サードステップ1






 学園祭が終わった次の日から、『学園』は夏休みに入る。休みの解放的な気分もあって、生徒たちの中には学園祭の打ち上げを開く者もある。打ち上げといっても騒ぐ口実が欲しいだけなので、クラス全体で打ち上げをした翌日にはまた仲間だけでの打ち上げをするといった具合で、生徒たちの間では打ち上げの誘いが飛び交っていた。
 アキラにも、幾つか誘いは来た。けれども参加したのは学園祭翌日に学校の教室で行われた、三年D組と合同の正規の打ち上げだけだった。学校外で行われるというクラスだけの打ち上げは、結局断った。クラスにあまり親しい相手がいないということもある。けれど、それ以上にアキラはお祭り騒ぎが苦手だ。ある程度までは付き合うが、積極的に参加したいわけではない。
 それで断って家にいたら、ユキヒトから誘いの電話がかかってきた。サッカー部が打ち上げをするので、参加しないかというのだ。
「参加って……俺はサッカー部じゃないぞ」
『俺だって名前を貸してるだけだ。ほとんど練習に行かない。要は騒ぐ口実なのさ。お前もサッカー部の連中とは、割と上手くやってるだろ? トウヤたちも来て欲しいって。きっと楽しめるから、来いよ』
 トウヤたちもいいと言ってくれているなら、とアキラはサッカー部の打ち上げに参加することにした。
 打ち上げは夕方頃から、学園から少し離れた街の繁華街で行われた。場所はトウヤが――彼はアルバイトを許可する校則の条件を満たしていないので――こっそりとバイトしているファミレスだった。
「それじゃ、学祭お疲れ様ってことで、かんぱ〜い」
 と、トウヤが音頭を取って乾杯する。もちろん高校生が酒を飲むのはまずいので、皆のグラスの中身はジュースやお茶だ。勢いよく飲み干したトウヤのグラスの中はコーラで、乾杯直後に激しくむせていた。
 料理が運ばれて来る間にも、皆で学校や学園祭の話題で盛り上がる。それぞれのクラスの出し物が話題に上った。高等部では出し物のコンテストも行っていて、一位になったのはアキラたちの『猫耳執事メイド喫茶』、二位がサッカー部の『シュートゲーム』だった。そのため、話題は自然と『アキラのクラスの出し物に集中することになった。
「猫耳執事メイド喫茶なんてマニアックなもの、よく許可が下りたよな」
「ホントにな。どうなるんだろと思ったけど、結構良かったな。メイド姿の女子が猫耳と尻尾つけてるの見た瞬間、考えた奴よくやった! と思ったよ」
「一年の女子ですっげぇ似合ってる子いたじゃん? ほら、あのマナって子!」
「俺はやっぱり三年のカガリさんだな。普段クールで近寄り難い感じのあの人が、猫耳メイド姿なんて貴重だ」
 サッカー部のメンバーはいかにも年頃の男子らしく、ひとしきり女子のコスプレ姿を批評する。と、そこで誰かが男子のコスプレについて思い出し、アキラに話を向けた。「――そういえば、アキラもちゃんと働いてたのか?」
「俺は、」
 サボった、とアキラは嘘をつこうとした。そうしなければ、コスプレについて色々聞かれそうだった。が。
「ちゃんと働いてたぜ」トウヤが答える。
「そうそう。猫耳つけて、執事姿で働いてた」ユキヒトが余計なことまで付け加える。
 最悪のタイミングというべきか、トウヤとユキヒトはアキラが給仕している時間に店に来たのだ。全て見られた。更には携帯で写真まで撮られた。
 トウヤは携帯を取り出し、皆にアキラの写真を見せ始める。アキラは慌てて止めようとした。すると、ユキヒトがアキラを制止する。
「止めるなよ、ユキヒト。あんな写真を皆に見せられるか!」
「まぁ、いいじゃないか、死ぬわけじゃなし。それよりさ、こんな写真あるんだけど?」
 と、ユキヒトは自分の携帯の画面をアキラに見せた。そこには、執事の格好で給仕するシキの姿が写っている。不本意ながらコスプレさせられたシキだが、やるとなったら徹底する主義らしく、給仕する間のシキは本物の執事のように恭しかった。そのため、ユキヒトの写メに撮られたのも、シキが誰かに向けて微笑する一瞬だった。
 誰がシキのこの笑みを見たのだろう。アキラは何だかその相手が羨ましい気がした。女々しい感情だと思ったが、羨ましさは止められなかった。
「コレ、お前の携帯に送るから」ユキヒトは唐突に言った。
「えっ?」
 内心アキラは慌てる。
 まさか、ユキヒトは自分とシキの間にあったことや、自分がシキに抱く感情に気付いているのだろうか。気付いているなら、どう思っているだろう。変だと思っていないだろうか?
 アキラはまじまじとユキヒトを見た。けれど、ユキヒトはあくまでこれまでと同じ様子で、アキラを嫌悪しているようには見えない。やはり、自分とシキのことに気付いたというのは、考えすぎなのかもしれなかった。
「貴重だろ、生徒会長の笑顔なんて。実はコレ、お前と話してたときの表情なんだ。お前は余所見してて見逃したみたいだけど――珍しいから記念にやるよ」
 そうしてユキヒトは携帯を操作した。そのほんの数秒後、アキラは自分のジーンズのポケットで、マナーモードになっている携帯が振動するのを感じてわけもなくぎくりとした。
 そのときだった。トウヤが言った何かの話題で、皆がわっと盛り上がった。それをきっかけにアキラとユキヒトも皆に話を振られ、話題に引き込まれていく。結局、アキラはその場ではユキヒトから送られた写メを確認することができなかった。


