7.
ホテルを去ったアキラが狗に導かれるままに辿り着いたのは、半ば予想できたことではあったが、狗の飼い主の居場所――<ヴィスキオ>の<城>だった。昼のうちは来訪者のために開放されている正門を潜り、悪趣味な彫像が脇に並ぶ舗道を進む。 そして、<城>の玄関口に立つと、ライフルを携えて番をしていた黒服が、アキラたちを一瞥して「入れ」と顎先で扉を示した。かって、ケイスケの付き添いで訪れたときとは全く異なる態度。予め、アルビトロから何か指示を受けていたのかもしれない。これはいよいよ罠らしい、とアキラは内心で呟く。けれど、たとえ罠であろうとも、踏み込まざるを得なかった。こうして一人で先走ってしまってリンの救出を計画してくれている源泉たちには申し訳ないが、アキラが招待に応じないことでアルビトロがリンに危害を加えたら、そもそも救出計画そのものが無駄になってしまうのだから。 どうしても、リンを死なせたくない。救い出して、共に生き延びたい。これから待ち受ける罠への恐れよりも、そう思う心の方が強いことを確認しながら、アキラは頑丈そうな扉を押し開けた。 中へ入っていくと、表で警備していたのとは別の黒服が現れた。黒服は「ついてこい」とだけ言うと、先に立って廊下を歩き出す。アキラは大人しくそれに従って歩き出したが、ふと気付いて足を止めた。振り返れば、今までアキラの傍を離れなかった狗が、玄関ホールにちょこんと座ったままでいる。どうやら、それ以上ついてくるつもりはないらしい。見送るようにこちらをじっと見ている狗の面持ちは、自分の案内の役目はここで終わりなのだと言っているかのようだった。 黒服は、アキラを廊下の奥にある一室に通した。 そこは応接室のような部屋で、一人ソファに掛けて待っていると、程なくしてアルビトロが入ってきた。それも一人きりではなく、先程アキラを案内した黒服と更に別のもう一人を背後に従えている。黒服は2人とも銃を持っており、アルビトロがこちらを警戒していることが覗えた。 「ようこそ、我が<城>へ」 芝居がかった仕草で、アルビトロは言った。その面には余裕の笑みが浮かんでいる。 けれど、そうしたものはアキラに何の感銘ももたらさなかった。こちらは銃も持たず、<ヴィスキオ>のような権力もない、一介のイグラ参加者にすぎない。そんな相手と対面するのにも、人質を取り、堅牢な<城>に篭り、銃を持つ部下を傍に置かなければ、この男は安心して笑うこともできないのだろう。そう思って鼻白んだ気配が伝わったのだろう、アルビトロは名残惜しげに芝居がかった仕草を止め、本題へ入った。 アルビトロの本題とは、リンについてだった。 リンが挑戦者として名乗り出たはいいが、身体が衰弱していてとても<王>の満足する戦いぶりは期待できない。しかし、<王>戦の開催は既に発表してしまっているので、今更中止にすることもできない。そのため、代役を探すことにしたのだという。 代役としてアキラが選ばれた――そして狗が差し向けられた理由は、リンが所持していた写真だったそうだ。挑戦者は<城>に入るとすぐに銃器などの違反物を携帯していないか、チェックを受ける。その所持品チェックの際、リンはアキラの写真を幾枚も持っていた。そこで、これがリンと親しく、代役を引き受ける可能性の高い人物だ、と判断したのだとアルビトロは説明した。 果たして、どこまでが真実だろうか、と説明を聞かされながら、アキラは思った。アルビトロの説明はもっともらしいが、それが完全な真実だと信じることはできそうにない。けれど、リンが衰弱している以上少しでも救出が遅れれば――そして、がシキの説得に間に合わなければ――彼は抵抗すらできずに<王>に殺されてしまう危険性がある。それくらいなら、体力のある自分が闘った方が、まだ時を稼ぐことができるはずだ。 そう考えて、アキラは代役を受け入れることにした。 慎重に頭を縦に振れば、アルビトロは満面の笑みを浮かべ、両手を広げた。 