・レイプ、殺人描写注意
・夢主人公が相手以外と関係を持つのが嫌な方は避けてください



3.(ED3)





 泣いているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。
 気がつくと、私はあのアパートの一室で、埃っぽい床に頬をつけているのだった。閉じていた瞼を上げれば、すぐ目の前にロザリオとその鎖を握り締める自分の右手が見える。
 途端に、去り際のシキのことを思い出した。

 “お前には失望した”
 あのとき、シキはそう言ってロザリオを投げつけたのだ。
 その声音は淡々としていたが――思い違いかもしれないが――どこか傷ついた響きがあったようにも思える。

 そんなつもりじゃなかったのにと思いながら、私は知らないうちにロザリオの鎖に絡めた指に力を込めていた。
 そう、シキを傷つけるつもりなんかなかった。ただ私に見切りをつけて欲しかった。その辺の小石と同じように、取るに足らないものとして見捨てていって欲しかった。そうでもなければ――多少なりともシキが私を気に留めてくれるなら、そばにいてもいいのだと勘違いしてしまいそうだったのだ。けれど、死に向かおうとするケイジを引き止めず、もとの時代から死に近い形でこちらへ来て家族を悲しませている私が、そんな身勝手をすることはできない。
 けれど、もし本当に私の態度がシキを傷つけていたとしたら。
 急にいても立ってもいられない気分になって、私はぱっとその場で起き上がった。見回せば部屋の中はまだ暗いが、窓の外の空の色は暗いながらも夜のそれではないことが分かる。

 シキを追いかけなければ。
 そして、謝らなければ。

 そんな思いに急かされて、私はその部屋をとび出した。ほとんど衝動的といってもいい勢いでアパートの建物を出て、まだ薄暗い中をトシマの街の方へと走る。シキがトシマの街中へ行ったという保証はないが、他に思い当たる場所もなかった。まさか、瓦礫を踏み分けて旧祖を出ようとしているとも思えない。


 空を見て夜ではないと思った私の判断は正しかったようで、トシマの街へ向かううちに辺りが明るくなり始める。入り口に差しかかる頃には、曇り空でぱっとしないものの、空の向こうはもう日が昇ったかと思えるほどの明るさに達していた。
 トシマの通りはしんとして、不気味なほど静まり返っていた。
 そのくせ、いつになく空気がざわついているようでもある。内戦間近と聞いているから、私が勝手にそう感じてしまうのかもしれない。そう思いながら、私はふと目に付いた壁の派手な落書きに目を向けた。
 落書きは書かれて日が浅いのか、近づくと塗料に混じるシンナーのつんとした臭いが鼻につく。見れば、落書きは<王>戦の開催を告げるものだった。日時は今日の正午、会場は<城>の敷地内にある闘技場となっている。そして、挑戦者の名前は。

 「――リン…!?」

 覚えのある名前を目にして、私はすっと体温が引いていくような気がした。
 シキは本当にリンの挑戦を受けて闘う気なのだろうか。
 「そんな…2人が殺し合うなんて」
 私はケイジとその兄のことを思った。それから、シキが憎いと言ったリンの表情を思い浮かべ、リンが復讐を諦めることはないと言い切ったシキの確信に満ちて静かな声音を思い出した。そして、最後に目を閉じて、元の時代に残してきた妹の顔を思い描く。
 やはり駄目だ、と思った。
 リンとシキの間には殺し合うに足るかもしれない因縁がある。他人が口出しする義理ではないのだろう。それでも、見ていられない。兄弟同士で殺し合うのは、自分の半身を殺すようなものだ――ケイジとその兄のことがあるから、どうしてもそう感じる。
 私は、ケイジを兄と闘わせるべきではなかったのだろうか。そうすれば、ケイジは死のうとは思わなかったかもしれない。けれど、獣のようになった兄を忘れて生きろなんて、どうして言うことができただろう。一体どうするのが一番良かったのだろう。
 ともかくシキとリンは止めなければ、と思い私は<城>に向かって走り出そうとした。
 途端、そばの路地の奥から伸びてきた手が、私の腕を掴む。驚いて声を上げようとするが、誰かの手が私の口を塞ぎ、あっという間に私を路地の奥へ引きずりこんだ。


