What I know5
生徒会室は、生徒会が出し物を取り仕切るための、高等部の学園祭実行本部となっている。何かあったとき対応するため、生徒会役員が必ず一人はそこに詰める規則だ。 多分、シキは生徒会室にいるだろう。 生徒会室付近は出店も展示もないため、閑散としていて比較的静かだった。学園祭のお祭り騒ぎを遠くに聞きながら、アキラは廊下を歩いていく。元より喧噪よりは静かな方を好むアキラだが、今は静けさが妙に緊張を煽るような気がする。 やがて、生徒会室が近付いてきた。 生徒会室のドアは閉まっていて、ドアの前に立っても話し声は聞こえない。中は静かなようだ。思い切ってノックしてみるが、中からの返答もない。 ――誰もいないのだろうか? アキラは手の中の包みに視線を落とした。クッキーを持ってくるとき、女子たちが持って行きやすいようにと持ち帰り用のラッピング包装をしてくれたのだ。包装までしてあるのだから、中に入ってメモを付けて置いて帰ったとしても問題ないだろう。 (結局シキとは顔を合わせなかったな……) 残念なようなほっとしたような気分で、アキラはドアを押し開けた。 「失礼します」 ドアを開けると、さっと夏草の匂いを含んだ風が顔に吹き付けた。室内はクーラーをつけずに窓が開けはなってあり、そこから入る気持ちいい風が日除け用のカーテンを揺らめかせている。窓から差し込んだ夏の午後の日差しが作る日なたの上に、ゆらゆらと気紛れな影を作る。 春に一度入ったことのある生徒会室の室内は、前回見たときより少し散らかっているようだった。学園祭で皆が忙しいのだろう。部屋の真ん中に並べて置かれた長机の上に、プリントや冊子、ペットボトル、筆記用具などが雑然と転がっている。 ざっと辺りを見回したところで、アキラは部屋の片隅のソファに身を投げ出して眠っている人物に気づいた。それは、シキのようだった。 (――シキ、だよな……?) そんな風にシキが無防備な姿を見せたことはこれまでになく、アキラはしばらく確信が持てなかった。それでも、そっと近付いて顔をのぞき込めば、シキその人であることが分かる。 シキの寝顔は、普段より幾らか幼い印象を受けた。意思の強さを表すかのような双眸が、今は見えないせいだろうか。 たとえば、普段からこうして時々隙を見せてくれるならば、もっとシキのことを身近に感じられただろう。けれども、普段のシキは完璧すぎて――手を伸ばすことを、どこかためらってしまうのだ。 そんなことを考えるうちに、アキラは自分がシキの頬に触れようとしていたことに気付いた。はっと我に返り、慌てて手を引く。 (何をやってるんだ、俺は……!) もともとシキと話す気で来たにせよ、今は間が悪い。出直した方がいいと感じた。なぜなら、シキは無防備な姿を他人に見られたと知ったら、気を悪くするに違いないのだから。 アキラは部屋を出ようと踵を返した。そのときだった。 不意にガシリと左手首を掴まれる。それに驚いて、アキラは跳び上がる勢いで振り返った。すると、目を開けたシキと視線がかち合った。 「なっ……あんた、狸寝入りだったのだ……!?」アキラは叫ぶように言った。 「狸寝入りだと? 失礼な。俺はお前が入って来るまでは、本当に眠っていた。お前の声で目が覚めたんだ」 「そんなところから起きてたなら、何とか言えよっ。やっぱり狸じゃないか」 「狸ではない。……そもそも、こうでもしなければ、俺が目覚めていたなら、お前はまた碌に話もせずに立ち去るだろう?」 その言葉に、アキラははっと我に返った。これまでの経緯を忘れてつい他愛もない言い合いをしてしまったが、今、自分とシキは気まずい関係だったのだ。思い出した途端、ぽんぽんと憎まれ口を紡いでいた舌が急に重くなり、何を話していいのか分からなくなる。 それでも、今日は逃げない覚悟はしていたから、アキラはシキの手を振り払わなかった。 「それで、お前はなぜここへ来た? 出し物で、何か問題でもあったか?」 「いや。俺はただ遣いで来たんだ。店で出すクッキーが新しく焼き上がったから、少し生徒会に差し入れてくれって」 「そうか。店の方はどうだ? かなりの人気だという話だが」 「あぁ、皆大忙しだよ。お客さんが次から次へと来て……だけど、あんたのクラスの委員長と副委員長が、上手く皆の仕事を割り振ってくれるから、まぁ、何とかなってる」 「なるほど……確かにお前もしっかりと働かされているようだな」 と、楽しそうな笑みを浮かべ、シキはアキラの頭から足先までさっと視線を走らせる。