千耳2
いい加減息が続かなくなって、どちらともなく口付けを止める。声が出せるようになった途端、アキラはすぐに「しよう」と言い出した。何が、といっておそらくセックスのことだろう。 俺は至近距離――それこそ、視力の悪い俺でもその顔がはっきりと見えるほど間近――にあるアキラの顔を、まじまじと見つめてしまった。ここまで酔っては勃つものも勃たないと思うのだが、アキラは酔ってはいても(というか酔っているからこそ)真剣そのものである。 やはり酔っ払いは性質が悪い。俺はため息を吐きたくなった。 セックス自体は何も初めてではない。また、男同士ということもあって今更恥じらい躊躇うような慎ましさは、俺たちの間にはない。セックスをするならするでも別に構わないといえば構わないのだが、酔った状態で室温と湿度の高いシャワールームで行為に及ぶのは、どう考えても危険すぎる。俺は「今すぐ、ここで」と駄々を捏ねるアキラを苦労して諭した末に、とりあえずシャワースペースから出すことに成功した。 濡れた身体を碌に拭かないままシャワールームから出たアキラの手を引いて、ベッドの手前まで連れて行く。その頭にバスタオルを被せ、髪と身体をきちんと拭いておくように言い聞かせてから、俺は入れ替わりにシャワールームへと入った。 シャワースペースの手前で湿った衣服を脱ぎ、外した眼鏡を洗面台の上に置いてから、シャワーを浴びる。頭から降り注ぐ湯の温かさにほっと息を吐きながら、知らず思い浮かぶのはアキラのことだった。 アキラと出会ってから、もう2年になる。 出会った頃は少々喧嘩の強い若者という程度だったのが、見違えるほどにアキラは腕を上げた。俺は荒事は専門外だが、手元に集まる情報からアキラがどんな仕事を請けているのかぼんやりとした輪郭は掴むことができる。アキラは、実力がなければ生命さえ落とすような、人間を始末する依頼を主な仕事としているようだった。つまり、それほど強いということなのだ。 けれど、今のアキラは――危うい。 戦闘に関しては、多少無理をしてもそれを取り込んで伸びることができるような天性の才能があったのだろう。それでも、他人の生命を奪うことを生業とする――裏の世界の中でも最も厳しい場所で生きる――ということに、アキラの精神が追いついていないような節がある。 普段人前ではあまり表情を表に出すことのないアキラだが、時折俺に見せる表情はひどく不安定で、脆い。今のところ、彼のそういう表情を目にすることがあるのは、おそらく自分だけだろう。そういう、誰に対するともいえない子どもじみた優越感を持つ一方で、けれど、同時にひとつの恐れを抱いてもいる。 アキラの危うさは、いつか彼自身の足元をも崩壊させるのではないか、と。 そうなったときには、俺は力の及ぶ限りは支えるつもりだった。 だけど、それは愛しているからじゃない。愛や恋とは別次元で、そうしたいと思わせるものがアキラにあるのだ。それは、恋愛感情というよりは、手のかかる弟に対する気分に近いのではないだろうか。 シャワーを終えてベッドルームへ戻ると、半ば予想通りというべきか、アキラは眠っていた。言いつけは守って辛うじて髪と身体を拭いたものの、そこで力尽きたらしい。腰にタオルを巻いただけの素裸で、ベッドに身を投げ出している。 「あぁ…もう、仕方がないなぁ…」 ここへ来て何度目かになるため息を吐きながら、俺は備え付けのクローゼットを物色して見つけたバスローブを着せてやった。ついでに、自分もクローゼットにあった予備のバスローブを借りて着、湿った衣服は窓際の椅子の背に干してから、ベッドのアキラの隣へともぐりこむ。勝手に泊まるのは気が咎めるが、俺自身もいくらか酔っていて、これ以上動きたくはなかった。 シングルベッドに男2人はさすがに窮屈だが、身を寄せ合えば寝られないこともない。何度かそうやってアキラと寝床を分け合ったことはあるので、俺は自然とそのときのように彼に寄り添うようにして、自分とはリズムの違う鼓動を聞きながら眠りに落ちていった。 *** そうして、うつらうつらとどれ程眠っただろうか。 ふと目が覚めると、何者かの手が身体をまさぐっている。はっきりと愛撫を思わせるその触れ方に、過去の不快な記憶が蘇り、俺は思わず身を強張らせていた。 俺の不自然な気配を感じたのだろう。すぐに俺の首筋に顔を埋めながら身体をまさぐっていた何者かが、顔を覗き込んでくる。 「――…?」 呼びかけた声と、眼鏡がなくともはっきり分かる程間近まで近づけられた顔で、俺はようやくそれがアキラだと理解する。もう夜が明けているらしく、カーテンの隙間から僅かに差し込み始めた薄明るい光のために、その不安げな表情まではっきりと見ることができた。 