4.(ED3)
私たちは、そのままトシマを出て日興連へ入った。 その後、すぐに内戦が始まった。 あのときの爆破は<ヴィスキオ>内の一派閥の反乱のようなもので、CFC・日興連両陣営ともそれを相手方の先制攻撃と勘違いして開戦は数日早まったらしい。シキは反乱で騒然となった<城>にふらりと現れたnと闘い、彼を斃してその血を口にしてNicolウィルスの適合者となった。そういう経緯を私が知ったのは、かなり後になってからのことだ。 長引くかと思われた内戦は、意外にも1年ほどであっさりと終結した。 日興連は軍事力ではCFCに少し劣っていたが、外国の援助と、新たな<ヴィスキオ>を創ったシキが提供した兵士強化用の改良型ラインによって、勝利を得た。統一後新たに組織されたニホン政府は、主に日興連側の要人で固められた。 けれど、第3次大戦と内戦を経たニホンは、実際には自国を維持するほどの活力を失っていた。 混乱したままの経済。拡大する貧富の差。政府分離期間を経ての東西の意識の違い。旧CFC勢力の過激な残党による反乱――その他にも問題は山積みになっている。更には内戦を援助した外国からの内政への口出しと国内状況の違いのために政府は板挟みになり、身動きもままならない。 そんな政府へ、シキはラインで得た収益を援助し続けている。 それだけではない。旧勢力の反乱があれば<ヴィスキオ>の人員だけで抗争に見せかけて鎮圧したり、それとなく内政に口出しする外国へ根回ししたりというようなことも、密かにやっている。 シキにその気があれば、ニホン政府に取って代わることもできるのかもしれない。 けれど、本人はあくまで一犯罪組織の首領という立場を崩さないでいる。 このことにに関して、ラインの生産や輸出の取り締まりに便宜を図ってもらう程度の無料同然ともいえる見返りしか、シキは政府に求めたことがない。実際には、そんなことはほとんど力のない政府に保証してもらわなくとも、何とでもなる。 なら、何のために――別に慈善事業というわけでもないのだろう。 いつか言ったように、旧い価値を壊すため、世界を変えるための布石として、そうしているのではないかと私は思っている。 *** 再びシキは<ヴィスキオ>の<王>となり日々多忙を極めたが、私はいつもその多忙の外に置かれた。彼は私をそばに置き、内戦が終わるとトシマを復興して<城>を建て、そこに入るときにも自分の私室に私を住まわせるように取り計らった。 以来、私は<城>の奥に引きこもるようにして暮らしている。もともと外出好きというわけではないし、シキも外出にいい顔をしない上、別の事情もあって、そういう暮らしをすることに不満はない。 滑稽な話だが、奥に引きこもって暮らすうちに、いつからか私は<王>の愛人か妻だと見なされるようになっていった。もちろん、実際はそうではない。私は単なるシキの所有物というのが正しい。 それでも、<ヴィスキオ>の内外の人間は、そう思ってはくれない。 「――ですから、どうか<王>に取り成していただきたいのです」 目の前の男が言うのへ、「それはできません」と私は首を横に振った。 朝から降っていた雨が夕方頃に上がったので、気分転換に庭へ出てみた。そうしたら、この男に頼みがあると呼び止められたのだ。頼みというのは、ある件に関してシキに口添えして欲しいということだった。 けれど、そんなことを頼まれたって、私も困る。 「何度も申し上げるように、私は<ヴィスキオ>のことに一切口出ししませんし、たとえ何か言ったとしてもシキ様は私などの言葉で心を変えられることはありません。あなたの意見が道理であるなら、あの方は必ずあなたの意見を受け入れられるでしょう。ご自身で<王>にお伝えになってください」 諭しながらも、私はシキがこの男の意見を聞くことはないだろう、と思った。 というのも、男の話は<ヴィスキオ>の新規事業に絡む内容で、要約すれば男の派閥の利益を確保できるよう口添えしてほしいということだった。シキは別に私利私欲を否定しないが、度を越して私利ばかりを追求する輩のために<ヴィスキオ>としての利益が損なわれることを嫌う。