水の中での話2 4. シキはアキラの腕を引いてしばらく泳いだところで止まった。 「追いつけず迷ったか? つい加減せず力を出しすぎたようだ。悪かったな」 「いえ、俺が不甲斐ないんです。早々にバテてしまって」 「無理もない。このところデスクワークが多かったからな。……さぁ、この場所なら立てるはずだ」 アキラはその場で水を蹴ることを止めてみた。確かにシキの言う通り、すぐに湖底に足の裏が触れる。見ればそこは別荘から少し離れた湖の岸辺近くで、立つと水はアキラの胸の下あたりまでで止まった。 言った通りだろう、とシキが顔をのぞき込んで微笑してみせる。その黒髪や白い頬を水滴が伝い、すらりとした首筋や鎖骨の浮いた肩へ流れて浴衣の合わせ目へ落ちていく。見慣れない浴衣姿の上、全身水を滴らせるシキの姿には、何とも言えない艶やかさがあった。アキラはそれに酔ったような心地で、シキの皮膚の上を流れていく水滴の行方を目で追った。 「どうした? ぼんやりしているな?」シキが尋ねる。 「いえ、その……」 あなたがあまりにも美しいので――アキラもそこまで口に出しては言えなかった。少なくとも、素面で口にするには恥ずかしすぎる。 もごもごと口ごもって言いかけた言葉を誤魔化していると、不意にシキが肩を掴んだ。そのままシキはアキラを引き寄せ、首筋に顔を埋める。「っ……?」アキラは熱い舌先が水に濡れた皮膚の上を滑っていくのを感じた。 「……シキ……?」 驚いて声を掛けると、シキは顔を上げてにやっと笑った。「お前の肌を伝う水は、甘そうだと思ったのでな」と、悪戯っぽく少しだけ唇から舌をのぞかせてみせた。 「……甘い……? そんなはずはありません。ここの水は淡水で――」 「そういう意味ではないのだが……まぁ、いい」 シキは笑いながら、アキラに顔を寄せてきた。濡れた唇が重なり合う。アキラが唇をわずかに開くと、すぐにシキの舌が滑り込んできて口内をまさぐる。シキの舌は熱かった。ひんやりした水の中にいるせいか、普段よりもはっきりとその熱を感じた。体温は極端に低いシキだが、その本質は炎であるとアキラは知っている。舌の熱は、シキの隠れた本質を表すかのようだった。 舌を絡め合い、互いを貪り合ううちに、いつしかシキの熱が移ったかのようだった。アキラは身体の芯が微かに熱くなり始めていることに気づいた。 こんなところで欲情するわけにはいかない。ここは外で――しかも、水の中だ。そう思って身を引きかけたが、できなかった。しかし、アキラが身を捻って逃れようとすると、シキは背中から包み込むようにアキラを抱きしめ、浴衣の襟の合わせ目に手を差し入れた。 アキラは俄かに混乱した。今まで、シキはこんな風に外でアキラに性的な触れ方をしたことはなかったのだ。 二人の仲は政財界ではよく噂に上り、ほとんど公認といってもいいほど知れ渡っている。しかし、シキもアキラも皆に噂の確たる証拠を与える気はなかった。同性同士の恋愛は今では少なくないが、古い考えの残る政財界では、こうしたことは密事であるからこそ許容されている部分もある。 また、ニホン以外の――特に第三次大戦以前からある国々では、戦争による破壊を免れたことから旧来の価値観が依然として多数を占めている。同性愛は異端とされ、白眼視される場合が多い。そうした国々と外交の場で渡り合っていくために、国家元首であるシキの嗜好を大っぴらにすることは不都合があった。 決して白眼視を恐れるわけではない。二人の関係を隠すことが利益につながるからこそ、シキとアキラは人目につく恐れのある場では、親しい触れ合いをしてこなかったのだった。 それなのに。 「総帥――シキ!? やめろっ。っ……外でこんなことをすべきではありません」普段とは違うシキの態度に慌てるあまり、呼び方と言葉遣いが混乱する。 「アキラ。閨では敬語はなしだと教えただろう?」シキは睦言のような声音でたしなめた。 「……っ、ここは、寝室じゃ……、」 「確かに。