・死にネタあり→n、エマ、グエン(反転でキャラ名)


6.





 「動くな。頭を下げていろ」女は、ひどく高圧的な調子で言った。
 「お前ら……エマにグエン……どうしてここに……」
 二人の顔を知っているのは、私だけではないようだった。床に伏せた格好のまま、アキラが敵意もあらわに二人を睨みつけている。そんなアキラに、女――エマは場に不似合いなほどに艶然と微笑んでみせた。
 シキは私を背後に押しやりながら、軽蔑しきった顔つきで男女を眺めた。
「……その銃は、CFCの軍で採用されている型だな」
「そうだ。こいつらはCFCの軍人なんだ」と、アキラが怒った調子で応じる。「俺はトシマに来る前にこの女――エマに取引を持ちかけられたんだ。イグラに参加して王を倒せば、俺の殺人容疑を不問にしてやるって」
「そんな言葉を信じるとは甘いな」
 ふんとシキが鼻で嗤う。その態度にアキラがむっとした表情になって抗議しようとした。そのとき、エマが唇の両端をつり上げて微笑してみせた。
「いいことを教えてやろう、アキラ。その殺人容疑――私がでっち上げたものだ」
「なっ……!」
 平然と明かされた事実に、アキラが絶句する。あまりの驚きと怒りのために、束の間、どう反応していいか分からなくなったらしい。抗議するにも言い尽くせないというように、彼は唇を開閉したが言葉は発さなかった。
 エマは艶然とした笑みと共に、その様子を見つめていた。が、やがてその場にいる者を順に見渡していった。
「ニコル……非ニコル……それに、この中には『感情の共感能力者』がいるらしいな。先ほど能力発動の気配を感じた。まだ発狂していない共感能力者がいるとは、驚いたが」
「共感能力者という存在について、何か知っているような口振りだな?」シキが言った。
「そちらは知りたそうだな。いいだろう、こちらの用件に関係がなくはない事柄だ。教えてやろう」
 そうしてエマが語ったのは、忌まわしい実験についてだった。ケイジやnから聞かされたそこでの研究について、エマは研究者側からの視点で語った。
 第三次大戦中、軍は製薬会社Rabbitと共に兵士の能力を強化するための研究を行った。この中で研究者が最初に目をつけたのは、普通の人間ならば持たない『超能力者』を持つ者だった。軍は被験者の中に運良く『超能力者』を見つけ出し、その研究を行った。結果、『超能力』は遺伝的なものであり――血筋の者以外には現れないことが分かった。
 しかし、軍が求めているのは、どんな一般的な兵士でも強化できるような力だった。そこで、超能力者の研究とは別にニコル・ウィルスが開発された。このウィルスはヒトの身体能力や精神を強化するという、軍が求めた通りの効果を持っていた。
「もっとも、このウィルスに完全適合したのは、そこにいる男――ニコル・プルミエ――nただ一人。そのnは、第三次大戦末期、研究所内にいた人間を殺して脱走した。軍は追っ手を出したが、敗戦の混乱で追跡は有耶無耶になり、プルミエの行方を知る者はいなくなった」
 エマの話す間、nは静かな表情をして黙っていた。その表情だけならば、とても人を殺したことのある人間とは思えなかっただろう。けれど、グンジを殺したのは、紛れもなくnだった。グンジを死なせたことへの恨みと、かつて城への潜入に力を貸してくれたことへの感謝……二つの感情が私の中にあった。
 nを憎むべきではない。彼の過去について知る私は思った。けれども、今後彼を許すこともできないだろう、という予感を抱きながら、私はnから視線を外した。
「あんたたちの目的は何だ? なぜ俺たちにそんな話をする?」アキラが不審げに尋ねる。
「アキラ、なぜ私がお前の罪をでっち上げたと思う? 王を倒させるため?――違う、このトシマに来させるためだ。日興連との内戦を控え、CFCはかつてのプロジェクト関係者を集め、プロジェクトを再開することに決めた。それには、ニコル・プルミエが必要だった。……アキラ、お前は旧祖地区に潜むプルミエを釣るための餌だ」
「俺が餌だって……?」
 わけが分からない、というようにアキラは目を丸くした。
 そんなアキラに対し、エマはアキラこそnの求める対の存在――非ニコルなのだと明かした。アキラもかつては被験体であり、そのときの記憶は消されているが、その血にはニコルの変異種である非ニコルが宿っている。
 非ニコルは、ニコル・ウィルスを中和する作用を持つ。人体に影響を及ぼすこの二つの力がぶつかるとき、生まれる効果は未知数。あるいは、そこに全てに絶望したnの救いが生まれる可能性もあるのだという。
エマの言葉に、私はアルビトロがアキラを手に入れようとした理由を悟った。
 私は改めてエマを見た。エマは今、nへと目を向けている。その面には妖艶な笑みが浮かんでいたが、彼女の目には飢えたような光が宿っていた。以前出遭ったときにはなかった、危うさのようなものを感じた。
 ふと見れば、エマの仲間の男も彼女の方を見つめていた。彼女の危うさを感じ、心配しているらしかった。
 エマの側に控えていた男は、まるで彼女がこれ以上話すのを制するように一歩進み出た。
「ニコル・プルミエ、そしてアキラ。軍の目的はプロジェクトの被験体である君らの回収だ。実験に協力するならば、十分な待遇を保障する。それから、『共感能力者』も被験体として共に来てもらおう。――従うならば、ここにいる仲間には手出しをしないと誓う」
「俺たちをまたモルモットにしようって言うのか」
 アキラが怒りに身を震わせる。
 私は、どうすればいいのかと不安になった。『共感能力者』といえば私のことだが――どうすればいいのだろう。このまま黙っていて、他の誰かがエマたちに連れて行かれでもしたら大変だ。また、名乗りでなければエマたちは、皆に危害を加えるかもしれない。
 そのとき、前に立っていたシキが振り返らないまま手だけを後ろに伸ばしてきて、私の手を掴んだ。動くなというかのように一度強く力を込め、またすぐに離れていく。
 そのときだった。

