3.




 薄い壁1枚隔てたような遠さで、幼い男の子の声が聞こえた。

 ――お父さんもお母さんもいなくなった。僕たちだけだ。
 ――泣くな。2人でもちゃんとできるって、お母さんたちに言ってきたんだから。
 ――お前のことは僕が守るから…だから、

 ――泣くな、ケイジ。



 「っ…」
 こめかみまで伝ってきた涙の熱さで、目が覚めた。涙を拭いながら起き上がれば部屋の中は真っ暗になっている。ちょっとのつもりが眠りすぎて夜になってしまったようだ。
 はっきりとは覚えていないが、夢を見ていた。胸に残る悲しみや不安は私自身のものではないはずだがひどく強烈で鮮明で、いつまで経っても消えようとしない。すぐに止まるものと思っていた涙はなかなか止まらず、しばらくベッドの上でぐずぐずと鼻を鳴らし続けていると、
 『いつまで泣いてるんだ』
 ケイジの声が呆れた声が頭の中に響いたので、私は止まらないのだと訴えた。
 『俺の感情に感応したのか…』低く独り言のようにケイジが呟く。
 (ごめんね…覗きこうとかそういうつもりでは、)
 『分かってる。他人の感情に感応するのは、自分の意思じゃどうにもできない。意識してある程度ブロックすることはできるけど、慣れない人間には無理なんだ。――あんたは真っ向から感情を受け止めすぎてる。取りあえず、何でもいいから全然違うことを考えてそれに意識を集中しろ』
 (別のこと…)
 そうは言っても今の気分は沈んでいて、唐突に切り替えることは出来なさそうだった。なぜ明るい気分にならないかと言えば、最終的にそれは空腹だからの一言に尽きる。昨夜アパートの廃墟に残っていた水とソリドを口にして以来、今日は何も食べていなかった。
 (お腹減った。マスターのご飯食べたいな…この際、材料があれば私が作る…いっそのことソリドでもいいけど…)
 『あんたな…別のこと考えろとは言ったけど、いきなり食い物かよ!』
 (だって、食べないと餓死するじゃない)
 頭の中で言い返す頃にはすっかり涙は止まっていた。私は鼻を啜り顔を拭ってから、ベッドを立って窓辺へ歩み寄った。大人しく二度寝してもいいのだが、目が冴えた上に空腹ですぐ眠れそうにもない。それに、このまますぐに寝れば、またケイジの夢だか感情だかに感応してしまいそうで――不快というのではないが、秘密を覗くようで気が引けるのだ――眠る気になれなかった。
 窓から外を見れば、この客室は<城>の2階にあるようで皓々とライトアップされた庭園が眼下に広がっている。庭園の終わりには頑丈な壁があり、その向こうが今は暗闇に閉ざされているトシマの市街地だった。
 ふと気がつくと、市街地の闇の中から<城>の門を抜けて舗道を歩いてくる人影があった。舗道の両側に等間隔に点された照明の中、裾の長い黒いコートが翻えして進んでくるのは。

