サードステップ4





 アキラの言葉に束の間呆然としていたシキは、しかし数秒の後、ふと押し殺したような息を吐いてベッドに腰を下ろす。その重みを受けたベッドが軋む音に、アキラはわけもなく鼓動が速まるのを感じた。
 自分がひどく緊張しているのが分かる。そのときシキが手を伸ばし、頬に触れてきた。それだけでも、ぞくりと妙な感覚が背筋を駆け上がる。
「……お前は自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「分かってるさ」
「いや、お前は分かってない」
「分かるさ! 俺はあんたより年下だけど、子どもじゃないんだぞ! こんなこと何度も言わせるな。俺よりも……あんたはいいのか駄目なのかどっちなんだよ!?」
 恥ずかしさの余り、ほとんど自棄になって叫ぶ。すると、シキは虚を衝かれた顔をしてから、アキラの頬に触れていた手を素早く後頭部に移動させて引き寄せ、噛みつくように口づけてきた。息をつく暇もなく、ぬるりとシキの舌が口内に入り込んでくる。
 先ほどの問いにシキは答えなかった。けれど、こうしていることが何よりの答えなのだ、とアキラは感覚的に理解した。――ならば、こちらもシキに応えなければならない。そう思って縮こまっていた舌を自分から伸ばして、シキの舌に触れさせる。そろりと舌先でシキの舌を撫でれば、それに応じるようにシキが本格的に舌を絡ませて来る。
 口づけを続けながらアキラは必死でシキの舌の動きを追っていたが、そのうち身体に力が入らなくなる。と、シキが顔を離して傾いだアキラの身体を受け止め、シーツの上に横たえた。
「少し待っていろ」
 シキは立ち上がって自分の鞄を探ると、戻ってきてシーツの上に何かを投げ出した。アキラは頭だけ動かして、その『何か』を見る。それは何かの薬の容器のようだった。
「……何なんだ、これ……?」
「ワセリンだ」
「? 何でそんなものを鞄の中に持ってるんだ?」
「ハンドクリーム代わりだ。手荒れ予防だ。バイトを始めた頃、よく皿洗いをしていたら手があかぎれだらけになった。度々出血してノートやプリントが汚れるのでな、予防することにした」
「あんた……見かけによらず苦労してるんだな。そういうとこ見せないから、何でも楽にできる奴だと思ってしまうけど……」
 アキラは手を伸ばして再び傍に座ったシキの右手を取った。勉強を教わるとき側から見ていつも綺麗だと思っていたその手は骨ばっていて、触れてみると確かに少しかさついている。それに比べれば、自分の手は苦労を知らない子どもの手のようだ。
 不意に、アキラはシキの手をひどく大切なものに思った。それは想像の中でシキに欲情していたときとは全く別の、尊敬と言ってもいいような感情だった。アキラはほとんど衝動的に、掴んでいたシキの右手を引っ張って自分の唇に押し当てていた。
 指先に、手の甲に、掌に、順に口づけていく。そのまま舌を出して舐めようとしたところで、アキラはふと我に返ってシキを見上げた。シキの顔に驚きが浮かんでいるのに気づき、慌てて手を離す。
「その、……ごめん。気持ち悪かったか……? 俺、変なことをしたか……?」
「いや、そうではない。触れたいと思うところに触れればいいが……」シキは戸惑っている様子だ。「手は、予想もしていなかった」
「……あんたのその手は、あんたが自分で言わない苦労を表してる。俺にとっては大事なものだ……だから、触れたいと思う。……おかしいか?」
「いいや」
 シキは驚きから微かな笑みに表情を変え、覆い被さってくる。その様子を、アキラは酔ったように妙にふわふわした気分で眺めた。今の酔いは、酒ではなくシキの一挙一動により引き起こされているかのようだった。
 覆い被さったシキが、アキラの浴衣の帯を解きながら首筋に顔を埋める。濡れた舌や指が皮膚の上を滑る感覚はただくすぐったくて、アキラは身動きしたくなるのを必死で堪えた。そうするうちにも愛撫は首筋から降りていき、胸へとたどり着く。
 大きく浴衣の前を肌蹴て、シキの舌が胸の突起に触れたとき、思わずアキラは腰を跳ねさせた。感じたというより驚きと羞恥を覚えたのだ。女でもないのに、そんなところも触るのか――と。
「シキっ……そこは……! 女じゃないんだから……そんなトコ触っても、面白くも何ともないだろっ」
「いや、面白いが」シキはちょっと顔を上げて言った。「お前は、俺の手が大事で触れたいのだと言ったな? 俺は、この身体全てに対してそう思う」
「っ……」
 こちらが困るのを知っていて、わざと言っているのだろうか、シキは。睦言のようなシキの言葉に、アキラは反論の言葉を失ってしまう。
 それをいいことに、シキは再びアキラの胸元に顔を埋めた。片方の突起を舌先で愛撫しながら、もう片方の突起を指先で軽く捏ねられる。最初はただ触れられているという感覚しかなかったのが、次第に妙な甘さのようなものを感じ始める。
 戸惑いながら、アキラは勝手に荒くなっていく呼吸に胸を弾ませた。そのとき、シキが不意に胸の突起を甘噛みした。
「んっ……!」
 突然感じた微かな快楽に、思わず上擦った声が漏れる。その自分の声に驚き、アキラは慌てて唇を噛みしめた。が。
「恥ずかしがらなくていい。声を聞かせろ」
 顔を上げたシキはそう言って、口づけを仕掛けてくる。そうしながら、胸に触れていた手を下へ下へと滑らせ、アキラの下肢を覆う下着に手を掛けた。
 アキラは怯んだが、シキに唇を塞がれているので何も言うことができない。そうするうちにも、シキの手はアキラの下着を引き下ろし、緩く反応しかけている性器を握り込む。棹を擦られ、巧みに裏筋や先端を刺激されて、アキラは呆気なくシキの手の中に精を吐き出した。


