Goodbye forever1 ED1後、眠りに就いて目覚めないままシキが逝った後のアキラの話です。 タイムスリップしてきた17歳シキ×25歳アキラです。 2話目でR-18シーンあり。3話目で25歳アキラの死の描写あり。 死にネタが苦手な方は回避してください。 シキが長い眠りの末に逝ってから、五年が過ぎようとしていた。七年前に起きた内戦は四年前に終戦を迎え、街は急速に復興に向かいつつある。ニホンは――十年足らずの間に二度の戦乱を経験したこの国は、再び平和の微睡みへ向かおうとしていた。 けれど、俺は、未だ十代の頃のありふれた日常には戻れずにいる。 シキを喪った俺は、どこかひと所に定住はせず、旅することを選んだ。かつて、眠るシキを守りながらしていたように、時折、裏の仕事を請け負いながら放浪した。 言い訳が許されるなら、俺は裏の世界が好きで、そうしたわけではない。ただ、表の世界には――実を言えば裏の世界にも、だが――自分の居場所がないように感じていた。トシマでシキに拾われてから、俺の居場所はシキだけになっていたのだろう。だから、シキのいない今、俺はせめて微かにでもシキの気配の残る場所に居たかった。つまりは、裏の世界に。 それほどまでにシキは俺の心の中心を占めていたにも関わらず、俺はシキの後を追おうとはしなかった。できなかった。許されなかった。 トシマ脱出後、長い眠りについたシキは、しかし、眠ったまま逝かなかった。よりにもよっていまはの際に目覚め、たった一言のために枯れた声を振り絞った。 アキラ、生きろ――と。 そして、すぐに息を引き取った。 たった一言の発声は、二年もの間眠ったままで衰えきったシキにはどれほど過酷だったことだろう。奇跡と言ってもいいくらいだ。 傍についていた俺は、最期に目覚めたシキに驚き、次いで彼の死に悲嘆した。長い間に咽び泣き、やがて、泣き笑った。 あぁ、なぜ、あんたは『そう』なんだ。いつもいつも大事なときに俺を突き放して、独りになろうとする。それでも俺は、もう知っているから――あんたが俺を特別に想っていることも、だからこそ最期に目覚めたんだってことも、分かっているから。 俺の全ては死んでしまったのに、これじゃあ、俺は後を追うわけにいかないじゃないか。あんたのいない世界で、生きていくしかないじゃないか。まったく、あんたは仕様のない我が儘を言う。 そう思って、俺は笑い、また泣いた。 五年経った今でも、俺はあのときの痛みを忘れない。心を引き裂かれて、それでもまだ、自分がここに生きている理由を忘れない。 初夏のある日のことだった。 裏の仕事を一つ片付けた俺は、街から離れた避暑地にいた。『仕事』のほとぼりを冷ます必要があって、しばらく身を潜めていることにしたのだ。 俺がその避暑地を選んだのは、そこにある別荘を一軒、自分のものにしていたからだ。裏の仕事を続けていて、しかも旅の路銀くらいにしか遣わない俺には、今はそれが可能なだけの金があった。余所ではなくて、その避暑地を選んだのは、そこが五年前シキが息を引き取った土地だったからだ。 そういえば、シキの死んだ夏以来、俺は毎年何かしらの理由で自分の買った別荘に滞在している気がする。まるでシキが黄泉返るのを待つかのように。そんなことあり得ないのに。 そう、分かっているのに。 だから、『彼』を初めて見たとき、俺は驚いてしまって声も出なかった。 ある朝。眠りから醒めた俺は、ふと何かに呼ばれた気がして庭へ出た。夏の盛りの庭は緑が色濃く、蝉の声が聞こえている。俺は庭の真ん中でめまいを覚えた。 俺の世界はシキと共に死んでしまったのに、俺を取り巻く外の世界はこんなにも生命に溢れている。そのことが恨めしいというわけではなかった。どうしてまだこの世界は続いているのだろう、とただ不思議に思っただけだ。 ガサリ。 不意に庭の片隅のタチアオイの茂みから、物音が聞こえた。 猫だろうか? あるいは、イタチか何か。俺はのんびりと茂みの方へ歩いていった。警戒しなかったのは、殺気や害意の気配が感じられなかったからだ。