Party7
side アキラ




 翌朝。アキラが目覚めたとき、隣にシキの姿はなかった。彼が寝床を抜け出してから、すでに幾らかの時が経っているのだろう。シキの眠っていた場所に触れると、冷たくなっていた。
 わずかに寂しさを覚えながら、アキラは起きあがった。抱かれたのは本当に久しぶりで、身体の最奥には今も違和感が残っている。それでも、辛さはなかった。昨夜のシキの抱き方が、以前では考えられないほどに優しかったからだろうか。
 アキラはシキが身体に触れた手つきを思いだし、頬に血を上らせた。大切なものに触れるかのような、あの丁寧な手つき――思い上がりかもしれないが、どうしても、自分がシキに想われているのだと実感してしまう。放っておけばだらしなく緩んでしまいそうな口元を引き締めて、アキラは身支度を整えた。畳の上にあった自分の寝間着を身に着けて、シキの部屋を後にする。
 昨夜は庭からそのままシキの私室に来てしまったが、滞在するアキラのために割り当てられた客間は別にあった。早朝のうちにそこに戻って着替えなければ、昨夜、客室にいなかったことが皆に分かってしまう。それだけは避けたかった。
 今回、この邸に集まったトシマの関係者は、ほとんどがシキとアキラの関係を知っているようだ。が、それでも、明らかに関係を持っていると知られるのは、気が引ける。
 ところが。
「お、ネコちゃんじゃん」
 早朝だというのに、大声で呼び止められる。アキラは声の方を振り返り、相手を軽くにらんだ。
「……グンジ。声が大きい」
「いいじゃん、別にー。シキティのとこから、朝帰り?」
「なっ……」
 アキラは思わず赤面した。できれば指摘してほしくないことを、グンジはわざわざ口に出す。
 とっさに答えに詰まったアキラは、質問で話をはくがらそうとした。
「そういえば、あんたこそ、早起きだな。寝起きが悪そうに見える」
「んー? そうだな……。普段は寝起き悪いかもなぁ。――ただ、今日は、気配があったからさー」
「気配?」
「そ」
 首を傾げるアキラに、グンジはこっちだと手招きした。言われるままに廊下をついていけば、邸の庭の片隅に離れを少し大きくしたような建物が見えてくる。
「こっちだ」
 グンジは渡り廊下を渡り、建物へと入っていった。慌ててアキラもその後に続く。近づいて見れば、そこはどうやら道場のようだった。グンジは遠慮なく、引き戸を開けて道場の中へ入ってしまった。
 勝手に入っていいのだろうか。
 アキラは少し迷ったが、結局、グンジの後に続いた。追いかけると、彼は道場の上がり口に立ったまま、中を見ていた。その視線の先を追って、アキラは息を呑んだ。
 道場の中央に、シキがいたのだ。着流し姿で、姿勢を正して端然と座っている。火の気のない道場の中は外と同じように寒かったが、彼は気温など感じていないかのようだった。
 目を閉ざしたシキは、彼自身がまるで一本の刀のような凛とした気配をまとっていた。トシマの頃のような凶々しさや妖しさは、感じられない。ただただ『鋭い』。
 やがて、シキは自らの脇に置いてあった刀を取って、鞘を払った。そうと型が決まっているかのように、剣舞が始まる。シキの所作は一つ一つが美しく、まるで舞のようだった。
「……俺はこの気配を感じたんだ。シキの、剣気を」いつになく静かに、グンジが言った。
「シキと、闘いたくなったのか……?」
 アキラは思わず尋ねたが、グンジは予想に反して、頭を振った。
「それはねーな」
「なんで。あんたは、強い奴と闘うのが好きなんだろ……?」
「……今の奴は、強いと言えるかどうか、分からねぇ」
 グンジは謎のような言葉を吐いた。
 聞けば、昨日、彼とキリヲが一番に邸に到着したときにも、シキは道場にいたのだという。そのときも、シキは今と同じように剣舞を行っていた。
 だが。
「昨日のシキは、全然だったんだぜ。身体は型を覚えてるケド、そこに心がなかった。昔
みたいに、誰よりも強くなりたいという狂気も、その他の感情も、何もかも。そんな奴と闘ったって、イミねーだろ」
「……だけど、今のシキは普通に強そうに見えるけど……」
「あぁ……一夜にして変わったよ。別人みてーだ」
「えっ……?」
「変わったんだ。だけど、あいつの強さはもう、昔みたいにテメェが一番になるための強さじゃない。他人の苦痛や血で、テメェを満足させようとするための力でもない。……オメェにも、分かるんじゃね? 今のシキの強さは誰かを守るためのもので、それ以外の目的で振るわれることはないって。だから、もう闘う意味がないんだよ。――そんな風に、オメェがあいつを変えたんだ、きっと」
「そんな……俺は……」
 アキラは視線をさまよわせた。
 自分に、シキに影響を与えることができるとは、まったく思えなかった。シキが変わったとしたら、それはシキが選び取った結果だろう。
 しかし、アキラの戸惑いを無視して、グンジはアキラの肩を叩いた。
「未来のことなんて分かんねーけど、オメェ、あいつの傍にいてやれよ。あいつを変えたんだから、責任取ってさ、導いてやれよ。きっとこれからあいつには、それが一番必要になる」
「…………」
 どう返事していいものか、アキラは戸惑った。昨夜、シキと想いを確かめ合ったとはいえ、先のことは何も考えていなかったのだ。
 返事に困っていると、いつしか剣舞を終えたシキがこちらに近づいて来るところだった。
「あ、シキ……」
「よぉ、シキティ」
 二人の話が聞こえていたのか、いなかったのか。シキはグンジとアキラの前に来ると、足を止めてじっと二人を見つめた。それから、ふと呆れたような表情を作る。
「お前たち、朝稽古の邪魔だ。集中できんだろう」先ほどの剣舞は明らかに集中しきっていた癖に、シキは文句を言った。それから、ふっとため息を吐く。「……どうせ腹が減って、待ちきれなかったんだろう。すぐに朝食を用意する。アキラ、さっさと着替えて来い」
 呆れたような声音で言いながらも、シキは刀を持たない左手でアキラの頭をかき回すように撫でた。まるきり子ども扱いだが、なぜか悪い気はしない。アキラは「分かった」と頷き、着替えのために踵を返した。