「……ずるいぞ……俺だけなんて……!」
 絶頂の余韻が少し収まり、アキラは息を整えながらシキに抗議した。が、上体を起こしたシキはアキラの言葉にも悪びれた様子を見せない。
「今度は、あんたの番だからな!」
 妙なところで生来の負けず嫌いに火が点いて、アキラは起き上がりシキの股間に手を伸ばそうとする。が、その手はシキにやんわり押し退けられた。
「そう急くな。俺はお前と身体を繋げたい。……言っている意味は分かるか?」
「分かってると思う……多分」
「男同士でどこに挿入するかも、か?」
「えぇと……その、一応は。尻の穴を使うんだろ? そういう話、ネットか何かで見たと思う」
「尻の穴か……色気も恥じらいも何もない言い方だな」シキはため息をついた。
「じゃ、肛門とかアナルとか? 実際問題そこに挿れるんだろ? 言い方にこだわってたって仕方ないじゃないか」
「まぁ、それはそうだ。……とにかく、お前はそこで俺を受け入れる覚悟まであるのか、まずそれを確認したいわけだが」
「お、俺が挿れられるのか!?」
 今更ながらにアキラは怯んだ。確かに、シキと『こう』したいと望みはしたし、自分が受動的立場になることも何となく理解していた。けれど、するべき行為が具体的に見えて来ると、改めて怯まずにはいられない。
 後孔にシキのものを受け入れる――そのときにかなりの苦痛を伴うだろう、ということは簡単に想像できるからだ。
「経験値の点から言って逆は不安要素が大きいからな」
「確かに俺は童貞だよ、悪かったな! ……だけど、あんたはシたことあるのか……? いつ頃? 俺の年齢にはもうシてた?」
「男は初めてだ。女は――」
「やっぱりいい!」アキラはとっさにシキを遮った。
「何だ、お前が聞いたんだろう」
「やっぱり聞きたくない! ――だって、聞いたらずっと気になるに決まってる……あんたが昔誰を好きになって、どんな風に付き合ってたのかとか……だから、聞きたくないんだ」アキラは俯きながらそう言った。
 これまでも、シキのことが知りたいという欲求に振り回されてきた。この上、過去のシキの異性関係について少しでも知ってしまったら……際限無くそのことについて追求してしまうかもしれない。そんな女々しい自分になるのは、嫌だった。
 と、いきなりシキに抱きすくめられる。
「無理やり触れようとしたり、その後もお前には、俺は無様な姿をさらしてばかりだ。……だが、どんなに無様でも欲しいと思ったのは、今まででお前だけだ」
 耳元で囁かれたその言葉に、浮ついていた気持ちがすっと落ち着いていく。穏やかな、けれど温かな気持ちで満たされながら笑う。「そっか……なら、いい、かな……」独り言のように呟いてから、アキラは残りの言葉をシキの耳元で囁き返す。