「君が承諾してくれて嬉しいよ」 「――ただし、リンに会わせてもらう」 「それはできないな」 わざとらしく残念そうな表情を作って、アルビトロが首を横に振る。 曰く、<王>に挑戦する者には雑念を排除し、<王>戦へ集中するための時間を与える規定がある。アキラが代役を申し出たため、<王>への挑戦権は移った。そして、アキラはこれから雑念を払うための時間に入らなければならない、というのである。 そこでアキラが反論しようとすると、すかさずアルビトロは手で制する素振りを見せ、もったいぶった様子で口を開いた。 「だが、君がどうしてもと言うなら、特例で少しだけ時間を取ろう」 「必ずだぞ」 「あぁ、私は約束は違えない。では、早速手続きに入ろうか。<王>への挑戦者は、規定で<王>戦の前に採血をさせてもらうことになっている。挑戦者がラインを服用しているか、していないか、服用しているとしたらどの濃度のものか――そういったことは、ラインを商品とする<ヴィスキオ>には重要なデータなのでね」 その言葉に、アキラは思わず眉をひそめた。 最初はラインを服用したイグラ参加者、次いで猛、そしてケイスケ。皆、自分の血に触れた途端に苦しみ始めたのだ。偶然が重なったとは言い切れない何かが、自分の血にあるのではないか――。 「どうしたのかね?」 声を掛けられて、アキラははっと我に返った。見れば、相変わらずアルビトロは余裕の笑みを浮かべ、こちらを見ている。 「何か不都合でも?もし採血をさせてもらえないなら、こちらも君の代役は断らざるをえなくなるのだが…」 「不都合なんてない」 浮かんだ考えを振り払うように頭を振って、アキラはジャケットを脱いだ。何も気にしていないと示すように、殊更無造作な動作でアルビトロに左腕を差し出す。 「採血するなら、さっさと済ませてくれ」 「ご協力、感謝するよ」 唇に貼りつかせた笑みを深めて、アルビトロが言う。その声と表情に、アキラの中で警戒心が小さく声を上げた。<城>への“招待”ではなく、この採血こそが本物の罠だったのではないか――警戒心は、そう呟いていた。 *** 皆でバーの店内へ入ると、辺りを見回したケイスケがおずおずと口を開いた。 「あの…アキラはどこに?」 それにどう答えたものか、と私が迷っていると、マスターがはっきりとした声で「出て行ったわ」と告げた。 「行き先は、分からない。でも、最後に姿を見たは、アキラが<城>の方へ行くのを見たと言っているの。あたしも、アキラは<城>に行ったんじゃないかと思うわ…リンに会うために」 「――リン…?」不意にユズルが声を上げた。 一体なぜそこでユズルが驚くのか、と皆が疑問の目を向ける。すると、ユズルは何でもないのだと言って首を横に振った。 とても“何でもない”ようには見えないが、彼に話す気はないらしい。「話を続けてくれ」と先を促し、自分は黙り込んでしまう。辺りに沈黙が落ちると、マスターは仕方ないというように咳払い一つして、再びケイスケに顔を向けた。 「とにかく、今分かるのは、アキラが<城>の方へ走り去ったということだけよ」 「そんなっ…!」居ても立ってもおれない様子で、ケイスケが動きかける。 「っ、おい…!」傍にいた源泉が、慌ててケイスケの肩を掴もうと手を伸ばす。 今にもこの場から走り出すかに見えたケイスケは、けれど、実際にはそうしなかった。唇を噛んで、踏み出しかけた足を自分で押しとどめ、その場に立ち尽くす。彼を止めようとして伸ばされた源泉の手は、行き場をなくしてだらりと垂れることになった。 「おい、ケイスケ?」 俯いてしまったケイスケの様子を探るように、源泉が気遣いを含んだ声を掛ける。すると、ケイスケは小さな声で「大丈夫です」と呟き、顔を上げた。 「俺は行かない。ここにいなきゃ。源泉さんの手伝いを、途中で放り出すわけにはいかないから。――俺、前は焦って、何でもいいから強くなりたくて、間違ったやり方をして皆に迷惑をかけた。