9.





 トシマの有力なチームに協力を求める。そのために、各チームのリーダーを説得する。それが私に課せられた課題だった。けれど、何をどのように諭せば、彼らを味方につけることができるのか――。
 道々、ひたすらそのことばかりを考えていた。そのうち中立地帯であったという映画館に辿り着き、ユズルが表にいた青年に用件を告げてリーダーへの面会を求めた。その場にいた者の中にユズルを知る者でもいたのだろうか、私たちは思いの外早く中に招き入れられる。その間にも、顔には出さないようにしながら、私はずっとどう説得すればいいのかと迷い、焦り続けていた。
 腹が据わったのは、リーダーの青年と向き合った瞬間だ。
 劇場脇の小部屋で、私たちは彼と対面した。北区のチームのリーダーはトモユキという橙の髪にすこし厳しそうな面差しの青年で、こちらへ向ける眼差しは怜悧だった。その目を見ながら、私はふと思った。自分は交渉ごとなんてやったことはない。上手く話せる自信もない。そんな人間の口にする当たり障りのない文句が、どうして他人の意思を動かせるだろうか。今更じたばたしたところで、どうしようもないのだ。
 だから、最初からごまかすこともぼかすこともせず、真っ先に用件を告げた。

 「協力していただけませんか」

 そう言ったとき、トモユキと私たちを案内してきて背後に控えていた青年が、はっと息を呑む気配があった。が、さすがにトモユキはリーダーだけに腹が据わっているようで、すぐに驚きの表情を押し隠すと、先を続けるように促した。