***


 一通りの食事を終えて、トウヤのバイト先のファミレスを出たのは、午後九時半頃だった。気分の盛り上がったサッカー部のメンバーは、このまま別れて真っ直ぐ帰る気にはなれなかったのだろう。誰からともなく、もう少しぶらぶらしようという話が出た。
 そこで、サッカー部のメンバーやアキラ、ユキヒトは、日の暮れてネオンの灯った繁華街を歩いて行った。皆でひと塊になって歩いていたのだが、大人数なので自然と二人か三人くらいの列になる。アキラは列の最後の方を、ユキヒトと並んで歩いた。
 しばらく歩いていると、列の前方からトウヤが下がってきてアキラとユキヒトに並ぶ。
「なぁ、さっきの俺のバイト先、結構美味かっただろ?」トウヤは言った。
「あぁ、そうだな」アキラも頷く。
「だろ。安いしメニューも充実してるし。気に入ったなら、また来てくれな」
 と、トウヤはまるで自分が店長であるかのように、バイト先を売り込む。その熱心な口調にユキヒトが「お前はセールスマンか」と冷静なツッコミを入れた。
 そんな二人のやり取りに、アキラは少し笑った。
「……よかった」と、不意にトウヤが言った。「アキラ、元気になったみたいだな」
「え? トウヤ、どういう……」
「アキラ。期末テストの後からずっとお前が元気がないのを、トウヤは心配してたんだ」ユキヒトが説明した。「何かあったか聞き出した方がいいんじゃないかって言い出したのも、トウヤだったんだ。結局、トウヤは聞けなくて、代わりに俺が聞いたけど」
「そう、なのか……」アキラは目を丸くした。
 そういえば、学園祭の数日前に屋上で会ったとき、トウヤは何か言いたそうな表情をしていた。また、アキラに何か言おうとしていた――。改めて心配をかけた上に気を遣わせたことを悟り、アキラは申し訳ない気分になる。
「すまなかった、心配させて。もう大丈夫だと思う……多分」
「多分かよー……ま、大丈夫になったんなら良かったよ」とトウヤは明るい笑みを浮かべた。


***


 誰かが、通りに並ぶクラブや居酒屋に入ってみないかと言い出した。学園祭の後、また夏休みに入ったばかりということで解放的な気分の仲間たちが、そうしようと賛成する。そこで、トウヤが目の前にあった一つの看板を指さした。
「こことか、いいんじゃね?」
 看板には『Meal Of Duty』と書かれている。それを見たユキヒトが、さっと顔を強ばらせた。「ここはやめた方が」と言うが、先頭にいたトウヤは既に店のドアを開けて、店内に入ってしまっている。
「ユキヒト、ここ、変な店なのか?」アキラは不安になって尋ねた。
「いや、そうじゃない。そうじゃないが、問題なのは……、」
 言いかけたユキヒトは、店の入り口が目の前にあるのに気づいて、はっと口を噤む。とうとう、アキラとユキヒトもサッカー部のメンバーの後について、店内に入った。
 店内は明るさを抑えた照明に照らされ、落ち着いた雰囲気だった。会話を邪魔しない程度の音量で、ジャズらしき音楽が流れている。こういった大人向けのバーに入るのは初めてで、アキラはもの珍しく店内を見回した。
 そのときだった。案内のためにウェイターが一人、ホールから歩いてくる。そのウェイターの姿に、アキラは思わず目を丸くした。黒のスラックスとベストを身につけ、白いシャツの襟元にタイをしたそのウェイターは――シキだった。
「いらっしゃいませ」
 シキは、目に威圧を込めて、サッカー部のメンバーに客用の微笑をしてみせる。ここで彼の身分を明かしたらただではおかない、とシキの目が言っていた。
 アキラは、今の今までシキの姿を凝視していたことに気づき、はっと目を逸らした。なっ……と呟いたきり、トウヤは固まっている。皆がトウヤと同じような反応をする中、ユキヒトだけが冷静だった。
「だから止めた方がいいって言ったのに」
 ユキヒトは、小声でため息混じりに呟いた。


