7.
混乱の中、アルビトロは一人城へと戻っていった。時折逃げ出そうとする黒服たちとすれ違うが、アルビトロに注意を払う者は誰もいない。魔窟トシマを拠点として、政府も手出しをためらった麻薬組織ヴィスキオ――そのヴィスキオも、今や終わりの時を迎えようとしていることは明らかだった。 アルビトロは、もはや城から逃げようとは思わなかった。 城から逃げるために用意した地下通路は、イグラ参加者たちに奪われてしまった。もうじき内戦だというのに地上から逃げれば、日興連かCFCに捕まって罪を追求されるだろう。これでまでは危機的な状況でも何とか生き延びて来たものだが――さすがのアルビトロにも、もうそんな気力はなかった。 少年愛と人体改造という自分の嗜好は世間に受け入れられないものだということを、アルビトロはよく知っている。そのために長い間白い目で見られてきたのだ。しかし、このトシマでは誰も支配者であるアルビトロの嗜好に、表だってケチを付ける者はいない。 このトシマの城に、アルビトロは自分の愛するモノを思う存分集めてきた。肉体改造を行うための設備、丹精こめて改造した奴隷たち、そして何よりも愛おしい”狗”。それら全てを捨ててもう一度もとの惨めな生活に戻ることなど――考えられなかった。 それくらいならば……。 城の本館に戻ったアルビトロは執務室へは行かず、地下へと降りていった。地下は完全にアルビトロの趣味の空間であり、そこに狗もいるはずだ。 城を爆破して、奴隷たちや狗と共に死のうと思った。 けれど。 地下に降りて行ったアルビトロは、いつものように狗が駆け寄ってきて自分を迎えるのを見て、はっと胸を衝かれた。忠実な部下たちが逃げていく中、狗だけはアルビトロへの態度を変えることはない。普段と同じ、信頼しきった態度だ。 (この子だけだ……本当に私を愛してくれるのは) そう思うと胸に熱い塊がこみ上げてきて、アルビトロは仮面を外して泣いた。そうしてひとしきり泣いた後には、狗を道連れにしてはならないという気になっていた。逃したところで、狗が生き延びられる可能性は低い。けれども、無条件の信頼を寄せてくれているこの存在を勝手に道連れにするのは、裏切りだと思ったのだ。 「狗……どこへでも行け。さぁ、行くんだ!」 アルビトロが何度か脅すように怒鳴ると、狗はぱっと身を翻して駆けて行ってしまった。そう、これでいい――寂しさと満足感を覚えながら、アルビトロは部屋の隅にある安楽椅子に腰を下ろす。そして、ポケットに忍ばせていた城の自爆用のスイッチを取り出した。 震える指でスイッチを押す。しかし、爆発したのは案外遠くのようだ。 「自爆というのは、案外簡単だな……」 乾いた笑みと共に呟き、アルビトロは更にスイッチを押そうとする。と、そのときだった。ひたひたという足音と共に駆けてきたのは狗だった。戻ってきてしまったのだ。 「狗! 行けと言っているのに……」 アルビトロが叫んでも、狗は怯みながらも傍に寄ってくる。すりすりと膝にすり寄られて、アルビトロは床に崩れるようにして狗を抱きしめた。 「仕方のない子だ! ――私はお前を幸せにしてやれないというのに。だが、お前が戻ってきてくれて、これほど嬉しいことはない……一人ではないのだから」 どうか、共に来ておくれ。 そう呟きながら、アルビトロは全てのスイッチを押した。 城のあちこちで爆発が起き、崩れた天井の瓦礫がアルビトロと狗の上に降り注いだ。 *** 源泉は地下通路の入り口に立ち、闘技場内を抜ける通路を見つめていた。通路には、人の姿はほとんどない。イグラ参加者たちも降伏したヴィスキオの黒服たちも、避難すべき人々は皆、旧祖を脱ける地下通路へ入っていった。今はトモユキら数名が、逃げ遅れた者がいないか軽く周辺を見回っているところだ。それも、じき戻るだろう。 残るはリンとアキラ、、そしてシキ。 いくらシキが一緒とはいえ、処刑人の片割れがいる場所へ向かったのだ。リン達四人が無事ここまで戻れるかどうか。源泉は祈るような思いでいる。 そのうち、見回りに出ていたトモユキたちが戻ってきた。 