3.



 「第三次、世界大戦…」
 「お前ほどの年齢ならば、戦闘に参加していただろう。それに、戦闘に参加しなくとも訓練程度は受けたはずだ。国民は子宮レベルで管理され、軍事教育を徹底されていたのだからな」
 「そんなこと…そんなこと、」
 嘘だ。
 呆然としながらも言い切ると、男は厳しい視線を寄越す。私はその眼差しに怯みながらも、男から目を逸らさなかった。そうすることで男の嘘が見破れるのではないかと、期待したためだった。
 「第三次世界大戦なんて、起こっていません。戦争は、第二次世界大戦がもう60年も昔にあったきりで、」
 「第二次世界大戦?」男は不審そうな表情になった。「今をいつだと思っている」
 「今年は2007年です」
 「20xx年だ」
 ――それは何十年と先ではないのか。
 「そんな嘘、」
 騙されるわけが無い、と言いかけた私の声に被さって、再び外で狂った絶叫が上がる。しかも、先程よりも声が近づいてきているようで、私は反射的に身を竦めた。

 20xx年。
 自分が未来にいるなんて到底信じられることではない。それでも、窓の外の廃墟が、獣とは異なる狂った遠吠えが、ここは私に馴染みのある場所とは異なるのだと告げている。

 絶叫が止むのを待って、私は勢いよく顔を上げた。
 「20xx年だなんて、嘘ですよね?そんなSF小説みたいなことあるはずが無い…だって、未来にいるなんて…一体どうすれば…!?」
 不安に駆られて、私は思いつく端から言葉にしたが、
 「黙れ」取り付く島もない声音で、男が言う。「お前が何であろうが俺には関係の無いことだ。男だろうが女だろうが、どこから来ようがな。俺はお前を殺すために拾った。――いずれ殺されるのに、己の生命以外に何を気にする必要がある?」
 そう言ったとき、男はほんの微かに笑みを浮かべていた。嘲笑とは違うその笑みから、まるで獲物を追い詰めたときの猛獣のような印象を受けて、ぞくりとした感触がと背筋が這い上がってくる。

 この男、楽しんでいる。

 悟った途端に、何だか無性に腹立たしくなってきた。そもそも、どうして普通に暮らしていた人間が、性転換して未来世界に来た上に殺さればならないというのか。あまりに非現実的で、理不尽だ。
 そう思うと、“このまま大人しく泣き寝入りしてやるものか”という意気込みがふつふつと湧き上がってきて、私は男を睨み据えた。
 「この身体の持ち主は、あなたに殺されなければならない程のことをしたのですか?」
 「面識はないと言ったのを忘れたか。ただそこにいたから斬る――それだけの話だ」
 「それでも、まだ殺していない。それどころか、あなたは殺す相手を助けた。どうして、殺す相手を拾ったりしたんですか?放っておけば、勝手に死んだのに」
 「勘違いするな、助けたわけではない。いずれは殺すと言っている」
 男の表情にわずかに苛立ちの色が混じる。
 本来なら相手を刺激するような言葉は避けるべきなのだろう。けれど、男が見せた苛立ちは多分、私の問いが何かの核心部分に触れたという証拠だ。私は一矢報いた気分になって、少し満足した。が。

 「それとも、今死にたいか?ならば、殺してやろう」

 言葉と同時に男が動く。殴られるのか、刺されるのか…とにかく男の動きから次には暴力が続くものと予感して、反射的に目を閉じ、身を竦めた。
 けれども、数秒待っても痛みは訪れない。
 恐る恐る目を開けると、目の前にナイフの刃が突き付けられていた。ナイフは果物ナイフよりは長さがあり、アーミーナイフよりも繊細な造りで、まるで劇の小物のようだ。私はナイフも銃もサバイバルも趣味としないので、何というナイフなのか分からないが、月の光を受けた刃の輝きを見ると、素人ながらよく手入れされていることは理解できた。
 ナイフを視線でたどり、それを持つ男の腕、それから顔を見上げる。男は冷静な表情で私を見下ろしていた。調子に乗りすぎたのだと気付くが、もう遅い。きっと、この男は顔色ひとつ変えずに人を殺すのだろう。無表情のまま私を殺すのだろう。
 殺される――死ぬ。