そして、目の前の男の主張は部外者の私が聞いても、少し自己の利益を追いすぎている印象を受けたのだ。 どうしても断られる分かると、男は突然その場で土下座をした。 私たちのいる庭の舗道の部分にはタイルが敷き詰められている。けれど、砂埃や土が落ちていないわけではなく、雨で舗道はぬかるんでいた。地面に膝を突いた男の高級そうなスーツに泥水が染みていく様が見ていられなくて、私はそっと目をそらした。 この男は、<ヴィスキオ>内では幹部クラスにある。 それが、どうして何の地位も権力もない女に土下座するのか。 ここまでしなければならない男を痛ましく思いながらも頷くことはできず、私は視線を庭の花壇へとさまよわせた。季節は梅雨時で、花壇には葵や紫陽花、桔梗、バラなどが花をつけている。<城>の表の整然とした庭とは違い、この裏庭は適当に植えたのだろうと思いたくなるくらいばらばらに草木が植えられて、その季節ごとに好き勝手に花や実をつける。私はその無造作な感じが好きだった。 「どうかそんなことはお止めください。私にはどうしようもありません」 紫陽花の幅の広い葉の上に溜まった雨粒を指先に移しながら言うが、男はいいえと首を振る。 「<王>はあなたの言葉なら聞かれるはず。以前、あなたは<王>に意見して、聞き入れられたというではありませんか」 確かに、そういうことは過去に一度だけある。ある組織が傘下にしていた娼婦たちの処遇について、私はシキに一度だけ“勝手な感想”を述べたのだ。 犯罪組織というのは、主に麻薬の売買や売春を取り仕切ることで収入を得るのが普通だ。<ヴィスキオ>はラインのみで収益を得ているが、あるとき敵対した組織に売春を取り仕切ることを主な仕事としているところがあった。抗争の末にシキはその組織を取り潰してしまったため、傘下にあった娼婦たちは一夜のうちに庇護者(ある意味では搾取者ともいえるかもしれないが)を失うことになった。 シキは、彼女たちが<ヴィスキオ>の傘下に入って、或いはその勢力圏内で、仕事を続けることを許さなかった。目障りな組織を取り潰した勢いのままに、彼女たちをも追い払おうとする。 男が泣くのは別に構わないが、女性が泣くのは見ていられなくて、私は思わずシキに言った。 すぐに追い払うなんて、彼女たちがかわいそうだ。 出て行くにしても、こんなにすぐに行くあてが見つかるわけがない。 せめて、もう少し待てないのか。 結局、シキは彼女たちに猶予を与え、更に潰した組織から奪った金品で以って退職手当てのようなものを出したらしい。 そういう例外はあるものの、基本的にシキは自分の考えで<ヴィスキオ>の事業を進めたし、そのやり方はときに苛烈といえるほどだった。シキには、自分が恨まれることを承知の上で、敢えて恨まれるようなやり方をしている節がある。nのやり方を辿っているかのように。 誰かに自分を憎ませ、生命を狙わせようとしている。誰かが自分を止めるのが先か、自分がNicolウィルスという災いの種をまいてそれが開花するのが先か――nがトシマでしていたことを、シキは多分世界でやろうとしている。 それは、まるでNicolウィルスが媒介する呪いのようだ。 と、急に表の方が騒がしくなったようだった。 若いメイドがぱたぱたと廊下を駆けていくのが、ガラス越しに見える。きっと、1週間ほど<城>を空けていたシキが戻ってきたのだろう。 「…すみません、私はもう行かないと」 そう断って、男の脇を抜けて建物の方へ戻ろうとする。そのとき、男が私の足首を掴んだ。 「お待ちください…!!」 「――っ…!!」 突然の接触。予想をして身構えていなかったために、堪えきれない嫌悪感と恐怖が背中を駆け上がってくる。ほとんど条件反射のように、私はカーディガンに隠れるように身に着けていた細身のナイフに手を伸ばした。内戦前にトシマを出てから教え込まれて慣れた動きで、躊躇いなくナイフを引き抜き、男の鼻先に突きつける。 トシマでの忌まわしい一件以来、私はシキ以外の男に触れられることに恐怖を覚えるようになっていた。最初から触れられると分かっているなら多少は我慢できるが、予想外の接触はどうしても過剰反応が出る。