ひょいと無造作にタチアオイの蔭をのぞこんでみる。目に入ってきたのは、人間――それも、まだ大人になりきらないくらいの若者の姿だった。 若者は夏草の上で、目を閉じていた。微かに上下する胸に、彼が生きているのだと知れる。俺は息を呑み、若者を見詰めた。成長途上のほっそりした身体つき。艶やかな黒髪が縁取る白い面。 俺は彼を知っている。 「――キ……」 正確には、俺が知っているのはこの若者の未来の姿。現実にはあり得ないことだが、俺は確信していた。若者は、俺が知り合うずっと以前のシキなのだ、と。 だって、間違いようがない。目の前の若者がまとう気配は、よく馴染んだシキのものなのだから。 「――シキ……!」 俺は若者に近づき、揺り起こそうと手を伸ばした。そのときだった。 ふと、若者が目蓋を開ける。懐かしい紅が、ぼんやりと俺を捉えた。 シキ。俺はもう一度呼ぼうとしたが、出来なかった。久しぶりに目にした紅の瞳に、急速に胸に込み上げてくるものがあったからだ。 言葉もなく見つめていると、若者は急に紅の瞳に剣呑な光を宿した。危険信号。だが、それすらも懐かしい。 「貴様、何者だ?」 若者は警戒心も露に言った。同時に、強烈な闘気を叩き付けてくる。俺は若者の闘気を受け止め、受け流した。 若者は一瞬、愕然とした顔をした。まさか闘気を軽く受けされるとは、思いもしなかったらしい。確かに、普通に考えれば受け流すには強すぎる闘気だった。 しかし、この程度の芸当ができなければ、大人のシキとは付き合えない。更に言えば、若者の闘気など大人のシキに比べれば、可愛いものだ。 「貴様、何者だ……」 再び若者が呟く。今度は警戒して排除しようとするのでなく、興味を持って知りたがっている響き。俺は答えようとして、ふと思いついた。 そういえば、俺が年若いシキと出会ってしまっては、彼の未来(俺にとっては過去だが)に影響が出るかもしれないのだ。 たとえば、ここで二十五の俺に出会ったことで、トシマを脱出したときのシキは眠らずに済むかもしれない。nへの執着に捉われることもないかも。 いや、結局、何も変わらない可能性だってある。或いは、もっと悪くなるということも。たとえば、かつてシキがnに執着してトシマまで来なければ、十八の俺はシキと出会うこともなかっただろう。時間が――運命がどのように絡み合っているのかなんて、ただの人間に過ぎない俺に読み解けるはずもない。 俺は急に怖くなった。二十五の俺と若者との出会いによって、若者の未来が変化してしまうということが。 「名を名乗れ」若者が言うのへ、 「できない」と俺は頭を振った。「名乗るわけにはいかない。……名乗ろうとすれば、偽名を教えなければならなくなる。あんたに嘘はつきたくない」 「教えられるのは偽名だけだ、などと最初から白状するとは、変な奴だ」 若者は俺の返答がなぜか気に入ったらしかった。ごく微かに警戒心を緩めた様子で、首を傾げてみせる。その仕草が、俺の記憶にあるシキのふとした動作とそっくりで、どうしようもなく泣きたくなった。 あぁ、やはり、これはシキだ。眦に滲む涙を瞬きで留め、俺は飄々とした表情を作った。若者に特別な感情を抱いているなど、気取られないように。 「……なぁ、あんた、幾つだ?」 「名前も言えないような奴に答える気はない」 「俺が言えない代わりに、俺だって、あんたの名前を聞いてないだろ。だけど、お互いのことを何も知らないのも、話しにくいじゃないか。年齢くらいなら、教えたってお互いに困ることなんてないだろ?」 「……十七だ」若者は素直に言った。 十七といえば、おそらく、シキは第三次大戦の戦場に出る直前といった年頃だろう。彼はこの後、nに出遭って強い執着に人生を歪めることになる――。 「俺は二十五だ」 「二十五……?」若者は疑わしげな表情をした。「そんなに年がいっているようには見えない」 「ははははは。二十五で年がいってると思えるのは、まだまだ子どもの証拠だ」俺はそう言いながら、若者にシキの面影を重ねていた。「二十五なんて、まだほんのガキだ。いつか二十五になってみれば分かる。