受け攻めに悩むアキラの話2






 それから十数分後。アパートの部屋に戻った俺たちは、ベッドに向かい合って座っていた。
 いつもは気がつけば始まっているような状態なので、こんな風に「これから行為に及ぶ」という状況には馴染みがなく、妙に緊張する。今日はなぜかシキも先に手を出してはこず、こちらの動向を見守っているかのようだ。とうとう俺の方が先に沈黙と緊張と羞恥に耐えられなくなって、シキに手を伸ばした。
 シキの肩を掴んで顔を寄せ、おずおずと唇を重ねてみる。数度軽くシキの唇を啄んでいると、不意にシキが声を発した。
「お前は……いいのか?」
「……いいって、何が……?」
「抱かれるのは不自然だと感じると、さっき言っただろう? お前が抱かれることに苦痛を感じるなら――逆ならば納得するのか?」
 何だ、そんなことを心配して、シキは手を出すのを躊躇っていたのか。俺は目を丸くして、吹き出してしまった。
「そんなこと、気にしてたのか。確かに俺も同じことで悩んだけど……――別に俺は、あんたを抱きたいわけじゃない」
 ただ、男の性に反して抱かれる側を続けることで、心まで女々しくなってしまうのではないか――と不安になっただけ。
 けれど、気づいたのだ。
 俺がシキに抱かるのは、この男の強さも弱さも美しさも醜さも、全部が愛おしくて全部を受け入れてやりたいと思うから。受け止めた上で、シキを抱きしめたいと思うから。受け身でいることが楽だから、というわけじゃない。受け身の快楽に流されるだけなら、シキを幸せにしたいと――シキと一緒に、二人で幸せになりたいという気には、きっとならないだろう。
 そうだ。抱くとか抱かれるとか、そんなことは問題じゃない。普通とは違うのなんて、俺たちの関係では今更のことだろう。それらは全て、気にかけるまでもない小さなことだ。それを、俺もシキも気にしていたんだ。
 俺は苦笑しながら、向かい合ったシキを引き寄せて額を合わせる。シキはわけが分からないというように、鳩が豆鉄砲を食らったような表情をしている。その間抜けな表情さえ、愛おしいと思う。
「いいんだ。男の俺が男に抱かれるのは、多分あまり普通じゃないんだろう。けど、あんたと俺にとっては、それが一番自然なことなんだ――だから、俺を抱けよ」


