8.(ED2)





 ポケットの中にある、携帯電話。元の時代から持ってきたそれなら、もしかして――。私はポケットに手を突っ込み、携帯電話を取り出した。
「源泉さん」
「どうした、?」
「これ……この携帯電話、西暦2000年代のものなんですけど、質に入れたらいくらになります?」
 そう言って、携帯電話を持ち上げて見せると、源泉は目を見張った。また、私の事情を知らないトモユキやユズルたちも、驚いている様子だ。
、何でそんなもん持ってるんだ?……お前、一体何者だよ」
 トモユキが呟くのへ、私は「過去から来た人間なのよ」と冗談めかして答えた。しかし、トモユキもユズルもただの冗談と受け取ったようだ。胡散臭いものを見る目で、こちらを見ている。それでいいと私は思った。ここでタイムトリップの話になって、リンの手術の話がそっちのけになるのは、本意ではないのだから。
 そんなやり取りをする私たちの傍で、源泉は深刻そうな表情で考え込んでいた。
「そりゃあ、2000年代といえば携帯電話の全盛期だ。骨董品としての価値があるし、技術復興の研究用に欲しがる企業もあるだろう。だが……そんなこと、させるわけいかん。、それはお前さんの手元にある、唯一の思い出の品だろうに」
 源泉の言う通りではあった。
 ほとんど身一つでこの時代に来た私にとって、元の時代のもので手元にあるのは、この携帯電話くらいのものだろう。携帯の中には、家族や友人を写した写メ、それにメールも記憶させてある。けれども。
「こんな機械より、生きているリンの方が、大切です」
 機械には、代わりがある。この時代には希少な携帯電話だって、いつかまた普及しだすだろう。けれど、人の一生は一度きりで、代替品はない。リンがこれから先の人生を生きるにあたって、義足がないよりはある方が、ずっと生きやすくなるだろう。
 思い出を機械の記録に留めておくよりも、もっと大事なことがある。リンに――せめて、あの人の弟に――幸せに生きてほしいと私は思った。
「源泉さん、これを高く売りさばく伝手はありますか?」
 そう尋ねると、源泉は私の意思が固いことを悟ったのか、ためらいがちにも頷く。そこで、私は携帯電話を操作して、個人的なデータを消去してた。家族や友人のアドレスもメールも写メも、呆気ないほど簡単に消えてしまった。
 まるで、自分の過去との繋がりを断たれたような覚束無さを感じる。記憶喪失になったら、こんな風に心細いのかもしれない。
 そんなことを考えながら、私はまっさらになった携帯を源泉に渡した。


 翌日、源泉は避難所を抜け出し、携帯を売ってきてくれた。携帯電話は思ったよりも高額で売れて、私の手元にはリンの治療費を払っても、まだ幾らかお金が残るほどだった。
 リンの手術は、無事に終わった。その次の日、源泉は私をリンとの面会に誘った。会えば、またリンの安静を損なうことになるのではないか。ためらったが、源泉はどうしても会うべきだと言う。そこで、私は源泉と共に、リンの病室を訪れた。
 果たして、私を見るなり、リンは露骨に顔を歪めた。
「あんた、何で来たんだよ」
「リン、そんなことを言うもんじゃない。はずっと、お前さんを心配してたんだ。手術の費用だって、が出してくれなかったらどうなっていたか。礼くらい言ったらどうだ」
「俺は助かりたくなかった! あのまま足が腐って、身体が腐って、死んでしまえたら良かった。俺はもう、仲間を……アキラを置きざりにして、自分だけ生き残るなんて御免なのに」
 そう言って、リンは頭を抱え込んでしまう。そこへとうとう、源泉が怒声を発した。
「やめろ、リン! アキラのことは、本当に残念だ。だが、お前の無事を心から願ってた人間がいることを、忘れてくれるなよ。――それに、辛いのはお前だけじゃない。だって、シキやアキラを失った。その上、離ればなれになった家族との記録が入っている携帯電話を、お前のために売ったんだ」
「携帯電話……? 高級品じゃないか。何でそんなものを、が?」
 顔を上げたリンが、不思議そうにこちらを見る。その視線に、私は微笑してみせた。
「私は、過去から来た人間なの。2007年から来たの。携帯を売ったのは、あなたを助けたかったからよ。だって……」
 あなたはシキの弟だから、と言えば、リンはまた怒り出すかもしれない。そこで、私はトシマに来たばかりの頃、処刑人から守ってもらった借りを返すためだと告げた。
 すると、リンはいっそう不思議そうな顔をした。
「俺が処刑人から助けたのは、あんたじゃなくて、っていう奴なんだけど……」
「分かってる。姿は変わったけど、私がよ」そう言って、私はこれまでのことをリンに話し始めた。