……いや、あんたは二十五でもちゃんと大人かもしれないけど」 二十五になって。トシマで出会った頃のあんたの年齢を追い越してしまっても、シキ、俺はまだあんたの背中に追いついていないんだ。永遠に追いつけない気がするんだ。 若者は俺の顔を見て、はっと息を呑んだ。彼が俺に何を見いだしたのかは分からない。だが、若者の表情に一瞬だけ、痛ましげな色が浮かんだのは確かだった。彼はすぐにそれを押し隠し、次いで闘志を宿した目で俺を見据えた。 「――俺と手合わせをしろ」 出し抜けに若者は言った。余りに唐突な成り行きに、俺は一瞬何を言われたのか分からなかったほどだ。数秒かかってようやく言葉の意味を理解してから、思わず笑ってしまった。 何て突飛な。だけど、何てシキらしい。 「あぁ、いいよ」俺は頷いた。 とはいえ、辺りに手合わせ用の木刀などあるはずもなく。俺たちは別荘の裏手の林で、手頃な木の枝が落ちているのを探すことから始めなければならなかった。二人分の即席の『木刀』が見つかったのは昼が近づく頃で、とてもではないが手合わせをできるような気象条件ではなくなっていた。 別荘地で都会より涼しいとはいえ、晴れた日の日中だ。炎天下で激しく動けば、熱中症になってしまうかもしれない。 「なぁ、涼しくなってからにしないか」 俺は提案してみた。だが、若者は頑固だった。どうしてもすぐに手合わせするのだと言い張る。そればかりか、俺が尚も説得しようとすると、若者は問答無用とばかりに斬りかかってきた。 電光石火の斬撃。鮮やかな一閃。 とっさに後ろに跳びのいた俺の目の前で、尚も伸びてきた木の枝の先端が空を切った。暑さからではなく、つぅと背中を汗が伝う。何て鋭い刃の軌跡。だが――如何せん『剣』がまだ幼い。 間を置かずに繰り出された若者の刃を、俺は今度は木の枝で受け止めた。押し返すことはせず、更に数度打ち付ける刃を受ける。 こちらを見据える若者の秀麗な面に、微かに焦りの色が浮かんだ。 俺は思わず笑った。シキに違いない若者の、ふとした拍子に見せる未熟さが微笑ましく――愛しさが込み上げてくる。その感情の高まりのままに、俺は初めて『木刀』を繰り出した。 剣撃が、何の抵抗もなく真っ直ぐに伸びていく。普段、裏の仕事のために真剣を振るうのとは、全く違う感覚。多分、真剣より軽く木刀だからというのではない。羽根のように軽く、矢のように速く伸びた俺の剣撃は、呆気なく若者の『木刀』を弾き飛ばしていた。 「あ……」 俺は驚きに声を上げた。そこまで強く打ったつもりはなかったからだ。若者とてあれほど軽い一閃で『木刀』を打ち落されるとは予想だにしなかったらしく、目を丸くしている。間抜けにも、一瞬、俺と若者は互いに顔を見合わせて驚きの表情を確認してしまった。 我に返ったのは、若者の方が先だった。 「まだだ。まだ、これで終わりと思うなよ」 いかにもシキらしい勝気さを目に宿した若者は、そう言って自分の木の枝を拾いに行った。俺はその背中を見ながら、短い呼吸を繰り返えした。今更のように暑さが重く身体にまとわりついてくる。動きを止めた途端噴出した汗が、後から後から伝い落ちていく。 これは完全に俺の不摂生が原因だった。 この別荘に滞在して数日。特別にすることもないからと、だらだらと寝て過ごしていたせいで、しばらく炎天下にいた上に急な激しい運動に身体がついていかなかったらしい。普段、裏の仕事を請けるときには、きちんと身体を戻しておくのだが――そんなこと、『自称、俺の所有者であった』シキならば、考えが甘いとばっさり切り捨てたことだろう。 分かってる。これは自分のだらしなさが招いたことだ。 (けど、文句を言うくらいなら、あんたが傍にいて管理すべきなんだ。俺の、所有者なんだからさ……) くらり。世界が傾ぐ――いや、傾いだのは、俺自身か。 自分の身体を支えきれなくなって、俺はその場に崩れ落ちた。どさりと膝を突いた音に、少し離れたところにいた若者がはっと振り返った。紅い目を見開いて、慌てた様子でこちらに駆けてくる。俺は不思議な気持ちで、その様子を見ていた。