 事情を話す間、トモユキは一言も発しなかった。そして、私が話し終えてからもしばらくの間、沈黙を続けた。彼の面持ちは相変わらずの無表情で、一見冷徹なまでに<ヴィスキオ>への反乱に乗ることで得られる利益を計っているかのようにも見える。けれど、古びたソファの肘掛に掛けた右手の指は、沈黙を守る態度とは裏腹に、落ち着かなげに刻んでいた。
 迷いの気配を感じた私は、もう一押ししようとして口を開く。と、そのときトモユキが顔を上げ、ひたとこちらを見据えた。
 「お前の話には、乗れねぇな」
 きっぱりと、切り捨てるような口ぶりで宣言される。とっさに私が「どうしてですか」と食い下がると、トモユキは唇を歪めるようにして皮肉げな笑みを浮かべて見せた。
 「どうして?どうしても何も、俺たちは仲間と騒いだり、気に食わない奴らと喧嘩したり、そのためにツルんでるだけだ。<ヴィスキオ>がどうだろうが、知ったことか。俺たちは正義の味方になって、悪を倒したいわけじゃない。そういうことは、警察の仕事だろ。あいつらはそれで飯食ってるんだ。俺たちみたいに権力のない奴らの訴えなんか、どうせ碌に取り上げないのなら、国が問題視してる<ヴィスキオ>を潰すくらい働けってんだ」
 「えぇ、それが一番だと思います。でも、警察なんか待ってられない。先程も説明しましたが、今日にもアルビトロは<城>を爆破します。そうしたら、<城>の地下にある脱出路も塞がれてしまう。時間がないんです。――それに、<ヴィスキオ>への反乱を正義だとは思いません。ただ生きてトシマを出るために、他に方法がないからそうするだけ」
 私が反論すると、トモユキは素っ気ない態度で幾つか協力できない理由を挙げた。
 彼が挙げた主な理由は、情報の不確かさとリスクの大きさだった。<ヴィスキオ>に反乱を起こすとしても、共に闘うことになる人間――私やマスター、そしてこれから説得する他チーム――が信用できる相手だという保証がない。それに、それ以前に説得して回っても他チームが協力しなければ、反乱を起こしても孤立して追い詰められてしまう。成功すれば内戦を避けてトシマを逃れることができるとしても、そのようなリスクがある以上、チームのメンバーを関わらせることはできない、というのである。
 と、そのときだった。私たちの背後に控えていた青年が、唐突に声を発した。
 「無理をするな、トモユキ」
 「…タカハシ?」
 どういう意味だ、というようにトモユキは眉をひそめて青年を見返す。
 その視線を受けて、タカハシと呼ばれた青年は背中を預けていたドアの脇の壁から身を離し、一歩前に歩み出た。私やユズルたちを間に挟んで、彼はトモユキと向き合う格好になった。
 「お前、本当はこの人たちに協力したいんだろ」
 「馬鹿、そんなわけねぇだろ」
 「いや、そうだ。この人たちの話じゃ、<王>戦開始と同時に闘技場を爆破して陽動にする、そのとき<王>への挑戦者を救出する別グループがあるってことだった。お前、それをきいたときホッとしただろ。挑戦者―リンを、お前は本心では死なせたくないんだ」
 「ちがうっ!」
 ガタリとソファを蹴って、トモユキが立ち上がる。彼は、突然の口論に驚き戸惑い動けずにいる私を押しのけると、つかつかとタカハシに歩み寄った。そして、ぐぃと乱暴な動作で、タカハシの衣服の襟元を掴んで引き寄せる。
 「リンは…あいつは裏切り者だ!どこで死のうが、俺たちには関係ない」
 トモユキは襟元を掴んだまま、ぐらぐら乱暴にタカハシを揺さぶる。対するタカハシは、彼の激昂にも慣れているのか、どこ吹く風と言った冷静な表情で、為すがままになっている。
 しかし、今にもトモユキがタカハシに手を上げそうな気配で、私はぎくりとした。見かねて思わず「やめて」と声を上げ、2人の間に割って入ろうと動きかける。と、ユズルが私の肩を掴んで押し留めた。傍にいるユズルを振り仰げば、“口を出すな”と眼差しだけで制止される。しかし、このままではトモユキの一方的な暴力に発展するのではないか、という不安は拭い去れず、私は再びトモユキとタカハシの方へ目を向けた。
 と、そのとき、タカハシが揺さぶられながら声を発した。
 「リンがどうなろうが知ったことじゃない、なんて嘘だ。トモユキは、本当はそうは思っちゃいない。そうでなきゃ、ずっとリンのことを気にし続けるはずがない。昨日の夜だって、どうでもいいならチームに誘ったりしなかったはずだ。――大丈夫、俺たち…元<ペスカ・コシカ>のメンバーは、お前を責めたりしないよ。お前がどれだけ<ペスカ・コシカ>のことを大切にしてたのかは、皆分かってる。俺、最近思うんだ。皆、チームが好きで、だから、あんな風に壊れてしまったことを受け入れられなくて、リン一人を責めて追い詰めた。だけど、そうすることで誰一人幸せにはならなかった。だったら、もうリンを責めたのは間違いだったと認めてしまってもいいじゃないかって。――もちろん、間違いでは済まないことだけど、認めるのが怖くていつまでもリンを責め続けるのは、卑怯だ」
 「…っ」
 絶句したトモユキが、タカハシの襟元から手を離す。その手は力を失って、だらりと身体の横に垂れた。
 解放されたタカハシは、呆然としているトモユキの肩を軽く叩いた。そして、励ますように微笑む。
 「本当は、反乱に参加することで、リンが<王>に挑戦するのを止めたいんだろ?お前のしたいようにしろよ。元<ペスカ・コシカ>のメンバーは、皆、お前の考えにきっと賛成する。新参の奴らだって、反乱が成功すりゃあ生きてトシマを出られるんだから、文句は言わないさ。――俺たちは、トモユキだからリーダーと認めたんだ。仲間を大切にして、考えるより先に手が出るタイプで…それでいいって認めたんだ。お前は昔のリンの真似をしようとしてるけど、お前らしくなきゃ意味がない」
 呆然とタカハシの言葉を聞いていたトモユキは、不意にふっと笑みを浮かべた。相変わらずの皮肉げな笑み。けれども、どことなく清々しさが見える。すぃと右手を持ち上げたトモユキは、拳を作ると軽くタカハシの胸を殴る動作をした。
 「誰が直情型だって?だが、確かにいろいろ難しいこと考えるのは、俺の柄じゃねぇな」
 「そういうこと。あんまり悩んでるとまた知恵熱が出るからやめとけ」
 リーダーと認めたという割にはふてぶてしい態度で、タカハシはトモユキの言葉に頷いている。これでまた喧嘩になるのでは、と私は一瞬ひやりとしたが、トモユキは笑って受け流してからこちらを振り返った。

