11.
ガキンッ。 不意に遠くで金属製の何かがぶつかるような、甲高い耳障りな音が響き渡る。その音に驚き、私ははっと顔を上げた。 今、私はチーム同士の相談に立ち会うため、西区と中央区の境目あたりにあるコンビニに呼び出しを受けて来ていた。コンビニは、トシマの他の建物と同様に廃墟になっていて、店内に立ち並ぶ陳列棚にも商品は残っていない。その棚で外からの人目を遮るようにして、トウヤとユキヒト、それに南区のチームのリーダーと副リーダーが話し合いをしている。私はといえば、護衛として同行してくれたユズルとキョウイチと共に、彼らの話し合いをただ聞いていた。意見があれば言えと最初に言われていたが、今のところ、口を出すべきような事柄は何もなかったのだ。 そんな、あまり人目につきたくはない状況であったから、不意の大きな物音に驚いた私は、思わず跳び上がりそうになった。驚きの声を上げかけるのを堪えて周囲を見れば、他の皆もはっと身構えた姿勢のまま、音のした方向へ目を向けている。抑えた相談の声が低く聞こえていた店内は、一気に緊張を孕んだ沈黙が支配する場へと変わってしまった。 と、沈黙をかき乱すように、店の外の通りから話し声が聞こえてきた。声の主は、通りすがりのイグラ参加者の青年たちのようだ。 「――さっきの、処刑人じゃねぇか…!」 「いつも<王>戦開催の日は出てこないのに、一体どうしたんだ!?」 「知るか。ただの気まぐれだろ。狂人の考えなんか、俺たちに分かるはずがないさ!」 通りすがりの2人の青年は、逃げるようにコンビニの前を走り過ぎて行く。その後を追うかのように、ガンッガンッと金属と何かがぶつかるような音が、次第に近づいてくる。 「あーダリィ。違反者がいないどころか、そもそも<王>戦の日に街をぶらぶらしてる人間が少ねぇし。やる気出ねぇー」 ガンッとまた響いた金属音と共に耳に届くのは、聞き覚えのある声――これは、グンジのものだろう。見つかってはまずい、と息を潜めて通りの様子をうかがいながら、私はふっと最後に彼に会ったときのことを思い出していた。 nと共に、<城>に侵入したときのこと。 出くわしたグンジが見せた表情。 傷ついた――置き去りにされて途方に暮れる子どものように、頼りなげな様子。 ツキンと胸が微かに痛んだ。 あのときも今も、グンジが<ヴィスキオ>側である以上、対立する立場にならざるを得ないのだということは、私も弁えている。それでも、一度は仲良くなった相手を困らせる行為をしているのだと思うと、やはり罪悪感を覚えてしまう。 きっと生きていくというのは、そういうことなのだろう。どんな物事も、はっきり白とも黒とも言い切ることはできない。万人が幸せになる善い行いも、万人が不幸になる悪い行いも、この世には存在しない。白とも黒とも言い切れないまま、自分がすべきだと思うことをしていくしかないのだろう。 私は胸に生まれたグンジへの罪悪感を、無理に打ち消そうとはしなかった。ただ、罪悪感を覚えると同時に、「それでも仕方がない」という諦めとも思い切りともつかない心境で、目の前で起きている出来事に意識を戻す。 通りからは、相変わらず時折グンジの声が聞こえてきていた。 グンジの声と彼が立てているらしい金属をぶつけるような物音は、少し遠ざかったかと思えば近くなり、また遠ざかっていく。聞こえてくる方向も、その時々によって違っている。どうやらグンジは、このコンビニの周辺を不規則に歩き回っているらしい。しかし、物音はあちこち移動しながらも、着実にこちらへと近づいてきているようだった。 まずい。これでは、皆、この場から逃げることもできない。 「くそっ…こんなときに処刑人かよ」声を潜め、トウヤが小さく舌打ちをする。 「まったくだ。ついてないな」南区のリーダーも、悔しげに顔を歪めている。 「しっ!…静かに。こっちへ来そうだ」 棚の陰から通りをのぞいたユキヒトが、皆に低く鋭く警告を発した。その直後だった。 派手な足音が、次第にこちらへと近づいてくる。とうとうグンジが、このコンビニの前に至ったのだろう。そうしているうちに、ふつりと通りで足音が止み、次の瞬間、またガキンッと金属のぶつかる激しい音が響いた。 