 「…いやだ、死にたくない」

   私が言うと、奇妙なことに男はあっさりとナイフを下ろした。殺すのではなかったのか?と頭が疑問符で一杯になっている間に、男はナイフを鞘にしまってしまう。わけが分からず、ぼんやりしていると、
 「病み上がりの弱者など、殺す価値もない」
 男は吐き捨てるように言った。冷たい声音だが、どこか言い訳じみている気もした。
 病み上がり――ということは、回復したら殺すのか。どうしてそんなことをする必要があるのか。



***



 「いつまでそうしている気だ?」
 「え?あ、いえ、えっと…」
 指摘されてようやく、冷たいコンクリートに座り込んだままであることを思い出す。ほんのしばらく座っていただけなのに、案外身体が冷えていて、今更寒気にふるりと身体を震わせた。少しだるい感じがするのでゆっくりと腰を上げ、ベッドの縁を掴んで身体を支えたまま立ち尽くしていると、男は眉をひそめた。
 「お前は何がしたい」
 「その…ここはあなたの家なのでしょう?なら、私は出て行ったほうがいいのでは、」
 「ここは俺の持ち物ではない。出て行くと言うが、お前は<難民>どもの餌食になりたいのか」
 「それはいやですけど、でも、」
 「外に行きたくないなら、病人らしく黙って寝ろ」
 それは、ベッドを使ってもよいということだろうか。
 少し気が引けたが、疲れてもいたので、私はそろそろとベッドに上がった。ベッドの上には、先程起き上がったとき押しのけたままの形で毛布が放置されている。それを見ると、毛布をたたんで起きなかったのは大変行儀が悪かったのではないかと無性に気になり、私はさりげない風を装って毛布を整えた。
 それから顔を上げると、男は部屋の暗がりに戻ったようで、目の届く場所にはいなかった。
 (まさか、外へ…?)
 部屋を出る物音はしなかったはずだ。
 けれど、本当に男が立ち去り一人残されたら、一体どうしたらいいのか。急に子供じみた不安を覚えて、私はきょろきょろと周囲を見回した。そのとき。

 ぽすん、ぽすん。

 何かが、ベッドの上に座る私の膝の上に落ちてくる。
 「〜〜〜?!」
 上から落ちてくるもの=毛虫、生首、を連想して私は声にならない悲鳴を上げる。身を捩った反動で、うっかりベッドからずり落ちそうになった。が、目を閉じていても私の膝の上の物を取り除いてくれる人はいないので、私は意を決して目を開け、膝の上にある物体を見た。
 毛虫でも生首でもない、ただのペットボトル1本とお菓子か何かの袋が1袋あるだけだ。
 「これは…?」
 「食えるのなら、食っておけ」
 特に問いかけたわけでもないが、ベッド近くの暗闇が揺らいで、男の声が返ってきた。窓とは反対側に位置するその辺りに、男はいるらしい。
 「いえ、私は結構です」
 食べようと思えば食べられるが、特に空腹は感じなかった。それに、どうしても遠慮が先に立つ。
 「体力の衰えたその身体では、遠からず<難民>にでも食われるだろうな」

 <難民>と呼ばれる人々は、人肉を食べるほど困窮しているのか。しかも、建物の中も安全とはいえないのか。
 ならば、護身術を知らないどころか、運動神経が切れている私は逃げ切れるはずがない。
 ふと、脳裏にジャングルの先住民族に火あぶりにされる冒険者という映画の1シーンが浮かんできた。

