10.
交渉を任せろと言うだけのことはあって、ユキヒトは思いの外すんなりと残りの2チームのリーダーを説き伏せてしまった。 当初予定していた4チーム全てから協力の約束を取り付けることに成功して、私たちは一旦ユキヒトと別れた。私とユズル、そしてキョウイチの3人はホテルへ。ユキヒトはチームの仲間の元へ戻るのである。 ホテルに辿り着き、2階へ上がっていくと、既に入れ替わり立ち変わり各チームの伝令役がバーへ出入りしているところだった。協力の約束を取り付けたとき、このバーを連絡場所として指定しておいたためだ。中立地帯のホテルの中にあるこのバーならば、多少、人が出入りしたところで怪しまれることはない。 なぜ今どき人から人への伝令かといえば、この時代は携帯電話の普及率がかなり低いためだった。その上、トシマは有線電話の設置箇所も限られている。また、4つのチームの協力体制は急ごしらえで、手っ取り早い連絡方法は伝令に頼らざるを得なかった。 いざ協力して反乱を起こすとなると、今までバラバラで敵対しあっていたはずの各チームの行動は速やかで、無駄がなかった。 私は協力を提案しておきながら、具体的な実行についてはイメージできていなかった。けれど、各チームやユズルたちは、マスターの立てた反乱の計画を補完するように考え、準備に移していく。それも、まるで最初から一個の組織であったかのような自然さで。 そこで、気付いた。 この時代の若者たちは、親元から離されて軍事教育を受けた世代なのだ。皆等しく、旧ニホン政府の定めたカリキュラムを叩き込まれている。カリキュラムの中には、もしかしたら、戦場での作戦の際の行動の仕方なども含まれていたのかもしれない。バラバラであった各勢力を寄せ集めて、こうも整然と事が運ぶのは、皆に軍事教育という共通の下地があるからに違いなかった。 そんな風であるから、反乱の準備段階において、戦闘に素人の私は既に無用のように思えた。が、実際にはそうならず、決して暇にしている間はなかった。というのも、各チームの間で対立や問題が起ると、最終的に調整役として私が引っ張り出されるからだ。 多分、ユキヒトが協力の交渉をまとめるとき、私を紹介して冗談に「この人が親玉になるから」などと言ったのが悪かったのかもしれない。結果、まさか本当に“親玉”とは思われていないだろうが、各チームの間で私が今回のことの調整役という認識が出来上がっているようだった。 それは、私にとっては荷の重い役目だった。 指示を受けることには慣れていても、あれこれ指図することは苦手だ。子どもの頃から、私は皆に率先して何かをするタイプではなかったのだから。それに、下手な判断をすれば、計画の失敗につながるかもしれない。息苦しいほどの不安を抱きながら、それでも私は各チームから相談を受けた事柄――役割分担などを、裁量していった。 そんなとき役に立ったのは、キョウイチの持つ各チームやトシマについての知識だ。彼は私に「どうすればいい」というような指示めいたことは、何一つ言わなかった。ただ相談を持ちかけられる私の傍にいて、尋ねれば惜しみなく情報を話してくれた。そんなキョウイチと共に、ユズルは絶えず私と共にトシマのあちこちを巡り歩き、護衛をしてくれた。 各チームは、皆、私を素人と知りながら、私の下した判断を尊重した。そのことをありがたく思うものの、同時に不思議で、私はしばしば首を傾げたものだった。そんなあるとき、ユズルは言った。 「皆、分かってるんだ。あんたでなきゃ、俺たちを指示する立場にはなれないって。俺たちは、皆イグラ参加者だ。腕に自信がある。それを束ねるには、余程強い者か――さもなくば、全く別の世界に生きて俺たちの常識から外れたような人間でなきゃ、皆納得しない。それがあんただった。あんたが素人なのは皆承知の上、それでも懸命に考えて出す答えを――そこにある、俺たちには思いつかない別の見方を期待してるんだ」 *** 「――…だよな。そう思わねぇ?」 「…え?」 不意に話を振られて、男ははっと我に返った。それまで溜まり場の奥へ向いていた意識が、急速に引き戻される。「あ、あぁ…何だっけ?」男が取り繕って返事をすると、仲間は呆れた表情でため息を吐いた。 