受け攻めに悩むアキラの話1
*ED1後、眠ったシキが復活した後の話






 十二月三十一日――大晦日。
 俺はシキと共に、家の大掃除をしている。
 このアパートへ引っ越してきたのは三ヶ月ほど前のこと、やや築年数の経ったアパートで古びているが、シキも俺も持ち物を増やさないタイプなので部屋はまだあまり散らかってはいない。大掃除をするほどのこともない。
 大掃除をすると言い出したのは、シキだった。シキはある意味世俗を超越しているようでいて、案外年中行事や古くからの慣習を守ろうとする古風なところがある。四季の移り変わりなど興味もない顔をしながら、今年の春には桜を見に連れていってくれたし、冬至の日には風呂に柚子を入れていた。クリスマスにもケーキを焼いてくれた。
 そういう、トシマの頃からは想像もできなかったシキの一面を、俺はとても好ましく思っている。そうした年中行事は温かな家族をイメージさせるものが多く、俺はシキとそれを経験できることが嬉しいからだ。いかにも、同じ時を歩いているという気がして。
 けれども、大掃除ばかりはあまり嬉しくはなかった。普段ちょっと掃除するのも面倒なのに、改めてしっかり家中を掃除しなければならないのだから。とはいえ、シキは自分にも他人にも厳しい完璧主義者であるから、こちらも手抜きをしていられない。俺は半ば意地のように朝からアパートのさして広くもない部屋を駆け回って、掃除をしている。エアコンや換気扇のフィルターを洗い、窓を拭き、床を磨く。そうやって働いていると身体が暖まり、この冬一番かと思えるような今日の冷え込みも次第に気にならなくなっていく。初めは面倒だと感じた掃除も、続けるうちにいつしか没頭していってしまう。
 しかし、盛んに手を動かしながらも、頭は全くのよそ事を考えている。

 そもそも、シキとの性行為において、なぜ自分はいつも『抱かれる側』なのだろうか。

 なぜ今更そんなことを気にするかといえば、原因はとあるテレビ番組だった。昨夜夜更かしした俺は、何となく芸能人や一般人が自分の恋愛体験について語っている番組を流し見していた。深夜ということもあってか、時折話題は猥談めいた内容にも触れていたが――ともかく、それを見たときに気づいたのだ。
 今更だが、俺はシキと同じ男だ。もしも普通の環境でごく普通に恋愛していたとしたら、その相手は女性であったかもしれない。その場合は、俺も行為の際には『抱く側』になるだろう。
 今、俺はシキに抱かれることを自然なこととして受け入れている。トシマの頃、強引に犯されたときには男としてのプライドを踏みにじられたと感じたし、抵抗もした。けれど、シキが『眠り』から目覚めてからというもの、俺はシキが自分の意思で俺に触れてくれるというだけで大きな喜びを感じるようになった。男の性に反して抱かれる側であることなど、もう気にならない。
 けれど、ふと思うのだ――俺はシキに抱かれることに、甘んじていていいのだろうか。


 大掃除は夕方頃に終わり、夕飯はごく簡単にして蕎麦を食べた。年越し蕎麦だ。そうして夕飯の片づけをして風呂に入り、二人でだらだらとテレビを流し見る。
 普段シキはテレビを全く見ないのだが、大晦日の特番だけは何となく見たくなるものらしい。テレビを点けたまま、しかし興味はなさそうに本を広げている光景は、いかにも気の抜けた感じで少し可笑しい。俺はといえば他人のことを笑える立場ではなく、こたつに入ってぼんやりと知らない歌手が歌うテレビ映像を眺めている。
 二人して明らかに時間を無駄にしているが、このだらけた感じが何とも言えず幸せで止められない。
 やがて午前零時近く――長い歌番組が終わりに近づく頃のことだ。ゴーン。遠くから微かに、普段聞いたことのないような低い金属音が響いてくる。一つ鳴って数秒後また一つという具合で、音はずっと続いている。
「除夜の鐘だな」シキが言った。
「除夜の鐘? ……あぁ、これが」
 何だか物珍しくて、俺は繰り返す鐘の音に耳を澄ませる。『除夜の鐘』というものを知識としては知っていたが、こうして身近に聞くのは初めてだ。第三次大戦で寺社の多くが消失の被害に遭ったため、一部地域を除いては『除夜の鐘』の慣習は廃れてしまったせいだった。
 テレビの画面では歌番組が中断され、各地の除夜の鐘撞きの様子が中継で映し出されている。俺がその映像を眺めていると、不意に傍でパタンと音がした。見れば、シキが読みかけの本を閉じたところだった。
「それでは、行くか」
「それではって……どこへ行くんだよ?」
「鐘撞きだ」
 まるで最初からその予定であったかのように、シキは言った。