だから、今度は遠回りでも、俺の今できることやすべきことをしなくちゃいけない。自分がすべきことをせず同じ過ちを繰り返したら、もう二度とアキラに顔向けできなくなる」 それは、自分に言い聞かせるかのような口調だった。そして、それを口にするケイスケの表情は、かつてのおどおどした青年とは思えないような揺ぎなさに満ちている。もし、私が彼と同じような状況だったら、自分のしたいことよりも、すべきことを優先すると言えるだろうか。そんな風に自分と引き比べてみると、ケイスケの決然とした表情が少し眩しく思えた。 おそらく、源泉やマスターも同じ思いだったのだろう。 「あんた、なかなかいい男になったじゃないの」と、マスターが微笑する。 「せっかくお前さんがそこまで腹を括ったんだ。必ずリンを助け出して、アキラを見つけような」と、源泉はケイスケの肩を叩いた。 *** ユズルの怪我を診た源泉の見立てによると、ナイフによる傷はさほど深いものではないということだった。もちろん、神経なども傷ついてはおらず、後に何らかの障害が残るようなものではないと明るく請合って、源泉は慣れた手つきで包帯を巻いていく。 皆、神妙にその様子を見守っていたが、そのうちケイスケが感心しきった声を上げた。 「すごい…源泉さん、本物の医者みたいだ」 「まさかくたびれた情報屋のオヤジに、こんな特技があるなんてよぉ」ユズルの隣で見守っていたキョウイチも、ケイスケの言葉に大きく頷いている。 昔取った杵柄ってやつだな、と源泉は僅かに唇の端を持ち上げた。笑っているはずなのに、どこか痛みを堪えるような複雑な表情が一瞬浮かぶ。以前源泉は医療関係者だったのだと言っていたことがあるが、そうであったときに何かあったのかもしれなかった。 そんなことを考えていると、傍でマスターの明るい声が聞こえた。 「源泉はね、今じゃこんなくたびれたオヤジだけど、昔はいろいろやってたのよ。こう見えても、傭兵だったこともあるの。人は見かけによらないっていうのは、本当ねー」 「へいへい、どうせ俺はオヤジだよ。しかし、あまり“くたびれたくたびれた”言わんでくれ。聞いてるだけで、こう、寄る年波を思い出しちまう」 苦々しげにぼやく源泉の面からは、先程の辛そうな様子は影も形も失せてしまっていた。すっかりいつもの彼だ。医療関係者だった過去があったとして、それは源泉にとっては表に出したくない記憶なのかもしれない。ふとそう理解して、私はそれ以上の詮索を止めた。そして、頭を切り替えるように、マスターの言葉に感心した声を上げる。 「想像もできません…源泉さんが傭兵だなんて。どちらかといえば、戦場で取材するジャーナリストなんかが似合う気がします」 「お、ジャーナリストっぽいか。お前さん、嬉しいことを言ってくれる。やっぱり女の子は優しいなぁ」源泉は嬉しそうに笑ってから、包帯を巻き終えたユズルの腕を軽く叩いた。「おし、これで出来上がりだ」 「すまない。ありがとう」 ユズルがそう言って、源泉へ頭を下げる。と、そのとき。 キィ…。 小さく軋む音を立てながら、店の扉が開かれる。けれど、入り口には朝からずっと『準備中』の札が掛かっているのだ、バーの客であるはずがない。振り返ると、細く開いた扉の隙間から滑り込むようにして、男が一人店内に入ってくるのが見えた。 男は、私より幾つか年上、20代後半といったところだろうか。深緑色のジャンパーを羽織り、野球帽を目深に被っている。胸元にはイグラ参加を示すタグが掲げられているが、一見いかにもイグラ参加者といったラフな格好をしている割に、ジャンパーの内側に覗いているのはホストのように胸元の開いたカッターシャツで、どうも不釣合いな感じがする。 果たしてこの男は敵なのか。皆、入り口に目を向けたまま、それそれの武器に手を掛けている。とっさにそこまで反応できずに困惑して突っ立っていたのは、トシマに不慣れな私とケイスケだけだ。 