 「いただきます!」
 私は猛然とお菓子の包装に似た袋を開け、中身を口の中に放り込む。味は分からないが食感はクッキーに似ていて、よく噛まないままにペットボトルの水でそれを胃に流し込んだ。
 「そんなに腹が減っていたのか」
 面白がる響きを含んだ男の声が耳に届く。途端、顔が熱くなった。
 確かに、さっきの食べ方は意地汚かった。それは自覚があるので、あまり触れてほしくなくて、私は自然に話題を変えようとした。
 「あなたは、食べないのですか?」
 「あぁ」
 あっさりと返されると、もう会話が続かない。私は居心地の悪さを感じながら、黙った。
 「呆けている位なら、さっさと寝ろ」
 「え?でも、あなたは?あなたの寝る場所が、」
 「他人の心配をするより、その煩い口を閉じたらどうだ」
 そう言われても、私はまだ迷っていた。
 男は私の体調を気遣ってくれている、と思うとして。それでも、言われるがままに眠ってしまってよいものか。助けてくれたとはいえ素性の知れない男なのだし、私は――たとえ相手に襲うつもりがなくとも――とりあえず女なのだから。

 否、違う。
 今の私の身体は、女性のものではない。

 そのことを深く考えると悲しくなるので、あまり思いつめないように努める。そして、男女が同室で寝る云々の問題は考えなくてもよくなったので、男の言葉に従い眠ることにした。
 「では、ベッドをお借りします」
 小声で一言断りを入れ、ベッドに横になる。すると、案外疲れていたのかすぐに眠気が訪れた。  ゆっくりと解けていく意識の中、それでも気になることがあって、「あの」と、私は闇に向かって呼びかけた。
 「何だ」
 「そう言えば、あなたのお名前をまだ伺っていませんでした…今更ですが、お名前を伺ってもいいですか…?」
 「聞いてどうする」
 「特にどうするというわけでは…もちろん、決して悪用するつもりはありません」
 まさか名前を聞いたことの目的を問われると思わなかったので、私はしどろもどろに答える。男は私の返答を聞いてしばらく黙っていたが、もう答える気はないのかと思うほど長い沈黙のあとにぽつりと零した。
 「――シキだ」
 「シキさん…助けて下さってありがとうございました。さっきの食べ物やベッドのことも、ありがとうございます。…お礼が言いたかっただけなんです。邪魔をしてすみません、もう大人しく寝ます」

 今度こそ私は目を閉じて、男――シキの存在を示す微かな衣擦れの音に耳を澄ませながら、眠りについた。


***


 どれほど眠っていただろうか。
 目覚めたとき、私は薄暗い部屋にひとりきりだった。夜は明けているのに薄暗いのは、空が厚い雲で覆われているせいだ。ベッドに寝たまま視線だけ動かして窓の外を見れば、雨が降っているのが分かる。
 私は起き上がって、部屋の中を見回した。
 昼間に見ると、打ち捨てられたアパートの一室といった風情だ。部屋の中に転がった木箱や家具も殆ど無い空間が、人が使わなかった期間の長さを物語っている。ただ、ベッドの傍らの木箱の上に幾つかの品物が置いてあり、それが最も新しい人間の痕跡のようだ。私はベッドを下り、木箱に近づいた。

 木箱の上には、未開封の水のペットボトルと食料品らしき小さな袋、鎖のついた金属のプレートが数枚、そしてナイフが一本置いてあった。

 食料品らしき袋は、私が昨日食べたものだろうか。袋の上から触れれば、長方形の形が分かる。パッケージには、『Solid』という文字。手に取り消費期限を確認すれば20XX年の日付になっていて、次に見た水のペットボトルも殆ど同様だった。
 鎖のついたプレートは、私にはよく分からない代物だった。
 私の知る限りで言えば、軍で個人認識票として使用されるドッグタグという金属プレートがアクセサリーとして流行ったことがあるが、それに似ている。けれどここにある金属に刻まれているのは数字か絵で、JやQの文字に絵が割り当てられていることからすると、
 (トランプ?)
 何となくそんな連想をするが、なぜタグにトランプが刻まれるのか分からない。ちなみにタグは7枚あって内訳は――2、5、4、6、J、K、Aとなっている。