 「待たせたな。そーいうことだから、手ぇ貸してやる」



***


 トモユキの約束を取り付け、その場で少し打ち合わせをしてから、私たちは次のチームの溜まり場へと向かった。
 次のチームは西区を本拠地としている。キョウイチの話では、リーダーはトウヤという名の青年で、チームとしては小規模だが結束が固く、個々のメンバーも実力者揃いだということだった。また、メンバーの中に情報収集に長けた者がいて、トシマの現状にも通じているらしい。そういう先見の明のあるチームであるから、説得は並大抵のことではないように思えた。
 トウヤのチームが溜まり場とする廃倉庫の中で、私はユズルと共に彼らとの対面を果たした。
 対面にあたって、私はユズルとキョウイチが倉庫の中まで同伴することを断ろうとした。というのも、これは先程のトモユキのチームの場合とは全く異なる状況だからだ。トモユキはユズルの昔の仲間であったし、チームの中に他にも知り合いがいたようだった。けれど、トウヤのチームの中には、私たち3人とも知り合いがいない。そんな未知の相手の縄張りに踏み込むのだ、どういう危険が待っているとも知れない。
 そもそもイグラ参加者を反乱に引き入れるというのが私の提案した“冒険”である以上、私の責任で行うべきだった。この“冒険”に全てを賭けるのは、自分ひとりでいい。護衛の申し出を受け入れたとはいえ、ユズルとキョウイチを生命の危険にまで晒すことは避けたかった。
 けれど、ユズルもキョウイチも、頑として倉庫の外で待つことを承知しなかった。ここでイグラ参加者を引き入れられなければ反乱は失敗し、誰も生きてトシマを出られない。それなのに今更一時身を惜しんでも仕方がない。彼らはそう言って、結局最後にはユズルが私と共に倉庫の中へ入ることになった。それでも、中に入った私たちに万が一のことがあった場合を考えて、キョウイチは外で待っていることになった。もしも、私たちが倉庫から出てこなければ、キョウイチがマスターに説得の失敗を報せに走るのだ。
 倉庫の中はがらんとして埃っぽく、そして少し意外なことに明るかった。
 見上げれば、その理由はすぐに分かる。平屋になった建物の天井近く、壁の高い位置に大きめの明り取りの窓がいくつか開いているのだ。窓にガラスは既に無いが、誰かが手を入れたらしく、枠だけの窓に透明なビニールが張られていた。ビニールは雨や埃で薄汚れ半透明になっていたが光を通しており、今も曇り空とはいえ昼間の光が弱く差し込んでいる。そのお蔭で、倉庫の中は薄ぼんやりと明るいのだった。
 薄暗い倉庫の奥、無造作に積み上げられた廃材の上に腰を下ろして、リーダーのトウヤは私が訪問の目的を説明するのを聞いていた。彼を中心として、倉庫の中に拡散するようにちらほらと、仲間の姿が見える。意外に、人数が少ないようだった。今チームのメンバーが皆この倉庫に揃っているわけではないのかもしれないが、それにしても映画館のトモユキのチームよりは人が少ない。それに、雰囲気も違っている。トモユキのチームは大所帯のせいもあってか他人が入り込んでも紛れてしまえたが、こちらはメンバー同士が親密な様子だからか自分が場違いなところに来てしまったかのような心細さを覚える。


 「あんた、正気か?」

 話を聞き終えると、トウヤはそう言った。
 「イグラ参加者を引き入れて<ヴィスキオ>に反乱なんて…正気じゃない。普通はそんな話には乗らない。イグラ参加者同士で結束なんて、あり得ない」
 「普段敵対しているからですか?――だったら、せめて一時だけでもそれを忘れていただけませんか。このまま<王>戦に合わせて<城>が爆破されれば、たくさんのイグラ参加者が犠牲になります。それに、生き残った者も脱出路が崩れ落ちていては、安全に旧祖の外へ逃げられなくなる。もちろん、あなた方も例外じゃない」
 「通路が無くとも、脱出方法はあるさ。歩いて旧祖を抜ければいい。――危険だが、ここに来るときは皆、そうして来たんだ」
 「でも、皆、安全に外に出られるならその方がいいに決まって、」
 「だから敵対関係を忘れろ、か。あんた、分かってないな。イグラはBl@sterみたいに勝ち負けだけで終わるもんじゃない。参加者同士は“殺し合ってる”んだぞ」
 トウヤの言葉に、私ははっと息を呑んだ。そうだ。今まで私はイグラの試合はきちんと経験したことがない上、人が死ぬ試合を見たことがなかった。だから、イグラの定義は知っていても、実感としてはただの若者同士の喧嘩程度でしかなかった。けれど、イグラで人が死ぬのは、本当はよくあることなのだ。
 今はトウヤの言いたいことが分かった。仲間が殺された。その犯人が、もしかしたら<ヴィスキオ>への反乱に参加する他のチームの中に、いるかもしれない。そんな可能性のある相手と協力し合えるわけがない、と言っているのだ。
 私は押し黙って、足元に視線を落とした。そして、考えた。
 確かに、仲間を殺した相手或いは自身を殺しかけた相手と協力し合え、というのはひどく難しい。イグラに参加して殺しあったこともない私には、「それでも因縁を水に流して」とは言えない。けれど、けれど、今のまま――皆がバラバラなままでは、この街の人間の多くは死んでしまう。殆どの人間が<ヴィスキオ>が作った弱肉強食の論理の犠牲になった、或いは今もなり続けているのに、最後まで抵抗もできずに終わる。
 そんなの受け入れられるものか――そう反発を覚えたから、私は、傲慢であっても言うことにした。
 俯いて考え込んだ私の様子を見て、トウヤが口を開く。
 「あんたも分かったみたいだな。だったら、さっさと帰って――」

