サマー・タイム1
八月を目前にしたある日の朝。夏休み中にも関わらず、アキラは学校にいた。サッカ部が近所の商店街のサッカーチームと練習試合をするので、人数合わせに出てくれとトウヤに頼まれたのだ。 学園の高等部のサッカー部はほとんど同好会に毛が生えたようなもので、試合をするには人数も足りない。弱小すぎて他校からは相手にされず、トウヤが方々に頼み込んでやっと練習試合がかなった。頼みに応じてくれたのが、地元商店街の有志で結成されたチームだった。 携帯のメールで誘いを受けたアキラは、気軽に誘いにOKした。サッカー部のスタンスは楽しむこと、それだけで、アキラも部外者ながら時々練習に混じらせてもらったことがあるからだ。練習試合にはアキラと同じく、飛び入り常連のユキヒトも参加するということだった。 アキラが学校に行くと、既にトウヤと二、三人のサッカー部員が来ていた。イベントがあると張り切るタイプのトウヤは、朝も早いというのに普段よりはしゃいだ様子で準備をしている。アキラも部室で持ってきた練習着に着替え、準備に加わった。 時間が経つにつれて、残りの部員たちも現れる。一番最後、ウォーミングアップを始める直前に滑り込んだのがユキヒトだった。髪に寝癖が残ったままで、意識を半分ほど布団の中に置いてきたような顔をしている。 「おはよう」 隣に並んだユキヒトに、アキラは声を掛けた。すると、ユキヒトは挨拶もせず、何か言いたげな様子でアキラを見る。 「……? 俺の顔が、どうかしたか?」 「いや……何でもない。おはよう」 ユキヒトはちょっと肩を竦める仕草の後、話を打ち切るように前を向いた。 これは絶対に何かある。アキラは気になって、どう問い詰めてやろうかと思案した。が、トウヤがウォーミングアップ開始を告げたので、それはできずに終わった。 やがて、練習試合開始の時刻が近づくと、商店街チームのメンバーがグラウンドに現れた。商店街チームは商店街の店舗の従業員などが参加していると聞いていたので、アキラは年齢層四十代くらいかと想像していた。けれど、実際に見たところ、若いメンバーも数人いるようだった。 と、ユキヒトが商店街チームを見て「げっ」と声を上げた。布団の中に残してきた意識の半分が、ようやく本人に追い付いたようだ。 「グンジがいるじゃねぇか……相手悪すぎだろ」 言われて見れば、相手チームの中には学園祭のステージで歌っていたグンジの、金髪で長身の姿があった。しかし、それが何か問題になるだろうか、とアキラは首を傾げた。確かにグンジは相手チームの中では若いので、体力がある方だろうが……。 考えていると、ユキヒトは大きくため息をついた。 「アキラ、お前、分かってないのな。あのグンジは歌が上手いだけじゃないんだぜ。身体能力が笑えるほどケタ違いで、中・高では色んな部活から引っ張りダコさ。ついでに喧嘩っぱやいせいで、リベンジ目的の不良にもモテモテだったらしい……トウヤの奴、何てチームに練習試合を頼んだんだ!」 聞けば、グンジは商店街の酒屋の息子であり、チームによく参加しているのだという。この日のために相手チームが呼んだわけではないらしい。 サッカー部員たちは、トウヤにもの言いたげな目を向けている。 「いいじゃないか! せっかく練習試合できるんだしさ! あははは……」トウヤは強張った笑みで誤魔化そうとした。が、すぐにため息をついてがくっと肩を落とす。「だって仕方ないだろ。他校には断られたんだから」 時間になり、試合が始まった。実際に対戦してみると、商店街チームはグンジ一人の機動力が飛び抜けて高いということがよく分かった。といっても、決してグンジ一人でチームを引っ張っているわけではない。他のメンバーは年齢が高いなりに落ち着いて、グンジにパスを出したり、攻めに動きやすいように協力してやっている。意外に結束力の高いいいチームだった。 しかし、それでも学園のサッカー部員たちは善戦した。前半戦はグンジの果敢な攻勢を防ぎ、一点リードされただけに抑えることに成功した。 前半と後半の間の休憩に入ると、サッカー部員たちは皆ほっとした顔でベンチに戻った。そうして、思い思いに水分補給をしたり、木陰に座り込んだりする。 アキラは木陰に腰を下ろし、ペットボトルのお茶を飲んだ。すぐ傍ではユキヒトが、ほとんど芝生に寝転がった格好でぐったりしている。大方、いつものように徹夜でパソコンでもしていて、寝不足で元気が出ないのだろう。対してやたらに元気なのはトウヤで、部員たちの間を歩き回って励ましたり雑談したりしていた。 ひとしきり皆と話してから、トウヤは自分も休憩するためにアキラたちのいる木陰へと歩いてくる。そして、アキラたちの傍に腰を下ろした。 