「こら…寝込みを襲うんじゃない。びっくりするだろ、いきなりだと、色々と…」 俺は苦笑してみせながら、右手を持ち上げてアキラの髪を撫でてやった。それから、両手を彼の頬に当て、枕から少し頭を持ち上げて自分の唇を彼のそれに触れ合わせる。アキラはそれを受けながら、俺の肩を押して再びベッドに倒した。 ほとんど触れ合わせるだけで、時折気まぐれに舌先を差し入れる戯れのような口付けを続けながら、アキラは愛撫を再開した。俺が着ているのは頼りないバスローブ一枚で、すぐに身体をまさぐる手によって肌蹴られてしまう。口付けの合間に下着を取り払われてしまうと、もう素裸に等しい状態だった。 しかし、一方的にいいようにされるのも、つまらない。 こちらからも手を伸ばしてアキラの着ているバスローブを肌蹴、その下の肌に触れる。その滑らかさに誘われるように、胸に掌を押し付けると、しなやかな筋肉の感触ととくとくという鼓動を感じた。 温かい。生きているのだな、とごく当たり前のことを実感する。 と、不意にアキラが唇を離した。 さほど深い口付けをしていたわけではなく、合間に何度も息を継いだにも関わらず、口付けを追えたとき、互いの息は弾んでいた。止めようもなく、唇から吐息が零れ落ちていく。その下から、俺は強引に声を押し出した。 「なぁ…本当に、ヤるのか…?」 「シャワーの後なら…いいって言ったのは、だろ…」 「戻ってきたら…お前、眠ってたじゃないか…」 「が遅いからだ。だいたい、この状況で、今更そんなこと聞くのか?――あんただって、結構、その気じゃないか」 からかうように言って、アキラは反応しかけている俺の熱に触れた。敢えて決定的な刺激は与えないようにと、緩く絡められた指がゆっくりと上下する。その淡い刺激に、もどかしいほどの微弱な快楽が、じわりと広がっていく。 あまりのもどかしさに知らず吐息が零れ落ち、更なる刺激を求めて腰が揺れそうになる。 それを年上としてのプライドで堪え、俺は余裕を取り繕ってみせた。 「っ…だけど、もう、朝じゃないか…」 「日があるうちにヤっちゃいけない、なんて決まりはないだろ」 「ないけど、ちょっと不健全だろ…そういうのは」 「不健全とか、どうでもいいだろ。俺はを抱きたい。今すぐ、ここで」 そう言うアキラの顔に、最早余裕は見えなかった。 男同士の行為は、必ず受け入れる側に負担がかかる。 初めてアキラとセックスしたときから、俺は毎回受け入れる側を引き受け続けたものだから、既に互いの間で何となく役割が定着した感がある。けれど、自分の名誉のために、俺は性的に男に抱かれたいという嗜好があるわけではないということは断言しておく。ただ、多少受け入れる側の経験が過去にあって慣れているから、初心者には辛いその役を買って出たというだけのことだ。 軍隊では、男色は珍しくないという。 それが本当か嘘かは知らないが、俺が入った軍の学校ではそういうことがあった。互いに好き合ってというより、いじめの一環として行われることが多かったようだ。 俺の場合もいじめの方で、あるとき1人の上級生に目をつけられ、犯された。初め抵抗はしたものの、ひどく殴られていい加減面倒になったので、俺は――諦めた。その次から大人しく犯されて、強いられるままにその後もその性的暴行を受け続けた。先程身体をまさぐる手に恐怖を覚えたのは、そのときのことを思い出したからだ。 今考えても吐き気のするような記憶だが、不思議なのは、大人しく従いながらもあれほど嫌っていた行為を今は自分の好きでしているということだ。相手に対する感情の好悪の差はあれ、行為自体は全く同じ、男としては倒錯としか言いようのないものであるのに。 或いは、俺は男としての一般的な在り方を曲げても構わないほど、アキラを求めているのだろうか。 頭の隅で毎度のように繰り返す答えのない問いをなぞりながら、俺は「ちょっと待ってくれ」とアキラを押し留めて起き上がった。ベッドの上で膝立ちになり、向かい合って座ったアキラの肩に左手を掛けると、舐めて濡らした右手を自分の後ろへ持っていく。そして、ゆっくりと自分の内側に指を一本差し入れた。 「っ…」 指が内側に沈んでいく最初の一瞬だけ違和感に息を詰めたが、その後はさほどの苦痛もなかった。シャワーを浴びるとき、ついでに自分でそこを馴らしておいたため、今もまだ多少解れていたのだろう。 俺が自分で挿入した指を抜き差しして受け入れるべき箇所を馴らしていると、アキラはちょっと膨れてみせた。 「俺がちゃんと馴らすのに」 「分かってるよ。だけど、アキラ、あんまり余裕ないだろ。俺がする方が早く済んで、早く挿れられるだろ」 「そんなこと言って、あんた、ほんと色気も雰囲気もないな。