***


 数分後。俺は防寒着を着込んで、シキと共に部屋を出た。もちろん、除夜の鐘撞きに行くためだ。
 もしかしたら、シキは初めから予定していたのかもしれない。最初「鐘を撞きに行く」と言われたとき、俺は無理だと思った。けれど、シキは既にアパートの近くに寺があり、そこで鐘撞きが行われることまで知っていたのだ。
 二人で寺へ向かって夜道を歩く。深夜ということもあって辺りはしんと静まり返っているが、鐘撞きや初詣に行くのだろう、時折出くわす人々はどことなくお祭りの夜のように楽しげな様子だ。俺は空に疎らな星を数えながらしばらく歩いていたが、ふとシキに「寒いな」と話しかけた。
「あぁ、寒いな」
 シキは頷き、俺に身を寄せてくる。シキの手が俺の手に触れたところで、手を繋ぐ気なのだと悟った。俺は驚き、恥ずかしくなり――シキを拒む気は決してなかったけれども――ぱっと離れた。
「だめだ。これから人前へ出るんだし、男同士が手をつないでたら目立つだろ」
「お前は、いつもそうだな。最初に自分から触れてくるということをしない。少しは積極的になってみたらどうだ?」
 とからかう調子でシキは言ったが、気を悪くしたわけではないらしかった。彼は穏やかに笑って手を拒んだ俺を許し、歩き続ける。