***


 狭い路地の奥には、3人の男がいた。私を後ろから抱きすくめるようにして拘束している男と、その仲間らしい2人。背後の男は見えないが、その仲間らしい2人はイグラの参加者であるらしく、首からタグをかけている。
 必死に暴れても、拘束する腕は揺るぎもしない。手がしっかりと口を塞いでいるので、声を上げることもできない。まずい、これでは逃げられない――そう悟った途端、恐怖と焦燥が背中を駆け上がってくる。
 こうなったのも、すべて私の考えなしに行動したせいだ。
 トシマの治安の悪さは知っていたはずなのに、外見を取り繕う努力さえせず女の格好のまま歩いた。ケイジの身体にいたころよりもなお危険であると、分かっていなかった。その認識の甘さがこの事態を招いたのだ。
 このままでは、私は――。
 逃れようともがく私を尻目に、男たちは品定めをするような視線をこちらへ向けて好き勝手言い合っていた。
 「見ろよ、これ、ホンモノの女だぜ?」
 「だから俺が最初に言ったじゃねぇか、あそこに立ってるの女だってよぉ」
 「だけど、まさかトシマに女がいるなんて思わねぇよ、普通」
 それから、私を拘束している男がぐいと腕に力をこめて、僅かな抵抗さえ抑え込もうとした。
 「あんたもトシマがどんな場所か分かってここにいるんだろ。なら、こういうコトも覚悟の上だよなぁ?弱肉強食ってやつ。アルビトロは気持ち悪ぃが、あれはけっこういい言葉だって思わねぇか?」
 「大人しくしろって、姐さん。騒いで辛い目見るのは、俺たちじゃなくてあんただぜ?トシマ中の男を相手にしてぇなら、止めはしないけどな」
 男たちは私を引きずって、狭い路地の先にある廃墟へと向かう。甲斐がないとは知りながらも、私は必死で逃げようとして、その度に失敗した。


 嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 シキ――どうか助けて、とその名を呼ぶことはできなかった。
 口を塞がれていたし、呼んだところで都合よく聞こえるはずもない。こうなったのは私の認識の甘さのせいで、シキを頼ることができないのも、自らその権利を踏みにじった私のせいだ。自分自身のためにどこまでも追い詰められていく。

 シキ。私はわざとあなたに逆らった。見捨ててほしいと思った。
 だけど、ずっとあなたに惹かれていたことには、変わらない。
 好きだった。何かを勘違いしたか、気の迷いから出た感情かもしれないけれど。
 それでもいい。確かにあなたが好きだった。


***


 廃墟に連れ込まれ、私は埃っぽい床の上に投げ出された。
 すぐさま、男たちのうちの1人がのしかかってくる。他の2人が両手足を押さえつける。幾本もの手が好き勝手に身体をまさぐり、衣服を裂いて素肌に触れる。私は抗い、泣き喚き、最後には哀願したが男たちは決して容赦しなかった。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
 同じくらいひどい目にあわせてやる。いつか殺してやる。

 陵辱の最中、私は頭の中でそれだけを繰り返していた。
 他のことは――シキのことさえも――何一つ考えられない。縋るものも救いを求めるものもないまま、私は嫌悪と殺意だけを抱えて地獄のようなときが過ぎるのを待った。


***


 見つけた“玩具”を一通り弄んで気が済んだのだろう、昼ごろになると男たちのうち2人は<城>へと出かけていった。<王>戦は非公開だが、アルビトロが主催する前座は観戦することができるからだ。
 私は裂いた布切れで手足を拘束され、廃墟に残された。男が一人、監視として付いていることになった。拘束され、監視もつくということは、男たちはまだ私を解放する気はないのだろう。

 いつになったら、この悪夢は終わるのか。今日か、明日か、この先もずっとか。
 遊ぶだけ遊んだら、男たちは私を殺す気かもしれない。
 なぜ、私がそんな目に遭わなければならないのか――女だというだけで。

 陵辱されるうちに感情の摩滅していた心に、ちらりと憎悪にも似た黒い感情の小さな火が灯る。そのとき、監視に残った男がにやにやと笑いながら、私に近づいてきた。
 「2人きりだな…実はあんたとゆっくり楽しみたいと思ってたんだよ。他の2人もいるとせわしないだろ、色々と」
 男の顔にも言葉にも嫌悪を覚えたが、顔を背ける代わりにおずおずと怯えている風を装って相手を見た。「逃げないから、代わりに、優しくすると約束してくれる?もう殴られるのは嫌…」そう言う私の声は、はっきりと媚を含んでいた。
 本意で言ったことではないとはいえ、私は自分自身に吐き気がするほどの嫌悪を覚えた。まるで自分がどろどろの液体でできた、得体の知れない生き物になってしまったような気がする。相手の身体にまとわりついては形を変え、汚れを飲み込み、そうすることで環境に適応して生きのびる――そんな生き物。