「全然聞いてないだろ、お前。さっきから変だぞ。――そんなに気になるのかよ、リーダーの“客”が」 仲間はからかうように言いながら、チームが溜まり場とするこの廃ビルの奥へと目を向ける。男もつられて同じ方向を見た。 ビルの奥の方には狭い部屋が一つあって、今し方リーダーが客たちと入って行ったばかりだ。部屋のドアは閉ざされていて、話し声は聞こえてこない。誰かが出てくるような様子も無い。 リーダーの客は3人いて、そのうち一人、トシマには珍しい女が混じっていた。取り立てて強そうにも見えない、どこにでもいるごく普通の女だ。けれど、まるで重要人物であるかのように、連れの男2人に守られている。男のチームのリーダーも、女には丁寧に接しているようだった。 男は、そのことに不満を感じた。 というのも、男の属するチームは南区で最も有力なチームで、リーダーは他のイグラ参加者からも一目置かれている。それが、何の力もない女を、トシマの流儀に則って犯すでもなく殺すでもなく、自身と対等の人間として扱っているのだ。男には理解できなかった。 ここはトシマだ。外ならばいざ知らず、ここでは強食弱肉の論理こそ全て。己の強さがそのまま、己の価値となる。イグラ参加者は皆、学歴でも血筋でも金でもなく、ただ自分の力でのみ運命を切り開くことができる場所を求め、イグラに参加したのだ。金がほしい、或いは、<王>になって権力を欲しいままにしたいというのも、突き詰めればそういうことに他ならない。 だからこそ、リーダーに客扱いされる女は、存在そのものがトシマの力の論理を脅かす脅威だった。 「――リーダーも、何であんな女の話なんか聞くんだ」 思わず不満が男の口を衝いて出る。それを聞いた仲間は苦笑して見せた。 「お前、女嫌い?実はソッチ系?」 「なっ…違ぇよ。ただ納得できないだけだ。何でうちのリーダーが、あんな女の言うことを聞くんだよ。何様だ、あの女。今まで敗かした奴らみたいに、ボロボロにしてその辺に捨てりゃいいじゃねぇか」 「まぁ…今まではそれで良かったけどさ、もうそういう時期は終わりなんじゃねぇの?」 「…終わりだって?」意外な仲間の言葉に、男は思わず聞き返す。 「トシマでは喧嘩の弱い奴は強い奴に殺されたりするけど、旧祖の外はそうじゃねぇだろ。弱い奴も、女も子どもも、皆普通に生きてる。もうじき内戦が始まってイグラは終わるんだ、俺たちもそろそろ“外”で生きる心積もりをしとく方がいいだろ」 そう言う仲間は、いつしかひどく分別くさい顔をしていた。あれは――そう、Bl@sterに集まる若者を見下し、不快そうに眉をひそめていた“まともな”大人たちと同じ面持ちだ。 “外”で生きる準備をすべきだという仲間の言葉に、自分たちを見下していた大人たちと同じような態度に、男は疎外感を感じた。裏切り者、と咽喉元まで込み上げた言葉を、ぐっと飲み込む。 そもそも、トシマに来る者は皆、トシマに流れ着くしかなかったような、どうしようもない人間がほとんどだ。男は、自分がそうであるように仲間たちもそうなのだと思っていた。なのに――皆、既にこの先、トシマを出た後のことを考え始めている。先のことを考えられる奴は自分とは違う、トシマでなくとも生きていける、未来のある人間だ。 ――“外で”誰にも相手にされなかったように、トシマでも所詮一人なのだ。 冷え冷えとした気持ちで、男はそう感じた。 しばらくして、男は一人で溜まり場の外へ出た。 「――お、コウジ、どこ行くんだ?」 途中声を掛けてきた仲間には適当な返事をしておいて、壊れた扉の残る玄関を通り過ぎる。表へ出ると、通りへ消えていくリーダーの“客”たちの後姿が見えた。リーダーとの話し合いを終えて、今帰るところなのだろう。 3人のうち、一際小柄な後姿が先程の女のものだろう。コートにジーンズという格好なので、ぱっと見には、女というよりも少年のようだと言えなくもない。が、女だと知ってその姿を見れば、確かに体つきが女性らしくも思える。 その後姿を眺めながら、男はぼんやりと先程仲間が話していたことを思い出していた。 “リーダーが、他のチームからの協力の申し入れを受けただろ?