「必要はない。――軍に被験体は渡さん」

 不意にエマが仲間の男に銃を向け、引き金を引いた。けたたましい銃声。同時に、男の腹部からぱっと血が飛び散る。
「ぐっ……エ、マ……!?」男はよろめきながら、それでも震える手で銃をエマへと向けた。「あなたは、軍を、裏切るのか……? プルミエを……守るというのか? ENEDの、生き残りの、あなたなら……プルミエをこのままにしておく危険性を……十分に、知っているのに……ならば、私は……あなたを止める……」
 男が引き金を引こうとしたが、できなかった。そうする体力が残っていなかった、というのではない。心にためらいがあって、エマに銃口を向けられないようだった。再びエマが発砲した。銃弾は男の眉間を撃ち抜き、今度こそ男は倒れて動かなくなる。
「自分の仲間に、何てことを……」リンが呆然と呟く声が聞こえた。
「仲間……確かに、グエンは有能な部下だった。しかし、それでも私は――」

「n、お前を殺し、その呪われた血を私が断ち切る。そのためには、他の何をも犠牲にすると決めた……!」

 エマは銃口を真っ直ぐにエマに向けた。
 そのときだった。nが傍らのアキラを突き飛ばし、エマ目がけて疾走した。あっと言う間に距離を詰めたnの手刀が、瞬く間にエマの腹部を抉る。信じられないことに、その手はエマの腹部を貫通していた。
 突然のことに、エマは何が起きたのか分からないというように目を見張る。やがて、口紅を塗った唇から血が溢れだし、彼女はぐらりとnの胸元へ倒れ込んだ。今や彼女の身体を支えているのは、腹部を貫いたnの腕だけだった。
 誰もが目の前の光景に言葉も忘れ、成り行きを見守っている。その沈黙を破ったのは、か細い声だった。
「――すま、ない……結局……私は……お前の救いに、なれず……呪われた運命を、断ち切っても……やれなかったな……」
 エマは荒い息の下からそう言って、ふわりと微笑してみせた。それは、これまでに見せた挑発的な笑い方ではなくて、優しい慈しみに満ちたものだった。その表情を見るうちに、いつしか私はエマから溢れだした感情を感じ取っていた。
 悲哀と後悔、それから、とても温かで優しい感情――私はその温かな感情を知っている気がした。『その感情』を、nに銃口を向けることでしか表せなかったというなら、それはとても悲しいことだ。『その感情』のためにアキラを陥れ、仲間を殺したというならば、それはとても罪深くて愚かなことだ。決して、そんなことはしていいことではない。
 けれども、『その感情』のためにそんな風に行動してしまったエマの気持ちも、分かる気がした。
(多分、彼女はnのことを……)愛していた。
 そう思ったときだった。nがぽつりと「エマ」と呟いた。
「俺を、救ってくれようとしたのか……?」
「……そう、したかった……私は、傲慢で……救いになれると、信じたこともあった……。すまない……救いに、なれなくて……殺してやることしか、できなくて……それもできなくて……本当に、すまない……」
 微笑するエマの頬を、涙の滴が伝い落ちていく。その光景にnがわずかに目を見張った。そして、まるで自分の身体を支えることさえ億劫になったかのように、エマを抱いたままその場にゆっくりと座り込む。
 nは、エマの身体から腕を抜き取り、血に汚れた指先で彼女の頬の涙の筋を辿った。
「――研究所にいた頃、お前は研究者の中で唯一俺によくしてくれた。それでも俺は、お前の親切を救いだとは思わなかった。お前の手は暖かくて、実験に耐えきれず寝込むとついていてくれて……それは快いことだったのに。ずっと思っていた……俺は誰からも愛されず、救いは非ニコルだけなのだと……思い込んで、差し伸べられていた手に気づかなかったのだろう」
 そこで、nは冷たい無表情を動かして、微かな微笑をエマに向けた。

「もう、終わりにしたい……手伝って、くれるか……エマ」

 エマは、やはり微笑しながら頷く。
 はっとしたシキが、思わず動こうとした。私はそれに気づき、左腕に抱きつくようにしてシキを押し止めた。人が死ぬのは見たくないが、今はnとエマを邪魔してはいけないのだとなぜか思った。
 シキが振り返り、不審そうに私を見下ろす。その目に向かって、首を横に振る仕草で「駄目だ」と告げた。
 nは血塗れの手で、銃を握ったままだらりと垂れたエマの手に触れた。彼女の手ごと包むようにして銃を持ち上げ、自ら咽喉もとに銃口を突きつける。
 そこで、唐突に彼はこちらを振り返った。
「アキラ、お前は生きろ……血の運命をも越えて」
 言い終わると同時に、nは引き金にかかったエマの指を自分の指で上から押した。銃声。同時に、咽喉から入って脳天へと銃弾が抜け、頭部から血が飛び散る。直後、nは糸の切れた人形のようにエマの上に倒れ込んだ。
「……これでもう……お前を憎まずに……ただ愛してだけ、いられる……」
 事切れたnの身体に寄り添いながら呟いて、エマもすぐに息を引き取った。








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