 「だったら、忘れて下さい」

 トウヤの言葉を遮るように言って、顔を上げる。
 「イグラ参加者同士わだかまりがあるなら、せめて一時、忘れて下さい」
 「はぁ?あんた、俺の言ったことが分からないのか?」
 呆れと怒りを含む声で言って、トウヤは廃材の山から腰を上げた。その表紙に無造作に積み上げられた廃材のバランスが崩れ、上の方にあった幾本かがばらばらとトウヤの足元に転がり落ちる。けれど、彼はそれには目もくれなかった。


 束の間、トウヤは私とにらみ合っていたが、やがて舌打ちすると、こちらへ歩き出した。その行動に、彼の傍に控えていた赤毛の青年が、宥めるように「トウヤ」と名を呼ぶ。けれど、トウヤは立ち止まらず、つかつかとこちらへ歩いてきた。
 この成り行きに、私は恐れを感じながら、その場に立ち尽くしていた。そうしながら、せめて弱気は見せまいと、腹に力を込めてトウヤの目を見ていた。怖いのは、トウヤやその仲間ではない。なぜならば、誰よりも苛烈な眼差しを、私は他に知っている。そうではなくて、恐れを感じるのはこのままトウヤのチームの協力を得られないことだった。どこか1つのチームの協力が得られないだけでも、処刑人がいて銃を持つ<ヴィスキオ>との力の差は大きく開いてしまう。
 少し後ろにいるユズルも、遠巻きに見守るトウヤの仲間も、皆身体を緊張させていたが、動くことはなかった。下手に動けば意図せぬ諍いを招くことを、喧嘩慣れした双方がよく理解していた。
 トウヤは歩いてきて、私の目の前に立った。そうして、威圧するように上から見下ろしてくる。私は顔を上げ、その目を見返した。
 「あなたの言ったことは分かっています。でも…このまま<ヴィスキオ>が勝手に作ったルールに従い続けるのは、悔しくはありませんか」
 「悔しい?悔しいも何も、イグラは<ヴィスキオ>は運営だ。ルールを決めるのは普通のことだし、イグラ参加者は皆そういうルールを承諾して参加してるんだ。むしろ、殺人OKってルールが良くて参加してる奴もいる」
 「では、私は参加者ではないから、文句を付けます。殺してもいい、弱者敗者には何をしてもいいなんてルール、間違ってる。私は、誰かが死ぬのは嫌です。出来るだけ多く…出来れば誰一人残らず、逃げ延びてほしい。――放っておいてもじきに内戦でイグラが終わるのに、今になってもそんなルールに捉われる意味もないでしょう。一時だけでも、せめて敵はイグラ参加者ではなく、<ヴィスキオ>だと思ってはもらえませんか」 
 「だったら、あんたにもイグラ参加者の気分を味わわせてやろうか?俺に殺されかけるか…それとも犯されるかして、まだ同じことが言えるか?――もし言えたら、あんたに土下座して言うことを聞いてやってもいいけど」
 不意にトウヤがこちらに手を伸ばす。ぐっと左肩を掴まれて、反射的に身を竦める。頭の中で助けを求め、シキとケイジの名を呼ぶ。それでも、私はとっさに動きかけたユズルに「手を出さないで」とほとんど悲鳴のような声で叫んでいた。ここで争いを起こしては、時間切れになってしまう。
 落ち着け、と自分に言い聞かせた、そのときだった。