「……覚悟、できたから。受け入れるから、俺にあんたをくれ」


 浴衣も下着も完全に取り払ってしまい、二人は素裸になっていた。先ほど愛撫をしながら興奮していたのか、シキの股間は明らかに兆している。けれど、シキはそれには構わず、念入りに受け入れるアキラの準備をした。
 アキラに四つん這いになるように言い、シキはアキラの後孔に触れた。触れる指先に妙にベタベタした感触があったのは、先ほどシキが用意したワセリンだろう。指先はしきりに後孔の表面を揉んでいたが、やがて指が一本ワセリンの滑りを借りて体内に侵入してくる。苦痛はほとんどなかったが、妙な異物感を感じた。
 シキは体内の指先をしばらく蠢かせていたが、やがてそこが解れてくるともう一本指を挿入した。さすがに指二本となると圧迫感や痛みが強く、アキラは不快感に喘ぐしかない。けれども。
「大丈夫か、アキラ?」シキが尋ねるのへ、
「あ……あぁ、平気だ」
 アキラは肩越しに振り返って笑ってみせた。
 怯む気持ちがないわけではない。しかし、むしろ、今シキを受け入れてしまわなければならない、この先には勇気が出ないかもしれない、と妙に急いた気分がある。だから、再びシーツに顔を押しつけて苦痛の声を噛み殺す。
 やがて、体内のある一点にシキの指先が触れたときだった。びりりと強い快楽が背筋を駆け抜けて、アキラは思わず声を漏らした。
「……っ、あぁ……っ……!」
「どうした、アキラ?」
 尋ねる間にも、シキの指は先ほどの箇所を刺激している。その度にびりびりと快楽が電流のように駆け抜け、口を開けば喘ぎ声が出てきそうで、アキラはただシーツにしがみついて耐えるしかない。
「どうした? ここがイイのか?」
「……ぅ……くっ……! そこ、……やめっ……」
「だが、勃っている」
 言われて初めて、アキラは自分の性器が再び勃ち上がっていることに気づかされる。
 戸惑うアキラを余所に、後孔にシキはもう一本指増やした。再び圧迫感と痛みが強くなるが、シキの指が体内の感じる部分を押すものだから、痛みと快楽が入り混じって次第にわけが分からなくなっていく。気がつけば、いつの間にかアキラの張りつめた性器の先端からは、とろとろと先走りが溢れだしていた。
 やがて、シキは「もうよさそうだな」と呟き、アキラの体内から指を引き抜いた。あれほど異物感を不快に感じたのに、アキラは指が抜き取られると妙に物足りなさを感じた。その直後、後孔の表面にぴたりと熱く弾力性のあるものが触れた。
 シキの性器だ。そう気づいたアキラは、慌てて振り返る。
「シキ……待って、くれ……前、から……が、いい」
「だが、それではお前の負担が大きくなる」
「いい……少し、くらい……痛みが、増えたって、いい……あんたの顔……見たい、から」
 アキラは自分から身体を反転させ、仰向けになった。そうして躊躇いがちに少し足を開く。それで、シキもアキラの決意を理解したのか、アキラの足を更に大きく押し開いて再び後孔に張りつめた彼自身をあてがった。
「息を吐いて、力を抜いていろ」
「ん……」
 頷くと、一息置いてシキのものが狭い器官をこじ開けて、じわじわと体内に侵入してくる。指とは比べものにならない質量。アキラはそれがもたらす圧迫感と痛みに、必死で堪える。
 狭い箇所を押し進むシキもまた、少し苦しそうに顔を歪めている。アキラは涙でにじんだ視界にそれを見たが、どうすることもできなかった。悲鳴を上げないだけ上出来と思えるほどで、身体の力を抜く余裕などない。
 それでも、何とか最後まで腰を進め、やっと全てを収めたところでシキは息を吐いた。はっはっはっと、しばらく室内に二人の荒い息だけが響く。
「……アキラ、苦しいだろう?」
 やがて、シキが尋ねた。アキラは声を出すこともできず、ただ首を縦に振る。
「――やめるか?」
 重ねて尋ねられ、今度は首を横に振った。
 苦しいし、痛みで身体の力を抜くことさえできない。けれど、後戻りはしたくない、とアキラは思う。
 何度もシキとこうする場面を想像して、自慰をした。実際は想像と違ってひどい痛みがあるばかりだ。それでも、これは現実であって、虚しい妄想ではない。ここに――今までのどんなときより近くにシキがいる。そのことに、途方もない興奮も感じている。
「……俺が……望んだ、から」錆び付いたような咽喉で、やっとそれだけ告げた。
「分かった」
 頷いたシキは、アキラの雄へと手を伸ばした。痛みに萎えてしまったそこを、優しい、けれど煽るような手つきで刺激する。すると、初めは何も感じなかったが、刺激を繰り返すうちにそこがゆっくりと反応を始めた。
「少しは、痛みが紛れたか?」
「ん……シ、キ……あんた、も、動いて……もう……平気、だから……」痛みはまだあったが、アキラはそう言った。
「分かった」
 シキはゆっくりと動き始めた。アキラの体内の感じる部分を擦りながら、性器を抜き差しする。そうするうちに、アキラはシキの腹に擦られる雄だけでなく、体内からも快楽の波が押し寄せていることに気づいた。
 快楽の波は次第に大きくなる。痛みと入り交じり、やがて痛みさえも塗りつぶしていく。その波に押し流されそうになって、アキラは縋りつくようにシキの背に手を回した。
「――シキ、……なんか、変だ……っあぁ……気持ち、よくなって、きて……ぅ、くっ……!」
「それで、いい。イきそう、か? 少しだけ、待て……」一緒にイこう、と耳元で囁かれて、アキラは快楽が増した気がした。
 シキは初めよりやや強く腰を動かしながら、片手でアキラの性器を擦る。「や……もう……だめ、だ……!」アキラが堪えきれずに悲鳴を上げると、シキは一際深く腰を押し進めながら、アキラの性器の先端を指先でぐいと押しつぶした。
「っあ……ああぁ……!」
 アキラは堪えきれず、甘い悲鳴を上げながら達する。と同時に、シキが低く呻いて体内に精を吐き出すのを感じる。その温度を不思議と快く思い、快楽の余韻に浸るうちに、アキラは眠りへと落ちていった。


