眠りに堕ちていく彼の話2





 その日、私はシキと共に郊外の山裾にある廃墟に身を落ち着けた。
 とにかくシキを狙う刺客に多く出くわす日で、そこを見つけたのは、今日はまともな場所で眠れないかと諦めかけていた矢先のことだ。中に入るとそこは元々農具を保管する倉庫に使われたらしい様子であったけれど、奥に休憩用のスペースのようなものがあった。
 倉庫に無断で入り込んだ私たちは、会話もなく簡単な食事を摂る。シキは元々無口な性質だ。普段など私一人で話していることもあるけれど、その日は私も疲れ果てていたため、結局言葉を交わさぬまま眠りについた。
 実は私は寝つきがあまり良い方ではない。それはどんなに疲れているときでも変わらない。短くて数十分か、長ければ1〜2時間は目を瞑ったまま起きている。今日もまた私はそうやって起きたまま目を瞑っていて、漸くうつらうつらと眠りに落ちかけたかというときだ。夢か白昼夢か、今日追っ手と出くわした場面が頭の中で再生され始めた。

 こうなると、最早悪夢でしかない。
 刺客たちの殺気と悪意に満ちた顔。閃く白刃。斬り落とされた手足が転がる地面を流れ出した血液が赤く染める。
 シキが刀を振るう傍、私は必死で逃げ、刺客の刃をかわし、時折反撃する。かっては知らなかった闘う術だが、トシマで過ごし、シキに教え込まれ、刺客に追われるうちに最早身に馴染んでいる。誰も殺したくはないと思うのに、迷いで一杯の私はそれでも敵を切り裂き、その生命を奪っていく。人を殺すのはもう初めてではないけれど、地面に転がった刺客の死に顔を見てしまった私は、やはり動揺せずにはいられない。
 ごめんなさい、と誰に向けるともないその言葉だけで頭が一杯になる。

 「っ…」
 咄嗟に身を起こして、先程の光景が夢だったのだと理解する。
 いつの間にか鼓動が早くなっていて、荒い息を吐きながら私は自分の隣を見た。シキはこちらに背を向けているので、起きているのか眠っているのか窺い知ることはできない。けれど、気配に敏いこの人のことだから、私の身動きだけでも目を覚ましたのではないかと思う。
 呼吸と鼓動が静まるのを待ちながら、微動だにしないシキの背を見つめた。
 このまま眠ってしまえば、シキの休息を邪魔することにはならないだろう。けれど、どうしても刺客との戦闘のことが思い出されて眠れそうにない。私は息を吐くと静かに立ち上がった。最早癖のように自分のナイフを取り上げ、外へ続く扉へと歩いていく。
 外へ出る間際、戸口でシキのいる辺りを振り返ったが、声も掛けてこなければ、追って来る様子もない。最近、シキは物思いに沈んでいる――恐らく、自分が斬り捨てた宿敵であったnのことだ――ことが多い。その時間は次第に長くなり、戦闘の際に上の空になることもある。今も、そうしてnのことを考えているのかもしれない。
 私は小さく息を吐いて、外へ出た。


***


 月の綺麗な晩だ。季節は秋で、あちらこちらから虫の鳴く声が聞こえてくる。
 この辺りは以前農耕地であったらしく、見捨てられた田畑がだだっ広い草叢となっている。その草叢の先に、集落の家の灯りだか街灯の照明だか判然としない小さな光が幾つも見えていた。
 ちょうど、私が家族と共に住んでいた家の付近の夜の様子に似ている。
 倉庫の廃墟の戸口から2、3歩歩み出て、私は草の上に腰を下ろした。膝を抱えてそこに顔を埋めると、堰を切ったように涙が溢れてきた。声を殺したまま、けれど涙を留めようとはせず、私は泣いた。
 悲しいのでも怖いのでもない。ただ、どうにも自分の中で消化できない感情があるときは無性に泣きたくなる。泣いても何も解決しないが、泣けば少しは気が晴れるように思えるのだ。

