行く末1





 やがて、季節が過ぎ去り、三郎と雷蔵は無事に忍術学園の五年生を修了した。春休みが来ると、これまで一度も帰省したことのなかった三郎は、入学以来初めて実家へ帰省していった。雷蔵のことを両親に話し、双忍として鉢屋衆に戻る許しを得るためだ。
 一方、雷蔵はといえば、今回の春休みは学園に居残っていた。
 もともと、長期休みは毎回でなくとも三郎に付き合って居残ることの多い雷蔵である。ただ、このとき三郎のいない学園に残ったのには、別の目的があった。三郎と将来を約束してから常に頭に置いてきたことだが、双忍として生きるならば忍術の腕を三郎と同じくらい磨かなくてはならない。しかも、三郎に成りすますことができるように、ある程度、『鉢屋三郎の真似』ができなくてはならないのだ。
 休みの間、雷蔵は三郎がいなくて寂しいと感じる暇さえなかった。
 雷蔵が春休み中に自分に科した課題は、『三郎になりきること』だった。雷蔵は毎日、三郎として鍛練し、生活をした。ずっと傍にいたのに、いざ三郎になってみると戸惑う場面も少なくない。三郎ならどう考えるか、どう行動するか、想像しながら過ごすのは案外、大変だった。自分は三郎のことを、意外に知っているつもりで知らなかったらしい。
 少しずつ三郎の心情を想像して、彼に近づいていく行為は綿密で、大雑把な雷蔵は挫けそうになることもあった。けれど、自分でも意外なことに、だいたいの場合において雷蔵は三郎に成りすますことを楽しんだ。だって、まるで大好きな本のようだと思ったからだ。一枚一枚、貢をめくるたびに少しずつ物語の海の中――三郎という人間に自分が沈み込んでいく。自分が自分ではないものになる――そんな不思議な感覚。
 三郎の思考を、所作を丁寧に辿りながら、雷蔵は三郎を想った。
 春休みが終わって、早く学園に戻ってくればいい。早く彼に会いたい、と。


***


 新学期。学園に戻ってきた三郎は、しかし、明らかに様子がおかしかった。ひと目見れば、誰でもその異変に気付いただろう。
 三郎は、五年間、ほとんどの間を過ごした雷蔵の姿を、ぱったりと止めてしまったのだ。さりとて、別の誰かの変装をするわけでもない。三郎は入学直後のように、狐の面を被って日々を過ごすようになった。
 ――いったい鉢屋三郎はどうしたのか?
 誰もが本人には理由を聞けず、雷蔵に尋ねてきた。生徒ばかりではない。教師すら、雷蔵に事情を尋ねる始末。しかし、雷蔵は誰の問いにも答えられなかった。というのも、雷蔵すら理由を教えてはもらえなかったからだ。
 実家から学園に戻って以来、三郎は雷蔵を避けていた。決して不要な接触をしようとしない。恋仲であった頃のような甘やかな触れ合いだけではない。親友としての親しみを込めたじゃれあいすらなくなって、必要以上に口を利かなくなった。とりわけ、雷蔵に対してよそよそしかった。
 しかし、雷蔵は気にしなかった。もちろん不安はある。だが、それに呑まれて将来を約束した三郎の心を疑うことはなかった。三郎とずっと一緒にいるのだと己の未来を選んだときに、決めたからだ。
 今までの経験から考えて、不安になって三郎を疑うというのは、つまりそうすることで無意識に自分を守ろうとする心の働きである。三郎のためではなくて、結局は我が身が可愛いだけなのだ。しかし、三郎と生きていくと決めたからには、保身のために三郎への信頼を捨てることはしない――雷蔵がひそかに自分とした約束だった。それはあくまで個人的なもので、三郎にさえ告げてはいない。
 友人の竹谷や久々知、尾浜らは雷蔵のことを気遣ってくれたが、雷蔵はいつも平然として笑っていた。それくらいのことをしてのけなければ、卒業後も三郎と生きていくことなどできないと腹を括っていた。
 けれど。