「おぉ、お帰り。どうだった?」源泉が尋ねると、 「大丈夫だ。この辺りに逃げ遅れた奴は、いないようだった」とユズルが答えた。 そのときだった。ドンッと激しい爆発音と共に、衝撃で一瞬ぐらりと地面が揺れる。内戦が始まったのか? いや、そんなはずはない。手に入れた確かな筋の情報では、開戦までまだ僅かに猶予があることになっていたはずだ。 混乱しながら、状況を把握しようとして、とっさに源泉は闘技場の玄関口へ走り出ていた。慎重に外へ足を踏み出すと、闘技場の向かいにある城の本館の一部か崩れ、煙が立ち上っている。 同じように「内戦か!?」と驚いて後から跳び出してきたトモユキたちに、源泉は一部崩れかけた建物を指さした。 「……どういうことだ?」トモユキが言う。 「おそらく、これは内戦が始まったんじゃない」源泉は応じた。「アルビトロがやったのかもしれんが……何のつもりか分からん。あいつは、地下通路を通ってない。俺も見張ってたんだから、間違いない。ということは、あの城の中にいるはずなんだ……」 「あの変態、城ごと自爆しようってのか?」 「分からん。アルビトロは、そんなタマじゃないはずなんだが……」 そう言う間にも、再び爆発音が響く。爆風が吹き付けて、源泉は身を竦めるようにしてそれをやり過ごす。そして目を開けると、更に崩壊の進んだ城の本館が目の前にあった。これはまずい。そう思いながら、源泉は眉をひそめる。 仮にアルビトロが自棄になって城と心中する気ならば、まだ中にいるリン達は――。 「おい、オッサン。俺がリン達の様子を見てくる」 不意にトモユキがそう言い、トモユキとユズルが本館の様子を見に行くことになった。その場にいた他の若者たちも行きたいと申し出たが、最小限の人数の方が動きやすいので、待機ということで話は落ち着いた。 「くれぐれも、無理はせんようにな」 「あぁ、ヤバかったらすぐ戻る」 源泉の忠告に、トモユキはニヤリと笑って頷いてみせる。けれど、トモユキのような若者が、どの程度年長者の忠告など本気にするだろうか。怪しいものだ、と源泉は思ったが、かっての自分もそうだったから他人のことは言えない。どの道、くどくど言い聞かせている時間もなかった。 トモユキとユズルは、中庭を駆け抜けて、本館の玄関の暗がりへと消えていった。 *** ドン! 大きな爆破音が響きわたる。建物にぐらぐらと地震のような衝撃が走る。それでも、私はしばらくnたちの死の衝撃に飲まれたまま、反応することができなかった。それはアキラやリンも同じで、戸惑った面もちで天井を見上げる。 真っ先に反応したのは、シキだった。彼は私の腕を掴み、リンとアキラの方へ顔を向けて叱咤の言葉を発した。 「何をしている、行くぞ」 その声にはっとしてリンとアキラも顔を上げる。先に行けというようにシキが視線で廊下の先を示すと、二人はおずおずと走り出した。その後に続こうと、シキは私の手を引っ張る。 私は、とっさに動くことができなかった。 重なり倒れているnとエマ、無念の表情で虚空を見つめるグエン、そして――なぜか安らかな顔で息絶えているグンジ。それぞれの遺体に順に視線を移し、最後のグンジの死に顔を目にした瞬間、ぐっと胸が締め付けられるような苦しさを覚えた。 ――俺が危なくなったら、助けるのかよ? ――笑えよ、ネズミ…… ……。 グンジを救うことができなかった。そればかりか、彼の最期に彼の望む姿でいてやることさえできなかった。そんな申し訳なさと後悔が胸に重く沈殿している。 「……行くぞ」 今度は、シキは低く宥めるような声音で、私だけに言った。そして、有無を言わせぬ様子で腕を引く。私は全てを振り切るように一つ大きく頷き、走り出した。 廊下の突き当たりの階段にたどり着くと、リンとアキラは私たちを待っていてくれた。皆そろったところで、アキラを先頭にリン、私、シキの順で階段を下りていく。そうしてもうじき一階にたどり着こうかというとき、再び、今度はもっと大規模な爆破音が響いた。 ぐらぐらと建物がいっそう大きく揺れ、天井から瓦礫が降り注ぐ。