What I know4





 屋上のドアを開けると、強い夏の日差しが目を射た。からりとした快晴。雨の気配はどこにもない。
 理不尽とは承知の上で、アキラは晴れ渡る空に何となく苛立ちを覚えた。自分はじめじめとした悩みの中にいるのに、太陽は素知らぬ顔で光を振らせているのだから。
 ため息をつき、アキラは屋上に建てられた小さな倉庫の裏側へと回った。日差しは屋上のコンクリートをじりじりと灼いているが、倉庫の裏側は影になっている。日差しさえなければ、風のある屋上は案外涼しいものだ。
 倉庫の裏側には、ユキヒトとトウヤがいた。昼をいくらか過ぎていたが、トウヤは今昼食らしく、購買のパンを食べていた。お祭り男のトウヤは、もちろん、学園祭の準備にも熱心である。そういう生徒はトウヤに限らずクラスに何人かいて、おかげでアキラのようなサボリ常習犯がいても準備は進むようになっている。トウヤなど、終業後すぐに作業を始めて、それが一段落してからやっと昼食にすることも時々あり、どうやら今日もそのパターンらしかった。
 対してユキヒトはアキラの上を行くサボリ魔で、ろくにクラスを手伝っていない。今も優雅なもので、トウヤの傍で最近ベストセラーになったミステリ小説を読んでいた。
「おっ、アキラ! お前も今から昼メシ?」
 トウヤが尋ねるのへ、アキラは首を横に振る。
「ってことは、サボりか。ダメだろーお前もユキヒトも! 学園祭みたいなお祭り騒ぎはさ、参加しないと楽しくねぇだろ。トシ取ってから後悔すんぜー、青春の思い出がない! ってさぁ」
「……そう、なのか?」
 アキラは首を傾げた。
 学園祭は思い出になるには違いないが、サボったからといって後で自分がそこまで悔やむ気になるかは分からなかった。
 また、数年後の自分が高校生の『現在』を青春と見做すのかも分からなかった。
 そもそも「青春」という言葉そのものが、ひどく曖昧に思えた。いったいいつが「青春時代」なのか、何歳から何歳までと決まっていたら、その間は一応青春らしい振る舞いでもしてみるのだが。
 そんな風に思う程度であるから、『青春の思い出』がなくてもあまり後悔しないのではないか、とアキラは思った。そして、そう言おうとしたときだった。
「お前暑苦しすぎ」ユキヒトがトウヤを肘で軽く小突いた。「わざわざ青春楽しまなきゃ! って思うのは、お前みたいな祭好きだろ? 大体青春ったって若いときの一時期のことで、別に普通の日常だろ。青春真っ只中のワカモノは、世間で言われるほど楽しくないかもしれないだろ」
「ユキヒト……お前、青春に怨みでもあんの……?」
「あるか、そんなもの。ただ若者だから青春だから元気そうにしてろ、って言われるのが嫌いだから、俺」
「あぁーお前インドア派だもんな。ユキヒト君皆とお外で遊びなさい、って幼稚園で先生に言われたクチだろー」
「うるさい。幼稚園は今は関係ないだろ」
「先生ぇーアキラ先生ぇー! ユキヒト君が僕を睨んできますー」
 じゃれるような言い合いから唐突に会話に引き込まれ、アキラは目を丸くした。
「それは……どっちもどっち、じゃないか……?」
 思うままを答えれば、トウヤががくりと肩を落とす。と、そのときだった。
 屋上のドアが開く音。それから、誰かの足音が聞こえる。屋上の出入り口は倉庫の裏側からは死角になるため、誰が来たのかまでは見えない。
 その人物は、倉庫の裏側には気付かなかったらしく、少し探すような間の後に声を上げた。
「トウヤー、いるかぁー!?」
「おー、ここだ、ここ」
 トウヤの返事を聞いて倉庫の裏側へ来たのは、トウヤと同じクラスの生徒だった。
「あ、いたいた。探したぜ、トウヤ。先輩が小道具の剣知らないかって」
「あーそれ、俺がもうちょっと綺麗に作り直そうと思って、持って帰った。ちゃんと出来てるぜ。俺のロッカーの中に……って、俺が行った方がいいか?」
「そうだな、もう通し稽古も始まるし……」
 トウヤのクラスは二年C組と合同で、劇をすることになっている。学年違いのクラスな中々時間が合わず、皆揃っての稽古時間は貴重らしい。話を聞いたトウヤは、一瞬、すぐにでも飛んで行きそうな様子を見せた。が。そこでトウヤはうっと止まって、なぜか、アキラを振り返った。
 いったい、どうしたのだろう? アキラは不思議に思った。
「行けよ、トウヤ」ふとユキヒトが声を掛けた。「大丈夫だから」
「……あぁ、任せる」
 なぜかトウヤの方も、ユキヒトの言葉が通じたように頷く。そして、「じゃぁ、行くわ」と風のような身軽さでクラスメイトと共に屋上のドアに消えた。