そうか。あの金属音は、グンジが歩きながら手に嵌めた鉤爪で、辺り構わず壁やその辺にあるものをなぎ払っている音なのだろう。私は今更ながらに音の正体に思い至り、同時に背にひやりとしたものを感じた。 しばらくの付き合いから得た印象だが、グンジはイグラ参加者たちが言うような狂人ではない。ただ、どこか人格に成長し切れていない部分がある。時として現れる彼の残酷さは、その稚さに由来するもののような気がする。たとえば、子どもが捕まえた昆虫の足をもいでみるかのような。けれど、彼は大人で力もあるから、その稚い残虐性がこちらに向けられた場合、対処できなくなってしまうのだ。 見つかったときのことを考えて、私はグンジが残虐な気分でないことを祈った。 そのとき。 「あれー、おっかしいなぁ。この辺に何か気配があったのになぁ」 まるでこちらを意識しているかのようなグンジの言葉。誰かが隠れていることに彼は気付いていて、言葉で隠れている人間を煽ってプレッシャーを与えようとしているのだろう。 私は不安に身を固くしながら、グンジは既にこちらの居場所まで気付いているのだろうか、と考える。と、私の隣にいたキョウイチが――グンジの思惑通りというべきか――外からの声にギクリと身体を揺らし、その拍子に空の棚に肩をぶつけてしまった。 ガタン。 空の陳列棚が揺れる。その音は些細なものだったが、今のように息を潜めている状況ではやけに大きく聞こえてしまう。どうか気付かれませんように――祈る思いで息を詰めていると、やや間があって再び外から声が聞こえてきた。 「今、何か聞こえたな。鼠でもいんのかぁ?」 グンジの声は、笑っていた。 気付かれた――そのことを悟った全員が、顔を見合わせる。見回せばどの顔にも恐怖と混乱がありありと浮かんでいる。その中でもほとんど血の気を失っているのは、キョウイチだった。物音を立てたことに責任を感じているのだろう、彼は泣きだしそうに顔を歪めながら、静かに棚の陰から出て行こうと歩き始める。 キョウイチは、囮になるつもりなのだ。 とっさに私は彼の腕を掴み、その場に引き止めることに成功した。“どうして止めるのか”という眼差しで、キョウイチがこちらを見る。そこで、私は行っては駄目だという意味を込めて、首を横に振った。出て行けば、キョウイチはグンジに酷い目に遭わされるだろう。下手をしたら殺されてしまう。グンジの声や態度に滲む嗜虐の色が、それを物語っている。 だが、今、ここで一人として仲間を失うわけにはいかない。 計画に関わる若者たちを見ていて思うことだが、彼らはそれぞれに能力があり、計画の中でそれぞれに自身の役割を持っている。また、<ヴィスキオ>に乗り込む段階になれば、イグラに参加して腕に自信のある彼らは重要な戦力となってくる。それが減ることは、計画の成功にも関わってくる。 それに――嫌だ。駄目だ。誰一人として、失いたくない。全員が全員生き延びることは難しいが、出来ることなら誰一人欠けることなくトシマを出たい。それが不可能なら、出来る限り多くの人が生き延びられるようにしたい。 各チームを説得するとき、私はそう約束した。 約束したのだ。 「鼠、鼠、鼠ちゃーん、出て来いよぉー」 またもやこちらを煽るかのようなグンジの声音。私が掴んでいるキョウイチの腕が、声に反応してギクリと揺れる。その動揺を抑えるように、私はキョウイチの腕を掴む手に力を込めた。 そうする間にも、頭の中では感情とは別のところで冷静な計算が始まっている。各チームのメンバーも、源泉やマスターも、そして私自身さえ単なる駒と見なす――自分にそんなものの考え方ができるなんて、今まで考えても見なかった。 計算の答えはすぐに出た。 この場を切り抜けるには、やはり囮が必要だろう。そして、囮となるのは、欠けても戦力に影響の無い人間が相応しい。つまり、囮として出て行くべき者は。 『――私が行く』 腕を掴んでキョウイチを引きとめたまま、私は唇の動きだけでそう告げた。 声に出さずに、ちゃんと伝わっただろうか。言った直後に彼は動きを止め、目を見開いていたから、おそらく伝わっているだろう。