だが、俺の言いたいことは、分かるだろう?」 「だけどっ……! こんな、外でなんて……っ……」 「この島にいるのは、俺とお前だけだ。侵入しようとする者がいたとしても、最新の警備システムに引っかかる。お前は俺の同行者として警備体制の確認をしたのだから、分かっているはずだ。――アキラ。ここでは、他人の目を気にする必要はない。分かるな?」 「っ……だからって、あんた、外でするなんて悪趣味すぎる……っ!」 とうとうアキラは敬語をかなぐり捨て、乱暴な口調で言った。それと同時にシキへの抵抗も止める。ため口を利いたのは――我ながら分かりにくいサインだと思うのだが――シキの言葉を受け入れた、という意思の表明のつもりだった。 果たして、シキはそれに気づいたらしかった。胸元に差し入れられたシキの右手は、今まではほとんどアキラを押さえる役目しか果たしていなかったが、一転して急に動き始めたのだ。 手はするするとアキラの皮膚の上を滑った。時折、へそのピアスを引っ張ったり、胸の突起を撫でたり押しつぶしたりする。胸の下あたりまである水を掬って突起に塗り付けられ、普段とは微妙に違う刺激にアキラは身を震わせた。じれったいほど微かな、けれども、確かな甘さが生まれ、腰へ落ちていく。 「悦いようだな」 敏感にこちらの様子を察知して、シキが囁く。アキラは答えなかった。外でこんな行為に及んで――水を塗り付けられて――しかも、胸の突起で感じたということに、言いようのない羞恥を覚えたのだ。 代わりに、アキラは背中を振り返ってシキを見上げた。「シキ」名を呼んで求めれば、シキは笑って顔を近づけてくる。再び唇が重なり合い、互いに深く舌を絡め合う。深い口づけの息継ぎの合間に、アキラは身を捩ってシキへと身体を向けなおした。そうして、両腕をしっかりとシキの背中に回す。 ひとしきり口づけをすると、顔を離したシキは右手でアキラの裾を割った。水の中に揺らめく浴衣の布をかき分け、焦らすように太腿の内側をなぞる。 もどかしい刺激にこらえきれず、アキラはため息を吐く。こちらから言わない限り、シキは核心部分に触れないつもりだろう。アキラは先を求める言葉を口にしようとシキの目を見たが、羞恥心とためらいで言えなかった。 「もどかしそうだな。もっと触れてほしいか?」 「っ……シキ……」 シキの眼差しに促されて、アキラは頷く。すると、すぐにシキの手が浴衣の布をかき分け、下着の中へ滑り込んできた。熱を帯び初めていたアキラの性器に触れ、巧みに刺激を加える。シキはアキラの悦い部分を知り尽くしており、すぐに足が震えるほどの快楽の波が訪れた。 アキラはシキにしがみつき、声を殺して堪えることしかできなかった。普段ならばもっと余裕を持って快楽を受け止められるのだが、今は普段とは違うこの状況のためか、身体が興奮しきって感覚が鋭くなりすぎているのだ。 それでも、シキの手は止まらなかった。唐突に、シキはアキラの片足を抱え上げると、右手を更に伸ばして後孔に触れる。何度か揉むようにそこを押した後、シキは慎重に指を挿し入れた。最初は一本、次いで二本、三本と数を増やしていく。 指が体内で蠢く度に少しずつ、水が体内へ入ってくる。その冷たさと異物感にアキラは悶えた。シキの指や熱だけでなく水にさえ感じているのだと思った瞬間、かっと身体が熱くなった。 「アキラ……そう、締め付けるな」 「っは……。シキ……もう、いいから……」 はやくシキのもので満たされたくて――水など忍び込む隙間もないほどに満たされたくて、アキラはせがんだ。 そうしながら見上げたシキは、意外にも飢えた余裕のない表情をしていた。これまで何度かこちらをからかっていたのだから、余裕なのだろうと思っていたのに。そう思うと、不意に共感と愛おしさがこみ上げてくる。 シキはニコル完全適合者であり、その身体能力と精神力は人間離れしている。軍の兵士や国民からは、軍神のようにあがめられている。