 「――シキ…?」

 一応<王>だとはいえ、まさか<城>に現れるとは思っていなかった。私は驚きながら、その姿に見間違いがないか確かめようと窓に張り付く。そうやって見守るうちに、シキらしき人物はこの邸内に入ってしまい、見えなくなった。
 とうとう居ても立ってもいられなくなって、私は窓辺を離れ、部屋を後にした。
 『おい、どこへ行くつもりだ!?』
 (玄関へ。心配しないで、ちょっと様子を見たら…アルビトロがシキに何もしないって分かったら、すぐに部屋に戻る。昼間、キリヲが言ったことが気になって)
 ケイジに答えながら、私は足早に薄暗い廊下を進んだ。徹底的に改装された<城>の構造はやや複雑で、昼間キリヲに案内されたときのぼんやりとした印象だけを頼りに玄関を目指す。それでも、行きと戻りとでは廊下の印象も異なるため、結局私は迷子になってしまった。
 これでは、すれ違いになるかもしれない。焦りながらしばらく歩き回り、とある角を曲がったとき。「くそっ…こんな時間になんだって…」ぶつぶつと苛立たしげに呟きながら、アルビトロが目の前を横切っていく。
 とっさに少年像の陰に隠れた私が見ているうちに、アルビトロは廊下の突き当たりにある頑丈な木製の扉を押し開けて、室内へと入って行った。
 「――まったく君は、少しくらい礼儀というものを…」
 不機嫌そうなアルビトロの言葉の途中で扉が閉まり、その先を掻き消す。室内にいる人物は確認さえできていない。
 私はそっとアルビトロが入っていった部屋の様子を伺った。
 部屋の扉の脇には<ヴィスキオ>の黒服2人がマシンガンを携えて立っている。厳重な警備から察するに、そこがアルビトロの執務室なのだろう。そして、こんな時間の客というのは、先程庭に見かけたシキの他には考えにくい。犯罪組織らしく2人で密談でもしているのだろうかと思いながら、私は少年像の陰に身を隠すようにして壁に背を預けた。


 そうして5分も経っただろうか。
 不意に扉が開く音が聞こえたので、私はぎくりとして執務室の様子を覗った。いくら何でも5分というのは、会見にしては短すぎる。内部で何事かあったからではないか。そんな不安を抱きながら見ているうちに、規則正しい足音とともにシキが室内から出てきた。
 ――良かった。何事もなかったらしい。
 ほっと息をついて、私は再び壁に背を預けた。ここまで来たのはシキを案じたからで、それも杞憂だと分かった以上、最早用は済んでいる。機会を見て、誰にも気取られないうちに客室に戻るつもりでシキが立ち去る足音を聞いていた、が。
 「ネズミが1匹潜んでいるようだな。――出て来い」
 不意に足音がぴたりと止んで、その後にそんな声が投げ掛けられる。どうやら見つかったらしいと観念して、私は少年像の陰から出ていく。すると、シキはこちらを見て呆れたように目を細めた。
 「今のお前に諜報の真似事は100年早い。まずは気配の消し方を覚えることだ」
 「違う。俺は別に盗み聞きしようとしたわけでは…」しどろもどろに言う私の耳に、カチャリという小さな音が届く。不思議に思って視線を巡らせると、執務室の前に立つ黒服2人がライフルの銃口をこちらに向けている様子が見えた。銃を向けられた恐怖に、私は盗み聞きしたのではないと弁明しようとするが、とっさのことでは上手い説明も思い浮かばない。「さっき窓からあなたを見かけて…あなたのことが――その、心配で…」と、キリヲに忠告(?)されたのでアルビトロの部分はぼかしたものの、結局事実を告げた。
 シキは黙って聞いていたが、やがて静かに息を吐いてから黒服たちに視線を向ける。すると黒服たちは、何かに気圧されたかのように渋々ライフルを下ろした。その動作だけ見届けると、シキは沈黙したまま再び歩き出した。
 ついて来いとも、去っていいとも言われていない。
 どうしようかと困惑しながら私は遠ざかるシキの背中を数秒見守ったが――結局、後を追った。キリヲが示唆した可能性を、アルビトロが裏切るかもしれないことを、念のため伝えておくべきだと思ったのである。