そう判断して、私は今度はトウヤたちを振り返り、キョウイチにしたのと同様に唇の動きだけで『私が出て行くから』と告げる。 そして、皆の反応を待たずに、陳列棚の陰から跳び出した。 「あ!やっぱりいたじゃん、鼠!自分から出てくるなんて、結構勇気あるな、オメェ」 グンジが楽しそうに言う。その言葉を聞きながら、私はゆっくりと顔を上げた。コンビニの前の通りに立つグンジと店内にいる私。ガラスが割れて枠だけが残った扉を間に置いて、互いの視線が交錯する。 私は真っ直ぐにグンジの目を見つめた。 と、グンジの顔に貼り付いていた狂ったような笑みが、滑り落ちるように一瞬にして掻き消える。彼は、今や呆然としてこちらを見ていた。その唇が、微かに言葉の形に動くのが見えた気がした。 ネズミ――と、彼の唇は動いたようだった。 けれど、次の瞬間には、グンジの顔から驚きの色は消えていた。再びあの狂ったような笑みが戻ってきて、その双眸に輝く嗜虐の色に圧倒されてしまいそうになる。 「オメェ、女か。こんなところで何をしてるんだよ?ここがどこか分かってんのか?女がトシマに来るなんて、食って下さいって言ってるようなもんじゃん」 そんな言葉と共に、グンジが店の扉へ近づいてくる。 まずい。店内に入ってこられては、皆が見つかってしまうかもしれない。そう思った私は足早に店の扉まで歩いていき、扉を押して店の外へ出た。緊張で震えそうになるのを堪えて、グンジの前に立つ。 怖いのは、グンジではなかった。 それよりも、仲間たちが見つかるのではないかと不安だった。それに、これから自分がどう扱われるのか考えると、かってアルビトロに捕まったときのことばかり思い浮かび、怖くなってくる。それでも、グンジ自身を恐ろしいと思うことはない。 不安を表情に出せば、きっとグンジの嗜虐性を煽ることになるだろう。そう思って、私はなるべく不安や恐れを顔に出さないように気をつける。そうしながらも、手は無意識の内に胸元へと向かっていた。指先に触れたものを掌の内に包み込み、ぎゅっと握り締める。握り締めたものの角が皮膚に食い込むちくりとした微かな痛みで、私はようやく自分の手の中にあるものが何なのかに気付いた。 これは――シキのロザリオ。 リンから、元はシキの母親のものだったと聞かされた。指先で裏側を辿れば、表面に彫られた文字の感触が伝わってくる。擦り切れて殆ど読めない言葉――“With every good wish”――“心よりの好意を込めて”。 私はシキに必ずこれを返すと約束した。 これがあれば、私がシキに会いに行く理由になるはずだ。 最後に別れたときこれを投げて捨てて行ったシキが、受け取ろうと思ってくれるならば。 「――私は違反者ではありません。そもそもイグラにも参加していないのだから、イグラのルールは私には関係ありません」 顔を上げてしっかりと言えば、向き合うグンジは意外に思ったのか、微かに目を見開く。 「イグラ参加者じゃない…?ならオメェ本当に何でトシマにいるんだよ。余程の理由がなけりゃぁ、女がトシマに来るわけが、」 「<王>に会うために」 「<王>に?オメェ、タグ集めてんのか?その割には、噂も聞いたことがねーな」 「いいえ。タグを集めている暇はありません。それに、そうすることの意味も」 私は首の後ろに手を回し、ロザリオの留め金を外した。そして、首からロザリオを外して手に持ち、グンジの目の前に掲げてみせる。 「私は<王>の関係者です。このロザリオがその証拠です。これを見せれば、<王>は私が来たこと分かるはずです。――あなたは<ヴィスキオ>の人間なのでしょう?なら、私を<王>の元へ案内して下さい」 しばらくの間、グンジはじっとロザリオを見つめていたが、やがて顔を上げた。私に視線を当てて、すぅっと目を細める。まるで、何かを見極めようとするかのように。 「コレ、最初からオメェのモンじゃなかっただろ。“前の持ち主”はどうした?」 おそらくグンジは、ケイジのことを言っているのだろう。まだケイジの身体に入っていた頃から、私はロザリオを身に着けていた。