  という骨と肉と精神を持った一人の人間は、もういない。


 行為に乗り気である素振りをみせると、男はいそいそと私の手足の拘束を解き始めた。最初は手を、次に足元に屈んで、男は足を縛る布を解きにかかる。硬い結び目が解けて布が足から取り払われる瞬間に、私は思い切り男の顔を蹴り上げた。
 完全に油断していた男は、蹴りをまともに顎に受けて怯む。そこで、すかさず私は男に跳びかかった。もみ合いになりながら、男のナイフホルダーからナイフを引き抜き、よく見ないまま必死で男に向かって切りつける。
 と、切っ先が男の首に当たり、咽喉を真横に切り裂いた。
 ぱっと血が噴き出し、馬乗りになっていた私にも降りかかる。
 じきに男は動かなくなり、私は荒い息を吐きながら、男の上から降りた。もみ合いになったせいで鼓動は激しく鳴っているが、意識は奇妙なほど興奮とはかけ離れて冷め切っている。死んで当然の男だったのだ、殺さなければ私が死んでいた――冷め切った意識でそう思うのに、身体はなぜか震えがとまらなかった。

 それでも、いつまでもぼんやりしているわけにもいかない。

 私はもう一度事切れた男に近づき、その衣服をまさぐった。ジャケットの内ポケットを探すと、シキから預かったあのロザリオが出くる。それを取り戻せたことに、ほっと安堵の息を吐いた。
 男たちは最初の陵辱の際、私の持ちものの中からそれぞれ価値のありそうなものを奪っていったのだ。この男はロザリオを、他の2人はそれぞれケイジから譲り受けたナイフと、コートのポケットに入って私と共に時を越えてきた携帯電話を選んで懐に入れてしまった。それで、携帯はともかく、ロザリオとナイフだけは取り戻そうと私は心に決めていたのだった。
 取り返すものさえ取り返せばもう用はない、とばかりに私は男から離れて、部屋の隅に投げ捨てられた自分の衣服を拾って身に着けた。衣服の一部――とくにシャツなどは切り裂かれてひどい有様であったため、上に着たコートの釦をきっちり留めて隠す。
 動いていると、身体の芯に疼痛が走って余計みじめな気分になった。よくこれで男に跳びかかれたものだが、あのときは必死で痛みを感じる余裕もなかったせいだろう。私は違和感にもつれる足を励まして、男のナイフを手にしたまま廃墟の外へ出た。


***


 なるほど、確かに自由にはなった。けれど、それが一体何だというのだろう。
 目立つ大通りを避けてふらふらと裏通りを歩きながら、私はぼんやりとそう思った。帰るべき家もない、頼るべき人もいない。こうやって逃げて、どこへ行けばいいのだろう。
 もはや、シキに会いたいとも思えない。
 “優しくすると、約束してくれる?”そう言った声に含まれた、甘い毒のような媚。男を欺くためとはいえ、あんな声を自分が出したことが信じられない。汚れさえ貪欲に飲み込んで生きる得体の知れない生き物のような自分が気持ち悪い。
 こんな自分をシキの前に晒したくない。いっそ、死んでしまいたい。
 今、私の手の中には、男から奪ったナイフがある。ホルダーもなく、ポケットに仕舞える長さでもないので、コートで隠すようにして持っている。これを使えば、すぐに終わる。
 そう思って立ち止まったけれど、怖くて実行はできなかった。
 行く当てもないまま、私はいつしかふらふらと<城>へ向かっていた。<城>へ行っても何があるわけでもないし、<王>戦は非公開だから観ることもできない。それでも、廃墟に連れ込まれる直前に<城>へ向かおうとした、そのときの焦燥の名残が今の私を後押ししているのだった。


 トシマの街は閑散としていた。<王>戦の前座だけでも観戦しようと、皆<城>に集まっているのだろう。おかげで、私は誰に遭遇することもなく、裏通りを歩いていくことができた。
 そうして、ビルとビルの合間に<城>が見えるほど近くまできたときのことだ。突然大きな爆発音がして、地面が揺れた。「っ…!?」揺れそのものは大したことがなかったが、初めて生で聞く爆発音に驚いて、とっさに足がすくむ。
 1度、2度、数秒待って3度と爆発音は続き、やがて静かになった。
 おそるおそる瞑っていた目を開けると、<城>から煙が立ち上っているのが見える。<城>で何かがあったらしい。息を潜めて様子を窺っていると、急に大通りの方が騒がしくなりはじめた。今まで<城>にいたらしい参加者たちが、一斉に大通りを<城>とは逆方向へ欠け去っていく。
 その様子を、私は大通りから脇に入った狭い路地の中から、他人事のように眺めていた。
 まともな危機感は、もはや私の中から摩滅してしまったのだろう。