あれって、最初に提案したのがあの女らしい” “お前は毛嫌いしてるけど、会って話したら印象変わると思うぜ?俺、さっき伝令でバーに行ったときあの女と話してから、「もし姉ちゃんがいたらこんなだったかも」って気がして…そうしたら、何か犯して殺しちまえとは思えなくなったな” 仲間の言葉が呼び起こす何か――恐らく、以前捨てることにした生温い正義感や正直さのようなもの。自分の中で微かに兆しだそうとするそれを振り払うように、男は去っていく“客”から目を逸らした。そして、何気ない素振りで3人とは別の方向に歩き出す。少し歩いてチームの溜まり場が遠ざかり、仲間の目に付く心配がなくなると、男はとうとう走り出した。 <ヴィスキオ>に、トシマのチーム同士が協力しつつあるという情報を、流してやろうと思ったのだ。“外”へ出たとしても、そこにあるのは自由ではない。束縛だ。それが、男には怖い。 第3次大戦が終わったとき、男はまだ未成年で、戦場には出ないまま平和な日常に戻された。今どきよくある話で、政府から“割り当て”られた両親とは折り合いが悪く、学校にも馴染めないまま、家を飛び出した。 幸いだったのは、それからすぐに工場で仕事を得られたことだ。 けれど、それも長続きはしなかった。男の能力や勤務態度に問題があったわけではない。運の悪いことに、工場内で起きた窃盗の容疑を掛けられたのだ。働き出して間もなくであったこと、家を飛び出して困窮していたことが、更に男の容疑を深めた。といっても、男はあくまで無実だった。結局、犯してもいない罪を疑われ続けることに疲れ、解雇を仄めかす工場長の言葉に、首を縦に振らざるをえなかった。 本当の犯人が分かったのは、それからしばらく後のことだ。窃盗犯は工場に長く勤めたベテランの工員であったと、噂で知った。何でも、その工員は政府から2人の子どもを割り当てられ、家族に十分な暮らしをさせてやるため、職場で盗んだ品物を金に換えていたのだという。 犯人であった工員のことは、男の記憶にもあった。夫婦の元に血の繋がらない子どもが強制的に割り当てられる“シャッフル家族”制度のため、親子の折り合いが悪い家庭も多い中、その工員は心から妻と血の繋がらない子どもを愛していたように思う。その工員のロッカーの扉の内側には、2人の子どもや妻の写真が貼り付けられていた。よく、楽しそうに子どもたちと遊んだ話をしていた。――血の繋がらない、政府から“割り当てられた”にすぎない子どもなのに。 本当の犯人を知ったとき、男は怒り、憎しみを覚えた。けれど、その嵐も過ぎ去ってしまうと、後に残ったのは虚脱感と疲労だけだった。自分を取り巻く世間の全ては煩わしいばかりで、男は疲労した心を抱えたまま、ぼんやりと考えた。 あぁ、どうしようもないことばかりだ。 子どもの頃受けた軍事教育の中では、全てが理路整然としていた。問いには答えがあったし、行為には理由があって、単純明快だった。その中で、現実の世の中がこんなどうしようもない、怒ればいいのか悲しめばいいのか分からない、どっちつかずなものだとは教わったことがない。“割り当てられた”親に通わされた学校でも、教えてはくれなかった。 こんなどうしようもない世の中で生きていくのは、ひどく面倒だ。 けれど、生命を絶つ気にはなれなかった。人というのはなかなか死ねないもので、死のうとしないものなのだとは、そのとき知った。結局生活に困った男は、昔教わった戦闘技術を頼りにBl@sterに参加した。 最初は個人選に出たが、成績はそこそこだった。それで、もっと勝ち進むために、チームに入った。チームのメンバーは、大抵男と似たような境遇で、チーム内の掟は世間のそれよりは明快だった。それでということもあるのだろう、大人に立ち混じって働くより、チームの連中とつるんでいた方が、男には楽だと感じられた。自分は一人ではなく、同じように居場所がない者もいるのだと思えた。 だから、チームがイグラに参加するとき、男は迷わず従った。自分と同じ居場所がない者と一緒なら、一人きりよりは余程ましだと思えたからだ。そうして参加したイグラのルールは、チームの掟よりも更に明快だった。 強食弱肉――ただそれだけ。 世の中によくある、あのどうしようもない、白とも黒とも言えない曖昧さがない。