 そして、あらかた品物を検めてしまうと、最後にナイフが残った。

 (これは、)
 昨夜のナイフだ。シキが私に向けた刃だ。
 そうと知るせいか、触れるだけで危険な気がして、手に取ることは躊躇われる。けれども、細身の繊細な造りは美しく、躊躇いと同じかそれ以上の強さで、それに触れてみたいとも思うのだ。
 結局、私は欲求に負けてナイフを手にした。まるで壊れ物を扱うようにそっと、手に取ったナイフの鞘を取り払う。刃は昨夜目にしたままに研ぎ澄まされていたが、昨夜ほど恐ろしくも感じなかった。
 思いついて刃を明るい窓際にかざしてみると、刃が鏡になって、私が存在すべき場所に見知らぬ男の姿が映る。そこで私は昨夜からの一番の問題を思い出し、暗い気分になった。

 ――別人の身体。

 一度眠れば戻るかと期待を抱いていたのだが、世の中はやはり甘くない。戻らない以上は本格的に、自分の身体が別物になったことに向き合わなければならない。
 もっとも、結論は決まっている。この状態を受け容れること以外にはない。しかし、頭ではそうと分かってはいても、感情の収まりがついていない。
 「…」
 胸に澱んだ重い気分を吐き出すように溜め息を一つ吐いて、私は鏡を探すために部屋の奥へ向かった。


***


 幸いにも、鏡はすぐに発見できた。
 それは前の住人の忘れ物らしき手鏡で、幾筋かヒビが入っている上に長期間放置されたために少し曇ってもいた。けれど、ちょっと見る分には十分に使用に耐えそうだ。
 私はその手鏡を手にして、薄暗い部屋の中では比較的明るい窓際へと戻った。ベッドに腰を下ろして鏡を覗き込むと、やはり私とは違う若い男がこちらを見返す。念のため自分の頬を引っ張ってみると、やはり鏡の中で男は同じ仕草をした。
 (こういう顔だったんだ…)
 昨日散々シキに向かって取り乱したせいか、私は奇妙に落ち着いていてそんなことを思ったりする。鏡に映った男の容貌が無駄に男らしくなく、比較的繊細だったので精神的な抵抗が少なかったせいもあるかもしれなかった。
 たとえば、これで鏡に映ったのがスキンヘッドの筋肉質な大男だったら。ただでさえ男性の身体に違和感があるのに外見がそれでは、私は死にたくなったかもしれない。――いや、それ以前に昨夜シキに対してその姿で普段どおりの言葉遣いをしたという事実だけで憤死できそうだ…。
 そこまで考えて、はっと気付いた。
 昨夜、私はシキに対して思い切り女言葉で話したはずだ。男の外見で。その様子は、傍から見ればそれはそれは奇怪であったに違いない。普通なら驚くし、人によっては嫌悪さえ感じるかもしれない。でも。
 (あのひと、別に気にしなかった…)

 “お前が何であろうが、俺には関係のないことだ”
 “いずれ殺されるのに、己の生命以外に何を気にする必要がある”

 あの言葉はただの脅しだった。慰めなどでは、決してなかった。それでも――じわりと嬉しさが胸に拡がるのを止めることができない。
 (大丈夫、この身体でもやっていける)
 ふと、そう思った。
 これから先、私は自分の身体に、そして自分の時代に戻る方法を探しにいく。そのためにはとにかく人のいる場所へ行くのが不可欠であるし、その際には奇異に思われないように男として振舞わなければならない。それをやっていく覚悟ができた。
 ここは私の時代ではなく、女性として存在できないとしても、偏見の無い誰かが――シキが、私についての事実を知っていてくれるだけで、何か拠り所がある気がする。むしろ、シキが知っていてくれるから、この身体と向き合う決心ができたようなものだった。


