明けない夜に3






 唇を押しつけたまま、アキラははたと困惑した。その場の勢いで動いてしまったが、この後どうしたらいいのか。口づけ自体は、アキラもこれが初めてではい。何度となく行為の中で、シキにされたことがある。けれど、アキラの方からしたことはなかった。
 戸惑いながら、以前のシキのやり方を思いだそうとした。押しつけた唇を僅かに離し、舌を出してシキの唇の表面を舐めてみる。途端、シキがアキラの後頭部に手を当て、ぐいと引き寄せた。唇を開いてアキラの舌を引き入れ、きつく吸い上げる。
「ん……! んん……!」
 背中をぞくりとしたものが駆け上がり、アキラは思わず驚きの声を上げた。が、口を塞がれているため、くぐもった呻きにしかならない。
 一瞬怯んだが、元はといえば自分で仕掛けたことだ。自分から逃げ出すわけにはいかない。また、シキも逃げることを許してはくれないだろう。ならば、ここで主導権を取られてたまるか。
 妙なタイミングで反発心に火が点く。アキラは、舌を絡め取ろうとするシキの舌から逃れた。それでもシキの口内に差し入れた舌はそのままに、シキの上顎や歯列をなぞる。すぐに追ってきたシキの舌に、今度は自分から舌を触れさせた。
 どちらが主導権を握っているのか曖昧なまま、ひとしきり口づけを続ける。やがて、どちらからともなく唇が離れたときには、アキラはすっかり息が上がってしまっていた。対するシキは相変わらずの涼しげな表情だが、紅い双眸に普段にはない熱が宿っているのが垣間見える。
 だけど、まだだ。まだ、こんなものじゃない。この男の冷静な顔を崩してやりたい。欲に引きずられた顔が見たい。アキラの中で、そんな衝動が渦を巻く。
 弾む息を努めて抑えながら、アキラは動こうとした。すると、逃げると思ったのか、シキが腕を掴んで引き留める。腕を捕らえるシキの手を、アキラは静かに、けれどきっぱりと外した。そして、シキのベルトに手を掛けた。
「俺が、する」弾む息の下から、宣言する。
「……好きにしろ」
 シキは掠れた声で応じた。そして、ふっと目を伏せてしまう。
 苛烈な眼差しが逸れたのを機に、アキラは静かに息を吐いた。それから、シキのベルトを外し、革のパンツのジッパーを下げる。内心に残るためらいが表に表れないように注意しながら、まだ反応していないシキの性器を取り出した。身を屈め、それに唇を触れさせる。思い切って舌を出し、舌先で表面を辿った。
 何度となく性器の表面に当てた舌を往復させると、次第にそれが芯を持ち始める。そこで、アキラは口を開き、浅く先端を口に含んだ。
「……ぅん……ふ……ん…………」
 口に含んだものを軽く吸い上げながら、含みきれない棹の部分を両手で擦って刺激する。そうするうちに、シキの雄は面白いように硬度を増していく。自分がそうさせているのだ、ということに軽い興奮を感じて、気づけばアキラは夢中になっていた。
 と、さらりと髪に触れたものがあった。
 その感覚に気づいて、アキラは口に含んだものもそのままに、視線を上げる。すると、こちらを見下ろしているシキと目が合った。
 シキはアキラの髪に触れていた手を軽く浮かせ、目を見張った。が、次の瞬間には皮肉げな笑みを浮かべ、口を開く。「屈辱だと言っていたのが、嘘のようだな」それは、明らかにアキラを揶揄する言葉だった。
 アキラは、シキを睨んだが反論はせず、すぐに行為に戻った。
 確かに、これまでシキに抱かれることに、自分は屈辱を感じていた。シキのものを口に含んで奉仕するなど、屈辱の最たる行為だった。けれど、とアキラは思う。自分の意志で行っている今の行為は、果たして自分にとって屈辱になるのだろうか。
 ――いや、違う。
 アキラはかってシキを倒すと約束した。そのために、シキと闘う手段として、刀を振るってきた。この行為は、それと同じ意味を持つ。