私たちは揺れの酷さにしばらくその場を動くことができず、階段の手すりや壁にしがみつき、揺れをやり過ごすしかなかった。 やがて、揺れが一段落すると、私たちは再び行動を開始した。一階に降り立ち、出口目指して廊下を進み始める。しかし、出口が近づくにつれて、目に見えてリンが遅れ始めた。リンは腿を負傷している上、熱が出てきている様子で、もう体力の限界に近づいているようだ。 私はリンの危なっかしい足取りを不安に思い、大丈夫かと声を掛けようとした。ちょうど私たちが玄関ホールに入り、出口が目の前に迫ったときだった。不意に前を走るリンの身体が大きく傾いで、その場にばたりと倒れてしまった。 はっとして私は、リンを助け起こそうと駆け寄った。また、先頭を走っていたアキラも気づき、戻って来ようとする。そのときだ。玄関ホールの天井に吊られていたシャンデリアが轟音と共に落ちて来た。 ガシャン。 砕け散るガラスに、とっさに私は倒れたリンへと覆い被さる。ばらばらと破片が降り注ぎ、時折身体に微かな痛みを感じた。破片が降り止んだ気配に顔を上げれば、ひしゃげたシャンデリアの向こうに呆然と立ちすくむアキラの姿がある。シャンデリアは、アキラと私たちの間を引き裂くように落ちたのだ。 アキラはこちらへ来ようとしたが、彼はちょうど玄関口を出たところで、シャンデリアが出入り口を塞いでしまった。そればかりか、建物が爆発の影響でギギギと軋みを上げ、地下へ続く階段の方から爆発のためか炎が這い上がってきている。 ここでアキラが戻ってきても、危険なだけだ。 私は背筋を伸ばし、しっかりとアキラを見つめた。 「アキラ、先に行って! リンは、必ず助けるから」 「だけど、」 「私が、必ずリンを連れて脱出する! 大丈夫、この人が――シキが私たちを死なせたりはしない」 そうでしょう? と私は口には出さず、背後のシキを振り返った。シキは微かに目を見張って私を見下ろしていたが、やがて呆れたようにため息と共に小さく頷く。感謝の言葉の代わりに微笑を返して、再びアキラへ顔を向けた。 「――だから、今は行って! もう一度、生きて会うために先に行って!」 すると、アキラはためらいがちに頷き、こちらへ背を向けて去ろうとする。ちょうどそのとき燃える梁が落ちてきて、その姿を視界から隠してしまった。 *** アキラは建物を包み始めた炎の熱気に押し出されるように、よろよろと玄関から続く階段を下りていった。しかし、階段を下りきったところでやはり戻った方がいいのではないかという気になって、背後を振り返る。 しかし、燃える梁が玄関口を塞ぎ、もはや中に戻ることはできそうになかった。 助けに来てくれたリンを、置いてきてしまった――その事実が胸に押しかかり、アキラは呆然と燃え上がる建物を見つめていた。そうして、どれくらいそのままでいただろうか。 「おーい!」 呼びかけられて、アキラははっと我に返った。振り返れば、中庭を挟んだ闘技場の方から二人の青年が駆けて来る。そのうちの片方に、アキラは見覚えがあった。 トモユキ――リンの昔の仲間だ。 「お前……アキラだろ? リンと一緒に映画館に来たことのある……。他の奴等はどうした? にリン、それに『あの』シキもいたはずだ。シキとリンは、囚われているお前たちを助けに行ったんだから」トモユキは言った。 アキラは何と答えていいか分からず――燃える城を振り仰いだ。 「――中に、残ったのか……」もう一人の青年が呟く。 二人の重い雰囲気に、アキラは耐えられないような罪悪感を感じた。どうして自分だけ脱出してしまったのか、と。けれど、罪悪感に押しつぶされて二人に謝ってみたところで、何の解決にもならないことは分かっている。 だから、アキラは努めて平静を心がけながら、二人に自分だけが脱出した経緯を簡単に説明した。時折声を震わせながらも説明してしまうと、二人は納得したようだった。 「……なら、俺たちも行こう。ここは危険だ」 と、青年――ユズルというらしい――が言い、トモユキもそうだなと頷く。