 アキラはユキヒトの隣に腰を下ろした。
「ユキヒト、トウヤは心配ごとでもあるのか?」
 尋ねてみると、ユキヒトはため息をついた。
「それはこっちの台詞。アキラ、お前こそ最近何か悩んでるんじゃないか?」
「えっ……?」
「最近、お前様子が変だ。トウヤは心配してる。あいつは図々しそうでいて変に繊細なとこもあるから、お前に直接聞けなかったんだ。……俺だって気にしてる」
「……俺はそんなに変か?」
「変だね。話せないならそれでもいいけど、何でもないって言うのは無しな。お前は鈍感なトウヤが気付くくらい、普通じゃない」
「――……」
 別に、と答えようとして、アキラは口ごもった。
 何も悩みはない、とこれまでの自分なら答えただろう。それは、たとえ友人がそれなりにいた中学時代であっても同じだ。もちろん、家族にだって悩みは言わない。
 面倒を掛けたくはないから。しかし、その理由の背後には、悩みを告げて面倒を掛ければ、相手に疎まれるのではないかと怯える自分がいることに、アキラは気付いていた。特に母親はシングルマザーとして忙し働いていていたから、いっそう面倒を掛けてはいけないと思っていた。
 それで、なのかもしれない。いつも、親しくなっても、必ず少しは相手とのと距離を置いてしまう。
 同じ他人とあまり親しまないシキは、きっとこんな風ではないだろう。
 もしかしたら、ほんの少しだけでも、自分とシキは似ているのかもしれない。そう思ってから、アキラはシキに悩みを尋ねて拒絶されたときのことを思い出した。そのときの、寂しさを。何でもないとユキヒトに言うことは簡単だったが、心配してくれているユキヒトやトウヤの気持ちも、今はよく分かった。
 ――話してみても、いいのかもしれない。
 ふとそういう気分になった。
「……全部は、言えないかもしれない」
「あぁ。お前が言えるとこまで、聞いてやる」
「――ユキヒトは、今より前の方が良かった、って思うことはないか? 誰かと親しくなって、でも喧嘩をしてしまって。親しくなったことは今でも嬉しいけど、喧嘩したことや他の小さなことで悩んでる自分が嫌で……こんなことなら、その相手と親しくならないままでいられたら良かったのにって」
 言いながら、アキラは恥ずかしくなった。自分ではひどく悩んでいる事柄だったのだが、こうして口にしてしまえば、ただの我が侭に思えてくる。
 そもそも、シキのことを知りたいと願ったのは自分の方で、運良く普通なら親しくなることもなかっただろうシキと日常的に会うようになって。それなのに、シキと知り合う前の、死んだように生きていた頃に戻りたいと思っている――これが贅沢ではなくて、何なのだろう。
 きっとユキヒトもそう言うだろう、とアキラは身構えた。けれど、ユキヒトは平然とした顔で答えた。
「そんなの普通だろ」
「えっ?」
「あぁ……一般的には、普通じゃないのかもしれないけど。でも、お前みたいな――そう、他人と馴染みにくい奴なら、まぁ普通のことなんじゃないか。……俺も、そうだから分かる」
「ユキヒトも、そんな風に思ったことがあるのか?」
「まぁな。俺はトウヤと親しくなるまでは、そこまで親しい奴はいなかった。別にそれでも苦痛じゃなかったんだ。だけど、トウヤは皆が敬遠してた俺に、ずかずか近付いてきた。気がついたら、仲良くなってた」
 いかにもトウヤらしい。そう思ってアキラは笑みを漏らした。ユキヒトはそのときは迷惑だったのだというように顔をしかめていたが、これはユキヒトなりの照れ隠しだということは明らかだった。
「笑うなよ、アキラ。今でこそトウヤとは普通に笑い合えるけど、初めの頃はそうじゃなかった。他愛ない話をして笑い合って、別れた後でふと思うんだ――俺は何で普通にあいつと笑ったんだろう。そんなことして良かったんだろうか。――自分がトウヤに心を開いていくのが分かって、それが怖かった。これまでそんな風に親しくなった奴はいなかったから」
「ユキヒト……」
「――でもな、アキラ。そういう不安はいつかなくなる。そのうち、そいつと当たり前のように笑えるときが来て、躊躇いなんかなくなる。だから、諦めるなよ。心を閉ざすなよ。悩んでも、不安でも、それでもまだお前は『そいつ』と関わっていたいんだろう?」
「分かった」アキラは心から頷いた。
 普段クールなユキヒトが、自分の本心や弱音を明かすのは滅多なことではない。打ち明けた内容はユキヒトにとっては既に乗り越えたことなのだろう、とアキラは思った。そうであったとしても、それを敢えてここまで打ち明けてみせたのは、アキラのためを思ってに違いない。
 ユキヒトの気持ちが、とても有り難かった。
「……ありがとう」
 アキラが改まって言うと、ユキヒトは「あぁ」と何でもないことのように笑ってみせた。同い年のはずなのに、その笑顔は大人びて見えた。