***


「……余計なことを」
 アキラが立ち去り、グンジと二人きりになった道場で、シキはぽつりと呟いた。
「そうか?」グンジが首を傾げる。
「お前の言葉は、余計な世話だった。今後どうするべきかは、アキラ自身に選ばせるつもりだ」
「ンなこと言ってたら、また前の二の舞だぜー? ……俺らみてーな一回、裏の世界の底の底までイっちまった奴ぁ、そうそう表の世界では生きてけねーんだ。こっちにつなぎ止めてくれる奴でもいねーとさぁ」
 すべてを見透かしたかのような、グンジの言葉。シキははっとして、彼の顔を見た。普段はタガの外れた陽気さだけをまとう彼が、今は老成しきった目をしていた。
「――お前も、表の世界に戻りたいと思っているのか?」シキは思わず尋ねた。が、すぐに口に出した己の問いを後悔した。「……すまない。尋ねるべきことではなかったな」
「別に、いいってぇ。……俺は、テメェのいる場所が嫌ってわけじゃねーよ。表の世界で生きるのは――きっと、俺には退屈だ」
 そう言って、グンジはからりと笑った。


***


 朝食が済むと、客たちは順に邸を辞していった。邸が実家であるリンさえも、新たな仕事があるということで長居はせず、昼前には邸を出ていった。結局、最後まで残った客はアキラひとりだった。昨日からの引き続きで、シキを手伝って片づけなどをしていたら、最後になってしまったのだ。
 アキラはシキと二人で昼食を取った後、邸を出た。駅まで向かおうとすると、シキが見送ると言ってついて来る。二人は並んで、冬の昼下がりの街を歩いていった。
 そうして駅が近づいてきたときだ。アキラはふと、通りの脇の塀の向こうに、滑り台の天辺がのぞいていることに気づいた。寒い中だというのに、幼い子どもたちがキャッキャとはしゃいだ声を上げながら、遊んでいる。
「ここ、幼稚園か何かか?」アキラが尋ねると、
「いや、孤児院だ」シキは答えた。
「へぇ……そうなんだ」
 相づちを打ちながら、アキラがふと目をやった壁に、職員募集の張り紙があった。張り紙によると、この孤児院では調理師を募集しているらしい。
 ふとアキラの脳裏に、子どもの頃に孤児院で食べたオムライスが浮かんだ。
 アキラは自分のいた孤児院を好きだとか、嫌いだとかと考えたことはなかった。当時はそこが自分の居場所だったというだけのことだ。ただ……あの孤児院でオムライスが出るときは、確かに幸せを感じていた気がする。
「――俺、ここに応募してみようかな」
 気がつけば、アキラは張り紙を見つめながら、ぽつりと呟いていた。
「何?」シキが目を丸くする。
 シキの大きなリアクションに、アキラは自分が妙なことを言ったのではないかと慌てて手を振った。
「だ、だってさ。俺、ちょうどこの間、調理師免許を取ったし。孤児院にいた頃、食事の時間とか楽しみだったから、今度は自分が子ども達に作ってやれたりとかしたら、いいかなと思って。…………そ……それに、ここに勤められたら、あんたの近くにいられるし……!」
 思い切って最後の言葉を付け加えたが、シキは黙ったままだった。アキラは不安になって、『いいか?』と念押ししようとした。が、はっとして言葉を飲み込む。シキの白い頬は、いつになく血の気が差していて――答えを聞くまでもないと分かった。 








(2012/08/05)
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