 誰かの生命を奪うなんて、本当はしたくない。けれど、そうしなければ私もシキも殺されてしまうから、シキと共にあるためには闘わなければならない。
 ――けれど、いつまで共にいられるだろうか。
 トシマを出てから、シキは物思いに沈むことが多くなった。否、あれは物思いに沈んでいるというよりは、抗っているのだろうと思う。ずっと追ってきたnを斬って以来、シキからある種の覇気が失われたことは何となく私にも分かった。あまりにも一途に目指してきた目標を失って、シキは生きる意味も分からなくなってしまったのかもしれない。物思いに沈む時間が長くなって――このままシキは心を閉ざしてただ生命活動をしているだけの人形になってしまうのではないか、とひどい不安に駆られるときがある。意味なんてなくても生きていけるよ、といい加減な私は思うのだが、シキは真面目な人だから、きっとそんな考え方など受け容れてはくれないだろう。
 シキと共に生きることを選んだのは、私自身だ。
 そうすることの苦労を予想してはいたが、実際刺客に追われる生活に身を置くと、まだまだ考えが甘かったのだと思い知らされる。選択したそのときには後悔しないと思ったが、辛いとどうしても平穏な生活や家族が恋しくなった。そんな弱い自分が後ろめたく、情けなく、許せない。

 どんな姿になっても、シキを受けいれると言える強さが欲しい。
 どんな状況にあっても、自分の選択を後悔しない強さが欲しい。
 けれど、もしシキが心を閉ざしてしまったら、私ではシキを守りきれない。共にいられなくなる。もしかしたら、この生活の終わりは目の前に迫っているのかもしれない。

 「そんなの、嫌だよ…」

 押し殺した嗚咽の間から独り言を吐き出したとき、ふわりと空気が揺れた。風とはどこか異なる空気の動きを不思議に思いって顔を上げれば、すぐ隣に月明かりに照らされた白皙の美貌が見える。
 「シキ…どうして」
 思わず呟いたが、隣に座ったシキは何も言わなかった。こちらを見ることもなく、遠く集落の灯りの方へ視線を向けている。以前の鋭さはない、穏やかとも違う、どこか空虚を含んだ眼差しだ。
 私はシキから顔を背けて、涙で濡れた顔や目元を手の甲でごしごしと拭った。それでも、一旦緩んだ涙腺は中々止まらず、涙が溢れてくる。結局私は拭うことを諦め、瞬きを繰り返しながら少し上を仰いで、涙をこぼすまいとした。
 しゃくり上げながら天を仰ぐ私と、集落の灯りを見るともなく眺めるシキと。互いに言葉も発しないまま、親しいのか余所余所しいのか分からない奇妙な時間ばかり過ぎていく。手持ち無沙汰で、かといって今更廃墟に戻ることもできず、私は何となく隣のシキの存在に意識を向けた。
 すぐ傍にある肩に寄り添ってみたい、などと一瞬少女のような願望が浮かぶ。
 けれど、そんな腑抜けた希望を自分に許すことはできなかった。抱かれることはあっても、私はシキの恋人でも何でもないからだ。ただ、私が勝手に後について回っているだけ。私たちの関係は、いわばストーカーとその被害者のようなものでしかない。

 ストーカーだなんて、本当に私は家族を捨てて何をやっているのだろう――そう思って自分が虚しくなったとき、ぐいと肩を掴まれた。
 あ、と思う間もなく引き寄せられて、そのまま無理矢理寄り添うどころか抱き込まれる形になる。中途半端に身体を捩ったような体勢のままシキの腕の中で目を丸くすると、頭上から声が降ってきた。
 「いつまで泣いている。家が恋しくなったか」いつもの感情の読めない声は、だが、そこで僅かに小さくなった。「――俺と共に来るのを選んだことを、後悔しているのか」
 私は一瞬答えに迷ったが、シキに嘘を吐くことになるのかもしれないと思いながら首を横に振った。