 ようやくシキが俺へと手を伸ばす。口づけ合いながら、俺たちは着替えたばかりのパジャマを互いに脱がせていった。
 シキの手が、するするとと俺の皮膚の上を滑る。時折その指先が、皮膚の上に残る幾つもの古傷に触れて、慰めるようにその跡を辿る。
 古傷は、数年間『眠った』シキと共に過ごした日々の中でできたものだ。目覚めてしばらくしてから、シキは俺を裸にしてひとつひとつ傷跡を辿りながら原因を尋ねたことがある。いつできた傷かなんて、俺自身覚えていないけれど――シキは俺の身体にある傷跡を多分全部知っている。
 そのときのことを思い出しながら、俺はシキの皮膚に触れてみる。シキの皮膚は滑らかだが、それでも戦場で過ごした者らしく傷跡が幾つかある。俺はシキに身を寄せ、彼の左肩に残る傷跡の一つに唇を触れさせた。
 ざらりとした傷の表面をそっと舐めれば、「アキラ」とシキの困惑した声が頭上から降ってくる。
「いいだろ? 抱かれる側だとしても、俺も男なんだ。好きな相手に触りたいと思って、いけないことはないはずだ」
「……っ……全くお前は……煽るのが上手くなって、性質が悪いな……」
 そう言いながら、シキはふと熱を帯びた吐息を零す。その反応に気を良くして、「あんたにだけだ」と俺は小さく笑い声を漏らした。
 それ以上、シキは俺を阻もうとはしない。そこで俺はいつもシキがするように、唇と舌でシキの肌の表面を愛撫した。傷跡に口づけ、あるいは筋肉のラインを辿って舌を這わせる。
 その間中、シキの手は俺の身体の傷跡を辿り、わき腹を撫で、胸の突起を摘んだしして俺の性感を引き出そうとしていた。実際、時折感じてしまって一瞬、シキに触れていることを忘て手を止めてしまうこともあった。すると、シキは俺の顔を見てとても愉しそうに笑うのだった。
 やがて、俺はシキの皮膚を辿って下腹部まで行き着くと、そこにあるシキの性器を手に取った。シキのものは微かに反応を見せている。俺が触れたせいだろうと思うと嬉しくて、思わず身を屈めてそこに唇で触れようとする。
 と、シキが微かに慌てた調子の声を上げた。
「何をするつもりだ」
「何って口で……」
「しなくていい。だいたい、お前は昔口でするのを嫌がっていただろうに」
「そりゃ、屈辱的な行為だと思ってたからな。――だけど、今は違う。俺はしたいんだ。あんただって、この間したじゃないか。……いいから、俺にさせてくれ」
 返事を待たず、俺はシキの下腹部に顔を埋めた。そこにある性器を手で支えながら、ゆっくりと口に含む。久しぶりに、独特の苦みを舌に感じた。
 上手いやり方なんてやはり知らなくて、この前シキにされて気持ちよかった愛撫を繰り返す。舌を出して棹の部分を舐め辿っては、先端を含んで吸い上げる。
 シキは俺の背や肩や胸を撫でながら、黙って俺の行為を受け入れていた。時折零れるのは艶めいた吐息で、視線だけ上げて見ればシキは情欲の熱を宿した目でじっとこちらを見下ろしていた。
 零れる水音と口内で昂ぶっていくシキのもの、そしてシキの視線にこちらまで煽られる。妙に興奮する。いつしか俺の性器も芯を持ち始めていて、触れてほしい、熱を吐き出したいという欲求が体内で高まっていた。
 けれど、まだ俺はシキに触れていたかった。シキにもっと感じさせたいと思った。そのため自分の状態を無視して、シキの性器への愛撫を続けようとした。と。
「アキラ、腰をこちらへ向けろ」
「だけど……」
「俺にはお前に触れさせないつもりか?」
 シキに押し切られる形で、俺たちは体勢を変えた。寝そべったシキの顔の上に俺が跨り、再びシキの下肢へと顔を埋める。互いに互いの性器が目の前に来る、とんでもない体勢。羞恥で死ねそうな気がする。
 俺が戸惑っている間にも、シキは俺の腰を掴んで性器へ舌を這わせる。その僅かな刺激にさえ、脳が痺れるような快楽が生まれる。
「うっ……くぅ……!」
「この間のようにすぐに達するなよ、アキラ。すぐに終わっては、この体勢を取った面白味がないからな」
「くそっ……分かってるよ、……この変態っ!」
「そう、悪態がつければ上出来だ」
 笑みを含んだ声で言って、シキが俺のものを口に含む。同時に、唾液で濡らした指で閉じた後孔に触れる。前を舐めながら後孔の表面を揉むように刺激され、体内の奥深いところに覚えさせられた快楽が目を覚ます。
 油断すれば喘ぐだけになりそうで、俺は努めて快楽から意識を逸らしながらシキの性器を口に含む。何も考えられないままに、ただただ無心で奉仕する。