***


 伝えることがあるとはいっても、人気のある邸内では話し難い。外に出てから切り出そうと思いながら、私は黙々とシキについていった。彼は当然私が後を追っていることに気づいていたが、特に歓迎も拒絶もせず歩き続けていた。ただ容認しているという風だった。
 とうとう私たちは屋外へ出た。
 邸内の室温に馴染んだ身体は、外の空気を肌寒く感じる。夜の冷気に一瞬身を震わせてから、私は久しぶりの晴れた夜空を見上げた。さすがに星は見えないものの空に浮かぶ月の美しさに、一瞬足を止める。と、
 「――怯えやすいネズミとばかり思っていたが、お前は案外猫のようなところがあるな」
 響きのいい声が耳に届いて、私ははっと視線を戻した。先に行ってしまうだろうと思っていたシキが、足を止めてこちらを見ている。そのことが意外で、私はまじまじと彼を見返した。
 「猫みたいって…?」
 「あちらこちらで餌と寝床を貰いながら、上手く生き延びている」
 それは私が一昨日までは“Meal of Duty”に、今日は<城>に身を寄せていることを揶揄しているのだろう。他人に取り入るのが上手いと言われているようで、私は顔をしかめた。
 「これは成り行きで、俺が自分から渡り歩いているわけでは、」
 「咎めはしていない。お前がどこで餌と寝床を得ようが構わん――自分が誰のもので、最後に辿り着くべき場所がどこかさえ理解しているのならばな」
 「物でない以上、俺は俺のものしにかなれません。口先だけなら幾らでもあなたのものだと言えるけど、そんなの只の言葉遊びだから。――でもそのこととは別に、いつかこの時代からいなくなるときには、あなたに会いに来たいと思います。返すものがあるし、お礼も言わないといけないから」
 誰のものか。どこに辿り着くべきか。俯いてしばらくシキの言葉を反芻してから、顔を上げて私はそう告げて笑って見せる。すると、シキは僅かに目を細めて「多少は弁えているようだな」と呟いた。はて、先程の答えが“弁えて”いることになるのだろうか、と私は迷い何か言おうとしたが、その間にも彼は再び<城>の門へと続く舗道を歩きだしていた。


 ここまで来た目的を思い出し、私は慌てて後を追いかけながら「ところで、」と言葉を継ぐ。「さっきアルビトロとは何もなかったんですよね?」
 「…何も、とはどういう意味だ」
 「揉め事とか、口論とか。処刑人から聞いたんです…内戦が始まれば、アルビトロはあなたと対立するかもしれないと」
 「知っている。というより、俺は最初からあの男を信用してはいない。今は利害が一致するから互いに茶番を演じているが、いずれ裏切ることは分かっていた」
 「利害が一致するって…形ばかりの<王>の役を演じて、あなたに何の得があるんです?特にラインの流通で利益を得ているようにも見えないのに」思わずそう言うと、シキはこちらへ威圧感のある眼差しを寄越した。どうやら詮索してはいけない内容であるらしい。「いえ、別に詮索する気はありませんけど…――じゃあ、イグラが終わって<王>でなくなったら、あなたはどうするんです?」世間話程度の気軽さで私は話題を変える。最初の質問がそうであったようにこの質問にも特に他意はなく、ただ内戦が始まってももとの時代に戻れなかったらどう身を振るべきか他人を参考にしようとしただけのことだった。
 「別にどうということもない。――もう先の心配とは、力もない癖に随分と余裕だな。ならば、お前はどうするつもりでいる」
 「もとの時代へ戻ります」即答したものの、それに対してシキは何も言わない。少し簡潔すぎたかと反省して、私は更に言葉を続けた。「――戻って、今まで通り会社勤めをして、いつか結婚して、機会があれば子どもを産んで。そうやって、普通に年をとります」
 「そして死ぬだけ、か。下らん生き方だとは思わないのか。そんな決まりきった将来など、ここから必死で戻ってまで生きる価値がどこにある」
 「価値があるかなんて、関係ない。成人して就職もして“私”に残っているのはそういう道だというだけの話です。でも、多かれ少なかれ皆そういうものでしょう?無理に変えようとでもしない限り、ある方向に流れて行くしかない」
 そう言うと、シキは立ち止まって振り返った。まるで見たこともない動物でも見るような視線を私に投げかける。そこがちょうど<城>の門までもう数メートルという地点だった。
 「何故抗わない?」
 「何故って、道を外れれば他の人に…少なくとも、家族に迷惑が掛かります。誰かに迷惑を掛けてまでやりたいことなんて、有りませんでしたから」
 「そうやって何かに枷を嵌められることを、お前は受け入れるのか…理解できんな。俺は己の枷の多くを壊してきた。わずかに残る枷も、」