***


 快楽の余韻から醒めたシキは、ぐったりしているアキラを見て一瞬ひどく慌てた。結合を解き、「アキラ……大丈夫か、アキラ」とアキラの肩を揺さぶった。そして、数秒遅れてアキラがすぅすぅと健やかな寝息を立てていることに気づく。
「眠った、のか……」
 がくりと脱力し、シキはそのままアキラを腕に抱いて眠ろうとした。が、間近にアキラの安らかな寝顔を見ているうちに、ふとあることを思いつく。
 シキはそっとアキラの隣を抜け出し、自分の鞄の元へ歩いていった。鞄の中を探って携帯を引っ張りだし、再びアキラの隣へと戻る。

「お前は強いな……お前の強さは、俺がこれまで知らなかった種類の強さだ。だからこそ、惹かれたのかもしれないが」

 唇を動かすだけの呟きをこぼしてちょっと笑い、シキは携帯の蓋を開いた。カメラ機能を起動して、シャッターを切る。ピピッという電子音と共に、画面の中にアキラの寝顔が映し出された。アキラの寝顔はあどけないが、同時にどことなく艶やかな雰囲気が見て取れる。
 シキは写メを保存して満足すると、アラームを設定してから隣のベッドに携帯を投げ出した。そうして自分はといえば隣のベッドには行かず、眠るアキラを腕に抱いて目を閉じる。