それこそが、男の気に入った点だった。 たとえ旧祖の外にいたとしても、そこにあるのはどうしようもない日常でしかない。そんなものに戻るくらいなら、ずっと――永遠にトシマの非日常の中にいたい。たとえ、そのまま死んでいくとしても。 そんな思いを抱きながら、男は<城>へ向かって走った。 *** アキラは応接室のソファに腰を下ろしたまま、呆然としていた。 ここは内装ばかりは客を迎えるように設えられているが、実際のところは豪華でくつろぎやすい風を装った檻だ。部屋の扉には、鍵が掛けられている。一度力ずくで破ろうともしたが、部屋の前で警備をしている黒服にすぐに気付かれてしまった。そして、他に脱出できそうな窓などは、この部屋にはない。 為す術もないまま、応接室の中でアキラは先程のアルビトロとの会話を思い出していた。 血液検査をするといって、採取したアキラの血液を持って出て行ったアルビトロは、なかなか戻って来なかった。アキラは長い間、この応接室に押し込められたまま待たされた。そうして、ようやく再びこの部屋に戻ってきたアルビトロがもたらしたのは、驚くべき話だった。 “検査の結果、君の血にはラインを中和する作用があることが分かった。もしやとは思っていたが…思い当たる節はあるんじゃないかね?たとえば、ライン中毒者が君の血を摂取して苦しみ始めた、というようなことが。――君の血の中和作用は激しすぎてね、大抵のライン中毒者はおそらく中和反応に耐えられずに死んでしまうだろうが” 告げられた言葉に、一瞬、アキラは息をするのを忘れた。 また脳裏に蘇るトシマに来てからの出来事。 ナイフに着いたアキラの血を舐めて、銀髪のイグラ参加者は苦しみ死んだ。猛も苦しみ出す直前、アキラの唇にできた傷口を舐めていた。ケイスケのときは――そう、アキラの手の傷口から滴り落ちた血が、口に入った直後だった。 ずっと気がかりであった不審な出来事は、アルビトロの言葉で全て説明が付く。 “ラインを中和できる血を持つ君は、非常に貴重な存在だ。我々の研究に協力してもらうよ。君も嫌とは言えないはずだ。もし協力が得られないなら、こちらが預かっている君の友人の生命はない。…だが、もし協力してくれるというなら、<王>戦を中止して君の友人を救い、トシマから脱出させることもできる” “――信じられないな” きつく目を閉じ、アキラは迷いを表さないように押し殺した声を吐き出した。 まず間違いなく、アルビトロは約束を守らないだろう。リンを生かしておけば、<王>戦を取りやめたことが皆にばれてしまう。そうしたら、イグラの制度そのものが根底から揺らぐことになる。アルビトロも、分かっているはずだ。 それでも、アキラは従わないわけにはいかなかった。というのも、アキラ自信の身柄は既にアルビトロの手の内にある。リンもまたアキラと同様、アルビトロに生殺与奪の権利を握られていると言ってもいい。その上でのアルビトロの提案――最初から条件はアキラに不利だ。 諦めを噛み締めながら、それでもアキラは最後の抵抗に、小さく呟いた。 “――必ず約束を守れよ” そして、囚われの身となった。 *** アキラに血の秘密を伝えたアルビトロは、上機嫌で執務室へ戻ろうとしていた。部下の黒服を一人従えて廊下を進みながら、まったく自分は幸運だ、などと考える。トシマを出る直前になって、手の内に転がり込んできた非nicol――これが幸運でなくて、何を幸運と言えようか。 もちろん、アキラと交わした約束など、全て口から出任せだ。 全ては、油断させるための方便にすぎない。 たとえ約束を破ったとしても、アキラは既にこの手の内だ。彼自身には、どうすることもできない。本人もそれを悟ったのだろう、「信じられない」と口では反発しながらも、諦めに支配された表情は、ひどく美しかった。単に研究対象というだけでなく、あの美しい青年が自分の支配下にあるのだと思うと、歓喜に背筋がぞくぞくする――。 と、不意に辺りの空気を切り裂くような銃声が、高く響き渡った。 最初に一発、それから数秒の間を開けて、2発目、3発目。銃声が鳴り止むと、辺りは一気に沈黙に包まれた。まるで、全ての者が次の銃撃を警戒して耳を済ませているかのような、ぴんと張り詰めた静けさだ。