 やがて、もう達しそうだというときになって、シキが愛撫の手を止めた。
「アキラ……一度離れろ。このままでは、先に進めんからな」
「ん……」
 一度離れて体勢を入れ替える。今度は俺がシーツに横たえられ、シキが覆い被さって来た。馴染んだその重みを、愛撫のせいでふわふわした気分のまま心地よく受け止める。
 シキは改めて俺の後孔を解してから、昂ぶりをあてがってゆっくりと侵入してきた。全てを収め終えると俺の肩に顔を埋め、艶めいた息を吐く。そして、動き始めた。
 今日のシキは、いつになくゆったりとしていた。結合部を押しつけるようにして、深く内部をかき回す。俺は初めて意図的に、シキの動きに合わせて腰を揺らした。思わず自分のいいところにシキのものをすり付けようとする反射的な動きでもなければ、この間シキが媚薬を飲んだときように自棄で滅茶苦茶に動くのでもない。自分の体内にあるシキのものによりよい刺激を与えるように――それだけを意識した。
「イイか……?」不意に囁くようにシキが尋ねる。
 馬鹿、そんなこと言えるか。内心そう罵ったけれど、俺は思い直して感じているとシキに伝えた。シキが俺の愛撫で快楽を感じるのが嬉しい――だとしたら、シキも俺が感じていたら、嬉しいのかもしれないと思い至ったから。すると、俺が自分の快感を告げた途端、体内でシキのものが反応したのが分かった。
 俺は嬉しいような、面白いような気分になって喘ぎの下から更に言う。
「んっ……あんたの……中で、また……大きくなっ……っあぁ……!」
「っ……調子に乗って煽って、どうなっても知らんぞ」
「何で……だよ……っ! あんた……だって……っ……俺に、恥ずかしいこと……言う癖に……くっ……」
 静かに、けれど急速に体内で快楽が膨れ上がっていく。
 それはシキも同じようで、いつの間にかシキはより強い抽送を繰り返している。張りつめたシキのものが何度も体内の敏感な部分を擦り、その度目も眩むような快楽が駆け抜ける。勃ち上がった俺の性器も腹の間で擦れて刺激され、限界が目の前にあった。
「シ、キ……もぅ……くっ……!」
「あぁ、存分にイけ」
 必死の訴えを、シキはすぐに叶えてくれた。ぐいと一際強くイイところを擦りながら、シキが深く押し入ってくる。その刺激がもう堪えられそうになかった。
 熱に浮かされるままに、俺はシキを引き寄せて耳元に言葉を吹き込む。「……あ、はっ……シ、キ……」言葉が喘ぎに消えそうになるけれど、どうしても今言っておきたかった。そうでなければ、いつまた言う勇気が出せるか分からない。

 ――あんたを愛してる。

「知っている」
 低く呻くようなシキの声。同時にシキの熱が体内に吐き出されるのを感じる。それにつられるように俺は達していた。


***


 体内からシキが出ていくのを、俺は達した後のふわふわした気分で感じた。そういえば、今は何時だろうか? 眠るなら後始末をしなければならないのだが、そんな気力は湧いてきそうにもない。
「眠るのか」シキがさらさらと髪を撫でながら尋ねる。
「……ん……まだ……」
「そう言いながら目を閉じているぞ。後始末なら、しておいてやろう」
「……それ、は……いやだ……」
「だが、放っておいては腹を下すぞ」
「ん……起きる……から……」
 そうだ、起きなければ。起きるんだ。そう思いながらも、意識は眠りに沈んでいく。あぁ、もう何でもいい――後のことは後のことだ。


***


 目が覚めると、俺はシキの腕の中にいた。シキはまだ眠っている。目蓋を閉じたその表情は静かで、安らかな寝息を繰り返している。今日は、その眠りにも不安を感じなかった。
『――知っている』
 行為の最後に聞いたシキの、低く抑えた声。その声に込められた真摯さに、何となく確信させられる。
 たとえまた『眠る』ことがあっても、離れることがあっても、この男は必ず俺のところへ戻ってくる。決して俺を放り出したりはしない。