と、そこへ唯一普段と変わらない様子のマスターが「大丈夫よ」と言った。 「この男はあたしの知り合い。ここにいる皆に危害を加えることはないって、あたしが保証するわ」 すると、マスターの言葉を裏付けるように、男が帽子を取って軽くこちらへ会釈してくる。思わず会釈を返しながら、私はふと違和感を覚えた。知人どころかこれまで面識もないはずの男だが、なぜかその顔に見覚えがあるような気がするのだ。 そう、どこかで――。 「あっ!もしかして、<ヴィスキオ>の黒服の――」 ふと記憶の中に浮かんだ映像に、私は思わず声を上げた。<城>に身を寄せていたとき、何度かこの男を見かけたことがあったのだ。けれど、彼の方は<ヴィスキオ>の構成員に義務付けられた仮面で目元を覆っていたから、顔を覚えることもなかったのだろう。見知らぬ顔なのに見覚えがある、と感じたのは、間違いではなかったのだ。 小さく叫んだ私の言葉に、皆がはっと身構える。その様子に、ジャンパーの男もぎくりと身を強張らせた。互いに明確な敵意はないけれど、まかり間違えば一気に対立にもなりかねない危うい雰囲気が店内に漂う。けれど、マスターはそんな雰囲気などないもののように平然としていた。 「よく分かったわね。正解よ、。これはあたしが属していた組が<ヴィスキオ>に吸収される前、弟分だった男。今じゃアルビトロの部下だけど…敵じゃないわ」 少し話があるから、とマスターは男と2人厨房へと入って行った。おそらく、密かに<城>を爆破する計画を立てているアルビトロの動きについて話し合うのだろう。そう思っていると、傍らでケイスケが困惑気味に首を傾げた。 「でも、どうして急に<ヴィスキオ>の人がマスターのところに…?何かあったのかな」 その言葉で思い出す。そういえば、バーの表で騒ぎが起こる前にマスターからアルビトロの計画について聞かされたのは、この中では私だけなのだ。私は少しの間、自分のもつ情報についてこの場で皆に打ち明けるべきなのかと迷った。というのも、この場にいる誰かから情報が漏れて広まれば、最悪トシマは混乱状態に陥るかもしれない。そこまでの事態にはならなくとも、マスターが起こそうとしているという何らかの行動の妨げになる可能性がある。 けれど、それでも最終的に、打ち明けるべきだと私は判断した。 アルビトロの意図を知った誰かが伝えなければ、トシマにいる人間の何割かは、何も知らないまま<城>諸共吹っ飛ばされることになる。今、トシマにいる人間は、旧祖を抜けるより外にトシマからの脱出の術を持たない。たとえ<城>の爆破から生き延びても、すぐに内戦の戦火に巻き込まれるだろう。けれど、このまま黙っているのは、不公平だと思ったのだ。 そうして私がマスターから聞いたアルビトロの企みについて皆に話し、その話も終わりに差し掛かかったときのことだ。不意にカウンター奥の厨房から、マスターと例のジャンパーと帽子でイグラ参加者に変装した黒服が現れた。 「皆、どうしたの?」 マスターは、深刻そうな面持ちになっている私たちを見回して、目を丸くした。 初めてアルビトロの企みを耳にした源泉たちは、尋ねたいこともあっただろう。けれど、頭の整理がつかないうちにマスターが戻ってきたことで出端を挫かれて、皆、一瞬言葉に詰まっている。「あの、マスター…」思わず私が言いかけるのを遮って、真っ先に声を発したのは、源泉だった。 「から聞いたが、アルビトロの計画は確かなのか?イグラ参加者を<城>に集めて、<城>を爆破しようってのは」 源泉に、マスターの隣にいたジャンパーの男が、はっと身を固くする。一方、マスターは普段の表情のまま、まるで注文を取るときの何気なさで言った。 「あら、、言っちゃったのね」 「あの…勝手にすみません。でも、黙っているのも不公平だと思って」 「あなた、正直すぎて損するタイプね。…まぁいいわ、どうせ話そうと思ってたことだしね」 そう言ってマスターは唇の端を持ち上げてみせる。