 刀を振るうことで、シキに傷を付ける。シキに抱かれることで、シキの中に自分という存在を植え付ける。ニコルを得て生まれ変わったシキが、心の中にアキラという『過去』を残すことになるのだ。抱かれることは、直接シキへのダメージにはならない。けれど、いつかシキの中に根付いた過去は、シキに致命傷を与えるだろう。そんな予感があった。
 ――いつか、俺の存在自体があんたを殺す。
 心の中で呟いた瞬間、腹の底からカッとこみ上げて来るものがあった。アキラ自身は触れられもしないのに、腰の辺りに甘さが広がって、ジーンズの中の性器が薄く反応する。また、へそに穿たれたピアスの辺りが、じんと疼いた。
 頭の中が熱してきている。その癖、意識の片隅に常に冷静な部分が残っていて、自分とシキの行為を冷たい眼差しで傍観している。そんな冷静な自分の視線が、なおのことアキラを興奮させていた。やはり自分はどこか歪んでいるのかもしれない、と微かに思う。
 興奮に任せて、シキの性器に舌を這わせながら、アキラはジーンズのジッパーを下ろした。それを下着ごとずらし、シキのものと一緒に舌を這わせて濡らした左手を、足の奥へ持っていく。数度、後孔の表面に唾液を擦り付けた。そのぬめりを借りて、自分で自分の体内に指を一本差し入れた。
 さすがに、人差し指一本では、痛みは感じない。ただ、圧迫感と不快感は確かにある。それでも、アキラは無理に指を奥へ進めて解すように動かした。そうすれば、そのうち必ず圧迫感や不快感は和らいでいくものだ。これまでの経験から、そう知っている。
 足の間では性器が緩く反応を示していたが、アキラは自分のそれには触れもしなかった。これは、シキを快楽に引きずり落とすための行為だ。自分が快楽を得たいわけではない。
「ん……ふ……ぅ……はっ……」
 後孔を解しながら、一心にシキのものを舐めしゃぶる。そんなアキラをシキはじっと見下ろしていたが、やがて嘲笑めいた嗤い声を発した。
「ハッ……随分と淫乱だな……それが、お前の本性だったか……」
「……ふ……何とでも、言え……あんた、そうやって、俺を馬鹿にしながら……っ……それでも、俺を……抱かずには……いられない癖に……っ……!」
 そうだ。結局、だからあんたは、今も昔も俺を殺せなかったんだろ。
 その言葉はさすがにシキの逆鱗に触れそうで、アキラも口に出しはしなかった。今のシキは、過去――ニコルを宿す以前――の名残りで、自分に少しばかり興味があるだけだ。下手なことを言えば、本当に殺される可能性もある。それは御免だ。シキより先に死んでなど、やるものか。
 シキの傍にいて、自分がシキの結末を見届けたい。いや、自分という存在のせいで、シキが終わりを迎えればいい。今や、かってシキに抱かれる度に成長してきた温かな感情が、そのように実を結んでいた。
 そう、シキが自分の所有者だというなら――自分もシキを独占してやる。
 そう思った瞬間、再び腹の底から、欲望の波が押し寄せてきた。アキラは馴らすのもそこそこに体内から指を引き抜き、身を起こす。半端に足に絡むジーンズを脱ぎ捨て、ベッドに座るシキの足を跨いで、膝立ちの格好でシキの上に乗った。
 身を起こしかけるシキを押し止め、挑発的に笑む。
「……俺が、やる……あんたを……啼かせて、やる、よ」
「ふん……いいだろう。やって見せろ。どうせ泣くのは、お前の方だろうがな」
 こちらの言葉に、シキもまた好戦的な笑みで応じた。
 アキラは後孔にすっかり勃ち上がったシキの熱を押し当て、ゆっくりと腰を落とす。指とは比べものにならない圧迫感と痛みがこみ上げ、興奮よりも苦しさで息が上がる。まだシキのものが半分ほどしか入っていないのに、どうにもそれ以上受け入れることができなくなってしまった。「く、っ……」それでも、先を焦るアキラは痛みも無視して、無理に腰を落とそうとする。