だから、そのことを知っているグンジはこのロザリオが一旦ケイジのものであったのに、彼が姿を消して代わりに私が身につけていることに、不審を覚えているに違いない。 けれど、ケイジのことを話すわけにはいかなかった。ロザリオを私に預けたのがシキでなければ関係者としての証拠にならない。それに、ケイジのことで追求されたら、タイムスリップのことを現実と折り合いが付くように説明する自信が無い。だから、あくまで白を切ることにした。 「…前の持ち主は<王>です。私はあの人から預かったんです」 「――ふぅん」 グンジは何か言いたそうな表情を見せたが、結局何も言わず、頷いただけだった。そして、鉤爪を嵌めた右手を掌を上にしてこちらへ差し出し、まるで手招きのような仕草をする。 「そのロザリオ、寄越せよ。案内する代わりに、預からせてもらうぜ。――んな不安そうなカオすんなって、盗ったりしねーし」 「えぇ、分かってます。あなたはそんなことする人じゃない」 次の瞬間、不意にグンジが目を見開いてこちらを見た。一体何だと言うのだろう。不思議に思って首を傾げると、グンジはこちらも不思議そうに「オメェ、俺が怖くねぇわけ?」と尋ねてくる。 自分で自分が怖くないかと尋ねるのも妙な具合だな、と思いながら、私は首を横に振った。 「どっちかというと、その鉤爪が怖いです。手を伸ばしたら、刃に当たって怪我しそう」 「ふーん…」 いまいち納得したのかしていないのか分からないような調子で相槌を打ちながら、グンジは自分の鉤爪に視線を落とした。が、やがてくるりとこちらに背を向けて、何やらごそごそし始める。一体どうしているのか、と思っていると、再びこちらに向き直ったグンジは、また私の前に左手を差し出してきた。 彼の左手からは、鉤爪が外されていた。 「これなら平気だろー。ほら、さっさとロザリオ寄越せって」 「えっ…はい」 驚いた拍子に、私は言われるままにロザリオをグンジの掌に載せてしまう。一瞬だけ触れ合った手は体温が高く、何だか子どものようだ。 そうしてロザリオを手放してしまうと、私は何となく落ち着かない気分になった。別にグンジが盗んだり失くしたりすると疑うわけでもないのだが、ただ自分が縋るべき糸を失ったかのような覚束なさを感じるのだ。 グンジはロザリオを受け取ると、それをピンク色のパーカーのポケットに仕舞いこんだ。それから、仕切りなおしのように「んん」と伸びをして、私の横をすり抜けコンビニの方へ歩いていこうとする。 「ちょっと待ってろよ。迷子の鼠を案内するまえにぃ、仕事を片付けないとなー」 「仕事って…待って、そこに隠れていたのは私だけで、」 「だけどよぉ。何か変な気配がするんだよなぁ」 「駄目っ!」 とっさに私はグンジの左腕を掴んだ。その行動に驚いたグンジの視線が、こちらへと向けられる。私は俯きながら「その…時間がないから、早く<城>へ行かないと」と言い訳を口にする。 と、そのとき丁度いいことに、陳列棚の陰から跳びだしてきた小さな影があった。薄汚れた灰色の毛並みをした猫のようだ。「何だ、ネコかよ」つまらなさそうにグンジが言うのを聞いてほっとしながら、私は彼の腕を掴んでいた手を離す。すると、今度はグンジが私の手を鉤爪のない左手で掴んだ。 「それじゃぁ、オメェを<城>に連れてってやるよ。だけど、おかしいなぁ…何かの気配がしてたのになぁ」 首を傾げながら、グンジは私の手を引いて歩き始める。左手から外した鉤爪を右手に持っているものだから、歩くたびに右手に嵌めてある鉤爪とぶつかって金属同士のぶつかり合う音が聞こえてくる。まるで猫の首輪の鈴みたいだ。 手を引かれていきながら、私はそっと後ろを振り返った。そして、遠ざかっていくコンビニを見ながら、ほっと息をついた。 *** 源泉がケイスケと共にホテルへ戻ると、バーには重苦しい雰囲気が漂っていた。店内に入りかけて思わず足を止め、源泉は辺りを見回した。どうも人が多いと思ったが、どうやら今、店内には反乱に協力する約束を取り付けた4つのチームにのリーダー全員が揃っているようだ。そのことに、源泉の中で漠然とした不安が生まれた。 