イグラ参加者は銃の携帯を禁じられているから、トシマで銃を持つ人間はそう多くはない。その中で、圧倒的多数を占めるのは、<ヴィスキオ>に属する人間だ。今、銃声は<城>の外からではなく、内側の間近から聞こえている。 あれは――そう、玄関ホールの方からだ。 高揚した気分に冷水を浴びせられたようなタイミングの銃声に眉をひそめながら、アルビトロは背後に控えていた黒服に状況を確認するように命じた。黒服は頷いて玄関ホールの方へ駆けて行ったが、しばらくして、同僚を一人連れて戻ってきた。 「発砲したのは、この男です」黒服が言うと、 「タグを奴隷と交換しに来たイグラ参加者が暴れたので、射殺しました」と、同僚も頷く。その身体からは、確かに硝煙の臭いが漂ってきている。「イグラ参加者が暴れ出したのは、玄関ホールに通してタグの枚数を確認したときでした。枚数が足らず、追い返そうとしたところで、急に逆上して襲い掛かってきたのです」 事情を聞いて、アルビトロは小さく舌打ちをした。 十分なタグを持たずに奴隷と交換に来るなど、碌でもない者もいたものだ。いや、そもそもイグラに参加するような連中は、ろくでなしばかりだが。 <王>戦だけでなく、重要な計画――非nicolを持ってトシマを捨てるという、シキを出し抜くための――の決行を控えているのだ。今騒ぎが起きることは、不都合だった。だが、久々の<王>戦ということもあって、トシマ内は妙に浮かれた雰囲気に包まれている。大きな娯楽が<王>戦の開催情報や<王>戦の前座の観戦くらいしかないからだろうが、あまりイグラ参加者を調子付かせて、先程銃殺された輩を増やすわけにもいかない。 ここは、イグラ参加者を牽制しておくべきだろう。 そう考えて、アルビトロは黒服たちに、処刑人の2人にある指示を伝えるように命じた。 *** アルビトロの命令を受けて、処刑人がいる可能性の高い娯楽室へ向かいながら、男は小さく舌打ちをした。これはまずいことになった、と考える。原因を作ったのは、男自身だ。<城>へ駆け込んできたイグラ参加者の若者を射殺した。 殺せば事が大掛かりになることは分かっていたが、他にどうしようもなかった。 というのも、<城>に駆け込んできた若者は、本当は「反乱の計画がある」と訴えに来たのだ。そして、アルビトロに話すから取り次いで欲しい、と要求した。だから、男は若者を射殺し、アルビトロには嘘をついた。計画が漏れ、反乱が失敗しては困るからだ。 男もまた、反乱に加担する側の人間だ。 今でこそ<ヴィスキオ>の黒服など着ているが、男は元々は小さな組の組員だった。当時世話になった兄貴分――風変わりでアクが強いものの情に厚い人で、今はアルビトロの下でバーのマスターなどしている――のことは今でも慕っているが、新しい上司のアルビトロには今だ敬意を抱けないでいる。そもそも、年端もいかない少年を切り刻んで喜んだり、部下を見捨てて一人逃げようとしたり、そんな輩を尊敬などできるはずがない。だから、男はアルビトロのトシマを捨てる計画を知ったとき、迷わず今の上司を見捨てることに決めて、反乱の手助けを始めたのだった。 若者を射殺したことに関して嘘をついたものの、小心者のアルビトロは、男の答えだけでは安堵しなかった。その結果が男の受けた指示だ。 処刑人の2人に仕事だと伝えろ――それが、男の受けた命令だった。 娯楽室に入っていくと、大音量で女の声が聞こえた。 『God is my witness they're not going to lick me!…』 音量を上げたスピーカーから流れ出る台詞と音楽。台詞は外国語で、何を言っているのか男には理解できない。音声の煩さに顔をしかめながら見れば、ソファの前に陣取ったキリヲがやけに真剣な面持ちで画面に見入っていた。 大型のテレビに映し出されているのは、どうやらかなり昔の映画であるらしい。美しい白人の女が画面に映し出され、土か何かを握りしめながら話している。隅には字幕も出ていたが、内容は男の頭には残らなかった。 ふと男は思い出した。 そういえば、見かけによらず、キリヲは古典的な名作映画を好むらしい。