そんなシキの仕草で、アキラはふと自分が『猫耳執事メイド喫茶』の衣装のままで出て来たことに気付いた。 途端、かっと顔に血が上る。 「違う! この衣装は俺の趣味じゃなくて、あんたのクラスのカガリが考えた衣装で……その、急いでたから、着替えるのを忘れただけだ」 「もちろん、衣装だということは分かっている。……よく似合っている」 「こんな衣装、似合っても全然嬉しくない」 「見ている方は面白いが、着るとなるとそうだろうな。――それにしても、こうしてお前と話すのは久しぶりだ」 急にシキは改まった声音で言った。 その変化にアキラも話が本題に入ったことを悟る。ひどい緊張を感じながらも思い切って顔を上げ、シキの目を見返す。逃げることは解決にならない。ユキヒトに言われたように、たとえシキと接することでこれまでの自分自身が揺さぶられるとしても、それでも、シキと関わっていたいのだ。だから。 「そう、だな」ぎこちなく頷いてから、アキラは更に言葉を付け加える。「『あのとき』から、あんた、何だかよそよそしくなったよな……。だから、俺は……あんたはもう俺と接するのが嫌なんじゃないかって……」 「先によそよそしくなったのは、お前の方だろうに」 「っ……!」 アキラははっとした。確かにそうだ。が、その理由が自分がシキに対して欲情することが後ろめたいからだとは、言えるはずもない。アキラが顔を強ばらせてたまま黙っていると、どう思ったのかシキは苦笑いを見せた。 「……だが、お前がよそよそしくなるのも無理はないな、俺のしたことを思えば。俺の方こそ、お前は俺の顔も見たくないかもしれないと、距離を置くようにしていた」 「顔も見たくないだなんて、思ったことはない。……どうしてだろうな、あんなことがあった後も、あんたが嫌だとは思えなかった」 話すうちに、顔に血が上ってくるのが分かる。困惑すればいいのか、恥ずかしがればいいのか、分からなかった。分からないままに、アキラは小声で付け加えた。 ――だけど、『あんなこと』があったのに嫌じゃないなんて、変だろ。 ――俺は、どこかおかしいのかもしれない。 と、前触れもなく掴まれたままの腕を強く引かれ、アキラは体勢を崩した。それでも危ういところでシキの上に倒れ込むのを避け、ソファの空いたスペースに手を突く。 何をするんだよ! と怒ろうとしたとき、シキが身を捩るようにして向き直り、肩に腕を回してアキラを抱きすくめた。 「……俺も同じことを考えたと言ったら、どうする?」シキはアキラの肩口に顔を埋めながら、言った。「たびたび、口づけ以上に触れたいと考えたと知ったら、お前は俺を嫌悪するに違いないと思った。それで距離を置いたが……もう限界だ。お前と話したくて、触れたくて仕方がなかった」 シキの言葉は、これまで聞いたこともないほどに率直だった。一度は弱音を吐いてほしいと言った癖に、いざシキが率直になると、アキラは急に混乱してしまった。なぜだかこのとき、これ以上ないくらいの恥ずかしさを感じたせいだ。 決して嫌だとは思わない。 けれど、アキラはとっさにシキの率直さを受け入れる機転もなく、からかって自分の方を取り繕うことで精一杯だった。 「……あんた、いつもとテンションが違う」アキラはシキから身体を離して言った。 「あぁ、そうだな。その自覚はある。昨日一昨日と学園祭の用や家の用で、まともに寝ていないからな」 シキはすぐさま、アキラの照れ隠しの言葉に応じる。その顔は、まるでアキラの未熟さを許すかのように、微かに笑っていた。 「じき……そうだな、あと十五分ほどで副会長か誰かが戻って来るだろう。そうしたら、うちのクラスの出し物を見に行く。ずっと哲雄たちに任せきりだったんだ、せめて当日くらい見ておかなくては、な。――お前の仕事ぶりも見せてもらうぞ」やがて、シキが言った。 「それは断る! あんたが来る前に、俺は誰かと交代してやる」 「何を今更恥ずかしがっている? 猫耳と尻尾を付けてここまで来た癖に」 「っ……もう帰る!」 アキラは勢いよくソファから立ち上がり、ドアへと向かった。そこで、ふと不安になってシキを振り返る。 「――なぁ、シキ……これからも、あんたはちゃんと家庭教師として来てくれるよな」 「あぁ、これまで通りだ」 シキは言った。『これまで通り』――その言葉は、妙にアキラの心に残った。 *** 約束通り、シキはしばらくして『猫耳執事メイド喫茶』の様子を見に来た。