あまり外出したくないのも、このためだった。 「ごめんなさい」嫌悪と恐怖と、そしてこの程度で過剰反応をしてしまう申し訳なさの混じった心境で、私は最初に謝った。それから、低い声で警告を発する。「でも、すぐにその手を離してください。これ以上私に触れないで。あなたは<ヴィスキオ>の人間…いわば身内だから警告しますけど、そうでなければ黙って殺しているところです」 すると、男は呆然とした表情でゆっくりと私の足首から手を離す。 それを見届けてから、私もナイフをしまった。 「――随分と話が弾んでいるようだな」 不意に聞き覚えのある声が耳に届いて、私ははっと振り返った。シキが建物の方からこちらへ歩いてくるのが見える。口添えを頼みに来た男はシキの目をはばかる話だったこともあって、さすがに血の気の失せた顔になった。 「お前が庭にいるというので来てみたが、今まで気付かないとは、余程“話”に熱中していたとみえる」シキは意地の悪い笑みを浮かべたまま私と跪いたままの男とを交互に見比べ、次いで男に視線を定めた。「コレに何の用があった。自分の子どもほどの年齢の小娘に土下座とは、穏やかではないな。俺の目の届かないところで、コレに頼みごとでもしようとしたか?――、この男に何を頼まれた?」 最後のは、男ではなくこちらに向けた問いだ。しかし、私は答えず首を横に振った。 「私はこの方の頼みを断りました。ですから、今、私の口から説明するのは、筋違いです」 すると、シキは私の言葉に満足げに頷いて男に顔を向けた。「コレはもともとこういう女だ。頼む相手を間違えたな」それから、意見したいことがあれば後日直接言いに来るようにと指示して、男を下がらせる。 2人きりになると、シキは唐突に「汚れたな」と言って私の足元を視線で示した。つられてみれば、今日はサンダルを履いていたので、男に掴まれた足首から足の甲にかけて泥がついている。 「あ…部屋に戻ったら洗います」 「俺が洗ってやろう」 「それはありがとうござい――…えっ?」 一瞬聞き間違いかと思って窺い見ると、シキはいつになく楽しげな表情だった。何か企んでいるのかもしれない、と警戒心が頭を掠める。自分ひとりでできるから、と断るがシキは聞かず、私の手を取って<城>の建物へ戻っていく。 *** 自室に戻ると、シキはサンダルだけ脱がせた私を浴室へと押し込めた。そして、待っていろという。仕方なく、素直に浴室の真ん中で突っ立っていると、すぐにシキが浴室へ戻ってきた。コートを脱ぎ、刀を置いてきたらしい。 戻ってきたシキは、おもむろにシャワーの蛇口をひねった。 途端、湯に変わる前の冷水が頭上のシャワーヘッドから降り注ぐ。 「っ、つめたっ…!」一瞬水の冷たさに身を竦めた私は、じきに我に返ってシキを睨んだ。「足を洗うだけで、何で服を着たままシャワーを浴びなきゃならないんですか!?」 「洗ってやるとは言ったが、足だけとは言ってない」 「子どもみたいな屁理屈はやめて――」 「うるさい」急に焦れたように、シキはこちらの言葉を低い声で遮った。私の両肩を掴んで壁に押し付け、更にたたみかけるように言う。「一週間留守にして、戻ればお前は別の男と2人きりで話している。それで俺が面白いとでも思うのか」 別に私も好きで話していたわけではない。むしろ、困っていた。そのことを言い返そうかとも思ったが、それよりもシキの言い草に少し笑ってしまった。心配してくれたのか、嫉妬なのか何なのか微妙なところだが、シキは以前はそういう感情を表に出すような性格ではなかった。それでもそういう感情自体はあったのかと思うと、何やら微笑ましい気がするのだ。 「あなたは、前はそういうことを表に出す人じゃなかったのに」 「あぁ。だが、お前に関しては表に出すことした。そうでもしないと――お前は勝手にこの手から零れ落ちていこうとするからな」 自分のプライドのために、手を伸ばすことを我慢して、失うのは2度とごめんだ。 顔を近づけ、唇を重ねる間際にシキはそう呟いた。それから、噛み付くように口付けてくる。その口付けは、素直に心地よいものと思えた。