 何度選択の機会を与えられても、私は同じようにシキを選ぶだろう。シキの傍に在ることが、時折こうして甘やかすように与えられる優しさが、私にとってはそれ程に大切だから。
 確かに、家族が、平穏な生活が恋しい。これはきっと後悔だ。自分の選択を後悔しないほど、私は強くない。きっとこれからも何度も後悔するときがあるだろう。
 けれど、後悔することの何が悪いのだ、と不意に思った。
 後悔してもなお諦められないなら、傍にいつづければいい。そうして、辛いとき、苦しいとき何度も後悔して泣けばいいのだ。後悔したって、他の何にも代えられないくらいシキの傍にいたいという気持ちには変わりがない。

 そう思うと、急に気持ちが軽くなった。
 私は力を抜いてシキに身を任せる。それでもシキが突き放す様子はないので、調子に乗って腕の中で体勢を変え抱きつくような格好になる。シキの肩口に顔を埋めて静かに息を吐くと、私を抱く腕に僅かに力が込められた。
 駄目だなぁ、と笑いたいような泣きたいような気分になる。
 普段は甘えなど許さないのに、こうして時々甘やかすような真似をするから、“シキは僅かでも私のことを想ってくれているのでは”と私は勘違いしてしまう。
 「後悔をしていないか」どこか確かめるような調子を含んだ声音。
 「してない」私はまた嘘を吐く。「――それよりいいの?こんなことしてたら、涙で服が汚れるよ。私、まだ涙止まってないけど」
 ただし、今度は今こうしていることが幸せすぎて、だ。
 「気にするくらいなら早く泣き止め」
 「それはまだ無理」

 すると、シキは小さく溜め息を吐いて、私を抱く腕にまた少し力を込めた。


***


 ざぁざぁざぁ。雨が降っている。
 冬の冷たい雨だ。容赦なく体温が奪われる。
 天を仰いで落ちてくる雨粒と灰色の雲を見てから、私は後ろを振り返った。すると、幽鬼のように立ち尽くす姿が視界に入る。その様子に息が詰まるほどの不安が込み上げたが、それを押さえて私はナイフを鞘に戻した。
 突然の刺客の襲撃。けれど、シキは途中から外界など感知できないような様子になってしまった。今回、シキが斬った刺客は少なく、殆どは私がナイフで辛くも仕留めた。手加減している余裕も何もなく、ただ一撃で動きを封じられる致命傷を狙った。
 敵と刃を合わせた右腕はまだ痺れていたし、深手には至らなくとも幾つか掠り傷は負わされている。けれど、そんな痛みも何も今は不安が先に立って上手く感じることができない。地面に転がる屍の間を縫ってシキの元へ歩いていきながら、私は自分に言い聞かせる。

 大丈夫。シキは何か別のことに気を取られていただけ。
 きっと、心を失ったわけではないから。

 「シキ」目の前に立って震える声で呼べば、虚ろな視線が形ばかり私に向けられた。「シキ、終わったの。終わったから――休める場所を探しに行こう?」
 声を掛けるが、シキは答えない。
 私が手を伸ばして抜き身のまま手に握られた刀に触れようとすると、シキが動いた。最早身体に染み付いているのであろう綺麗な動作で刀を鞘に収め――「あぁ」と大分遅れた返事をする。紅い双眸に色濃かった空虚も、少し薄らいだようだ。
 あぁ、まだ戻ってきてくれる――私は密かに安堵の息を漏らした。
 唐突に、シキが歩き始める。周囲の亡骸のことも自分の事も何も問わず、まるで意識の断絶など無かったかのようだ。私も、少し遅れてその背を追う。
 去り際に、私は一度だけ振り返って雨に打たれる刺客たちの死体を見た。

 今まで生命のあったものの抜け殻。私がしたこと。
 罪悪感や痛みを覚えはするが、同じ状況に陥れば私は何度でも同じことをするだろう。だから、斬り捨てられた刺客たちも私やシキもお互い様なのだと思うことにする。
 私もシキも、いずれ自分が斬り捨てた者たちと同じような末路を辿ることになるだろう。

 ――いつか来るその瞬間に、共にいられればいいのに。
 いっそ泣きたいような気持ちで思いながら、雨に霞んでしまいそうな背中を追った。  





End.
お題配布元:『is』
「終わってしまうからいつか」

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