「暑い暑い」 トウヤはシャツの胸元を摘まんで、ぱたぱたと扇いだ。口では暑いとボヤいて見せても、その表情は生き生きとしている。サッカー部チームの善戦が嬉しいのだろう。しばらくは前半戦についての感想などを楽しげに話していたが、やがてふと思い出したように言った。 「そういえばさぁ、アキラ」 「ん?」 「この間の打ち上げの後大丈夫だったか? いや、生徒会長を疑うわけじゃないんだけど、なんつーか、あの人怖そうじゃん。お前、ちゃんと帰してもらえたのかなって心配して、」 その言葉を聞いた瞬間、アキラは思わず口に含んでいたお茶を盛大に噴き出していた。ちょうどアキラはトウヤに顔を向けていたので、噴き出した水滴がトウヤにかかる。うわぁ、などと奇声を発しながら、トウヤは身を捩って避けようとしたが、もちろん間に合わなかった。 「ばかっ、アキラ、何噴き出してるんだよ!」 トウヤが抗議の声を上げるが、アキラはとっさに何も言えなかった。水分が気管に入って、身を二つに折ってむせている最中だったからだ。 それに、どんな顔をしていればいいのかと途方に暮れてもいた。トウヤの質問に正確に答えるなら、あの日は家に帰りつけなかったわけで。しかも、自分から望んだとはいえ、シキとああいう展開になってしまったのだ。世間一般の感覚を思えば、繁華街から家までの徒歩二十分の距離を帰ろうとして、人生に遭難してしまったようなものだった。そんなこと、いくら仲がよくても言えるはずがない。かといって、さらりと嘘をつけるほど器用でもない。 思い惑っていると、不意に頭の上にぽんと何かが乗った。そうかと思えば、更に背中から肩にかけてずしりと重みが加わる。「っ……!?」びっくりしたアキラが顔を上げようとすると、頭上の重みが口を利いた。 「バカトウヤ。あの生徒会長がちゃんと送って帰らないはずないだろ。それどころか新学期になってみろ、絶対呼び出しとお説教のコンボが来ると俺は思うな。ほら、アキラもそれが分かってるから、怖がって言葉も出ないじゃないか」 「そうか……そうだよな。っていうか、お説教、俺らもかな? 俺らもだよな。っていうか、アキラがああなったのは俺らが原因なわけだし……生徒会長、夏休み中に忘れてくれないかなぁ……」 「どうだろうな。それを祈るしかないよな」 そう締めくくった後に、頭上の重みがふわりと離れていく。アキラが背後を振り返ると、さっきまで自分にのしかかっていたユキヒトと目が合った。 『コレ、貸し一つな』ユキヒトは声に出さず、唇の動きだけで言った。 まさか、ユキヒトには自分とシキのことが分かってしまったのだろうか。そうだとしたら、どの程度の関係だと思われているのだろうか。――アキラは頭を抱えたくなった。が、トウヤが休憩終了を告げたためにできなかった。 結局、練習試合は後半戦で商店街チームがもう一点リードし、学園サッカー部はそれを巻き返せずに終わった。 試合終了後、挨拶を交わして商店街チームのメンバーが去っていく。その間際に、商店街チームの人々の一段から離れ、駆け戻ってきた者があった。相手チームのエースとも言うべきグンジだった。 もともとグンジは学園内でも奇行が多いと知られている。学園サッカー部員たちはぎくりとその場に硬直して、戻ってきた奇人エースを迎えた。そんな皆の反応など意に介さずに、グンジは真っ直ぐにアキラに向かって歩み寄ってくる。 アキラは目の前に立った長身をびっくりして見上げた、が。 「なぁなぁ、ネコちゃん」 やけに馴れ馴れしい態度でグンジが話しかけるので、アキラはかえって冷静になり、自分のペースを取り戻した。 「ネコじゃない。俺は人間だし、アキラって名前がある」 「学園祭でネコやってたじゃん。ま、いいけど。じゃぁ、アキラ。お前ってさぁ、学園祭のライブのときシキティといただろ?」 「……クラスの出し物で、一緒にウェイターやってたから」 「ふーん。でもさぁ、あのシキティが傍に近づける奴なんて、滅多にいないんだよなぁ。そんなだから、シキティ、友達いねぇし」 高等部で恐れられているシキについて暴言を吐くグンジに、皆の恐怖のあまりその場の空気が凍り付く。しかし、グンジは全く気にせず続けた。「俺さぁ、センパイとしてシキティを心配してたから、学園祭ンときに見てほっとしたんだ。これからも、シキティと仲良くしてやってくれよな! あいつ、暗いけど悪い奴じゃねぇからさぁ!」 凍り付いた空気もものともせず、グンジは至極陽気に言ってアキラの肩をばんばん叩いた。その勢いにアキラがよろめいたのにも、気づきもしない。 と、そのとき商店街チームの一人が校門の傍から「帰るぞ」とグンジに呼びかけた。その呼びかけに応えて、グンジは「じゃぁな」とアキラたちに告げて去っていく。 