片目を覆う眼帯と相余って、それは妙に凄みを感じさせる笑みとなる。普段の様子からは想像できないが、マスターが昔やくざだったというのも納得できるような表情だった。 「から聞いたと思うけど、アルビトロはラインを欲しがる日興連とCFCの追求をかわして生き延びるため、この街にいる人間と<ヴィスキオ>を身代わりにしようとしているの。奴の計画は本物よ。今、ほんの一握り共に逃げる部下と一緒に、アルビトロは準備を進めている…この男は、それを報せに来たの」この男が偶然その計画を知ることがなければ、いちおう<ヴィスキオ>の幹部待遇のあたしにさえ、知らずに身代わりになっていたでしょうね。と、マスターは傍らのジャンパーの男に目を向けた。 「計画が本物だってのは、これまでも俺に正確な情報を流してくれたお前さんの判断だ、信じるとしよう。――それで、お前さんのことだ、何かやらかす気なんじゃないか?お前さんは、アルビトロの好きにさせてやるような、殊勝な性格でもないだろう?」 源泉が尋ねると、マスターはわが意を得たりとばかりに笑みを深めた。 「まぁね。<ヴィスキオ>の中には、以前のあたしの組から引き抜かれた身内が何人かいる。皆、アルビトロとはあまりウマが合わなくてね。この際だから、あの変態のやろうとしてることをぶっ潰してやるわ。――だから、ごめんなさいね、源泉。こんなことでもなければ、あんたのやろうとしてるリンの救出をサポートしてあげたんだけど」 「いや、仕方ないさ」 助けが一つ減ったというのに、源泉は飄々として、肩を竦めてみせる。と、そのとき。 「――待ってくれ」 声を発したのは、ユズルだった。 「あんた達、今の話、俺やキョウイチに聞かれても良かったのか?」 「そうだぜ」ユズルの傍で、キョウイチがこくこくと頷く。「もし俺たちのうちの誰かがが<ヴィスキオ>に密告ったりしたら、どうするんだよ?密告る代わりに、脱出のときに連れて行けっていうのは、十分取引材料になるだろ」 「それは無理ね」 マスターは即答した。 先程話に出たように、ここに来ている男を含めて、<ヴィスキオ>の内部にはマスターの息のかかった人間がいる。アルビトロへの反乱を起こすに当たって、彼らは現在<ヴィスキオ>内に潜伏したまま、準備と平行してアルビトロと接触する相手を監視している。だから、もし密告者が出た場合には、その人物がアルビトロに接触する前に“始末”することもできるということだった。 「それと、ちょうど話が出たからついでに聞くけど、皆、あたしたちの決起に加わらない?」 前触れもなくマスターはそう提案して、私たちを見回した。曰く、アルビトロの側には私兵も多いし、何て言っても処刑人がいる。ほとんどの<ヴィスキオ>の人間は、最初から自分はトシマで安全圏にいると思っている。そういう奴らがアルビトロの計画を話したところで、仲間に入るか怪しい。だから、数の上ではこちらが不利になる。だから、こちらで人を選ぶしかないのだとマスターは言った。 そして、更にこれは強制ではないと付け加えた。「――ただ、うまく行けばアルビトロが確保していた脱出経路を使って、旧祖から出ることができるわね」どうかしら?と問うマスターの眼差しが、端から順に私たちの上を滑っていく。 「――マスター、悪いが俺は手伝えん」 申し訳なさそうに頭を掻きながら、源泉が言った。 「やはり、最初通りリンを助けに行ってやりたいんだ。あいつは生意気だが、いい奴だ。放ってはおけん。<城>へ行ったアキラのこともあるしな。その後のことは…なるようになるだろう」 その言葉を聞いて、不意にケイスケが「俺も」と声を上げる。彼は決然とした表情を湛え、顔を上げた。 「俺も、まずリンを助けて、アキラと再会したい。マスター、手伝えなくてすみません」 申し訳なさそうな2人に、マスターは「いいのよ」と首を横に振る。それから、「あなたたちはどう?」