***


 準備期間は飛ぶように過ぎていき、あっという間に学園祭の日が訪れた。
 学園祭は、三日間開催される。既に地域の一大イベントともなっているこの学園祭には、保護者だけでなく地域住民も訪れ、学園は大変な賑わいだった。学生たちも、それぞれの出し物に参加しながら、交代で他のクラスの出し物や出店を見て回って楽しんでいる。『青春への恨み』の代弁者であるユキヒトでさえ学園祭を楽しんでおり、お祭り男のトウヤは言うまでもなかった。
 トウヤたちの劇は一日一回の上演なので、空き時間が多い。そこで、トウヤは空き時間でサッカー部の方でも出し物をしていた。
 客にシュートをさせ、十回中五回キーパーからゴールを奪えれば、賞品が出るというゲームだ。キーパーはサッカー部員が交代で行い、子どもの客の場合はキーパーがケンケンでコールを守るというハンデも付ける。
 人好きのするトウヤなど、呼び込みにはこれ以上にない適役で、サッカー部の出し物は人気が出ていつも人が絶えなかった。
 人気といえば、アキラのクラスの『猫耳執事メイド喫茶』も(アキラがどうなのだろうと思った内容にも関わらず)盛況だった。
 当番の生徒たちは、被服係が用意した執事やメイドの衣装を着て、猫耳のカチューシャと造りものの尻尾をつけて給仕をし、このコスチュームも好評だった。もっとも、ウケたのは予想外の層にだ。来店したお年寄りたちが、孫のお遊戯会の衣装のようで可愛らしいと喜んでくれたのだった。
 クラスの一員としてさすがに当日までもサボるわけにもいかず、アキラも真面目に働いた。


 シキは、やはり当日もクラスの出し物にはカオを見せる様子はない。
 生徒会役員たちは当日も学園祭実行の裏方として、少なからず仕事があるようだった。それでも楽しみたいのは皆同じということで、生徒会役員たちも交代で『見回り』ついでに校内の出し物を見て回って楽しんでいた。
 しかし、生徒会長としての責任感があるのだろうか、シキは生徒会役員たちに『見回り』を任せて自分は仕事をしている。そのことを、アキラはある生徒会役員が『執事メイド喫茶』に来て哲雄や蓉司と話しているのを聞いて知った。
(――もしかして、シキは俺と顔を合わせたくないから、クラスの出し物を見にも来ないんだろうか……)
 哲雄たちの話に聞き耳を立てながら、アキラは不安を覚えた。そのときだった。
「おい、そこの一年――アキラだったか」
「……?」
 呼ばれて顔を上げれば、哲雄が手招きしている。いったい何だろう、とアキラは内心首を傾げながら近付いて行った。
「使って悪いが、差し入れを持って行ってくれないか。ちょうど、女子が家庭科室で作ってるマフィンとクッキーが焼き上がって来たんだ。これを生徒会室へ持って行ってくれ」
「あ……はい……」
 生徒会室ということは、シキと顔を合わせることになる。突然降って湧いた機会に、アキラは呆然とした。ユキヒトに話を聞いてもらってから、いずれシキときちんと話をしてみようと考えていた。けれども、いざシキと顔を合わせるとなると、妙に緊張して足が竦むような気がする。
 そんなアキラの様子に気付いたのか、気付いていないのか。哲雄は、まるでアキラに言い聞かせるように言葉を発した。
「シキは何でもそつなく出来るように見えて、あれで不器用なところがある。集中しだすと休み時を忘れる。……行って、少し休めと俺が言っていたと伝えてくれ」
 そう言われると、一年生の身としては頷くしかない。アキラは急遽給仕を抜け、焼き上がった菓子を持って恐々と生徒会室へ向かった。







(2009/11/28)
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