今まで4つのチームは特に顔合わせをするでもなく、連絡を取り合いながらも個々に動いていた。それが、今になってこうして集まっているのは、何か問題が起きたからに違いない。そうでもなければ、計画ではこの時間は皆他のイグラ参加者に紛れて会場に並び始める頃合、こんなところに集まっているはずがない。 「――おいおい、皆、集まってどうしたんだ?」 敢えておどけた口調で言いながら、源泉は店内へ入っていった。集まった若者の数人が顔を上げてちらりとこちらを一瞥するが、すぐにまた視線は伏せられてしまう。その雰囲気に、不安を覚えた。 反乱に協力する各チームは烏合の衆のようなものだが、今までのところ上手くまとまっていたと思う。がいたからだ。彼女はリーダーとして先頭に立って皆を引っ張っていくようなタイプではない。だが、各チームの間に立って衝突を防ぐ緩衝材として、或いは、親和を促す触媒として、十分な働きをしてきた。それでも、さすがに解決しきれない問題だったのだろう。 そんなことを考えながら、源泉はバーの店内にの姿を探す。けれど、彼女の護衛役を買って出たユズルとキョウイチの姿はあるのに、彼女自身の姿は見当たらない。まさか、と考えたとき、源泉の考えを代弁するかのようにケイスケが言葉を発した。 「――あの、さんはどこに?」 その言葉に、その場にいた若者たちがギクリと身体を強張らせる。 不安を抱きながらさらに問いかけようとした源泉を見計らったかのように、暗い面持ちのマスターが近づいてきた。 「は――処刑人に連れて行かれたわ」 「何っ…」源泉は低く呻き声をもらす。 「そんな…」一瞬絶句したケイスケは、それでもすぐに顔を上げた。「だったら、助けないと。マスター、<城>の内部のことをもっと教えてください。リンを救出するとき、アキラと彼女も一緒に――」 「いや、この計画は中止した方がいい」 ケイスケの言葉を打ち消すように、集まった若者の一人が言葉を発した。彼は肘を突いて身体を預けていたカウンターから離れて、フロアの中央へと歩み出てくる。自分の言葉への反応を確かめるように順に皆の顔を見ていく彼の素性は、源泉がトシマで集めた情報の中にあった。 確か、東区で最も有力なチームのリーダーだ。 東区のチームはイグラに参加している中では、北区のトモユキのチームに次ぐ力があるという。それでもあまり目立つ存在ではないのは、源泉の分析したところでは、チームの性格としてやや慎重な――裏を返せば疑い深くて勢いに乗れないところがあるせいだ。リーダーの性格が反映されてのことだろう。 「…こんなことになったのは残念だが、もう反乱を実行できるような状況じゃない。どうせ計画は、もう<ヴィスキオ>にばれてる。今頃あの姐さんが吐かされてる頃さ。予定通りに実行したら、潰されるのはこっちだ」 「確かにな」東区のリーダーの言葉に、南区のチームのリーダーが頷く。「処刑人に連れて行かれて、あの人が無事だとは思えない。待っているのは嬲り殺しか、レイプか…。あの人が計画に賭けてた熱意は尊敬するけど、そんな状況になれば、誰だって計画を吐くさ。況してやあの人は、どう見たって戦争も苦労も知らないお嬢さんだ。耐えられるはずが、」 と、南区のリーダーの言葉が終わらないうちに、傍にいた茶色の髪の若者が彼に跳びかかかる。2人はもつれ合い、テーブルや椅子にぶつかりながら、床に倒れこむ。そして、茶色の髪の若者は素早く南区のリーダーの上に馬乗りになると、襟元を掴んでがくがくと揺さぶった。 「お前、よくそんな他人事みたいに言えるな!あのとき姐さんは、俺たちを庇ってグンジの前に出て行ったんだぞ!?それを、自分は関係なかったみたいに、嬲り殺しだのレイプだの言えるな!」 「っ…口に出そうが出すまいが、それが処刑人に捕まった人間の末路だろ。…俺だって、あの人が無事ならどんなにいいかと思うよ。だけど、そんなのは夢で、現実はもっと残酷だ。――あの人が<ヴィスキオ>に情報を渡しても、俺は恨む気はない。むしろ…そうすることで、あの人の扱いが少しでも良くなるなら、受ける苦痛が減るなら、そうして欲しいくらいだ」 だって、あの人は女だ、と南区のリーダーは言った。 