パンドラの箱1−1 ・全編にわたって性描写やそれを匂わせる描写が多いです。 ・回をまたがるR-18描写も出てくると思うので、性描写のある話だけ*を付けるのではなく、全体としてR-18注意に指定したいと思います。ご了承ください。 ・特殊嗜好や過剰な暴力描写が出た場合は、その回の前で注意書きを付けたいと思います。 夢を見ていた。暗いトンネルの中を、歩き続ける夢を。 トンネルの中で、俺は一人ではなかった。あいつが――凛と背筋を伸ばして迷いのない足取りで進むシキが、手を引いてくれていたのだ。俺の手を包み込む彼の手は、少し体温が低くて心地よかった。 二人で暗闇の中を、どれほど前進しただろうか。やがて、前方に白い光が見えてきた。――出口、だ。 そのとき、俺が感じたのは、やっとトンネルから脱出できるという喜びでも、解放感でもなかった。むしろ、不安を覚えた。このトンネルを一歩でも出れば、何かが変わってしまうような――何かを決定的に失うような、漠然とした予感があったのだ。 俺はこれ以上、出口に近づきたくなかった。だが、シキに手を引かれているために、立ち止まることもできない。俺は為す術もなく、それでも不安を抑えきれずに、シキの手を掴む手にほんの少しだけ力を加えた。それはシキが気づかないくらい微妙な力加減のつもりだったのだが、意外なことに彼からの反応が返ってきた。シキが俺の手を握り返したのだ。 『――恐ろしいか?』 不意に尋ねられて、俺は瞬きをした。なぜ俺の気持ちがシキに伝わったのだろう? 今、シキがどんな顔で尋ねているのか、無性に確認したい気がする。だが、シキは振り返ろうとはしなかった。どんどん前へ進んでいく――残酷なほど、迷いのない足取りで。 『別に……。怖くなんかない……』 シキに弱みを見せたくなくて、俺は嘘を吐いた。その嘘が分かったのか、どうなのか。シキは俺の答えを無視して、話を続けた。 『――ここを出たら、すべてが変わる。俺は今までの俺ではなくなるだろう。おそらくは、お前も……』 『あんた、何を言ってるんだ?』 謎かけのようなシキの言葉に苛立って、俺は尋ねた。しかし、シキは問いには答えようとしなかった。 『――お前も、変わるだろう。だが、どんなに変化しようと、所詮、俺は俺でしかない。お前もまた、同じ……』 『おい、何が言いたいんだよ? そんなんじゃ、全然、分からない……』 外の光は、目の前に迫りつつある。 そのとき、先を行くシキが初めて、俺を振り返った。外の白い光の中で、彼の紅色の目がさっと紫に染まっていく。俺はあっと息を呑んだ。 紫の目――ニコル完全適合者の証だ。 『アキラ』紫の目をしたシキが、声を発する。『……アキラ。……助けて、くれ……』 ――助けてくれ。 初めて聞くシキの助けを求める言葉に、俺は呆然と目を見開く。彼を救わなければと思うのに、身体は凍り付いたように動かなかった。 『……助け……て……く、れ……』 もう一度、シキが掠れた声で呟く。次の瞬間、シキの姿がぐにゃりと歪んだ。まるで砂塵が風に吹かれるように、彼の姿が急速に崩れ落ちていく。はっとした俺が手を伸ばしたときには、既に遅かった。 シキの姿は塵のように、さらさらと吹き飛ばされてしまう。その塵を必死に留めようとすれば、シキの身体を抱き止めたはずの手が空を切った。 『っ……。そんな……シキ……!』 *** 「……!」 はっと飛び起きたアキラが目にしたのは、埃っぽい倉庫の内部だった。辺りは薄暗く、カビくさい臭いが鼻につく。倉庫内のわずかな光源は、壁の高い位置にある窓だ。そこから差し込む陽光が作る日だまりの傍に、背の高い黒ずくめの衣装の男――シキが立っていた。日だまりに携帯電話をかざすようにして、キィ操作をしている。メールでも打っているらしい。 やがて、シキは携帯をしまうと、こちらへ近づいてきた。シキの姿に、アキラはほっと息を吐いた。先ほどの光景は、夢だったのだと納得する。 「シキ――」 シキは小馬鹿にしたような表情で、アキラを見下ろした。 「ようやく起きたか。貴様はトシマからここまで俺に運ばれる間、一度も目を醒まさなかったな。