「ほら見ろ……経験も少ない癖に、平気なふりをするからだ……」
 シキは、呆れた声で言った。無理矢理の挿入に、挿入側も痛みを感じるのだろうか。わずかに顔をしかめている。
 アキラは憎まれ口で応えようとしたが、息が切れてとっさに声が出ない。
 その様子にため息一つついて、シキはアキラの性器に手を伸ばしてきた。苦痛に半ば萎えかけているそれに指を絡め、刺激し始める。
「んっ……! やめ、ろっ……触る、な……俺が、するんだ……!」
「そんな様で、よく言えたものだ」
 シキはこちらの抗議を無視して、愛撫を続けた。その手管は巧みだった。アキラの感じる部分を知り尽くしていて、的確にそこを攻めてくる。
 それも、無理のないことかもしれない。アキラは、シキしか知らない。最初からシキの触れ方で行為を知り、どこが感じるのかを強制的に教え込まれた。だから、シキの手管に面白いように翻弄されてきたのだ。思い出すだけで、悔しさがこみ上げる。
 性器に絡みついたシキの指は、敏感な先端や裏側を擦り、的確に快楽を呼び起こしていく。やがて、先端から滲みだした先走りを指先で掬い、シキはその指で、アキラの臍のピアスに触れた。小さなピアスの金属の玉の部分に先走りを擦りつけながら、何度もピアスを押し上げる。ピアスの周辺が引っ張られて、わずかな痛みと――なぜか、甘さを感じた。
「ん……はっ……!」
 性器を擦られたときはまだ耐えられたのに、ピアスへの刺激が淡い快楽として腰に落ちると、もう駄目だった。自分の意志に反して、勝手にかくんと膝から力が抜ける。「くっ……う……ぁ……!」身体を支えることができず、アキラはずるずると腰を落とした。その拍子にシキの熱が一気に体内に入ってくる衝撃に、声も上げられずにただ喘ぐ。痛みも圧迫感も依然として残っているが、腰の奥に小さな快楽の兆しを感じた。
 主導権を奪われことに舌打ちしながら、アキラは大きく息を吐いて自分をなだめる。そして、ピアスに触れるシキの手を払いのけた。
「俺の手を払いのけるとは、いい度胸だな」
「……俺が、やるって、言った……あんたは……はっ……大人しく、喘いでればいいんだよ……っ……!」
 目の前にある紅い双眸を睨みつけながら、アキラはシキの肩に手を掛けた。そして、体内にあるシキの熱を煽ることだけを意識して、腰を動かす。自分の中に生じた快楽の兆しは、綺麗に忘れることにした。
 シキは、しばらくアキラの為すがままでいたが、やがてため息をついた。
「悪くはないが……拙いな」
「なっ……!」
 かっとなって、アキラは抗議しようとした。が、そうするよりも先に、シキがアキラの腰を掴む。ずるりと体内からシキの熱が抜け、気がついたときには上下が逆転していた。アキラが呆然としている間にも、シキは再びアキラの後孔に熱を押し当て、一気に体内に押し入ってくる。
「や、あぁ……!」
 アキラは、たまらず声を上げた。痛みと同時に、快楽の大きな波を感じていた。一瞬快楽に白く染まる意識の遠くで、シキが低く囁く。
「案じるな……たとえばの話、もしお前がセックスが下手だったとしても、傍に置くに決まっている。お前の価値は、そんなところにはない――それが、今日分かった。無理に淫売のように振る舞う必要はない」
 唐突に、シキは動き始める。最初から容赦のない動き。それでも、感じるのは苦痛だけではない。体内にある快楽を感じる部分を的確に突かれて、アキラは快楽に意識をさらわれながら必死でシキの背に腕を回す。きつくきつくシキの身体を抱き締めれば、強まる快楽とは別の部分で安堵のようなものを感じた。
「ん……シ、キ……!」
 決して気は許さない。甘える気もない。それでも、無意識のうちにシキの名が口から滑り出る。まるでそれに応えるかのように、口づけが与えられた。