それ以上の言葉はなかったが、この場にいる人間は多少戦争に関わったことがあるから、その意味は理解できただろう、と源泉は思った。源泉は傭兵として雇われていた頃にも見てきたが、戦場で囚われた女はそれは残酷な扱いを受けることも多い。もちろん捕虜の扱いに関する国際協定も存在するが、非日常の中で理性の箍が外れた人間は、人道的な協定など簡単に無視してしまえるのだ。そして、この旧祖は、ニホン国内のどこよりも、戦争状態に近い場所だった。 茶色の髪の若者は、南区のリーダーの上で、動きを止めてしまった。すると、近づいてきた赤毛の青年が、その肩を緩く掴む。赤毛の青年――ユキヒトのことは、源泉もよく知っていた。西区のチームの副リーダーのような立場で、情報屋顔負けの情報通でもある。 「トウヤ」 ユキヒトは茶色の髪の青年――トウヤに声を掛けて、宥めるように肩を撫でる。すると、トウヤは俯いたまま、責める気力を失ったように南区のリーダーの上から退いて、のろのろと立ち上がろうとする。すると。 「…<ヴィスキオ>は、には手を出せないわ。だって、」 口にすべきか迷っていたような声で、マスターが言う。その言葉に、皆が一斉にマスターに視線を向ける。注目を浴びながら、マスターは更に驚くべきことを口にした。 「だって、は――<王>の女だから」 *** 突然のマスターの言葉に、源泉は俄かに混乱した。混乱しながら頭の隅で、と<王>の女――情婦という肩書きの不似合いさに違和感を覚える。それだけではない。マスターが以前源泉だけに漏らした情報では、――の相手は…。 混乱と違和感を他の皆も覚えたようで、何とも言いがたい呆然とした表情で動きを止めている。そんな中、前触れもなく東区のリーダーがハッと短く声を上げて笑った。 「彼女が、<王>の女?だとしたら、反乱を起こすっていうのは最初から<ヴィスキオ>の仕組んだ罠だったんじゃないか。最初から、こっちに反乱を計画させて、彼女を使って情報を集めて、俺たちを潰す気だったんだ」 「それは違うわ!」はっとしたマスターが、東区のリーダーに反論する。「に<ヴィスキオ>との繋がりはない。あの子と会って話したなら、あなたにも分かるでしょ?あの子はイグラ参加者を見捨てようとするアルビトロのやり方に、怒りを覚えていた。<ヴィスキオ>に情報を流したりなんかしないわ」 「だけど、彼女は<王>の女なんだろう?<ヴィスキオ>への反乱計画に加担するのは、<ヴィスキオ>の<王>に――自分の男に逆らうことだ。どうして、わざわざそんなことする?」 「そんなの、は<ヴィスキオ>のやり方も<王>のやり方も、正しくないと思ったからに決まってるでしょ。自分の男の言うことだって、女は従うばかりじゃないわよ。ましてや、あの子は<王>の女になるくらい腹の据わった子だもの」 マスターの言葉に、それでも東区のリーダーは「信じられない」と言う。 と、そのとき、店の隅で小さくなっていた青年が呻くような声を上げた。の護衛役をしていたキョウイチだ。彼は店の隅から中央へ走り出ると、東区のリーダーの足元に縋りついた。 「信じてくれ!姐さんは、<ヴィスキオ>のスパイじゃない。姐さんは女の身でトシマを歩くのが危険なのも分かっていて、それでも自分がチームの説得に回ると決めた。危険を覚悟して、自分が欠けたら自分には構わず計画を進めてくれとも言ってた。戦争も苦労も知らないはずの女が、それだけの覚悟をしてたんだ。スパイなんかじゃ、きっとそこまでできない。――今回姐さんが捕まったのは、俺がヘマをしたからだ。俺のヘマのために、姐さんが危険を覚悟して成功させようとした計画を止めないでくれ」 「あれは、お前が悪いわけじゃない」仲間のユズルが言うのに、 「違う。護衛役なのに、姐さんを守れなかった」とキョウイチは首を横に振る。 「――言ってることは分かるぜ」 唐突に、それまで黙っていた赤毛の青年が、キョウイチを宥めるように言った。 トモユキという名の彼は、源泉の持つ情報では、トシマのイグラ参加者の中で最大勢力とも言えるチームのリーダーだ。そのせいだろうか、トモユキの発言に、皆自然とその言葉を聞く体勢になっている。 