***


 リンは私の話を聞き終えると、一気に態度を軟化させた。後で理由を聞いてみれば、シキやアキラがぽっと現れたような私に親しげな態度が理解できなかったかららしい。リンには、二人の私への態度は、得体の知れない女に誑かされていると見えていたようだった。
 避難所での生活は、概ね穏やかなものだった。もちろん、数キロ先では内戦の真っ最中である。けれども、トシマから出てきた者にしてみれば、他人と出会っても喧嘩を吹っかけられることはなく、最低限の衣食住も保障された避難所は、楽園のように平和に見えた。
 やがてひと月経ちふた月経ちすると、一緒にトシマを出た仲間たちは、避難所を去り始めた。アパートを見つける者もあれば、住み込みで働ける働き口を見つけて移り住む者もある。また、日興連側の出身者ならば、家族のもとへ戻る者もいるようだった。
 私は、去る者を見送り続けた。
 そうして避難所で避難民の世話をして働きながら、リハビリに励むリンを見舞い続けた。そして、やがてリンが退院する日が来ると、私はリンと避難所を出て一緒に暮らし始めた。
 トシマ以来の仲間たちの中には、それを茶化す者や心配する者もいた。私たちが男女の仲になるのではないか、その結果傷つくことになるのではないか。皆、その可能性を考えていたのだろう。
 けれど、私もリンもそんな心配はしていなかった。なぜなら、リンは今でもアキラを想い続けている。そして、私もシキに心を囚われたままだ。互いにそのことをよく分かっていた。
 それでも、トシマのことを抱えたままでも、穏やかな日々が過ぎていく。私たちは姉弟のように暮らした。私は街の小さなカフェに勤め、生計を立てている。最近はリンも義足に慣れ、アルバイトを始めたおかげで、生活は更に楽になった。心に抱く面影は消えないものの、身を寄せ合うように慎ましく暮らしていくのは、それはそれでいいものだった。
 このまま、平穏な日々がずっと続くかに思えた。けれど、それはある日破られることになる。
 きっかけは、源泉の訪問だった。
 源泉は現在フリージャーナリストとして、取材のため世界中を飛び回っている。ケイスケも、アシスタントとして従っている。避難所を出た後、ケイスケは「アキラの思い出の残るニホンに留まるのは辛いから」と源泉と共に行くことを選んだのだ。二人は取材の合間にニホンに戻ると、私たちに会いに来てくれるのが常だった。
 けれども、このとき源泉は一人きりだった。
 源泉が訪ねて来たとき、私は仕事から帰って台所で夕飯の支度をしているところだった。この日はリンも既に帰っていて、アルバイト先でのことなどを話しながら、手伝いをしてくれていた。
 トントントン。不意に部屋のドアをノックする音が聞こえて、リンはおしゃべりを止めた。
「私が出る」
「いいよ、は料理中でしょ。俺が出るよ」
 気軽に言って、リンは玄関へと歩いていく。左足の義足にも慣れて、その歩行はかなりスムーズになっている。リンは玄関のドアにたどり着くと、魚眼レンズで外を確認してからドアを開けた。そこに、源泉が立っていた。
「オッサン、久しぶりじゃん」リンは言った。
「お久しぶりです、源泉さん。ケイスケは、今日は来ていないんですか?」私も料理を中断し、玄関に向かいながら尋ねる。
「お前さんたち、久しぶりだな。相変わらず元気そうで何よりだ。……ケイスケは、ちょっと怪我しちまってな、今日は来てないんだ」
「怪我って! オッサン、ケイスケ大丈夫なの!?」
「あぁ、リン、大したことはない。転んで骨が折れただけだ」
 その答えに、私とリンは顔を見合わせ、ほっと息を吐く。
「ケイスケが大したことがないなら、良かったです。それにしても、今日はどうされたんです? 急な帰国ですよね。いつもならいつ頃帰国するって、連絡を下さるから、驚いてしまって……」何か変事でもあったのではないか、と私はおずおず尋ねた。
「今回は予定外の帰国だったんだ。色々あってな。その、色々のことで、お前さん方に知らせなきゃならんことがある」
 源泉はYシャツの胸ポケットから、写真を取りだした。こちらへ差し出されたそれを、私が受け取る。
 一枚目の写真に写っているのは、瓦礫の原と化した戦場に立つ兵士たちだった。数名の
兵士に下士官か何かが指示を出しているところらしい。鋭い眼差しで前方を見据えるその下士官には、見覚えがあった。アキラだ。以前とかなり印象が変わって、見たこともないほど冷酷そうに見える表情をしている。それでも、確かにアキラに間違いはない。
 ――これは、どういうこと?
「この写真は、日興連軍の施設で撮った写真だ。ケイスケが、軍には秘密で撮影した……転んで骨を折ったのは、その帰りなんだが……」
 私は息を詰めながら、もう一枚の写真を見た。
 二枚目の写真は、整列する兵士たちの姿が写されている。整然と二列に並んだ兵士たちの中央を、高級士官らしき男が歩いていく。
 こちらは――シキだ。
 気がつけば、写真を持つ手に力を込めていた。私は、自分がひどく衝撃を受けていることを知った。嬉しいのか、悲しいのか、怖いのか、自分の感情さえ分からないほどに混乱してしまう。
 それで、呆然とするあまり、私は自分の手から写真が持って行かれたことにも、気づかなかった。
「これは……この写真は……」
 不意に傍でリンの押し殺した声が聞こえ、私は我に返った。見れば、いつの間にかリンが写真を手にしている。その双眸には、氷のように冷たい色が浮かんでいた。
 私はぎくりとした。源泉のもたらした写真は、リンの中に眠る激情を呼び覚ましたに違いない。それは、目を見れば明らかだ。私は、何だか不安になった。
 源泉が帰ると、リンはこちらを振り返った。
……これを見て、まさかシキが生きてたって安心したわけじゃないよね?」リンは冷たい声音で言う。
「え……」
「シキが何したか、も分かってるでしょ? この写真を見る限りアキラも無事だったみたいだけど、あいつのせいでアキラも俺たちも死ぬところだったんだよ? まさか、それを忘れたわけじゃないよね」
「えぇ……それは、もちろん……」
「アキラが今、軍なんかにいるのは、きっとあいつのせいだ。あいつがアキラを強制的に軍に入れたに決まってる」
 暗い目で、リンは写真を睨みつける。どこか狂気さえ感じさせる姿だ。私は、心配するというよりは怖くなって、言いかけたリンを宥める言葉を口にできなくなった。