***


 行為の果てに、意識を失うように眠りについて、どれくらい経っただろうか。まだ窓の外が暗いうちに、アキラはシキに叩き起こされた。眠い目を擦りながら、だるい身体で起き上がれば、シキは身支度をしろと言う。
 何が何だか分からないまま、寝ぼけてうっかりいつもの反抗をするのも忘れていた。アキラは素直にシャワーを浴び、用意してあった衣服に着替えた。
 着てみて驚いたことには、それはアキラが着たことのないようなスーツだった。被服には詳しくないから分からないが、着心地のいい生地からして、なかなか上等なスーツではないだろうか。
「何なんだ、これ……?」アキラはおずおずと尋ねた。薄気味悪ささえ感じていた。
「今日は出かける」シキは淡々と応える。
「出かけるって……俺もか?」
「当然だ。何のためにそれを用意したと思っている」
「……どこへ?」
 来れば分かる。シキはそう言うばかりだった。
 仕方なく、アキラは自分の刀を手にして、シキに従って部屋を出た。久しぶりの外だ。ボロボロのアパートの外に出て辺りがまだ暗い中を少し歩くと、通りの角に車が一台停まっているのが見えた。シキは、迷うことなくその車に近づいていく。暗いので車種まで分からないが、車が高級車であることはアキラにも分かってきた。
 やがて、二人が傍まで行くと、車の前で待っていた男が、こちらへ一礼してドアを開けた。人違いではないか、とアキラは思ったが、シキは構わず車の後部座席に乗り込んでいく。男に促され、シキに急かされて、アキラもシキに続いた。
 乗り込んでみると、高級車らしく車内も広く、妙に落ち着かない気分になる。「なぁ……この車、何なんだ?」気を紛らわしたくて、アキラは柄にもなく気心の知れた相手にするようにシキに話しかけた。
「俺の車だ」シキはあっさりと答えた。
「あんたの? ……そうか、あんたはまたヴィスキオを作ったんだよな……」
「落ち着かないようだな。だが、お前もいずれ慣れる……俺と共にいるという自分の言葉を守るならばの話だが」
「俺は、嘘はつかない」
 アキラはむっとして言い返す。まるでムキになった子どもの言い方だと思ったが、どうしようもなかった。またシキに揶揄されるかと身構えたが、シキはくくっと咽喉を鳴らして、愉快そうに笑っただけだった。
 車は、滑るように走っていく。
 やがて窓から見える景色は、雑然とした街中から次第に廃墟が多くなっていく。今どこにいるのか、アキラにも理解できた。旧祖だ。自分たちは、旧祖地区に入ったのだ。
 内戦が終わった今も、主戦場となった旧祖地区は焼け野原のままだ。国は内戦で疲弊して、旧祖の復興にまで手が回らないのだ。しかし、焼け野原の真ん中に、真新しい道路が通っている。車は真っ直ぐその道路を進んでいく。
 旧祖の奥へ。
「……まさか!」アキラははっとして、シキを見た。「まさか、俺たちが向かっているのは……!」
「お前の想像通りだ。俺は、ヴィスキオを新たに作った。その本拠地として、旧祖の中ほど相応しい場所はあるまい?」
 やがて、辺りの風景は、アキラにも見覚えのあるものになってきた。内戦で周囲と同じ焼け野原になっているが、この辺りは――トシマだ。ほんの僅かに残る廃墟や通りに、過去の面影が残っている。しかし、車がトシマの中心部に入っていくと、かつて城のあった場所に見慣れぬ建物が見えてきた。
 車はその前で静かに停車し、シキは車を降りた。アキラもその後に続く。
 間近に見ると、夜の中にそびえ立つその建物は大きく、そして堅牢そうだった。しかも、これほど大きいのにまだ建て増ししているようで、外周に工事の骨組みが作られている部分がある。
「これは……」
「新しい城だ。ヴィスキオの本拠地とする」
 短く答え、シキは建物に向かって歩いていく。アキラは呆気に取られたまま、その背に従って歩いた。そうして、二人が扉の前まで行くと、両側に立っていた警備員らしき男たちが一礼し、扉を開ける。
 開いた扉の前で足を止め、シキは唐突に振り返った。
「お前は、今日からヴィスキオに属する。ただし、お前といえども末端の地位からだ。俺の傍にいたいならいればいい。もっとも、その権利は、自分で勝ち取ることだ。そして、もし――」
 そこでぐいと身を寄せ、シキは耳元で囁く。

 もしも、俺を倒したいなら、なら倒せばいい。ヴィスキオ内の人間も、俺に挑むのは自由だ。
 クーデターを起こすなり、刀で挑むなり……その力は自分で養うことだ。

 いずれにせよ、愉しみにしている。シキは余裕そのものの顔で笑み、城の中へ歩き出す。従えば、もう後戻りできないのだろう。アキラはそう思いながら、迷うように、焼け野原となった街並みを振り返る。
 今更後戻りできなくて、何をためらうことがある? シキを追うと決めた時点で、既に後戻りなんかできなくなっていたじゃないか。もう、失うものも、守るものも、なにもないじゃないか。
「――上等だ」
 手にした刀をきつく握りしめ、腹を括って、アキラは城の中へ入っていった。






2009/07/10


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