それでも、シキはただの人間であるアキラと全く同じように情欲に追いつめられ、ただの人間であるアキラを求める。 おそらく、自分はシキの強さと完璧さのためにシキに惹かれ、崇めるのだろう。しかし、愛おしいと感じるのは、彼が同時に持つ不完全さや人間らしさのために違いないのだ。 そう思ったとき、アキラの内側で最後まで残っていたわずかなためらいが、崩れさったようだった。アキラはシキの浴衣の帯に手を伸ばした。端を引っ張れば帯は解けて、水の中に長々と浮かぶ。 更にシキの浴衣をはだけながら、アキラはふと目に付いたシキの胸元の水滴に唇を寄せた。舌先でそれに触れて舐め取れば、水の味が口の中に広がる。それはただの水だった。しかし、不思議ともっと口にしたいという気がした。シキの皮膚についていた水滴だから――水の味が甘く感じられた。 「あんたの言った意味が分かった。……甘い、な」アキラはちょっと舌を出してみせた。 「そうか。お前も分かったか」 シキは微かに笑い、アキラの顎を持ち上げて顔を寄せてきた。差し伸べていたアキラの舌先に自身のそれを触れ合わせ、絡め取りながら深く口づける。そうしながらも、シキの手は器用に動いてアキラの帯を解き、浴衣と下着を脱がせてしまった。 取り払われた二人分の浴衣や帯などが、まるで花びらのようにふわふわと水面に浮かぶ。川のような流れもなく、風も強くないため、衣類は流されることなくアキラたちの周囲に留まる。 衣類に囲まれた水の中で、シキは自ら手早く下着を脱ぎ去ってしまい、アキラを引き寄せた。浮力のためにふわふわと定まらないアキラの腰を抱え上げ、昂ぶっていた自身の性器をあてがう。そして、ゆっくりと掴んだ腰を引き寄せて、アキラの体内に自身を侵入させていった。 それは、アキラにとっては不思議な感覚だった。水で身体が浮くせいで、普段の挿入に伴うような圧迫感や痛みがかなり少ない。やがてシキが全てを収め、動き始めてもそれは変わらなかった。浮力と結合部に僅かに忍び込む水のせいで、抽送も最初から比較的スムーズなものになった。 アキラはじわじわと体内で快楽が高まっていくのを感じた。しかし、理性を手放すには、僅かに及ばない。それはシキも同じようだった。シキも情欲を滲ませた表情でアキラの腰を掴んで揺さぶりながら、どこかもどかしそうにしている。 自分のため、というより、もっとシキを感じさせたい一心で、アキラはシキの肩に回した手に力を込めて、水の浮力で身体を浮かせた。シキの突き上げる動きに合わせて、反動をつけて腰を沈ませる。すると結合がより深くなり、じんとより強い快楽が腰に湧き上がってきた。 「んあっ……! はぁ……っ……」 「っ……」急に快感が強まったらしいシキも、熱っぽいため息を漏らす。そして、掠れた声で笑った。「アキラ、お前……やけに積極的だな」 「っ……シキも……感じた、か? はぁっ……あんたにも……気持ちよくなって、ほしいから……」 「可愛いことを。……お前は、いつも、俺を煽るのが上手いから、困る」 少しも困った様子はなく、むしろシキは嬉しそうに言った。そして、穿つ角度を変えながら、掴んだアキラの腰を揺らす。その拍子にシキの性器が体内の感じる部分に触れ、アキラは鋭い快楽が背筋を駆け上がるのを感じた。が、それでもシキの動きに合わせて、腰を揺らす。周囲で水がぱしゃぱしゃと波打っていたが、それを気にする余裕はなくなっていた。 いや、アキラはむしろ意識していた。ひんやりした水の肌触りも、ここが外であることも、何もかも。最初は羞恥を感じたそれらのものすら、今は快かった。普段は人前では慎重にシキとの関係を匂わす接触を避けているが、心の奥底では、皆の前でシキに触れたいと思っている。 皆の前でシキに触れ、自慢したいのだ――シキが、こんな風に求めるのは自分だけだ、と。少なくとも今は、自分だけがこうしてシキの中にある情欲を高めることができる。シキは自分の主だが、同時に自分のものなのだ、と。 そう気づいた途端、強烈な快楽を覚えた。 