***


 更に一年後。私とリンは旧CFC側――トウホクのある地域にいた。
 一年ほど前、源泉にシキとアキラの写真を見せられて間もなく、アパートを軍人が訪ねてきた。軍人は、理由をつけて私たちを連行しようとしたので、私たちは逃げなければならなかったのだ。平穏な暮らしは、唐突に終わりを迎えた。
 こうした軍人による連行などは、いつからだかちらほら噂を聞くようになっていた。
 内戦以前は、日興連ではCFCほどには軍が幅を利かせていなかったらしい。けれど、内戦後勝利した日興連はニホン政府となり――ニホンが統一されたのとほぼ同時期から、軍が権力を持ち、治安などの行政の分野にも関わり始めていた。
 旧CFCの過激派の取り締まりのため、というのが軍の主張だった。日興連政府と軍の統治は日増しに強引になっていき、反発は旧CFC側だけでなく多くの人々の間に広まっていった。批判を口にする者の幾人かを、軍が捕らえて投獄した。こうしたことから、人々の反発は一層強い者となり、政府と軍の体制へのレジスタンスグループが現れ始めた。
 アパートから逃れた後、リンはレジスタンスグループに入った。シキのせいだ。軍では、今やシキは地位を上りつめ、度々メディアにも現れている。レジスタンスなどの取り締まりも、シキの管轄であるらしい。こうなると、シキを憎むリンがレジスタンスに入ったのも、無理はなかった。
 私は、リンと共にレジスタンスに属した。最初はリンを放ってはおけない気がしたからだが、そのうちそのそれだけではなかった。レジスタンスにいて裏の情報にまで接するようになり、私はシキが何をしているのかを知った。ラインの開発、ライン投与した強化兵士の試用、批判者たちへの残虐な仕打ち……シキが行ったというそれらの行為は、私には受け入れられないものだった。それで、私はシキに反対する立場にいなければならないと思った――たとえ、シキがもはや私のことなど目に入っていないとしてもだ。
 さすがにシキの弟というか、天性というか、リンは優れた作戦能力や人を惹きつける力を持っていた。旧CFC系のグループに入って間もなく、リンは頭角を表して特に若者たちの人望を集め、すぐに独立した。というのも、旧CFC系の人々の望みはCFC側が再び権力を持つことだが、グループの中には単に今の政府や軍のやり方に不満がある者も多かったからだ。
 私も、リンがリーダーとなった新たなグループへ移った。
 元からリンの傍にいて手助けをすることが多かったので、私は新たなグループで副リーダーのように扱われることがあった。といっても、もちろんこれは形ばかりのこと。グループは時折軍と遭遇して戦闘になることもあったが、私は戦闘のことなど全く分からない。メンバーも、そのことをよく分かっている。
 皆が私に期待しているのは、リンのストッパーとなることだった。
 リンはシキに似て激情家で、しかも、誰よりも軍に憎しみを抱いている。そのため、戦闘の際には危険な戦術を取ったり、相手を深追いしすぎることもある。こうしたとき、頭に血が上ったリンに意見できるのは、私だけだった。私たちのグループはリンのカリスマ性が強すぎて、副リーダーになれるような人材がいないせいだった。
 ある日、リンは他のレジスタンスグループと共同作戦をするので、その打ち合わせに出かけた。このとき私はついていかず、隠れ家である廃工場に残った。前回の軍との戦闘で負傷者が出て、その世話をする者が必要だったからだ。
 今回、戦える者はほとんど、リンの護衛として出かけていた。隠れ家に残っている戦闘員といえば、見張りくらい。無防備といえばその通りである。けれども、私たちのグループはそう人数も多くないから、リーダーの護衛を優先するしかない。それに、軍は小さなレジスタンスグループの隠れ家などより、レジスタンスたちが会合を行うことの方を警戒しているだろう。
 けれど、それは結局楽観的すぎる考えだった。