 梅雨に入ったある日のことだった。
 放課後、雷蔵が教室に忘れ物を取りに行くと、そこには三郎がいた。珍しい梅雨の晴れ間の中庭を眺めてぼんやりしている。とはいっても、その顔は相変わらず狐面に覆われていて、呆けているだけなのかどうか正確なところは分からないのだが。
 六年生になってからというもの、雷蔵はほとんど三郎と行動することがなくなった。傍に行こうとすると、ふっと三郎の方がどこかへ行ってしまうのだ。だから、今日の放課後も委員会なのか暇なのか、雷蔵は知らなかった。けれど、こうして一人で教室にいるところを見ると、何も用はないらしい。
 珍しくなって、雷蔵は三郎に声を掛けた。
「三郎。珍しいね、お前が暇な日なんて。最近、委員会や学園長のお遣いなんかで、学園を空けたりしていただろう?」
「ああ……。学園長は人使いが荒くて困るよ」三郎は窓の外を眺めたまま、答えた。
「だけど、それは三郎が優秀だってことだよ。……まぁ、お前が留守にしている間は寂しいけどね」
 何気なく雷蔵が言うと、三郎は身を起こして振り返った。狐面の奥、彼の視線が自分に突き刺さるのを感じる。
 ――三郎は苛立っている?
 不意に雷蔵はそう感じた。だが、その理由までは分からない。先ほどの会話のどこに、そんなに苛立つ要素があったというのか。
「雷蔵。いつになったら……私を見捨ててくれるんだ」
「何のこと? 僕がお前を見捨てるなんて」
「私は君の変装を止めた。親しくすることも。それなのに、どうして声を掛けて、心配して、笑いかけてくれるんだ。どうして私に見切りをつけてはくれないんだ」
「僕はお前を信じているよ。そう決めたんだ」
「将来も一緒にいようっていう約束のことか? 私はもうその約束を反故にしかけてるじゃないか」
「それでもだ。……僕はね、お前が大好きなんだよ。信じていて、万が一、お前に裏切られることがあったとしても許せるくらい好きなんだ。……ねぇ、三郎、春休みに何があったの? どうして誰にも変装しなくなったの? 理由があるなら、教えてほしい」
「――理由なんかないよ。変装に飽いただけだ」
「そんなの嘘。本来、お前は飽いたところで変装を止めることはできない。それが鉢屋の掟の一つだと、いつか僕に教えてくれただろう。本当にお前はときどき、すごく嘘が下手だね」
 雷蔵は遠慮なく言った。と、三郎がまとっていた苛立ちが、殺気へと色を変える。学園の六年生の殺気ともなれば、本職の忍とほとんど変わらぬ威圧感を持つ。が、雷蔵は平然とそれを受け止めて三郎を見返した。
「怒ってるね、三郎」
「……煩い」
「うるさい? 黙らせたいなら、力づくでやってみたら?」
 あえて三郎を挑発する。
 どうせ、三郎が変装をやめ、友人に関わることをやめた今のままでは、誰だっていられないのだ。級友もい組の親友の久々知や尾浜もずっと静観してくれているが、今の不安定で不鮮明な状況はいずれ思いもよらない形で暴発することになるだろう。そして、もしかすると誰よりも三郎が傷つく結果になるかもしれない。雷蔵はそんな事態から、三郎を守りたかった。
 そのためには、三郎とぶつからなければならない。ぶつかって、話をしなければ何も見えては来ないだろう。――そう思いながら、雷蔵は三郎に不敵な笑みを向けた。
「僕らは忍のたまごだ。なら、それらしく賭けをしないか?」
「賭けだって?」
「そう。今から勝負して、お前が勝ったら僕は二度とお前に関わらない。僕が勝ったら……」
「君が勝ったら? ――いつもの迷い癖で、何を要求するか決められないのかい?」
 腹を立てているらしい三郎は、今まで雷蔵には向けたことのないような声音で嘲った。おそらく仮面の奥でも、嘲笑を浮かべているのだろう。
「いや」雷蔵は頭を振った。「お前への要求なら、最初から決めてあるよ。――僕が勝ったら、その場でお前のその面の下の顔を暴く」
「フン、面白い。――できるもんなら、やってみな」
 低く唸るように言った三郎は、次の瞬間には窓から外へ飛び出していた。雷蔵もそれを追う。すとんと音もなく中庭の木の枝に降り立ち、苦無を取り出した。と、早くも三郎が投げた?刀(ひょうとう)が飛来する。雷蔵は難なく苦無でそれらを撃ち落とした。
 ちょうど通りかかった下級生が争う二人に気付き、慌てた様子で校舎の中へ走っていった。