まるで嵐のようだった。 *** 練習が終わると、サッカー部員たちは思い思いに散っていった。ゲームやDVD鑑賞を楽しみに帰路を急ぐ者、午後からの補習に備えて教室に予習しに行く者、仲間同士で雑談をする者。 アキラもすぐには家に帰らず、ユキヒトと共に一休みしていくことにした。七月中はずっと開いている学生食堂でアイスを買い、外へ出て校舎と庭木の影が落ちる中庭のベンチに腰を下ろす。そうして、しばらくは当たり障りのない話などしながら、二人してアイスを食べた。 ここで、話好きにぎやか好きのトウヤがいれば、会話はもっと弾んだだろう。けれども、そのトウヤはバイトだということで、練習後すぐに帰っていった。アキラもユキヒトも口数は少ない性質だった。そのため、二人の会話は途切れがちになったが、双方とも居心地が悪いとは感じなかった。 やがて、途切れがちな会話は、先日の打ち上げの日の一件にたどり着いた。アキラは少し迷ったものの、この機会にとユキヒトがどこまで自分とシキのことを悟っているのか尋ねてみることにした。尋ねる行為そのものが、ユキヒトに自分とシキとの関係を明かすことになるとは分かっていた。 けれど、それでもいいとアキラは思った。 ユキヒトは学園の情報屋という役目を持っており、他人の噂話を小金を稼ぐ種としている。それでも、この数ヶ月の間にユキヒトは信頼のおける相手だと思うようになっている。 「ユキヒト、俺とシキのことだけど、どこまで知っているんだ?」アキラは率直に尋ねた。 「すごく親しいんじゃないかって思ってる。多分、俺の予想は当たってるんだろうけど、正解か不正解か聞く気はない。言わなくていい」ユキヒトは、答えかけたアキラを遮って言った。「俺は、このことを誰かに話したりはしない」 「情報屋としてでも、か?」 「そうだ。情報屋なんてやってるけど、これでも小金稼ぎの種にしていいかどうかの判断はちゃんとしてるつもりだ」 情報屋というのは、学園内での一種のファンタジーのようなものだ。だから、学園の情報屋の流す情報は、学校生活の余興として楽しめるものだけ。その方針を外れて誰かを不幸にするような情報の流し方はしないのだ、とユキヒトは語った。 まさかそこまで考えての情報屋だとは思ってもみなかったアキラは、少し驚いた。が、すぐに微笑して言った。 「ありがとう」 *** その後、アキラは帰ると言ったユキヒトと分かれて高等部内にある図書室に向かった。学園で一番立派な図書館は大学の敷地内にあるが、高等部や中等部からは少し距離がある。そのため、高等部などは皆それぞれ建物に、自習室を兼ねてちょっとした図書室を持っているのだった。 アキラが図書室へ行ったのには、わけがあった。先日、シキが家庭教師としての授業で教えてくれた本を探しに来たのだ。アキラは、やや緊張しながら図書室のドアを開けた。そうしながら、頭の片隅でちらりと「入りにくい雰囲気だったら嫌だな」という考えがよぎる。というのも、これまでアキラはあまり本をよく読む方ではなく、図書室も利用したことがなかったからだ。 それが、急に本を読もうと思ったのは――突き詰めて言うならば――シキを理解したいがためだ。家庭教師としての彼の教えを受けるにつけ、アキラはシキの頭の良さと知識の広さを感じた。少しでも、その差を埋めてシキに認められたいというのは、今のアキラの結構切実な願いだった。 おずおず中に入っていくと、図書室には生徒の姿はなかった。利用者が皆無だからか、貸し出しカウンターももぬけの殻になっている。 いいのだろうか。 そう思いながらも、アキラは進んだ。書架と書架の間を歩いて奥へ、奥へ。しんとした図書室の静けさと書架いっぱいの本の醸し出す独特の雰囲気に、そこら中の本から「手に取ってみろ、読んでみろ」と誘いの手が伸びてきているような不思議な感覚に陥る。 と、そのときだった。奥まった書架の間に人の姿が見えて、アキラははっと現実に引き戻された。見れば、そこにいるのはシキだった。書架の影になっていたので、見えなかったらしい。 シキの姿を見て、アキラは自分が緊張しているのを自覚した。ホテルで過ごした一夜以来、シキと顔を合わせるのはこれが初めてだ。おまけに双方まめにメールをする方でもないから、あれからろくな会話もしていない。 どんな顔をしてシキに向かい合えばいいのか、アキラは途方に暮れてしまう。どうせ明日には家庭教師の授業でシキと会うことになるのだが、このときばかりはシキがこちらに気づかないようにと思わず祈った。 けれども。視線を感じたのか、シキは唐突にこちらを振り向く。紅い目と視線が絡み合って、アキラは緊張のあまり鼓動が早くなるのを感じた。 (2010/06/05) 目次 |