***


 少し思案した末に、私はこの部屋を出ることにした。
 元の身体に戻り、元の時代へ戻るためには、ここに居続けても仕方ない。<難民>その他何らかの危険があるかもしれないので無理はできないが、少なくとも今日のうちに外に出て様子を見たかった。そして可能ならば、どこか人のいる安全な場所へ行くつもりだった。
 本当なら、生命の恩人であるシキに一言告げてから去るのが筋だ。けれど挨拶をしようにも、彼はどこにもいなかった。それに、この部屋を自身の持ち物でないと否定したところから見ても、ここへ戻ってくる保障はない。
 (この方がいいのかもしれない)
 顔を見れば、きっと昨夜のようにシキを頼ろうとしてしまう。けれど、それは彼の迷惑にしかならないのだ。
 だから、この方がいいのだと自分に言い聞かせて部屋を抜け出した。


 家財道具などが散在する廊下を苦労して歩き、出口へと向かう。歩いてみて確信したことだが、この建物はやはりアパートとして作られたらしく廊下の左右に部屋へのドアがならんでいた。途中私はそのドアを開けてみて、開けることが出来た部屋の幾つかに入って裂けたシャツの替えを探した。
 火事場泥棒のような行為ではあるが、上半身ほぼ裸で外に出るわけにはいかない。この身体は胸の辺りに目立つ傷跡があるので、それを晒していたくはなかった。
 探しに入って3部屋目で、ようやく私は着られそうなシャツを見つけた。それを血の付いた上着と替えて外に出られる状態になる頃には、既にかなりの時が経っていた。

 埃と蜘蛛の巣に覆われた郵便受けの棚の横を通り抜け、玄関口に立つ。外はすっかり雨が上がっていた。

 厚い雨雲が千切れて風に流されていく。そうして出来た細い隙間から、所々ごく薄い紅に色付いた空が顔を覗かせている。
 もはや、夕方になろうとしていた。日が沈むまでにはまだ間がありそうだが、気温や日差しの強さから察するに今の季節は秋か冬のようだ。多分、日沈までの時間は短い。とするとそう遠くまでは出られないが、近所を少し歩く位ならば問題ないだろう――そう判断して、私は玄関先の歩道へと降りた。
 歩道はアスファルトで舗装されているがあちらこちらがひび割れ、剥がれ、盛り上がっていて、戦争で被害を受けた様子だ。見渡せば周囲の建物も同様で、半ば崩れかけながら佇んでいる。
 ここは未来であるとはいえ、もとは私の時代とそう変わらないごく普通の街であったのだろう。それがこんな風になるとは一体どんな戦争だったのか。どうして戦争をしたのか。
 この街の惨状が私の時代の先にあるのだとは思いたくない。

 このままでは思考も気分も奈落の底に落ちてしまいそうで、私は頭を切り替えようと大きく伸びをした。肺に思い切り空気を吸い込めば、どこか覚えのある匂いがする。
 さっきまで降っていた雨の匂い。水の染みたアスファルトの匂い。私の時代も20XX年も変わらない。――些細なことではあるが、その事実に気付くと馴染みのないこの世界が少し身近に思えて嬉しくなった。

 気分も少し上向いたことだし、もう少しだけ先まで行ってみよう。そう思い、私は歩道の先にある幅の広い道路へ歩いていく。と、そのとき規則正しい硬質な音が耳に届いた。
 カツカツカツ。
 まるで刻み付けるような靴音には、おぼろげに聞き覚えがある。
(そう、たしか夢の中で聞いたような…。)
 記憶を探りながら、後ろを振り返ってみる。すると、先程私が出てきたアパートの玄関に人の姿が見えた。
 影の落ちる玄関の奥から、コートの裾をゆるく翻しながら出てくるその姿は、

 「――シキ、さん…?」







前項/次項
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