 「やりすぎだ、トウヤ」

 ため息のように呟いて、先程の赤毛の青年が歩いてくる。そして、トウヤの手を掴んで私の肩から外した。
 「殺すだの犯すだの言っても、お前は女相手にそういうことできる奴じゃない。ちょっと脅して追い返す気だったんだろうけど、この女の方が頑固だったな。ただの脅しでも、あまり言い過ぎると引っ込みがつかなくなって後で格好悪いぞ」
 トウヤはちょっとばつが悪そうな顔をして、赤毛の青年を見、次いで私に目を向けた。“だけどこれどうすんだよ”と、捨てられないゴミでも見るような目をしている。
 と、そこで赤毛の青年が小さく息を吐き、声を発した。
 「…俺は、彼女の誘いに乗ってもいいと思う」
 「ユキヒト…?」
 「国は社会に適合できない奴をできそこないだって見捨てて、<ヴィスキオ>もイグラ参加者を見捨てようとしてる。俺たちみたいな奴は、どこでも結局不用品だ。そういうことを、彼女は間違ってると言った。それで、<ヴィスキオ>の言いなりになるんじゃなくて、不用品なりに出来上がった常識に反抗してみるのも面白いと思った。イグラが終わりなら、最後に参加者同士結束して<城>の変態が泡吹くところが見てみたい」
 赤毛の青年――ユキヒトが意地の悪い笑みを浮かべると、つられるようにトウヤもにやりと唇を吊り上げた。
 「まぁな…あの変態には、気持ち悪い思いさせられたからなぁ。見てみたいって言やぁ、そうなんだけど」
 トウヤは倉庫内に視線を巡らせる。と、倉庫内のあちこちで、仲間たちがトウヤに賛同する声が上がる。リーダーだから彼の意向に従おうというのではなく、どの声も何か面白いイベントでも見つけたかのように弾んでいる。
 「皆も乗り気みたいだな。…あんたの誘い、乗ってやるよ」
 「!…ありがとうございます!」
 途中の(私の自業自得とも言えるが)険悪な流れからは意外な成り行きに、私は驚きながら礼を言った。あまりに嬉しくて、最初にトウヤに、次いでユキヒトに、そして、周囲を見回して彼らの仲間にも。
 「…あんた、そうやって笑ってる方がいいじゃないか」
 苦笑混じりにトウヤが言って、こちらへ手を伸ばしてくる。その指先が頬に触れる直前に、腕を引かれて私は一歩後退する。私の腕を引いたのは、ユズルだった。彼は表情を動かさずに「この人に悪い虫がたかるなら追い払ってくれと、マスターに頼まれた」と言った。


***


 簡単な打ち合わせを済ませてがユズルと共に去ると、溜まり場は急に慌ただしい空気に包まれた。というのも、ユキヒトがもたらした内戦間近の報によって今の今まで解散、各自自力でトシマ脱出というのが、チーム内で出来上がった決まりごとであったのだ。皆、そのように準備を進めている。これからヴィスキオとぶつかるとなれば、それはそれで別の用意が必要だった。
 チームの解散・脱出は、メンバーの総意というより、リーダーのトウヤの意向だった。皆イグラに参加するような人間だから、メンバーの中には最後に生き残りを賭けてヴィスキオの乗っ取りに挑みたいと言う者もいた。トウヤは、それを許さなかった。残りたいという者を懸命に説き伏せて、考えを変えさせた。イグラに参加して一端の悪人の振りをして見せても、トウヤはまともな人間なのだ。富より本当に貴重なのは生命だと判断できる。それに仲間はどこまでも大切にする情けの深さ。だから皆、トウヤをリーダーと認めている。無駄に奉りこそしないが、皆彼の判断を信じている。解散ではなく皆でトシマを出るための闘いとあらば、トウヤを慕い仲間を大切にするメンバーたちが張り切るのも無理はなかった。
 にわかに活気づいて動き出すメンバーに混じって動きだしながら、ユキヒトはこれでよかったのかと今更に迷った。もともと、イグラに参加したのもチームに入ったのも、この国を潰すためだった。自分を生態実験の道具とし、果ては失敗作としてなかったことにしようとしたやつらへの復讐を望んだ。けれど、いくらイグラに参加してもそれはただの夢想でしかない。そういう現実が最近見えてきた。
 の言葉に口添えしたのは、彼女が「誰一人死んでほしくない」と言ったからだった。確かに、現実を知らない甘い意見ではある。けれども、彼女の言葉は――誰一人不要として切り捨てまいとする意思が込められているように感じた。それで、少しだけ胸のわだかまりが軽くなった気がしたのだ。それで、この国を潰すという夢物語が叶えられないなら、せめてこのトシマの常識を突き破ってみるのも面白いと思えた。
 やはり、こうなってよかったのだという気がした。
 そこで、ユキヒトはあることを思いつき、仲間と話しているトウヤの元へ歩いていった。ユキヒトが近づくと、トウヤはにやりと笑って「お前、惚れたんだろ」と言った。を庇ったのはユキヒトが滅多にしない類の行為で、それをからかわれているようだった。
 「惚れてない。俺はもっとこうモデルみたいにすらっとして、クールな美人がいい。ただ、あの頑固さには感心したけど。…惚れたのはトウヤだろ、わざわざ触ろうとしたし」
 「いやいやいや、それは無い!俺は年上で、胸が大きくて美人なお姉さんがいいんだよ」
 「あの人、多分年上だぞ。まぁ、胸はあんまり無さそうだけど。――って、そういう話をしに来たんじゃないんだけどな」ユキヒトは頭を掻いてから、態度を改めて言った。「頼みがある。さっきの彼女の交渉に同行してきてもいいか」
 言った途端、意外だったのかトウヤは目を丸くする。そうして「珍しくお前が肩入れしてるなぁ」と呟いた。
 「そんなんじゃない。ただ、あの人はどう見ても交渉下手だ。俺ならもう少し上手く運べるし、俺が一緒にいれば他のチームが協力してるってことの証明にもなる。――うちが参加するからには、反乱を成功させなきゃいけないだろ」
 「もちろん!行ってこいよ。頼むぜ、ユキヒト」
 そう言って、トウヤは破顔してみせた。