 あくまでウェイターとしての態度で、シキはアキラたちを席へと案内した。それから、トレイに水とおじぼりを載せて戻って来ると、丁寧な手つきで皆に配る。アキラもユキヒトもトウヤたちも、皆、やや強張った表情でぎくしゃくとおしぼりと水のグラスに礼を言った。
 水とおしぼりが行渡ると、シキはメモを取り出した。
「ご注文はお決まりでしょうか」と言ってから低く小声で付け加える。「アルコールの注文は却下する」
「……お、俺、コーラで!」
 トウヤが言うと、途端、皆も我に返ったようにジュースやウーロン茶を注文しだす。皆が注文を言い終え、静かになるとシキはアキラへと目を向けた。アキラはまだ注文を言っていない。適当なものを注文しようにも、こうして家でも学校でもない場所でシキと遭遇したこと――普段真面目な優等生の貌しか見せない彼が、明らかに校則違反のバーでのバイトをしている場面を見てしまったことから、まだ動揺が収まっていなかった。そこへ、当のシキが自分を見たものだから、一瞬頭が真っ白になる。
「えっと……水…………」
 何も思い浮かばないまま思わずそう口走ったら、仲間たちはぽかんとした表情になった。ユキヒトなどは隣で微かに肩を震わせている。けれどもシキは真面目な様子で水とメモして、厨房へ戻って行った。
 シキが立ち去ると、「驚いたな」とトウヤが小声で呟く。それをきっかけに、皆がひそひそとシキについて話し始めた。
「ユキヒト、ここが生徒会長のバイト先だって知ってたのか」とトウヤが言う。
「もちろん。情報屋を舐めてもらっちゃ困る。だから止めようって言ったのに、お前ら聞かないから」とユキヒトが応じる。
「っていうか、酒を出す、しかも深夜営業の店でバイトって校則違反じゃん。生徒会長が違反していいのかよー」誰かが言うと、
「オレらだってここにいる時点で違反だろ。それに、お前だって成績が基準じゃないのにバイトしるじゃねーか。他人のこと言えないぞ」と別の誰かが答える。
「生徒会長のバイトのことなんて、学校にチクりたくもねーな。後で生徒会長にシメられたら嫌だし、チクったって俺が得するわけじゃないしさ」
 それもそうだ、と皆が納得したところで、話題はまた他愛もない内容へ流れていく。アキラはそれを、ほっとしながら聞いていた。
 シキは、曲がったことが嫌いなタイプだ。そのシキが自分の家庭教師のみならず、校則違反をしてまでこの店でバイトしているのには、何か余程の目的があるのかもしれない。バイトのことが学校に知れてしまえば、その目的もかなわなくなってしまうだろう――それは、可哀想だと思うのだ。
 やがて、シキともう一人のウェイターが、注文した飲み物をトレイに載せてやって来た。皆の前に飲み物が置かれ、もう一人のウェイターは先に去って行く。残ったシキが、唐突にテーブルの上に誰も注文していないフルーツを盛り合わせた皿を置いた。
「マスターからだ。学園祭が楽しかったから、その礼だそうだ。未成年に酒は出せないが、楽しんでいってくれと言っていた」
 その言葉に、トウヤたちがぱっと笑顔になる。多分、フルーツの盛り合わせそのものというより、学園祭を褒められたことで生徒として一層嬉しかったのだろう、とアキラは思った。ぎこちない雰囲気が一変して「やった!」「ラッキー」などと皆が嬉しそうな声を上げるのを、シキが苦笑混じりに微かに笑いながら見ていた。






(2009/12/19)
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