あんな風に、シキが慌てた様子を俺に見せたことはなかった。シキが俺を特別に想ってくれていて、シキなりに大事にしてくれたことくらいは分かっていたけれど。 *** 「……まったく、軟弱な」 若者が渋い顔で吐き捨てた。が、表情とは裏腹に、アキラを別荘へ運び、濡れタオルを額に載せたり、水を飲ませたりと先ほどから甲斐甲斐しく動いている。 「すまない……」俺は苦笑してみせた。 「俺に謝らなくていい。……夕食の支度は、俺がする。お前は休んでいろ」 若者はそう言って立ち上がった。俺への呼びかけが『貴様』から『お前』へと変わったことから、彼が幾らかは気を許したと知れる。 俺は立ち上がった若者を見上げて、首を傾げた。 「いいのか? あんた、帰りたいとか言わないのか?」 「……ここが普通の場所でないことは、分かっている。俺は家の庭に出ていて、急に霧に包まれて気が付いたらここにいた。ここがおそらく、徒歩や車といった当たり前の交通手段で帰れる場所ではないことは、分かっている。――もしかしたら、俺がここに来たことには、何か意味があるのかもしれないな……」 若者が目覚めて以来、俺の名前くらいしか知りたがらなかったことを思いだし、俺は感心した。何も訊かないと思えば、一人でそこまで考えていたとは。 やがて、若者が水道の蛇口を開け、水を使う音が聞こえてきた。じゃぁと何かに水を注いでいる。がさがさとキッチンの引き出しを探る気配。次いで響いたのは、カチリというコンロの音だった。何かを煮ているのだろうか? 他人が料理する物音というのは、妙に安堵と眠気を誘うものだ。それが心を許した相手であれば、尚更に。 俺はソファに横になって若者がキッチンで立ち働く物音を聞くうちに、うとうとと微睡んでいたようだった。微睡みの狭間で何か悲しい、けれども幸福な夢を見ていた気がする。 ふと目が覚めれば、いつしかローテーブルの向かいのソファに若者が座って、麦茶を飲んでいるところだった。その間にも年に似合わぬ静かな眼差しは、こちらに向けられている。紅い瞳の眼差しに、俺は思わず鼓動が速まるのを感じた。おそらく観察されていただけなのだろうが、俺にとって若者の視線は紛れもなくシキの眼差し――誰よりも愛した相手の眼差しに変わりはないのだ。 「すまない。眠っていた。……今、何時だ?」 俺はさりげなく目を伏せながら、ソファの上で上体を起こした。 「今は二時だ。無理をするな。回復していないなら、休んでいろ」 「大丈夫だ。……それより、昼飯は? 先に食べたか?」 「いや」 若者は首を横に振り、ソファから立ち上がった。静かな足取りでダイニングへ向かうのを、俺も起きあがって追いかける。 先にダイニングへ入った若者は、冷蔵庫からそうめんを盛りつけ、錦糸卵を添えた器を出して、並べているところだった。二人分用意された涼しげなガラスの器に、若者が俺を待っていてくれたどだと知れる。一人先に食べようとしないところに、シキの育ちの良さを見る気がした。 二人で向かい合って席に着き、そうめんを食べる。そうめんは若者の好みなのか固茹でにされていた。俺はたいてい茹でながら別のことをしていて麺を伸ばしてしまうので、固い麺の食感は不思議な気がする。出汁は、冷蔵庫にあった市販のものだが、丁寧にも刻みネギが浮かべられてている。適当に買い込んでいたこの別荘の食材からよくここまで、きちんとした盛りつけができたものだと感心してしまった。 そうめんの味など誰がどう茹でても同じはずなのに、若者の用意してくれたそうめんは、自分で茹でたときよりもずっと美味かった。誰かと――シキと食べるからだろうか。俺はそうめんの美味さに感動したが、次の瞬間には胸が締め付けられるような苦しさを覚えた。 今はいい。若者が傍にいるうちは。けれど、彼はいずれ必ず去っていく――元の時代に戻ってしまう。そうなった後、俺は一瞬だけ取り戻したシキとの思い出と二度目の喪失を抱えて、一人で生きていくことになる。 ――この若者を……『シキ』を手放したくない。 抱いてはいけない思いが、胸の中で頭をもたげるのが分かった。 2011/07/31 目次 |