こんな風に深く接触して嫌悪を覚えないのは、男性ではもはやシキしかいない。内戦前にトシマを出た当初はそのシキに触れられることさえ怖かったのだが、彼は見放すことなく私に触れて「怖くない」と宥めつづけたのだ。 口付けを続けながらぼんやりと以前のことを思い出していると、シャワーから降り注ぐ水が湯に変わっていくのが分かる。それを待っていたかのようにシキが衣服の裾から手を差し入れて、肌を撫でる。私は思わず身体から力を抜いた。 なぜだろう、今となってはシキの手に触れられると、無条件に安堵してしまう。 彼ならば、絶対に私を見捨てないだろうと、心のどこかで信じきっているのかもしれない。 *** 「来週から、ヨーロッパへ行く」 唐突にシキはそう言った。浴室から出た後、ベッドの上で座った私の膝の上に頭をのせているときだった。いわゆる膝枕というやつだ。 こんな膝枕よりこの部屋にある本物の枕の方が余程寝心地がいいはずだが、本人がこれでいいというのだからこれでいいのだろう。見かけによらずどんな場所でも眠ることができる、という人だから、少々寝にくくとも身体は休まるのかもしれない。 膝枕をするたびに繰り返す思考を今日もまた重ねながら、私はシキの言葉に「はぁ」と気の抜けた相槌を打った。「ヨーロッパ…それはまた急ですね」 「反応が薄い」シキは不満げな表情になった。 「だって、他にどう反応すればいいんですか。あなたは仕事で行くのですから、寂しいから行かないで、なんて引き止めるわけにもいかないでしょう」 「それでも拗ねたり引き止めてみせれば、まだ可愛げはあるものを。お前はいちいち強情で小賢しい」 分かった上でそばに置いているのは誰ですか。思わずそう言い返しかけたが、そのことを口に出せば本当に可愛げのない気がして、少し迷う。その沈黙を破るように、シキが声を発した。 「――で、何が欲しい?」 「え?」 ヨーロッパ土産の話だろうか。 だが、世界大戦前後の勢力変化で国の統合や分裂が進み、この時代の地理は私のいた時代とは大きく異なるものになっている。ヨーロッパ圏もだいぶ国の数や国土が変化して、正直、どこがどこなのかまだよく分かっていない。 当然名産品も分からないので、私はよくありそうなものを上げた。 「えっと、…チョコレート、とか?」 「お前はいつもそうだ」シキは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。「ホッカイドウに行くといえばバター飴、オキナワなら黒糖、クリスマスにはケーキだった」 「つまり私は食べることばっかりだ、と」 「違う。たまにはもっと高価なものをねだれということだ」 「何でまたいきなり。まぁ、麻薬王の愛人といえば、そういうのが一般的なイメージかもしれませんけど…」 けれど、衣食住に困っていないのにこれ以上を望もうとは、私は思えなかった。 ちらり、と一瞬内戦前のトシマで目にした遺体が頭を過ぎる。どれほど高価なもので着飾っても、死ねばすべて無意味ではないか。もちろん私にもいくらかの欲はあるけれど、無駄な贅沢品を目の前にするといずれ失われるのに何の意味があるのか、と虚無にも似た乾いた思いに襲われることがある。 宝石などを欲しがらないのは、結局そのせいだった。 死ねば意味を失うと分かっていて、それでも望まずにはいられないものは、私には一つしかない。 ――ずっとシキのそばにいたい。 本当は<王>なんかやめて、<ヴィスキオ>を捨てて、2人で静かに暮らそうと言ってみたい。けれど、シキはそういう生活に甘んじていられる性分とは思えないし、更にNicolウィルスがもたらす呪いにも似た衝動がそれを許さないだろう。 それは分かりきっているので、口には出せない。 代わりに、別の形で望みを言うことしかできない。 「私は何もいりませんから、あなたが無事で帰ってきてください。それで十分」 すると、シキは僅かに目を見張っていたが、やがて私の左手を取り上げて口元へ持っていく。薬指に嵌まっている指輪に唇で触れながら、言葉を発する。 「お前はねだらせ甲斐がなくて困る」 シキは小声でそう言ったようだった。 ED3ルート End. 目次 |