とユズルとキョウイチに目を向けた。 視線を受けた2人の反応は、大きく異なっていた。 キョウイチは何か言おうと口を開き、閉じ、落ち着きなく視線を彷徨わせてから、ちらりと隣のユズルの様子をうかがう。マスターの申し出には退かれているが、今ひとつ信じきれずに迷っているという様子だ。対するユズルは、じっとマスターを見ながら黙っていた。迷っているというよりは、既に彼の中で答えは決まっていて、言葉を選んでいる段階なのかもしれない。 やがてユズルは口を開くと、「俺は遠慮する」と言った。 「協力しないのか…!?」ユズルの様子をうかがっていたキョウイチが驚きの声を上げる。「旧祖から出られるかもしれねーんだぜ?なのにどうして、」 「俺は闘技場へ行く。…キョウイチ、お前は俺に付き合う必要はない。自分が一番いいと思うことを選べ」 「闘技場って…<王>戦の前座なんて、そこまでしれ見るほどのもんじゃないだろ。<王>戦そのものは非公開だし」 「分かっている。それでも、今回の<王>戦の結果だけは見届けたい。だから、<城>の前で公表を待つつもりだ。なぜなら――それが、俺がトシマに来た目的だからだ」 *** ここにいるのは皆、<王>戦の挑戦者の知り合いのようだから――そう前置きして、ユズルは自分の過去について話し始めた。 かつて彼はBl@ster最強といわれたチーム<ペスカ・コシカ>に属していたのだという。<ペスカ・コシカ>は通称コート(雄猫)と呼ばれたリーダーの下固く結束し、メンバーの誰もがよもやチームが解散したり敗北することがあるとは、夢にも思っていなかった。 けれど、やがて終わりのときは来た。それも、最悪の形で。 あるとき、何者かが溜まり場にいた副リーダーを含むメンバーの半数以上を殺害し、立ち去ったのだ。警察はこの事件を単なるチーム同士の抗争と見なし、まともに捜査しようとはしなかった。社会的地位もなく、喧嘩に明け暮れ、ときには犯罪紛いの行為まで為す若者たちが抗争の末に死んだとしても、警察も他の一般人も対して興味を持たなかったのだ。――自業自得だ、と<ペスカ・コシカ>の事件について噂する人々は、口を揃えてそう言った。 結局、犯人が検挙されることはないまま、事件は有耶無耶になってしまった。それで収まらないのは、残された<ペスカ・コシカ>のメンバーたちだ。犯人が検挙されないままでは怒りのやり場も見出せず、彼らは次第に現場にいて唯一生き残ったリーダーへの疑いを深めていく。 といっても、もちろん、リーダーがあの日溜まり場にいたメンバーを皆殺しにするなど、できるはずがない。それは情云々の問題ではない。殺された者の中にはリーダーと肩を並べる実力の者もいて、リーダーが無傷のまま皆殺しをやってのけることなど、何か薬物を使って皆を眠らせるのでなければ実際問題として不可能なのだ。そして、警察の検死でも、殺されたメンバーの体内から薬物が検出されていない。それでも、見つからない犯人とどこか釈然としない態度のリーダーの様子から、残されたメンバーはリーダーが犯人であるという仮定を、事実と見なし始めた。 最早、リーダーと残されたメンバーの間の断絶は、埋めようがないところまで来ていた。 結局、リーダーは誰にも何も説明しないままチームを去り、その足でトシマに入った。そして、残されたメンバーは――リーダーを責めて追い出したにも関わらず――彼らだけでチームを続けていくことはできなくなり、やがて<ペスカ・コシカ>は解散してしまった。 といっても、<ペスカ・コシカ>が解散したのは、人数が減ったからでも、チームとして弱体化したからでもないのだとユズルは言った。 「あれはリーダーと副リーダーのチームだった。俺や他のメンバーは、一緒に闘っているつもりで、多分いろんな面でリーダーたちに護られていた。その2人を失って、<ペスカ・コシカ>が同じ<ペスカ・コシカ>として存在し続けられるはずがなかったんだ」 目次 |