まったく、その暢気さには驚かされる」 「なっ……!」 何を、と掴みかかろうとしたところで、アキラははっと動きを止めた。シキを睨んだ瞬間、その目の中に狂気を見つけてしまったアキラは、はっとして振り上げかけていた手を下ろした。シキの目の中の狂気を呼び水に、脳裏にある光景がフラッシュバックする。 紫の目をした男の首筋を喰い破り、血を啜るシキ――。そうだ、とアキラは不意に思い出した。旧祖で日興連とCFCによる内戦が始まる直前、シキは宿敵である紫の目の男――ニコル・プルミエ――nと対峙することになった。そのとき、彼はnの挑発に乗って、ニコルウィルスを含むnの血を口にしたのだ。 ニコルウィルスは、通常、人体に入ると“劇毒”として作用し、人を死に至らしめる。そうならずにいられるのは、ニコルウィルスに生まれつき耐性を持つごく僅かな人間だけだ。そして、シキはその稀な人間の一人だったらしい。nの血を啜ってもなお、彼が死ぬことはなかった。 その反面、ニコルウィルスを取り込んだことから、シキは変わってしまった。以前は強い意思の光を宿していた紅い目には、今は混沌とした狂気が湛えられている。アキラは、その狂気が恐ろしかった。それは、理屈や理性ではどうしようもない、克服できない本能的な恐怖だった。 感情が顔に出ていたのだろうか。アキラの表情を目にしたシキは、ほんの一瞬、白い面に苛立ちのようなものを横切らせた。が、すぐに感情を押し隠し、無表情に戻る。 ――言いたいことがあるなら、言えばいいんだ。そう思ったものの、アキラは面と向かってシキに言うことはできなかった。ニコルウィルスを取り込んでから、彼は変わってしまった。ちょっとした反抗の言葉にシキがどんな反応を示すか、想像もつかない。不用意に楯突くわけには、いかなかった。 本音と恐怖を隠すため、アキラは口を開いた。 「……ここはどこなんだ?」 「日興連領。ディバイドラインから一キロほど離れたところにある、民間の倉庫だ。勝手に借りている」 「それって……大丈夫なのか? あんたも俺も、綺麗な身の上じゃないだろ。俺は冤罪だけど殺人犯だし、あんただって……。そんなんで、もし、誰かにここにいることが見つかりでもしたら、軍が……」 「どうせすぐに移動する。もし、その前に見つかったとしても、発見者を殺して口を封じればいいだけだ」 「殺すって……。駄目だろ、そんなの。だいたい、移動ってどこへ行くつもりなんだ?」 「貴様に心配されるようなことは、何もない。貴様はただ黙って、俺に従えばいいんだ」 「何だと……!」 今度こそ、アキラは恐れを超えて怒りがこみ上げて来るのを感じた。シキが傲慢で傍若無人な男だというのは、短い付き合いながらもよく分かっている。彼の高圧的な態度も、ある程度は我慢してきたつもりだ。それでも、シキに自分の意思と人格を無視されることだけは、許せない。 アキラは立ち上がり、シキに飛びかかろうとした。だが、その瞬間、すでにアキラの動きを予測していたらしい彼によって、足払いを掛けられてしまう。アキラは体勢を崩し、呆気なくその場に背中から転倒した。 コンクリートに強かに背中を打ちつけて、息が詰まる。早く起きなければと思うのだが、そうするよりも先にシキが覆い被さってきた。 「っ……。嫌、だ……!」 アキラは不意に、これからシキが何をするつもりなのか予感した。体裁など構っていられず、這ってシキの下から逃げようとする。もっとも、それは無駄な抵抗に過ぎなかった。生来の腕力か、ニコルウィルスがもたした力か、シキはいとも簡単にアキラを押さえつけたのだ。 腕を捻り上げられて、アキラは苦痛に顔を歪めた。骨を折られるのではないかと思うほど、容赦のない力だ。いや、シキは本気でそうするつもりなのかもしれない――そう思わせるところが、今の彼にはあった。 「っ……。く……うぅ……! や、だ……。やめっ……」思わずアキラは懇願した。 「腕を折られたくなければ、俺に従え。抵抗を止めて、腰を上げろ」 耳元に落とされた囁きに、アキラは頷いた。