 じきに壊すだろう。

 静かに言って、シキは闇に沈むトシマの街へと視線を滑らせた。彼の言う枷とは、先日執着を見せたnのことなのだろうか。それとも他の何かがあるのか。白い横顔を見ながら、私は不意に不安を覚える。決して彼は弱い人ではないというのに、人形じみて無表情な横顔が何だか危うい気がしたのだ。
 たとえば、と私はシキの横顔を見ながら思った。たとえば、枷になるからといって家族を捨てたとして、それで何か楽になるだろうか。何かを為せるだろうか。それは結局自分次第なのだろうけれど、私には出来そうもないことだった。
 誰かに負けて悔しいから努力する。迷惑をかけたくない人がいるから、嫌なことでも逃げ出さずに立ち向かう。完全に自由ではなくて、そうやって心に背負うものがあるからこそ前に進んで行けるということもあるのではないか。
 「…枷がないのは、怖くないですか。俺だったら、完全な自由なんて怖くて、地面にすら立っていられない。家族とか友達とか放り出して逃げ出せない何かがあるから、俺は何とかやって来れたんだと思う」
 そう言ったとき、シキが刀を携えた手を持ち上げるのが見えて、私は身を竦めた。きっと生意気な物言いが彼の不興を買って、これから斬られるのだろう。きつく目を閉じながらそう理解するが――

 ガキンッ。

 予想した身を斬られる痛みはいつまでも訪れない。その代わり唐突に左腕を掴んで引き寄せられるままに体勢を崩したとき、頭上で何かが激しくぶつかり合う音が響く。驚いて目を開ければ、私はシキの腕の中にいた。
 背後を振り返れば、いつ接近したのか双眸に狂気を湛えながら嗤うグンジの顔が見える。彼の長い鉤爪を嵌めた右手は、振り下ろしかけてシキに鞘で受け止められた状態で私の頭上にあった。
 「駄犬が。躾がなっていないようだな。大人しく死体で遊んでいればいいものを」
 「最近死体が多すぎて飽きたんだよなー、死体拾い。お邪魔して悪いけどさぁ、シキティ、俺とも遊んで?」
 気の抜けるような言葉と同時に、グンジが右手の鉤爪に力を加えた。頭上で交差した刀と鉤爪の危うい均衡が今にも崩れようとするのが、素人の私の目にも分かる。
 そのとき、シキが私を突き放した。


 争いの中心から投げ出されながら、私は背後に今度こそ金属同士のぶつかり合う甲高い音を聴いた。慌ててよろめきながらも振り返ろうとする私を、誰かの腕が受け止める。
 「――キリヲ」
 「悪ぃな。逢引の邪魔ァする気はなかったんだが、ヒヨの奴がどうしてもっつってなぁ。ここ2日死体拾いばっかりで、我慢の限界なんだとよ。ま、ガス抜きだと思って許してやってくれや」
 「あれはストレス解消で済むレベルじゃないだろ。喧嘩ですらない…殺し合いじゃないか。早く止めないと、2人とも怪我じゃすまなくなる」
 私は切り結ぶシキとグンジを横目に見ながらキリヲに訴えた。しかし、「だから殺し合いなんだよ」とキリヲはにやにや嗤うばかりである。業を煮やした私は、何もしないよりはましだろうと思って“やめろ”と2人に向かって怒鳴ろうとした。
 が、それよりも先にキリヲが私を抱きすくめるように拘束して、手で口を塞いだ。
 「んんーー!!」
 「大人しくし見物してろって。あー、心配しなくても、お嬢ちゃんを人質にしたりしねぇよ。誰かを守るためなんてシュショウな理由で闘うシキなんか、つまんねぇ。奴も俺らも他人の血と悲鳴と苦痛を糧に生きる同類だ、どうせなら正気なんか踏み越ええたところでやり合ってみたいんだよ、俺ァ」
 もがくのを止めて、私は身体が拘束されているので頭だけ動かしてキリヲを見上げた。すると抵抗の意思が無いと判断したのか、キリヲはあっさりと拘束を解く。自由になった私は、キリヲに向き直って彼を真っ直ぐに見据えた。
 恐れも越えた強い反発があった。
 噂を聞く限りシキはキリヲの言うように殺人に躊躇いのない冷酷な面を持っているのだろうとは思う。けれど、それが全てではない。無表情に見えて分かり難いが、シキは人並みな感情を持った人間らしい面も持ち合わせているのだ。キリヲの言葉はそんな部分など無いのだと否定するかのようで、悔しいと感じた。
 「違う。そうかもしれないけど、シキは…それが全てじゃない。そんな人じゃない」
 違うという根拠など殆どない。バーでのシキの噂が、キリヲの言葉の正しさを裏付けている。それを何が何でも否定したいのは、結局私の希望でしかないけれど、引くことはできなかった。
 上手く言い返せないのを歯がゆく思って唇を噛むと、キリヲは獣が嗤うような獰猛な表情で目を細めた。
 「オメエ、面白ぇなぁ。このところシキが大人しいと思ってたが…牙を抜こうとしてるのはオメエか」
 「牙を、抜く??」突然の言葉に意味が分からず、私は反発も忘れてキリヲに問い返した。
 「ひとつ教えといてやるよ。ああいう男はな、牙なしじゃ生きられねぇんだ。お嬢ちゃん、分かっててやってるか?」
 「その前に牙を抜くとかどういう意味か分からないんだが、」