以前はリンにこだわりのある様子だったトモユキの反応にアキラは驚き、思わず自分を責めないのかと尋ねた。すると。 「 が助けると言ったなら、あの女は必ずリンを助け出すさ……ましてやシキも一緒なんだから、できないことでもないだろう」トモユキは言う。 「彼女は、このトシマで、どんなに強い男でもできなかったことをやってみせた。皆を説得して、協力させたんだ。……今度も成功させるだろう。だから、俺たちは俺たちで生き残らなければならない」ユズルも静かに言った。 アキラは無言でその言葉を聞いていたが、やがて唇を引き結んで頷いた。 *** 「 、そこをどけ」 シキは私をどかせてリンの傍に跪いた。刀を床に置き、意識のないリンの身体を抱き起こす。そうしてシキは私に指示し、リンを背中に背負うのを手伝わせた。 彼がリンを背負って立ち上がったので、私は床の刀を持って立った。すると、シキはちらりと私の手の中の刀を見、「預けておく」と言った。そこで、私は重い刀を抱きしめるように大事に持って頷く。シキがこれまで生命を預けてきた刀と思えば、うっかり落とすわけにもいかないという緊張があった。 不思議と、炎に囲まれ崩れ落ちる建物の中にいる恐怖は、感じていない。 「――玄関口は使えんな」シキは出入り口を塞ぐ梁を見ながら言った。「この廊下の反対側に裏口があるはずだ。そこから脱出するぞ」 一応城の主ということになっていたシキは、城の構造を知っているらしかった。私はシキに導かれ、彼と共に梁が崩れ掛かってくる廊下を急ぎ出口へと向かった。 そうして裏口を出た瞬間、がたりと建物の一部が崩れ落ち、出てきたばかりの裏口まで塞がれてしまう。まさに危機一髪というタイミングで、私はほっと息を吐き出した。 もっとも、炎上する建物から脱出したといっても、そこで危険が終わったわけではなかった。城の外では既に内戦が始まっていて、遠くに見える廃墟ばかりの市街地に砲弾が降っているようだった。ドンという砲声や爆発音が聞こえ、廃墟が燃えたい崩れたりしていく様子が見えている。 生まれて始めて見る本物の戦場に、私は束の間ただ圧倒されて立ち尽くした。恐怖や高揚を感じるよりも、目の前の出来事が信じられなかった。 「 」 シキに呼ばれて、私は我に返った。砲弾は市街地ばかりか城の敷地内にも降って来ている。危険だからぼんやりするな、とシキは言っているのだ。 裏口から脱出用の地下通路がある闘技場までは、かなり遠回りをしなければならない。砲弾が降って来る中では、危険すぎる道のりといえた。何しろ、シキはリンを背負って身動きがしにくいし、私は足の速い方ではない。それに、内戦の始まった今ではもう、脱出路まで破壊が及ばないように、源泉たちが地下通路の扉を閉めてしまった可能性も高い。 どうすれば……と考えたところで、私はふと思いついた。かって私がnと共に城に侵入したときに使った下水道――あの下水道を使えば、砲弾を避けられるのではないか。 「シキ、考えがあるの。庭のマンホールから、下水道へ入れる。一度、城へ侵入するのに使ったことがある。あの下水道なら闘技場の脱出路より近い。ただ……地下通路と違って、トシマの外まで通じているかどうか……」 「だが、賭けてみるしかないな。この砲弾の雨の中闘技場まで走る方が危険だ。特に、お前は鈍そうだからな。……マンホールの位置は覚えているか?」 「えぇ」 「ならば、案内しろ。死ぬ気で走れ」 言われるがままに、私は砲弾をかい潜ってマンホールへと走った。シキも私について走って来る。時折近くへ砲弾が落ち、瓦礫の破片のようなものが身体にぶつかったが、そんな小さな痛みには構ってはいられなかった。 マンホールは、果たして私がnと侵入したときのまま、そこにあった。庭木の茂みの陰で気づかれなかったのだろう。蓋はあのとき以来半開きのようで、私の力ではびくともしなかった。 シキが一度リンを降ろして蓋を開け、私たち二人で意識のないリンを下水道へ運び降ろす。一番最後にシキが下水道に降りてきて、内側からマンホールの蓋を閉め、下水道の中は暗闇に包まれた。 目次 |