 夜半、一通り負傷者たちの様子を見て回った後に、私は自分に与えられた部屋で眠りに就こうとしていた。
 そのときだった。ふと何かの気配が、意識に触れたような気がした。トシマでケイジと同じ能力に目覚めてから、私はこうして思いがけないときに気配を察知することがある。
 それにしても、一体何なんだろう?
 妙な胸騒ぎがあった。目を閉じて集中すれば、外に異様な気配を感じた。熱に浮かされたように高揚する、幾つもの意識。私は以前遭遇した、シキの部隊を思い出した。
 シキの部隊は、軍の普通の兵士とは違う。士気が高く、熱狂的と言えるほどにシキを崇拝していて――シキのためならば、当たり前のように生命をも捨てる。そういう者ばかり、集まっている。
 まさか、精鋭といわれるシキの部隊が、こんなところに来ている?
 そんなことはあり得ない。レジスタンス対策の他にも様々な方面を担当する彼らは、こんな小さなグループの隠れ家に構っている暇はないはず。それよりも、今行われている会合の方を警戒しなければならないはず。それとも、会合が行われていることに気づいていない? ――いや、そんなことはないはずだ。会合の詳細まで分からなくとも、軍の情報収集能力があれば、各レジスタンスが動いていることくらいは把握できそうなものだ。それを予想して、最初は一人で行くと言っていたリンも、護衛を連れていくことを承諾したのだから。
 私は混乱しながら、とにかく見張りたちに軍が外にいることを伝えようと思った。ここで騒げば、皆まで混乱するだけだ。とにかく動ける者と相談して、負傷者たちを連れて脱出する方法を探さなくてはならない。
 そう思って部屋を出たときだった。
 ガシャン。ガラスの割れる音が聞こえてくる。それから、幾つもの足音や怒声、銃声がそれに続く。私は息を潜めていたが、すぐに我に返った。そして、襲撃者たちに見つからないように慎重に、負傷者たちの休む大部屋へと向かう。
 たどり着いて見ると、大部屋のドアは無惨に破壊されていた。恐る恐る踏み込むと、つんと濃い血臭が鼻につく。足を床につけたとき、ぴしゃりと液体を踏んだ音がした。
「皆、大丈夫……? シュウ……マコト……ダイチ……」私は震えを堪えながら、小声で皆の名を呼んだ。
 初め、返事は返ってこなかった。それでも、もう一度繰り返すと、部屋の奥で微かな呻き声が聞こえる。私はむせかえるような血臭の満ちる室内へ、駆け込んでいった。そうして見つけたのは、部屋の奥のベッドで血塗れになってた倒れている仲間の姿だった。
「……シュウ!」
 私は彼の傍に跪いた。抱き起こそうかと思ったが、動かしてもいい怪我か判断できない。シュウは閉じていた目蓋を開け、緩慢に視線を動かし、こちらを見た。
……軍の奴らだ……皆、助からなかっ、た……」
 その言葉に、私は振り返った。闇に慣れた目に、室内の惨状が飛び込んでくる。ベッドの下で事切れている者、戸口に向かいかけて力尽きた者……窓から射し込む月光に照らされて、その姿が浮かび上がっている。
「っ……こんな、……なんてひどい……、」
……逃げろ……軍の狙いは、あんた…………早く逃げろ……でないと、」

 奴が来る。

 目に恐怖を浮かべ、彼はそう言った。








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