「シキっ……っく……もう……っ……」 達してしまいそうだ、と訴えながらアキラはシキにしがみついた。そうでもしていないと、本当に達してしまいそうだった。 シキはアキラの願いを聞き入れ、アキラの感じる部分に触れる角度で体内を穿つ。勃ち上がった性器をシキの腹に擦られ、体内の感じる部分を穿たれ、堪えきれずアキラは身を震わせて達した。 「っ、……ああぁ……!」 水の中に吐精しながら、アキラは達した余韻に耐えるように身を強ばらせる。ぎゅっと収縮する後孔に抗ってシキは更に一、二度腰を揺らし、艶めいたためきと共にアキラの体内に熱を吐き出した。 5. 二人は岸辺で濡れた衣類を再び身につけることにした。この岸辺から別荘まで、少し歩かなければならないからだ。湖を泳いで戻るのは、シキはともかく足元も覚束ないアキラにはできそうもなかった。 「手伝ってやろうか?」 「えっ? ……いや、いいからっ……」 アキラは慌ててシキに背を向け、衣類を身に着け始めた。同性なのだから身体を見られてもいいようなものだが、なぜか無性に恥ずかしかったのだ。これは今に始まったことではない。トシマの頃から、他の同性はともかくシキにだけは肌を晒すことにためらいがあった。互いに性の対象だと認識しているせいかもしれない。 一人で着替えようとしたアキラは、しかし、すぐに困った事態に直面した。浴衣の着付け方をやはり覚えていなかったのだ。 浴衣の前をかき合わせたまま硬直していると、シキが声を掛けてきた。「やはり手伝いは必要なのではないか?」この言葉にはアキラも頷かざるを得ない。 シキはアキラの前に回り込むと、手早く浴衣を着せた。その手つきに性的な感じは全くない。着付け終えるとシキはアキラへ背を向けて屈んだ。 「シキ……?」 「別荘までは歩きになる。俺の背に乗れ」 「俺は自分で歩ける」 「サンダルは湖に落ちたときに失くしてしまったから、裸足で歩くことになる。足を怪我しては大変だ。傷口から菌が入れば、破傷風や他の病気になる可能性もある」 「大げさだよ。だいたい、それはシキも同じだろう? あんたも裸足なんだから」 「俺はニコル保菌者だ。抵抗力は常人の比ではない」 「だけどっ……」 「いいから、おぶされ」 シキは屈んだ姿勢のまま、動こうとしない。そこで、仕方なくアキラはシキの背中におぶさっった。「それでいい」とシキは満足げに呟き、しっかりアキラの身体を固定して立ち上がって歩き出す。初めのうち、アキラは居心地の悪さを感じていたが、そんな感情はすぐに消えてしまった。広いシキの背中に身を預けていると、自然と安らいだ気分になってくる。濡れた浴衣は肌に張り付き、辺りは日が暮れてもまだ暑く不快なはずなのだが、それさえもさほど気にならない。 あまりの安らぎと行為の疲労とで、アキラはついうとうとしかけた、そのときだった。 「すまなかったな」と不意にシキが言った。「普段は重責を果たすお前を息抜きさせてやりたくて、この別荘や他にも色々と用意していた。浴衣もその一つのつもりだった。先ほどのような状況を狙って着せたわけではないのだが……抑えが利かなかった」 「謝ること、ないさ……。だって……湖で泳いだの、楽しかった……。それに、俺だって、あんたが欲しかったんだから……お互いさまだ……」 辛うじてそう答えるものの、どっと睡魔が押し寄せてくる。眠りに落ちていく意識の片隅で、「まったくお前は……」とシキが呟くのが聞こえた。呆れたような、しかし嬉しそうな声音だった。その声の弾むような調子に、アキラ自身も嬉しくなる。 本当は、ニコル保菌者であり国家元首でもあるシキのために、他人ができることは少ない。どんなことでも、シキは自力で叶えられるだけの力を持っているからだ。だから、自分にシキを喜ばせることができることがあるなら、何だってしたい――眠りに落ちきる間際に浮かんだ思いを抱き締めながら、アキラは意識を手離したのだった。 2010/08/23 目次 |