***


「――尾浜先輩っ!」
 学級委員会の委員会室にいた尾浜勘右衛門は、飛び込んできた二年生に目を丸くした。普段は冷静な後輩の黒木庄左ヱ門が慌てた顔をしている。
「どうしたの? 庄ちゃん。珍しく慌てた顔して」
「大変なんです! 学舎の前の鍛錬場で、鉢屋先輩が不破先輩と決闘してて……!」
「三郎と雷蔵が決闘っ!?」
「そうです! 先輩、二人を止めてください。僕らではあの二人の闘いに割って入ることはできなくて……」
 庄左ヱ門に言われるままに、尾浜は急いで鍛錬場へと向かった。鍛錬場の周囲には話を聞きつけた生徒たちが集まり始めている。その人だかりをかき分けて前へ出ると、そこには既に親友の久々知と竹谷がいた。
 二人の視線の先では、三郎と雷蔵が攻防を繰り広げている。実習の組手とは比べものにならない真剣勝負。痛いほどの殺気が見ている側にまで伝わってきた。が。
「――なんだ、ただの喧嘩か……」
 下の学年の生徒たちが固唾(かたず)を呑んでいるのを尻目に、尾浜はほぅっと溜め息を吐いた。
「尾浜先輩! 鉢屋先輩たちを止めてください。このままでは二人とも危ない……」
「大丈夫だよ、庄ちゃん」尾浜は笑って後輩の頭を撫でた。
「でも……」
「あの二人がぶつかり合うのなら、それはそれで大丈夫。本気の殺し合いに見えるけど、三郎は絶対に雷蔵を傷つけられない。雷蔵だって、三郎に危険なことはできない。それでも、お互いのことをよく分かってるから、あぁして真剣勝負みたいな闘いができるのさ。……一番悪いのは、ここしばらくみたいに三郎が誰とも、雷蔵とも関わろうとしないことの方だ」
「そういうもの、なんですか」
 冷静で利発な庄左ヱ門は、尾浜の言葉を理解できないまでも、そうしようとし始めたようだった。幼い顔から焦りが消え、冷静さが戻って来はじめている。
「そうだよ。……ところで、庄ちゃんはどっちが勝つと思う?」
「それは……不破先輩には申し訳ないですが、鉢屋先輩です」
「そ?」
「……ということは、違うんですか?」
 不思議そうな庄左ヱ門に、尾浜はにっこりと笑ってみせた。
「確かに三郎は天才と言われているし、優れた戦術を考え出すことができる。……だけど、勝敗っていうのはそれがすべてじゃない。確かに勝負に強いのは三郎だけど、勝率の低い賭けに勝つことが多いのは、雷蔵の方なんだ」
「不破先輩が?」
「そう。三郎は敵の戦術を見抜いて自分の戦術を立てる。そういう思考能力は、ものすごく優れているさ。だけど、雷蔵はときどき、相手の考えを読む。……いいかい、人間というのはいつも論理的な思考だけで行動するわけじゃない。感情があって、そのせいで理にかなわない振る舞いに出ることもある。雷蔵はね、そこまでを含めて相手を見抜き、結果として賭けに勝ってしまう……そういう奴なんだよ」
 そう。迷い癖のある雷蔵の思考はひどく複雑だ。卒業した中在家はさておき、今の忍術学園では一番多く本を読んでいると言われるだけのことはあって、まるで本を読むかのように自分自身の視点を放棄して他人の思考を辿ることができる。そして、相手の思いも寄らない行動までも予測してしまうのだった。
 三郎は、論理的な思考だけで動いているようでいて、意外に情の厚いところがある。誰もが三郎の勝を予測しているようだが、尾浜は三郎に同情せざるを得なかった。
「……三郎。お前では雷蔵の相手は分が悪いよ」
 尾浜は闘う三郎と雷蔵を眺めながら苦笑した。