残念ながら、このとき俺はシキに宣言したようには、給仕を抜け出すことができなかった。 しかし、その後シキに猫耳とスーツ姿で給仕しているのを見られたことなど、気にならないほどの出来事があった。シキもまた、クラスメイトに捕まって給仕をする羽目になったのだ――もちろん、執事コスチュームに着替えて。シキの衣装を密かに用意していたのは衣装係の総責任者であるカガリだったが、彼女が「ないほうがいい」と判断したので、シキは猫耳と尻尾は付けずに済んだ。 生徒会長が給仕をしているというので、喫茶店は急にシキの姿を見ようとする生徒たち――とくに女子生徒たちで一杯になった。俺もシキも他の給仕係と一緒に大忙しで、『猫耳執事メイド喫茶』は盛況に終わった。 学園祭三日目は、最終日ということで、最後に校庭に設けられたステージで演奏や劇が行われた。 目玉だったのは、『学園』の大学に在籍するグンジという学生のライブだ。グンジは、学生の身ながら既にかなり人気のあるインディーズのバンドのボーカルとして活躍している。そのグンジのバンドがライブを行うとあって、『学園』の生徒はもちろん一部のファンもステージを見に来ており、大変な盛り上がりだった。 特にグンジのバンドについて知らなかったアキラは、多くのクラスメイトがステージを見に行ったため、教室に残って喫茶店の片付けを手伝った。そうして、手伝いも終わったところで、何となくステージを見に校庭へ向かった。と、途中で生徒会の用を片付け、ステージの締めの挨拶のために校庭に出てきたシキとばったり出会う。 これまでのぎこちなさは薄れ、二人は一緒にステージの方へと歩いて行った。今は皆がステージに気を取られて、学年の違う、接点のなさそうなアキラとシキに注目する者はいなかった。 「すごい人だな……」 「あぁ、グンジのバンドはじきメジャーデビューするほどの、実力あるバンドだからな」 「へぇ……そんなに有名だとは知らなかったな」 二人して人だかりの後方で、のんびりと会話する。と、そのときだった。前方のステージで一曲歌い終えてあと一曲になったところでグンジが、唐突に言った。 『シキティ! そこにいるのは見えてるんだぜー。ステージ上がって来いよぉー!』 マイクを通して響きわたる声。ステージを見ていた聴衆の何割かが、こちらを振り返っている。 シキは何事もないかのように、それを無視した。が。 『来いってー! それとも、ステージに上がるのが恥ずかしいのかよー』 これは、挑発としては見事だった。負けず嫌いのシキは急にやる気になって、聞いた途端ステージへと歩き出していた。混雑しているにも関わらず、聴衆たちはシキの異様な気配を感じたのか、左右に分かれて道を作る。 シキはステージにたどり着くと、落ち着きを感じさせる足取りで上って行った。シキは学園の制服姿だったが、ステージ衣装のグンジと並んでも堂々として相手に釣り合う態度だった。グンジの差し出したマイクを受け取ると、『自分のステージに俺を巻き込むな』とマイク越しに文句を言う。 『いいじゃん、減るもんじゃねーし』 こちらもマイク越しに軽く答えて、グンジは次の曲名を口にした。シキも歌えるようにと配慮してだろう、彼のバンドの曲ではなく、有名な英語のロックだった。 演奏が始まり、二人が歌い出す。シキは、まるで最初からグンジのバンドのメンバーであるかのように、上手く歌った。シキとグンジの迫力ある歌声に、聴衆はわっと沸き上がっている。アキラは相変わらず後方で、遠くステージを見ていた。少し近付いた気がしたのに、ステージ上で優等生とは別の貌で歌うシキを見ているとまた少し遠くなった気もする。自分がシキについて知ることは、まだ少ないのだと実感した。 これまで通り――シキの言葉が蘇る。それでは足りないかもしれない、とアキラは思う。 そもそも、もっとシキのことを知りたくて、弱音を吐いてほしいと言ったのだ。『これまで通り』では物足りない。けれど、『これまで通り』を越える手段は、アキラの知る限りのことの中にはなさそうだった。『これまで通り』を越えていいものかどうかからして、分からない。 結局、シキとのぎくしゃくした空気はなくなったけれども、迷いは依然としてある。それでも、少しばかり心は軽くなったし、もう以前のシキに出会わなかった頃のようになればいいとは、思わない。今はこれで十分だ、とアキラは自分に言い聞かせた。 2009/12/12 目次 |