暇があれば時折こうして娯楽室のテレビを占領し、<ヴィスキオ>の他の誰もが興味を示さないような映画を鑑賞していることがある。もう一方の処刑人のグンジは別に映画に興味はないようだが、それでも趣味に没頭する相棒に対して一応の遠慮があるようで、キリヲが映画を見ているときはじゃれつくことをしない。大抵は余所で騒ぐか、そうでないときは映画の音声を子守唄にして、娯楽室のソファで寝こけている。 さて、今回はどちらだろうか――。男が室内に視線を巡らせると、すぐにグンジの姿も見えた。壁際の3人掛けのソファに、転寝している。彼は標準を越える長身なので3人掛けのソファでは長さが足りず、端からはみ出した足がゆらゆらと揺れていた。 男は、胃がひりつくような不安を抱きながら、娯楽室へ足を踏み入れた。それもそのはず、自分が加担する計画への脅威をこれから自分の手で呼び起こさなければならないのだ、ストレスを感じないはずがない。 のろのろとキリヲに近づいていって、男は声を掛けた。 「おい。アルビトロが仕事だと言っている」 「――あぁ?」 邪魔が入って不機嫌そうな様子で、キリヲは顔を上げた。座ったままの低い位置から、ギロリとこちらへ目を向ける。別段見下ろされているわけでもないのに、男は上から押さえつけられるかのような威圧感を覚えた。 そんな男の怯えなど意に介さない風情で、キリヲは手にしていたリモコンで映画を停止にした。 「ビトロが何っつて?」 「お前とグンジに仕事だ、と。お前は応接室で監視、グンジは外の見回りと違反者の摘発だそうだ」 「応接室…」低く呟き、キリヲはすっと目を細めた。「ってぇと、監視するのはあの…何か甘ぇ匂いのする、跳ねっ返りの猫みてぇな嬢ちゃんか。そりゃぁ、ヒヨは付けられねぇよな。何せ、一度失敗してるからなぁ」 キリヲの言う失敗とは、グンジがアルビトロの命令を無視したことだ。何でも、連れて来いと言われた者を、取り逃がしてしまったらしい。男は詳しいことは知らないが、キリヲの口振りからして、応接室に監禁されている人物がグンジの命令違反に関わっていたらしかった。一体何があったのか、と思いはしたが、男は尋ねはしなかった。処刑人はどちらも危険な感じがする。必要最小限の外は、関わり合いを持たない方がいい。 そう思っていると、不意にキリヲがぬっとソファから立ち上がった。そして、グンジの方へ歩いていき、彼が眠るソファの側面を蹴飛ばした。 ガン、ガン、ガン。 ソファが壊れるのではないか、と男が不安に思うほど蹴ること数回。ようやくグンジがばっと飛び起きる。 「だー!何しやがる、このクソジジイ!眠れねーだろーがっ!!」 「目が覚めるようにやってるからな。――おい、ヒヨ、仕事だ仕事。俺は今から<城>で猫のお守り、オメエは外で駄犬共を見回りだ」 「げっ、面倒くせー。今日は<王>戦なんだし、見回りしなくたって、参加者ほとんど<城>に来るじゃねーか」 「ビトロの命令だ。もし外の駄犬共がおかしな動きをしてるときは――分かってんだろ?潰せよ。情に流されんじゃねーぞ」 「当たり前ぇだろー。俺は、“こっち側”の人間だぜー」 不意にグンジが声を落として頷く。箍が外れたような普段のハイテンションとは打って変わって、底冷えするような低い声。長い前髪の間からのぞく双眸に、残虐と狂気の色が浮かんでいる。 男は自分が揺り起こした2人の悪鬼の姿に、思わず目眩すら覚えた。 ふと脳裏に、兄貴分のいるバーで出会った女の顔が浮かぶ。今回の反乱の鍵とも言える役割を担う彼女――けれど、処刑人の2人から逃れて生き延びるには、彼女はあまりにも弱々しく頼りない。 もし、彼女やその仲間が処刑人と出くわしたら…。 腹の底で、ひりつくような不安が強まるのに、男は唇を噛んで耐えた。 ※文中の映画の台詞の引用元 "God is my witness they're not going to lick me! I'm going to live through this and when it's all over, I'll never be hungry again!" 「神よご覧下さい。私は負けません!この苦難を生き抜き二度と飢えません!」 スカーレット・オハラ『風と共に去りぬ』 目次 |