 目覚ましが鳴るまで三時間――その短い時を、シキはひどく幸福な気分で眠った。


***


 目覚めたとき、アキラは真っ先に身体の痛みにうめき声を上げた。まず、頭痛がする。それに身体の節々がみしみしと軋むし、何よりも、腰というかあらぬ場所がずきずき痛む。
 一体なぜだ――と考えて、すぐに理由に思い至った。頭痛はいわゆる二日酔いという奴だろう。そして、身体の方は。
「アキラ? 目が覚めたのか?」
 ひょいとバスルームからシキが顔をのぞかせる。途端に昨夜のことが思い出されて、アキラはぎくりと身を強ばらせた。ざざっと急速に顔に血が集まって来るのが分かる。恥ずかしくて、シキにどう対していいのかと混乱してしまう。
「調子が悪いのか?」
 シキはバスルームから出てきた。彼もさっき目覚めたばかりなのか、まだホテルの浴衣を着ている。しかも、昨夜はきちんと浴衣を着ていたのに今は着付けが大雑把で、浴衣の合わせ目から白い胸元が腹の辺りまで見えている。
 これは目に毒だ。
 思わず俯いたアキラは、自分こそとんでもない格好をしていることに気づいた。自分はといえば、素裸で掛け布団にくるまっているだけだ。あまりの恥ずかしさに、アキラはいっそう深く俯く。
「身体が辛いか」と言いながら、シキはアキラの側に腰を下ろした。「――それとも、俺に抱かれたことを後悔しているのか?」
「っ……してない! するわけないだろ、俺が望んだことだ!」
「やっと目を合わせたな。セックスをしたからと言って、俺はお前を女代わりに思うわけじゃない。俺たちの関係は『これまで通り』だ。お前は、変な遠慮などせず俺に食ってかかればいい――今のようにな」
「遠慮したわけじゃない。恥ずかしいだろ、あんなことした後に顔を合わせるのは」
「可愛いことを言う」
「男が可愛いって言われて喜ぶわけないだろ」
「そうだな」
 シキは笑いながら頷き、宥めるように軽く口づける。それから、てきぱきとした調子で、シャワーを浴びて衣服に着変えるように言った。
「シャワー?」
「そうだ。特にお前は、中を洗わなければならにからな」
「中って……つまり尻の穴か? ……自分でとはいえ、また指挿れるのか?」
「そうだ。精液が体内に残っていると腹を下すらしい。それに、衛生的にもよくないようだ。……一人で怖いなら、手伝ってやるが?」
「う……」
 自分で指を挿れるのは怖い。しかし、シキに手伝われるのは恥ずかしい。――一体どうすればいいのかとアキラは途方に暮れた。


 着替えを済ませてチェックアウトしたのは、目覚めてから二時間後だった。
 アキラは結局一人で後始末をすることが怖くて、シキに手伝ってもらった。そこまではいいのだが、途中で互いに再び身体に火が点いてしまったのは問題だ。昨晩の行為を繰り返す時間はなかったので、手と唇でお互いのものを慰めて熱を鎮めることになった。
 朝から何をやってるんだ、とアキラは自分自身とシキの行為を振り返って呆れる。今後は――もっとも、次があればだが――一人で後始末しようと堅く決心した。
 腰を庇いながら、アキラはシキと並んで朝の街を歩いていく。昨晩湿った衣服はきちんと乾いていたので、シキの家には寄らずにそのまま帰るつもりだった。
 あと少し先の十字路で、シキと別れることになる。シキは送って行こうと言ったが、アキラはそれを断っていた。家まで送ってシキに(嘘の)事情を説明してもらわなくとも、自分で両親を納得させられるだろう。
 十字路は、もう目の前まで近づいている。早朝の上住宅街の外れなので、通りに人の姿はない。
 別れ難いとアキラは思った。また二日ほどで家庭教師としてシキは家に来るのだけれど――何かまだ言うべきことを言い忘れているような気がする。気になるのに、足は勝手に動いているし、口はシキとごく他愛ないお喋りをしている。
 一体何を言い忘れている?
 十字路にたどり着き、別れの言葉を口にしようとした瞬間、アキラはハタと思い至った。そうか。忘れていたのは、ごく簡単な――けれど、ある意味重い言葉だ。
「シキ」
 アキラが呼ぶと、シキはどうした? というような表情をした。
「シキ……その、言い忘れてたけど……俺は、あんたのことがす、」
「言うな」
 突然、シキは短くアキラの言葉を遮った。その態度に驚き、アキラは不安になる。
「何でだよ? あんたは、俺とあんなことになるのは嫌だったか?」
「そうじゃない。そうじゃないが……今は聞けない。『それ』を言うのは、俺が先だと決めている。それに、今『それ』を言葉にすれば、俺は多分他のことが考えられなくなる。それでは困る。――俺には、優先しなければならないことがあるからな」
「優先しなければならないこと……?」
「いずれ、また話す」
 ではな、とシキは踵を返し自宅の方角へ帰っていく。アキラはぼんやりとその背を見送りながら、思わず「バカだなぁ」と呟いた。

「他のことが考えられなくなるって……それじゃ、自分はもう言ってるのと同じじゃないか。なのに、俺には言わせてくれないのかよ」

 頭はいい癖に馬鹿だ。それでも頭も顔もいいのが腹立たしい。「ホント、バカだなぁ」もう一度呟いて溜飲を下げ、アキラは蝉の鳴き始めた道を自宅へ向かって歩き始めた。






2010/01/11

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