シキの言う通りに腰を浮かせれば、従順な態度への褒美のように腕を拘束する力が緩む。アキラがほっと息を吐いたのも束の間、シキが前へ手を回し、アキラのベルトを外した。更に手早くジーンズのシッパーを下げ、下着ごとジーンズを足から抜き取ってしまう。 下半身だけを晒す無防備な格好に、アキラは身を竦めた。 シキの指が真っ直ぐに足の間――身体の最奥に触れる。閉じたそこを押す彼の指は、唾液らしきものに濡れていた。おそらく、アキラに触れる前に自ら口に含んで湿らせたのだろう。だが、その程度ではぬめりが足りないことは明らかだった。それでも、シキは構わずに後孔に指を挿し入れた。 「っ……。う……くっ……」 強引に入ってきた指が苦しい。アキラはコンクリートの床に爪を立てながら、必死に身体の力を抜こうとした。そんなアキラの苦しみを知ってか知らずか、シキはアキラの身体を宥めるための愛撫を施そうとはしない。 幾らかの快楽でもあれば、この行為ももう少し楽になるはずだ。経験上アキラはそのことを理解していたが、愛撫を強請ることはプライドが許さなかった。今、触れてほしいとシキに頼めば、自分の意思を無視したこの行為に合意したことになる。 シキがこちらの意思を無視することを認めるくらいなら――死ぬほどの苦痛にでも耐えた方がましだ。 アキラは唇を噛み締め、シキの次の行動を待った。やがて、シキの指が体内から抜き取られ、後孔の表面に熱く昂ぶったものがあてがわれる。ぐっと入り口を押し広げて、シキの熱が体内に浸食してきた。 シキは苦痛に呻くアキラを、気遣って見せることもなかった。すべてを収めきると、すぐにアキラの腰を掴んで動き始める。 「う……っ、あ、あ、あぁ……」 ガクガクと身体を揺さぶられ、アキラは痛みに喘いだ。そうしながらも、不意に自分の奥に覚えのある熱が生じていることに気づく。これまでのシキとの行為では、性器への愛撫なしには得られなかった快楽の片鱗。それなのに、今、アキラの性器は触れられもしないのに、頭をもたげ始めていた。 「な……なんで……。俺、こんな……」 アキラは動揺を覚えた。自分の身体に裏切られたような気がする。 そのとき、シキが背後から抱きしめるように身体を密着させ、アキラの耳元で囁いた。 「……何を、今更。貴様は痛みにも感じる、浅ましい身体をしているだろう? この淫乱な反応が、貴様の本性だ」 「違う……!」 アキラは激しく頭を振った。が、シキの囁きが惑う心に、甘い毒のように染み込んでいくのを止められない。いつしか、身体はひどく火照り、どん欲に更なる快楽を求め始めていた。シキに抵抗したい理性に反して、身体は彼を求めていて、腰が勝手に揺れてしまう。 「はっ……あぁ……。嫌だ……こんな……」 「男に抱かれて喜ぶ己を自覚しろ。……もっと快楽がほしいなら、己自身で性器に触れるがいい。……淫乱な貴様には、それが相応しい」 「っ……誰が……!」 とっさにアキラは反論しようとしたが、体内の感じる場所を突かれて、言葉は嬌声に変わる。ぐるぐると体内を渦巻く熱に耐えられず、アキラはとうとう勃起して先走りを溢れさせる自分の性器に触れた。 そうして自分から性器を擦り始めてしまえば、あとはもうなし崩しだった。強烈な快楽に喘ぎながら、もっともっととシキを求める。流されてはいけない、と思うのに理性の声はもはや遠かった。 *** 行為の果てに意識を失った俺は、再び夢を見ていた。今度は見渡す限りの廃墟の中に、一人で立っている。 ジーンズのポケットを探ると、小さな方位磁石(コンパス)が出てきた。どこか見覚えがあると思ったら、それは子どもの頃の軍事訓練の際に装備に含まれていた品だった。ゆらゆら揺れるコンパスの針を見つめながら、西へ向かわなければと感じる。夢の中の俺は、なぜか西が最も安全なのだと知っていた。 コンパスを再びジーンズのポケットに仕舞う。西へ行けば安全なのだろうが、どうしてもこの場に留まらなければならない気がする。この廃墟の中で、何か大切なものを失くしたような――。何を失くしたのか分からないまま、俺は『それ』を探し始めた。 2012/09/02 目次 |