 そうするうちに、大通りを逃げていた参加者の一人がばたりと倒れるのが見えた。更に一人、もう一人、と大通りを逃げる参加者たちが次々に倒れていく。中には、倒れる直前に腕や首が落ち、その断面から血を噴き出ながら倒れる者もいた。
 と、不意に逃げている男が一人、私のいる路地に駆け込んできた。
 しきりに背後を気にしながら、こちらへ向かって「どけ!」と叫ぶ。私が壁際に寄って道を空けると、男は私の前を走り抜けようとする。そのとき、私の目の前で、男の首がとんだ。
 まるで玩具のように簡単に身体から離れた頭部が、アスファルトへ落ちていく。頭を失った身体は糸が切れた操り人形のように、首の断面から血を噴きながらゆっくりと倒れこんだ。
 死というにはあまりに呆気ない出来事に、私は呆然と足元に転がる頭部と身体を見つめた。

 あぁ、結局人はいつか“こう”なるのだ、と思う。
 美しくとも醜くとも、善人も悪人も。幸せでも不幸でも、いいものを食べて着飾っても。
 死ねばすべての価値観は無意味になる。
 そして、この遺体と私の違いといえば、ただ生命があるかないかだけなのだ。
 いつか“こう”なるなら、それが今でも同じことではないのか――。

 乾いた心でそう思っていると、カツカツカツと硬質の足音が耳に届いた。顔を上げれば、血刀を携えたシキがこちらへ歩いてくるところだった。
 シキは私を目に留めると立ち止まり、「お前は…」と何か言いかけてから、口をつぐんだ。そして眉をひそめながら、改めて口を開く。「何があった…誰がお前をそんな風にした」尋ねるシキに首を横に振って、私は言った。
 「殺して下さい。私は…汚い。こんな汚さを抱えたまま、生きていたくはない」
 「自ら生命を捨てるというのか」
 考えるような口調で言ってから、シキは血振りをして抜き身の刀を鞘へとしまった。
 それが、彼の答えであるらしかった。
 
 「捨てるならば、その生命、俺が拾う。共に来い」

 「だけど…私は汚い…あなたが拾うような価値もない…」
 「価値があるかどうかは俺が決めることだ。お前には、俺が求めるだけの価値がある。だから、共に来いと言っている」
 そう言って、シキがこちらへ手を伸ばす。その手から逃れようと私は後退しながら、「そんなの嘘だ…嫌だ、行かない」と首を横に振った。そうするうちにも、感情が摩滅して空っぽになったはずの胸の中に、じわりと水が湧くように何かが染み出してくる。
 すると、チッと焦れたように舌打ちして、シキは強引に私の腕を捕らえた。ぐいと自分の方へと引き寄せてもがく私を胸に抱きこみながら、彼は宥めるように囁いた。
 「お前がどう言おうと、どうなろうと、俺にはお前が必要だ」
 まさかシキのような男が言う言葉とは思えなくて、私は驚いて動きを止めた。その拍子に手の中の血塗れのナイフが滑り落ち、カランと乾いた音を立てる。胸の中に湧き出した何かは依然嵩を増し続けていて、シキの言葉を聞いた途端、決壊した。勝手に涙が溢れてきて、私は自分からシキに抱きつき、子どものように声を上げてひとしきり泣いた。


 「…俺は全ての枷を断ち切り、全てを手に入れた。これから世界は変わる。価値のあるなしなど、気にすることはない。旧い価値感などいずれ無用のものになる」あやすように頭を撫でながら、シキはそんなことを言った。
 「全てを手に入れた…?」
 ふとその言葉が引っかかり、私はそっと顔を上げシキを見た。彼はなおも私を腕の中に閉じ込めたままの間近で、こちらを見下ろしている。秀麗な顔立ちも、不敵な表情もいつもと同じ――ただ、紅い瞳の中に今までにはなかったような狂気の光が揺らめいている。
 研ぎ澄まされた、深い狂気だ。つい、引き込まれそうになる。
 「まやかしの力に打ち勝ち、真の力を手に入れた。それを有効に使うというだけだ。お前はただ俺のそばにいて、世界が変わるのを見ていればいい」
 紅い瞳の中で揺らめく狂気に魅せられたかのように、気がつけば私は頷いていた。「あなたがそうしろと言うのなら、それに従います」そう言いながら、自分から再び身を寄せシキの胸元に頬を当てる。そして、更に付け加えた。

 「けれど、もし私が不要になったなら…そのときは、すぐに殺してください。きっとそうすると、約束してください」

 シキからの返答はなかった。
 その代わりのように、彼は痛いほど強く私を抱き締めた。








前項/次項
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