***



 苦無を打ち合い、素手で組み合い、互いに追いかけ合う。周囲に集まった生徒たちの声も耳に入ってこない。
 ふと視界の端に心配そうな親友や後輩たちを捉えて、雷蔵は少しだけ反省した。心配させているな、と思う。けれど。
 ――今は退(ひ)けない。
 雷蔵はそう思いながら、木々を飛び移って裏山へと向かう三郎を追った。三郎はおそらく単に逃げているわけではないだろう。裏山の地理は、六年間、授業をさぼって出歩くことのあった三郎の方が詳しい。互いに勝手知ったる学園の中よりも、自身に有利な裏山で勝負をつけるつもりなのだ。
 ――いいよ。受けて立つ。
 三郎を追いながら、雷蔵は自らの意識を思考の海に沈めた。自分自身の思考を放棄し、自分の中にある三郎の視点をたぐり寄せる。五年間も傍にいた彼のこと――本気になれば思考の流れを辿るのは難しくない。
 やがて、雷蔵はすとんと裏山のある一角に降り立った。樫の大木のあるその場所は、三郎のお気に入りの昼寝場所の一つだった。しかし、そこに三郎の姿は見えない。
 見えないが、いるはずだ。
 確信を持って、雷蔵は進んでいった。と、不意にそこへ?刀が飛来する。
 ――だけど、これは僕を傷つけるためのものではない。僕が回避する、その行動を狙ってのもの。
 雷蔵は地を蹴って後方へ飛び退いた。と、足下の地面にぽっかりと落とし穴が口を開ける。あまりに巧妙な罠だった。おそらく、五年の綾部の作ったものだろう。
 少し前まで、綾部は変装をやめていつも面を着けるようになった三郎の素顔を暴こうと、やたらに罠を仕掛けていたものだ。その一つらしい。
 しかし、三郎がその罠を利用することも、雷蔵は予想の上だった。穴に落下しかけながらも、懐から取り出した縄?(じょうひょう)を投げて、手近な木に巻き付ける。その縄を引っ張って、落下を免れた。しっかりと地面に足を着け、ゆっくりと息を吐く。――その動作で、意図的に三郎の行動を誘う。
 その刹那。三郎が茂みから飛び出して、襲い掛かってきた。が、これにも雷蔵は動じない。突き出された拳を避けながら三郎の腕を掴み、足払いを掛ける。しかし、三郎も負けずに雷蔵の腕を掴む。二人はもつれ合いながら、生い茂る草の上に倒れ込んだ。
「――捕まえたぞ、三郎!」
 三郎の上に馬乗りになった雷蔵は、そう宣言した。身を屈めながら、彼の顔を覆う狐面に手を掛ける。観念したかのように抵抗を止めた三郎の顔からそれを外しながら――雷蔵は目を閉じて素早く顔を近づけた。
 狐面の下から現れた素顔を見ることはせず、目を瞑ったまま唇を重ねる。三郎は一瞬、驚いたように身を強張らせた。けれど、まったく無防備になった雷蔵を攻撃することもない。口づけに応えるわけでもなく、ただ雷蔵の為すがままになっている。
 しばらくの間、重ねるだけの口づけをした後、雷蔵は目を閉じたままで顔を離した。手にしていた狐面を、三郎の顔と思しき場所に被せる。それから、雷蔵は三郎の身体の上から降りた。
「雷蔵?」不思議そうな三郎の声。
「お面、早くつけなよ」雷蔵は目を閉じたまま言った。「けど、逃げたらまた追うからね」
「私の素顔を暴くんじゃなかったの?」
「暴いたでしょ。だから、もういいよ。お前の素顔を見たかったわけじゃないし。まぁ、だからって、口づけしたかったわけでもないんだけど」
「じゃ、何で賭けなんか……」
「最近、何だかお前が遠くて。ぶつかり合えたら、捕まえたら、少しくらいはまたお前のこと分かるんじゃないかと思ってそうしてみたけど……やっぱり駄目だった。ね、三郎、どうして変装を止めたの? お前がまた何か抱えてるんだろうってことは分かるけど、事情を言えないくらい僕らは信用がない? 僕は……僕は寂しくて仕方ないよ。三郎を信じてるつもりだし、八左ヱ門たちだって傍にいるのにいつも心のどこかが寂しい」
 そう言ったときだった。不意に三郎の身体がぶつかってきた。縋りつくように雷蔵を抱きしめて、肩口に顔を埋める。結局、お面は着けられないまま、草の上に放り出されていた。
 スン、と耳元で微かに鼻を啜る音が聞こえる。襟元から素肌に落ちた暖かな滴の感触で、雷蔵は三郎が涙を流しているのだと悟った。そこで、手を持ち上げて彼の背中をゆっくり撫でる。
「雷蔵……雷蔵……。私は……」三郎は雷蔵の肩に顔を押し付けたまま、話し始めた。
「うん」一つ頷いて、先を促してやる。
「私が君の変装を続けるなら、君を殺さなければならなくなる。春休みに帰省したときに、父に言われたんだ……。姿を映す相手を殺して、その姿を奪う。それが鉢屋衆に戻るための試しなのだと」
「だから、お前は変装そのものを止めたんだな。僕以外の人に変装したとしても、その人を殺さねばならなくなるから。……お前は優しいもの」
「優しくなんかない。どうしていか、分からなくなっただけさ。……いっそ鉢屋衆に戻らなで、君とフリーの忍をやっていくことも考えた。だが、鉢屋衆に戻らなければ、私は抜け忍として生命を狙われることになる。傍にいる君も危ないだろう。だから……どうしようもなくて」
「そう……」
 雷蔵は相槌を打ちながら、考えをめぐらせた。おそらく、三郎はまだ話していない事実があるはずだ。
 姿を映す相手を殺すことが鉢屋衆に戻る条件。そして、鉢屋衆に戻らなければ抜け忍として狙われる。となると、三郎が卒業まで今のように誰の変装もしないでいた場合、鉢屋衆に戻るための試しを受けられなくなる。その先に待っているのは死にちがいない。たぶん、三郎は誰の姿を映すこともなく、抜け忍として殺されることを選ぼうとしていたのだろう。
 ――そんなこと、させるものか。
 雷蔵は三郎の背に回した腕に力を込めた。
「三郎。いいよ、いざとなったら僕の生命をお前にあげる」
「雷蔵! 何を……!」
 慌てて三郎が身を起こしかける。しかし、雷蔵は三郎をきつく抱き寄せたままだ。ぴたりと身体をくっつけて耳元で低く囁く。
「そもそも、お前、いざとなったら自分が死ぬつもりだっただろ」
「っ……それは」
「お前が教えてくれた鉢屋衆のことを少し考えてみれば、分かるよ。――だけど、そんなの許さない。お前が死ぬなんて、僕は認めない。だから、僕の生命をお前にやる」
「君を犠牲にして私に生きろというのか、君は……!?」
「馬鹿。違う」雷蔵は鋭く言った。「僕だって死ぬ気はない。いざとなったら、生命をやるって言っただけ」
「雷蔵……。私、意味が分からないんだけど」三郎は困惑しきった声で言った。
「だって、お前は鉢屋三郎だろう? 天才で、ときどき嘘が下手だけど、だいたいにおいては上手い。詭弁、弄言、逃げ口上……何だってお手のもの。――そんなお前だったら、約束通り僕らが双忍として二人で生きていくための屁理屈の一つや二つくらい、考えられるよね?」
「な、何を言ってるんだ。 相手は鉢屋衆だぞ!? 小細工なんか通じるはずがない!」
 三郎はじたばたと雷蔵の腕の中で暴れた。しかし、それでも雷蔵は離さない。
「三郎こそ、何言ってるの? 忍は小細工してこそなんぼのものでしょ。どうせお前、勝手に死ぬ気だったんだから、それなら一世一代の博打(ばくち)くらい打ってみたらどうなのさ」
「だけど、もし失敗したら、私だけでなく君まで危険に……」
「だから、僕の生命をお前にやるって言ったんだよ。賭け金は、僕とお前の生命。一人分じゃなくて、二人分だ。これだけ高値で賭けるなら結構、勝率上がるんじゃないかと思うんだけど――さて、策士殿のご意見は?」
 たたみ掛けるように雷蔵は尋ねた。腕の中の策士殿は、しかし、ご意見どころではなかったらしい。緊張の糸が切れたかのように脱力してしまっている。「雷蔵……君はほんとうに……」涙混じりにそう呟く三郎の背を、雷蔵は微笑してあやすように撫でた。