…余裕がなくたって、あんたの身体を傷つけないための手順なんだから、ちゃんとするに決まってるだろ」 思いがけない言葉に、何故かじわりと嬉しさが込み上げる。 俺は身を屈めてアキラの額に自分の額を合わせながら、込み上げる嬉しさのままに少し笑った。 「それもちゃんと分かってるよ。――だけど、俺の方が待てない」 「なんだ、お互い様じゃないか」 アキラは目を丸くした後にそう笑うと、再び俺の熱に指を絡めて弄んだ。勃ち上がっているそれを上下に擦り、零れる雫を掬い取るように何度も先端を指の腹で拭う。 思わぬ悪戯がもたらす快感に、俺は背を反らせながら逃れようともがいた。が、膝立ちの動き難い体勢では、そう簡単に距離を取ることはできない。抗議してもアキラは聞かず、左手で俺の腰を引き寄せると、先走りに濡れた右手の指先で、俺自身の指を既にくわえ込んでいる入り口の縁を撫でた。 途端、身体が勝手に跳ね、内側にある指の先が内部の思わぬ場所に触れる。強烈な快楽が腰の奥から押し寄せ、俺は文句を言おうと開きかけた口を慌てて噤み、喘ぎを噛み殺さなければならなかった。 悪戯に成功したアキラは愉しげな面持ちで、今度は入り口に宛がった指を一本、俺の指の脇からゆっくりと挿し入れてくる。ぎくりとした俺が手を止めるのにも構わず、アキラは挿し入れた指を掻き混ぜるように動かした。その動きで時折どちらかの指が感じる部分に触れ、びりりと強い電流のような快楽が走る。 「おいっ…それ、やめっ……っ!…」 抗議しようとしても言葉にならず、俺は膝を震わせながらアキラの肩にしがみつき、声を堪える。その頃には前の熱も張りつめて、とろとろとひっきりなしに雫を溢れさせていた。 「も、…いいから……はやく欲しい…っ…」 乱れた息の合間に耳元で囁けば、アキラはすぐに挿し入れた指を抜き取る。悪戯をすることはあっても、基本的には素直で本当にこちらが困るような真似をしない彼の性格は、可愛げがあるといえるだろう。 本人には言えば嫌がられるようなことを思いながら、肩を借りたまま手を伸ばし、胡坐をかいたアキラの熱に触れた。それは既に反応して勃ち上がりかけているが、まだ十分ではない。そこで、俺はそれを上下に擦って少し刺激してから、身を屈めて唇を寄せた。 先走りの溢れる先端に舌先を当てて舐めれば、独特の味が口の中に広がっていく。しばらくそうやって舌で熱の先端をくすぐってから、今度は勃ち上がった熱そのものを口に含む。唾液を絡めながら、頭を上下させて更に熱を煽っていると、やがてアキラが俺の肩に手を掛けて動きを押し留めながら、名前を呼んだ。 「――…そろそろ…」 「あぁ…」 促されて身体を起こし、俺はそのままアキラの上に腰を下ろそうとする。けれど、アキラはそれを押し留めると、俺の肩を押してベッドに倒し、覆いかぶさってきた。 張りつめた熱が後孔にあてがわれ、ゆっくりと内側へ入ってくる。馴らしてもゼロになることのない圧迫感に耐えながら、俺はなるべく力を抜いて挿入に協力した。挿入がスムーズである程、苦痛の度合いは減るものなのだ。 全てを収めてしまうと、アキラは息を一つ吐いてから、俺の顔を見た。どうやらこちらの状態を確認しているようなのだが、その距離がやや遠くて眼鏡のない俺にはアキラの表情がぼやけて見える。 感じているのか、いないのか。 笑っているのか、顔をしかめているのか、無表情なのか。 アキラの顔がはっきりしないものだから、俺はついその表情を見極めようとして、じっと見てしまう。すると、アキラが笑った――ような息遣いが耳に届いた。 「今のあんたの顔、ぞくっきた…」 「あぁ、悪い…気味悪がられるくらい、睨む気は、なかったんだけど…」 「そうじゃなくて…。あんた…普段はあんまり、目を合わせて来ないけど…さっきの真顔で真っ直ぐにこっち見る表情が…」結構クる、と顔を寄せてアキラが囁く。 艶めいた囁きに、熱を受け入れている腰の奥がじんと疼いたが、何も感じなかったかのように俺は肩を竦めた。 「クるも来ないも…さっきのは、近視でついた癖、みたいなもんだよ…。見えにくいから…つい、まばたきも忘れて、凝視する…目ぇ乾いて困るんだぞ、さっきの癖」 「へぇ…そうだ。あんた、今から、目を開けて俺のこと見てろよ…どうせ今から泣くんだから、目は乾かないだろ…?」 何を思ったか、アキラは愉しげにそんな提案をする。それにしても、どうせ泣くからとは(それは多分事実なのだが)、どうにも可愛げのない言い方をするようになったものだ。 俺は内心ため息を付きながら、アキラの背に腕を回す。そうして、ぐっと近づいた碧の瞳と視線を合わせながら、ゆっくりと始まった律動に身を任せた。 目次 |