***


 通りを南区へ向かって進んでいると、後ろから足音が聞こえてきた。たったった、と走ってこちらへ向かってくる。振り向く私の傍で、ユズルとキョウイチが走ってくる人間を警戒して、はっと身構える。
 と、角を曲がって姿を現したのは、先程倉庫で出会った青年――ユキヒトだった。
 彼は私たちに追いつくと、一言「同行することになった」と告げた。
 「――同行…ですか?」
 「あんた、他のチームを説得しにいって、また喧嘩を売りそうだからな」
 「さっきのは、喧嘩を売ったわけでは」
 「あんたはそんなつもりなくても、結果的にはそうだ。――残り2チーム、交渉は俺がする。それで駄目なら、あんたがさっきみたいな理想論をぶってくれればいい。それでも駄目なら…」
 「駄目なら、どうするんだよ?」答えが待ちきれないとばかりに、キョウイチが口を挟む。
 「どうもしない。何したって無駄だ」
 ひょいと肩をすくめると、ユキヒトは立ち止まってしまった私たちを追い越して歩いていく。そうして、遅いぞ、とこちらを振り返った。確かにもうあまり時間が残されていない。ユキヒトに促されるままに、歩き出す。
 先に立って歩きながら、ユキヒトはちらりと私を振り返って、トシマに来てどれくらいなのかと尋ねた。彼は情報屋のようなことをして新人チェックもしていたので、チェックに引っかからなかった私が不思議でならないらしい。「トシマで過ごして3週間ほど」と、ケイジの身体にいたときも合わせて答えると、ユキヒトは尚のこと不可解だという顔をした。そうして、年齢と出身地を尋ねてきた。
 それに、キョウイチがむっとした声を上げる。
 「こら!ナンパしてんじゃねー」
 「ナンパじゃない。生憎俺はクールな美人が好みなんでね」しれっとキョウイチの怒りをいなして、ユキヒトは真面目な調子で言った。「これは新人チェックだ。この俺が見落としなんて、プライドにかけて我慢できないからな」
 「嘘付け!理由を付けて、ただ姐さんの情報を聞き出したいだけじゃねーか!」
 軽くいなされてもめげずに食ってかかるキョウイチ。だが、その言葉の中に妙な単語が混じっている気がして、私は首を傾げた。
 「――姐さん?」何だそれは、というようにユズルが呟く。
 「姐さんって、お前…やくざの姉御かよ」ユキヒトが呆れた声を出す。
 「いいだろ。呼び捨てにするのも違和感があるしさ、“さん”じゃ普通で面白くないだろ。こう、聞いただけでただものではない感じがして、格好いいじゃねぇか」
 むしろ普通の呼び方が一番いい。というか、いっそ呼び捨ててほしい。
 心からそう思ったのだが、発案者のキョウイチとなぜかユキヒトまでが「姐さん」という呼び方を気に入ってしまったらしい。結局私の意見は聞いてはもらえず、道々事あるごとに「姐さん」と呼ばれたのだった。








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