***



 夏休みが明けて間もなくの頃。ある悲報が学園に届いた。二人で特別の忍務に出た鉢屋三郎と不破雷蔵が、敵の忍に追われた末に川に落下したというのだ。報せをもたらしたのは、自力で川から這い上がった鉢屋三郎だった。
 学園からすぐに人が派遣され、行方の分からない不破雷蔵の捜索が行われた。しかし、どれほど探しても、忍犬を使ってさえも、彼の生存はおろか遺体さえ見つからなかった。それも無理はない。折しも嵐の後で、川の水が増している時期である。川の急流に流されて、遺体は海まで行ってしまったのだろう、という結論になった。
 結局、不破雷蔵は見つからないままに捜索が打ち切られることになった。
 こうなると、目も当てられぬのは鉢屋三郎である。
 春休み明けから梅雨の頃まで、鉢屋は不破と仲たがいをしていたようである。が、それもいつしか仲直りしたようで、梅雨が終わる頃には再び不破の変装をする鉢屋の姿が見られた。学園の誰もがひと目で分かるほど、『六年ろ組の名物コンビ』鉢屋と不破は強い絆で結ばれていた。
 不破を失った鉢屋は、長い間、意気消沈していた。が、それでも鉢屋もじきに本職の忍になる者である。ひと月ほどで立ち直った彼は、淡々と――それでもどこか物足りなさそうに――学園生活をこなして卒業し、鉢屋衆に戻っていった。





pixiv投下2013/04/28


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