 目的の寺に着く頃には、もう零時を過ぎてしまっていたらしい。境内には家族連れが何組かと寺の関係者らしき人の姿がぽつぽつ見えるばかりだ。
「もう一〇八つつき終わったのかな……?」
「かもしれんな。だが、傍まで行ってみるか」
 シキは悠然と鐘楼の方へ歩いて行く。だけど、除夜の鐘が終わりなら、もう帰る方がいいんじゃないのだろうか? 俺は躊躇ったが、シキが先に行ってしまうので慌てて後を追った。
 鐘楼の傍まで行くと、寺の関係者らしいおばさんが立っていた。「明けましておめでとうございます」と彼女に言われ、俺も慌てて挨拶を返す。「明けましておめでとうございます」まるで外国語のような違和感を覚える。
 そういえばもう長いこと、新年の挨拶などしていない。シキが眠っていた数年は、他人との接触を極力避けていた。昨年は年末にはシキが目覚めていたが、その頃はシキのリハビリに気を揉みながら、シキとどう接していいのかと戸惑っていて、気がつけば新年も過ぎていた。
 まともに新年を迎えるのは久しぶりだというのは、シキにだって同じことが言えるはずだ。けれども、シキはごく当たり前の態度でおばさんに挨拶を返している。普通に新年の挨拶をするシキに、また一つ彼の知らない面を見ている気になる。
「ゴメンね、もう一〇八つ終わったから、参加賞のお菓子も当たらないの。でも、鐘は撞いてくれていいから」おばさんは言った。
「あ、いえ、そんな……終わってるなら無理には……」
「遠慮しなくてもいいわよ。もう一一五くらい行ってるけど、来た人にはみんな撞いてもらってるから」
「だけど……」俺が躊躇うと、
「せっかくなんだ、撞かせてもらえばいい」シキが言った。
 そこで、俺たちは鐘楼へと近づいていった。鐘楼ではちょうど家族連れが鐘を撞き終え、降りてきたところだった。
「先に行け。俺は後でいい」
「あ、あぁ……」
 促されるままに、俺は鐘楼を上ろうとする。そのとき、後ろから新たに幼い兄弟が鐘楼の方へ歩いてくるのが見えた。彼らを待たせるのは、何だか申し訳ない――そうだ、俺とシキが一緒に撞けば時間は半分で済む。そう思いついた俺は、シキの手を取って引く。
「どうした、アキラ」
「後がつかえてるから、一緒に撞こう」
 すると、シキは何も言わないまま、了承を示すようにぎゅっと手を握り返す。そこで俺たちは二人で鐘楼を上り、天辺に立った。鐘楼は天井から鐘が吊り下げてられ、その鐘の前に丸太が取り付けてある。丸太には縄が結わえられ、俺たちの目の前に縄の先端がぶら下がっていた。
 物珍しくて、その様子をじっと見てしまう。すると、シキが目の前の縄を持って撞くのだと教えてくれる。俺が手を伸ばして縄を握ると、シキがその上に手を重ね、二人で縄を引いて鐘を撞いた。
 ゴーン。大きな鐘の音が辺りに響く。自分が鐘を撞いたのだということに、少し感動する。
 やがて縄から手を離しながら顔を上げると、こちらを見ているシキと目が合った。シキは、何だか静かで優しい目をしていた。もしかしたら、シキが年中行事にこだわるのは、趣味というわけではなく、俺にそうしたことを経験させてくれようとしているからなのかもしれない。だって、トシマでのシキは、年中行事――というより、世俗とは無縁そうだった。ふと、そう思いつく。
「……どうした?」シキが尋ねる。
「あ、いや……」俺は頭を振った。
 そうして俺たちは鐘楼を降りた。入れ替わりに、兄弟が鐘楼に上り、鐘を撞こうとしている。弟はまだ幼くて力がないため、兄が助けて二人でやっと鐘を鳴らした。
 シキは足を止め、しばらくその様子を見守っている。その眼差しは、いつになく優しく、そして痛ましげに見えた。

 実弟の――リンのことを思い出しているのかもしれない。

 リンがシキの異母弟だということ、そのリンを手に掛けたのはシキ自身だということは、俺もシキから聞かされている。シキが『眠って』しまった要因の一つには、リンを殺してしまったこともあるのではないかと、俺は思っている。多分、リンのことはシキの心に残る消せない痛みなのだろう――俺にとって、ケイスケの死がそうであるように。
「シキ」俺はぼんやりと立つシキに、そっと声を掛ける。「帰ろうか」
「……あぁ……そうだな」
 夢から覚めたような調子で頷いて、シキは寺の境内を歩き出す。俺もその後を追った。