 だから――大丈夫。

 俺は一人笑いながら、シキに身を擦り寄せた。行為の後そのまま眠ったので、シキも俺も何一つ身に着けていない。素肌が触れ合うのが心地よくて、このままずっと微睡んでいたいという気がする。
 けれど、起きなくてはならなかった。そうして、行為の後始末をしなければならない――。
(後始末……って、あれ……? 身体、ベタベタしてないよな……?)
 俺はぎくりとして、自分の身体を検分してみた。昨夜行為で体液に汚れていたはずの身体は拭われ、体内にも精液が残っている感覚はない。
 シキだ――シキが後始末をしてくれたのだ。そう気づいた途端、かっと身体が熱くなる。そのときだった。
「ん……アキラ……?」シキがゆっくりと目を開けた。
「おはよう、シキ……――あんた、昨日もしかして俺の後始末したか……?」
「した。昨日ではなく、もう今日になっていたがな。お前は自分ですると言いながら、寝てしまっただろう」
「う……馬鹿! 何でするんだよ!? ――いや、その……ありがとう。一応感謝はしてるけど……恥ずかしくて死にそうだ」
「羞恥くらいで人は死なん。案外慣れればそのうち快感になるかもしれん」
「っ……この変態! 俺を何に目覚めさせようとしてるんだよ」
「さて」
 優雅に首を傾げて誤魔化すと、シキはするりとベッドから抜け出した。明るい部屋に堂々と裸体を晒し、手早く衣服を身につけていく。やがて服を着終えると、シキはこちらを振り返った。
「アキラ、お前ももう起きるか?」
「あ、あぁ……?」
「雑煮を用意する。餅は幾つ食べる?」
「そっか……今日は元旦なんだよな。えっと、餅二つで」
「分かった。先に行く。お前も早く着替えて来い」
 てきぱきと言って、シキは寝室を出ていってしまう。アキラも部屋の寒さに身を竦めながら着替え、後を追った。
 キッチンではシキが雑煮を煮ていた。その傍に立って、鍋の中をのぞき込む。先日シキが買ってきた餅が、汁の中に浮かんでいるのが見えた。
「今更だけど、明けましておまでとう」
 迷った末に俺はそう声を掛けた。普段と違う挨拶が、何だか気恥ずかしいような気もする。けれど、シキは振り返って目を細めて笑み、「おめでとう」と挨拶を返してくれた。
「雑煮、旨そうだな」
「じきにできる。……新聞を取ってくる。アキラ、少し火を頼めるか」
「分かった」
 キッチンを出ていくシキと入れ替わりに、俺は鍋の前に立った。雑煮の鍋の様子を見ながら何となく思い出すのは、もうずっと会っていない義理の両親のことだ。
 孤児院でのことは、ほとんど覚えていない。俺の記憶にある正月は、政府に割り当てられた義理の家族の元で過ごしたときか、その後の一人きりで暮らしていたときかのどちらかだ。
 初めて食べた雑煮は、義理の母親が作ってくれたものだった。その味が、なぜか今蘇る。義理の両親とはあまり折り合いが良くなかったけれど――彼らは家族らしいことをしてくれようとはしていた。

 義理の両親は馴染みにくかった。
 俺は彼らに心を閉ざしていた。

 けれど、もしも今シキにするように、俺が彼らに心を開いていたら。少しでも歩み寄ろうとしていたら――もっと近づけていたのかもしれない。シキと一緒に過ごして、他人と心を通わせられることを知ってようやくそう思うことができた。
(今更考えても、仕方がないけどな……)
 義理の両親はどうしているだろうか。今もミカサにいるのだろうか。会いたいわけではないけれど、彼らは彼らで平穏な日々を過ごしていてくれればいい……。

「――アキラ、戻った。もういいぞ。そろそろ火を消せ」
 シキに声を掛けられて、俺は我に返った。言われるままに火を消して、シキを振り返る。見慣れた、けれど、いつ見ても目を奪われる秀麗な容貌に、どうしようもなく安堵を覚える。
 ここが――シキのいる場所が、俺の居場所だ。
「どうした? 何を嬉しそうな顔をしている?」
「別に。ただ、あんたがここにいて良かったなって思うだけだ」

 冗談めかした口調で、俺は本心を言った。
  





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2009/12/31
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