 「何をやっている!!」

 突然ヒステリックな声が広い敷地内に響き渡る。
 見ればアルビトロが護衛の黒服を従えて、<城>の方から舗道を歩いてくるところだった。「ああぁぁ…私の美しい庭が…素晴らしい美術品が…」近づくにつれてシキとグンジの争いに巻き込まれた石像や照明器具などの惨状を見て取って、アルビトロは護衛を振り切って舗道に散乱する破片に駆け寄った。そこはシキとグンジが切り結んでいた場所ではあったが、2人は既に争いを止めていた。
 「駄犬の躾くらいはきちんとしておけ」
 舗道に膝を突いて破片をかき集めるアルビトロに冷たい声を投げつけると、シキは刀を鞘に戻して門を出て行く。その姿が闇に消えるや否や、アルビトロは堰を切ったようにグンジを叱り始めた。
 「まったくお前は、何ということをしてくれたのだ!<城>の中で暴れるなと何度言えば分かる!?」
 「ええぇーだって、俺だけじゃないし。シキティだって暴れたじゃねぇか」
 「煩い!先に仕掛けたのはお前だろう!?何度言っても聞かないお前には罰を与えることにする。私がいいと言うまで、お前には死体拾いだけさせるからな」
 「ええええぇぇぇぇー!!――死体拾いだけって、有り得ないだろぉ。テンション下がる。しかも腹減ったし…あぁ、肉食いてぇな」
 諦めたようにがくりと頭を垂れたグンジが、舗道の上にどさりとへたり込む。すると、その傍に行ったキリヲが、手にした鉄パイプでグンジの頭を容赦なく小突いた。
 「ばーかヒヨ。テメエ、今何時だと思ってやがる。朝飯はまだだろうが」
 「キリヲの言う通りだぞ、グンジ。食事は決められた時間に取るのがルールだ」
 …先ほどの緊張感は一体どこへ行ったのだろう。
 どうにも脱力する3人の会話を聞き流しながら、私はぐるりと夜空を見渡した。明るい月は西に傾いているが空の色はまだ暗く、夜明けの気配はどこにもない。確かに朝食の時間はまだ遠いようだ。
 そう認識した途端、私は自分も空腹だったことを思い出してしまった。すると、自分の意思に反してお腹がなる。マズイ、と思い腹部を押さえてから顔を上げると、黒服も含めてその場にいる全員が私を注視していた。

 「ほら、ネズミも腹減ったってさぁー」

 支持者を得たとばかりに、グンジが無邪気に笑う。しかし、その他の人々は何か信じられないものを見る目つきをしていて、肩身が狭く感じた私は俯いて視線から逃れることしか出来なかった。







前項/次項
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