***


 年が明けてしまって、皆家に帰ったのか夜道は人通りが少なかった。俺はシキと並んで会話もなく歩いていたが、帰り道の半ばまで来ると思い切って言った。
「なぁ……手、繋いでも、いいか?」
「? ……構わんが……行きに嫌だと言ったのはお前だろうに」
「そうだけど……その……寒い、から」
 寒いから手を繋ぐ気になったというのは、嘘だった。本当は、先ほどの兄弟を見てからどこか上の空で自分の考えに没頭しているシキに、少しだけ不安を覚えたのだ――また、シキは俺を置いて行ってしまうのではないだろうか、と。もちろん、そんなことはないはずだ。けれど、不安は消えなくて、手を繋げば自分の傍に引き留めて置ける気がしたのだ。
 返事を待たずに、俺は左手でシキの手を掴んだ。シキはその手をごく自然に握り返し、歩き続ける。そして、しばらくして。
「……さっき、」とシキが唐突に言った。「あの兄弟を見て、弟のことを思い出した。子どもの頃、アレと一緒に親に鐘撞きに連れて来られたことがあった」
「そうだったのか……」
「今更思い出すとはな。しかも俺は思いだしたとき、懐かしささえ感じた。……弟を強くなるのに不要なものとして手に掛けたのは、俺自身だというのに」
 そう語るシキの声は淡々としていて、表情にも変化はない。けれど、俺には――泣いているように痛ましい表情だと思えた。
「いいじゃないか、思い出したって。シキ……我が侭だけど、俺はあんたにリンのことを忘れないで欲しいと思う。懐かしい思い出も、殺してしまった罪悪感も、全部。だって、それは今のあんたを構成する要素だと思うから」
「アキラ……」
「忘れられないことって、あるだろ。それを無理に忘れる必要はないんだ、多分」
 ケイスケの死のこと、シキが『眠って』いた数年間のこと……それらはとても苦しい出来事だった。もう二度と同じ経験をしたいとは思わない。けれど、たとえばそれらの苦しい出来事を全て記憶から消してやろうと言われても、俺はそれを望まないだろう。
 トシマに行く前、俺は心を閉ざして生きていた。トシマでのことやその後に続く出来事があったから、変わることができた。俺は今の俺が好きで、だからこそ、もう昔の自分に戻りたいとは思わない。
 シキにだって、きっと同じことが言える。リンのこと、nのこと、『眠って』しまったこと、その全てが積み重なって今のシキに繋がっている。リンや他の人々を殺したことは罪に違いないが、罪は罪として、痛みは痛みとして、どんな記憶も自分を構成するものとして大切にすればいい。だって。
「――だって、そういう時間を積み重ねたあんたのことを、俺は好きだし――誇りに思うから」
 シキは目を見張っていたが、やがてふと表情を動かして柔らかな笑みを浮かべた。
「……初めてだな、お前が俺を『好き』だと言うのは」
「そう、……だったか……? ――って、今のはそういう意味じゃなくて、そのっ……ごく普通の好意としてで……!」
 とっさに自分の口走ったことに気づき、恥ずかしくなる。俺は誤魔化しながら繋いだ手を離して、シキから離れようとした。が、次の瞬間ぐっと手を引かれ、気づいたときにはシキに抱きしめられていた。
「シ、キ……」
「お前を疑うわけではないが、ずっと気になっていた。お前が俺の傍にいるのは、単に俺への恐怖や同情などからではないかと……俺に触れられるのも、本当は嫌なのではないかと」
「そんなわけ、ないだろっ……!」
「だが、お前は決して自分から誘うことはないだろう?」
「う……仕方ないだろ。だって不自然じゃないか……俺は男で普通なら抱く側なのに、自分から抱いて欲しいって言うなんて。女々しい奴だって思われるんじゃないかって怖かった……――だけど、あんたがそんな風に思ってたのなら……」
 誘いの言葉を口にしようとしたが、どう言えばいいのか分からなかった。普通はどうやって誘うのかなんて知らない。いつもシキがどうしているのか思い出そうとしたけれど、緊張しているせいか思い出せない。だから、俺は抱きしめられたままシキの耳元に顔を寄せ、囁いた。
 ――あのさ……帰ったら、俺に付き合ってくれるか?
 色気のないこと極まりない誘い。それでも、俺には精一杯の言葉だ。けれども、シキはいつまで経っても返事をしない。
 他人が勇気を振り絞って言ったのに、無視するなんて薄情なことがあっていいだろうか。せめて嫌なら嫌だと言うべきだろう。俺は文句を言ってやろうと思いながら顔を上げた。
 すると、街灯の弱い明かりの元、白い頬に微かに血を上らせたまま絶句しているシキの顔が見えた。珍しいものを見たものだ。俺は驚きながら――一瞬だけ、可愛らしいと思ってしまった。







(2009/12/31)
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