「分かるが、俺たちには自分のチームがある。リーダーであるからには、自分のしたいことじゃなくて、チームを守ることを優先に考えなきゃならないときもある。だから、この辺でもう一度はっきりさせようぜ。――各チームのリーダーは、今もう一度計画に協力するかを決める。外れるチームは、計画のことを部外者に漏らさないし、もちろん<ヴィスキオ>にも密告らない」どうだ、というようにトモユキは他の3人のリーダを順に見ていく。それから、また口を開いた。「――異議がないなら俺からだ。うちのチームは今後も計画に協力する。うちは、リンの救出とメンバーの脱出が成功すれば、何でもいいからな」 すると、答えを聞いた副リーダーらしき眼鏡の青年が、肩を竦めた。「あんな大層な前振りしたのに即答するなよ。何にも考えてないみたいに見えるじゃないか。まぁ、トモユキは考えてないんだろうけどさ」と、低くぼやく声が聞こえてくる。 「うちも外れる気はないぜ」トモユキに負けじと、勢い込んだトウヤも言った。「こっちは処刑人に死んだ仲間を持って行かれたんだ。イグラのルールだけど、あれは許せねぇ。<ヴィスキオ>だけが笑う結末にはさせねぇぜ」 最初の2チームが協力の継続を表明したからか、流れはすっかり協力の継続に傾いてしまったようだった。話し合いの間やや消極的な姿勢を見せていた残り2チームも、最終的には今まで通り計画に参加するということで、話は決まった。 *** いよいよあと30分後には、<城>で<王>戦の前座が開始されるというとき。源泉はマスターと共に、すっかり人気のなくなったバーの店内にいた。 計画へ参加する意思を再確認した各チームのリーダーは、それぞれ仲間の元へ戻って行った。今頃はチームのメンバーを連れ、<城>へ移動している頃だろう。また、ケイスケも源泉が入手した爆弾を仕掛けるのに最適な位置を探すため、ユズルとキョウイチと共に先に<城>へ向かった。今は、前座の試合を観戦しようと集まった他のイグラ参加者に紛れているだろう。都合のいいことに、<ヴィスキオ>は今回前座の試合の後、<城>の庭で食料の配給を行うと宣伝していたから、観客は多い。紛れるのには好都合だ。 店を出るために律儀に戸締りをしているマスターを手伝いながら、源泉はそれまで黙っていた疑問を口にした。そのことを尋ねるために、わざわざ残っていたといってもいいくらいだ。 「なぁ、マスター。お前さん、以前…の相手はシキだと言ってたよな」 「えぇ、言ったわ」 「<ヴィスキオ>の<王>の正体ってのは――シキか」 「…そうよ。だけど、そのことを明かせば、皆怯えてしまうかもしれない。だから黙っていたの」 「だろうな。しかし、本当には無事なのか?シキが<王>だとしたら、あいつは完全に<ヴィスキオ>の運営に関わっちゃいないはずだ。<ヴィスキオ>の内部のことはアルビトロの胸一つって状況じゃぁ、あの変態は何をするか分からん」 「大丈夫よ。少なくとも、アルビトロが<城>を捨てるまではね。どうしてか分からないけど、アルビトロはシキに逆らえないみたいなの。シキが強いからとかじゃなくて…何だか借りか弱味でもあるみたい」 弱味、もしくは借り。 それは一体何だ――。源泉は深く考え込んだ。そもそも、アルビトロはどうして自分が<王>になろうとしないのだろう。<王>戦など、自分が闘わなくても処刑人にでも闘わせておけばいい。シキは、<ヴィスキオ>にとって明らかに異物だ。そのシキをなぜ<王>にしなければならないのか。 単に<王>戦を闘う役割でシキを雇うなら、<王>という肩書きを与える必要はない。もしかして、シキがアルビトロを雇って、<ヴィスキオ>の管理を任せたのだろうか。だとしたら、ラインを流通させ始めたのは、アルビトロではなく――。 「やっぱり、念のために頼まれてくれるかしら」 不意にマスターの声が聞こえて、源泉ははっと我に返った。 「頼み?何だよ、いきなり」 「<王>戦のとき闘技場に入ったら、シキにのことを伝えて。もしかしたら――アルビトロは、もう、シキから離反し始めているかも。アルビトロのシキに対する借りが全てなくなったら、が危ないわ」 目次 |