながら周囲を手探りするが、身体を覆うことのできる布の類は当然あるはずもない。座り込んだまま身を折り、更に手で隠しうる限り身体を隠す。そのまま少しでも距離を置こうと後ずさりしかけるが、
 「動くな、傷がつく」
 ぴしりと男に言われて、私ははたと動きを止めた。
 確かに、辺り一面に(私が壊した)ガラス片が散乱していて、とても裸足で歩ける状態ではない。けれど、裸で見知らぬ男の前にいるわけにもいかないのだ。いっそのこと、足を切ってもガラス片を踏んで逃げようか。とはいえ、後で自分の足がどんな惨事になるかと思うと躊躇いがある。
 そんなこちらの心情など知るはずもなく、ガラス片を踏みしだいて男が近付いてくる。私は逃げ場を探して身じろぎをし、うっかり床のガラス片の上に左手をついた。あ、と思う間に掌に痛みを覚える。見れば掌は浅く切れ、縦に走る傷口から血が染み出している。
 傷口は男にも見えたようだった。
 「動くなと言っただろう」眉をひそめて不機嫌な面持ちで、男は着ていたコートを脱ぐとこちらへ放って寄越す。「自ら傷物になって価値を下げる気か。買い手に恵まれないアンドロイド程悲惨なものはないぞ?」
 「アンドロイドって…」
 頭上に降ってきたコートを掻き分け、慌てて顔を出しながら言った。
 男はまるで私がアンドロイドであるような口振りだが、何か勘違いしているのではないだろうか?私は歴とした人間だ。両親から生まれ、兄弟や友がいて、身体には血が通っている。決して機械などではない。
 そのことを訴えたが、男は考えを改める様子もない。小さく舌打ちしてぼそりと低く独り言をこぼす。“あの男、厄介なモノを押し付けてくれる”――そう言ったように聞こえた。
 が、すぐに男は表情を変えた。一瞬耳を澄ますような遠い表情を見せたが、次いで腰のホルダーに手を滑らせながら好戦的な笑みを浮かべる。

 「話は後だ。それを被ってじっとしていろ…壊されたくなければな」

 男が言い終えると同時に扉が左右に分かれて開く。その音に応じるように、男は振り向き様手にした光剣(レーザーブレード)の刃を発生させ、流れるような動きで一閃させた。
 途端、絶叫と人間の焦げる臭いが室内に満ちる。侵入者の姿を見る間すら、私にはない。
 「、っ」
 怖くなって固く目を閉じ、俯く。それでも漂ってくる焦げ付いた臭いまでは遮断できず、吐き気を覚える。悲鳴を上げる余裕はなく、私は小さくなっていた、が。

 人が傷ついている。死んだかもしれない。
 あの黒衣の男が、光剣を振るったせいだ。
 でも、一体何のために?どうしてこんなことになっている?

 目を閉じていては何も分からない――そう気付いて、私は顔を上げ、目を開ける。
 真っ先に視界に入ってきたのは、凛とした黒衣の男の背中だ。次いでその足下に幾人かの侵入者が倒れ、呻いているのが見える。動ける侵入者はまだいて、男の周囲を取り囲んでいた。
 侵入者は軍など統制された組織に属するわけではないらしい。皆思い思いの服装で、動きにも統一性がなく、光剣を振るう男の敵ではないように思える。けれど、その中に一人銃を手にしている者がいた。
 (あれは、)
 銃口は、当然黒衣の男に向けられている。指先が引き金に掛かっている。――撃つ気だ。そう気付いた瞬間動いていた。床のガラス片を蹴散らし、銃を持つ侵入者に跳びかかる。
 少しの間私は侵入者と揉み合った。が、やはり力の差もあって、突き飛ばされよろめいたところで銃声が聞こえた。途端、左肩が熱をはらむ。次いで、強い痛みが熱に取って代わり、撃たれたことを知る。と、黒衣の男が私の腕を掴んで引き寄せた。
 「余計な真似を…!」
 私を腕の中に収めて、男は忌々しげに舌打ちする。光剣を一振りして一気に侵入者を2人薙ぎ払い、私を抱え上げた。
 「何を、」
 「大人しくしろ。こいつらの仲間が来る前にここを去る」
 男は私を抱いたまま研究室のような部屋を出る。追ってくる者はいなかった。襲ってきた者たちは全て黒衣の男に斬り伏せられて、床に沈んでいる。
 私が目覚めた研究室は地下にあったらしく、階段を上ると居住用らしきスペースになっていた。ただ、一応生活できるように整えられているものの、おそろしく生活感がない。そこを通り抜け、夕闇の降り始めた外へ出た。
 外は、私の全く知らぬ街だった。無数の建物が身を寄せ合うように並ぶその先に、一際高い塔がある。他の建物より飛びぬけてその塔が高いところやその外観を見ると、単なる高層建築ではなく、何か特別な意味をもつのかもしれない。撃たれた左肩の痛みが強くて思考も曖昧になる程であったけれど、外に出たときには一瞬街の光景に見入っていた。


 見知らぬ街であるはずなのに、何故か懐かしい気もした。







次項
目次