8.
ユズルが黙ると、じっと話を聞いていた源泉が口を開いた。 「――それじゃ、<ペスカ・コシカ>のコートってのは、」迷うように言葉を切るのを、 「リンのことだ」ユズルが引き取って肯定する。 そうだ。以前リンは私をホテルの地下に連れ込んだとき、言っていたではないか――昔、シキに大切な仲間を殺されたのだと。すなわち、ユズルのいたチームのメンバーを殺して、リンが残った仲間からも弾き出されることになった原因は、シキであるに違いなかった。 そう悟った瞬間、鼓動がはねた。シキが人を殺した、そのために壊れた絆の形を、私は今目の当たりにしているのだ。その重さがずしりと胸にのしかかってきて、息苦しささえ覚える。けれど、リンはもっとずっと苦しかったはずだと思った。 何といっても、血の繋がった兄が大切な仲間を奪ったのだ。血の繋がりがあるだけに余計シキを恨んだだろうし、きっと死んだ仲間にも生き残った仲間にも申し訳なくて打ち明けられなかったのだろう。 “――救われようと、アレは何度でも挑んでくるだろう” あの晩、アキラに抱えられて去るリンを見送りながら、シキが呟いた言葉を思い出す。シキは、弟の恨みを買うことを承知の上で、<ペスカ・コシカ>のメンバーを殺したのだろう。 どうして――弟を疎ましく思っていた?どうでもよかった?――いや、ちがう。多分シキは情を切り捨てようとしたのだ。<城>で言ったように、彼にとってはそれは自分を縛り自由を奪う“枷”だと感じられたのだろう。逆に言えば、それは敢えて切り捨てなければならないほどの情だったといえるのかもしれない。 今の今まで、私は<城>に行ってシキに謝って説得して、リンとの闘いをやめてもらおうと思っていた。けれど、ユズルの話を聞くうちに、それでは駄目なのだと悟った。実の弟を切り捨てようとするほど苛烈な意思を、なんで他人の私が説得して止めることができようか。 そこで、ふと私は自分の妹のことを思い出した。子どもの頃、溺れかかった妹を助けたとき、子どもながらに思ったのだ。祖父母や両親から自分が受ける庇護は、当然のものとして受け入れて甘えてもいい。けれども、妹だけは祖父母や両親がするように自分が庇護しなければならないのだ、と。 ケイジは、兄を救うために殺した。それしか方法がないことは、私の目にも分かった。けれど、シキとリンはどうだ。仲違いしていても、係わり合いにならなければ、双方が生きる道が残されているのではないか。 兄弟で殺し合うことだけは、本当に、見過ごせないと思った。“リンは優しい子だし、殺人鬼と恐れられるシキもまた、情がないわけではない。相手を殺してしまったら、その事実はきっと癒えない傷として残るだろう”かってこの胸に抱いていた優しい理由――あんなのは、嘘だ。優しい自分を装いたい自分に対しての言い訳に過ぎない。自分の内面という暗く濁った淵を覗いてみれば、底に沈んでいる傲慢な本音。正義感や倫理観なんて立派なものではないけれど、私が兄弟殺しを許せないだけ。たとえ、それが他人のことであろうとも、だ。 ならば、いっそのこと、シキを殺そうと思った。 キリヲが言っていた、シキの牙とは、おそらく、冷酷さや残忍さといった類のものなのだろう。それを、へし折る気でぶつかろうと思った。どうすればいいのか、方法は何となく分かっている。シキが全てを切り捨てるなら、私は全てこの手に受け止めていく。そうして、示せばいい――力のない私でもこれだけのものを抱えられたのだ、シキも何も捨てないままで強くあることはできるのだと。 それが、あの雨の日に答えられなかった、私が考える本当の強さだ。 そして、もしシキが真実“牙”なしに生きられないとしたら――<王>と恐れられてはいても、所詮はその程度であったということではないか。 真っ直ぐに私はユズルの顔を見た。リンが打ち明けなかった以上私の口から全てを明かすことはできないが、それでも伝えておきたいことがあった。「――ユズルさん」おそらく年上であろうと見当をつけてさん付けで呼ぶと、彼は何故かぎょっとした面持ちになってから小声で敬称は必要ないと言う。私は頷き、言葉を続けた。 「ユズル…あなたは、リンが仲間を殺したと信じていますか?」 「いや。リンが殺したとは思わない。だが、それを信じきることもできないというのが、本当のところだ。リーダー…リンの態度には不審なところが多すぎた。あいつは何かを知っていて、おそらくその“何か”を追ってトシマに来たんだろう。――俺は、仲間であった者として、リンのすることを見届けたい。そっちの2人のように救いたいわけじゃない。ただ見届けたいんだ…それでようやく、俺の中であの事件が終わる気がする」 「強いと思ってたけど、あの<ペスカ・コシカ>なら当然だ。お前、金目当てじゃないとは思ってたけど、そんな理由でトシマに来たんだな」キョウイチが呟く。驚きを通り越して、感心しているかのような声音だった。「――だけど、もしリンって奴が<王>を倒してそのまま<王>になったら、お前どうするんだ?それって事件の解決じゃないだろ」 それならそれでいいさ、とユズルはあっさり言った。その面には結果が何であれ受け入れると決めているような、ある種の清々しさが浮かんでいる。ここまで腹を括っているのなら耳を傾けてもらえるだろうと思い、私は口を挟んだ。 「――リンは仲間を殺していません、本当に」 「…何か知ってるのか?」不審そうにユズルが目を細める。 「知っていたとしても、リンが隠し続けてきたことを、本人を差し置いて明かすわけにはいきません。でも、本当にリンは仲間を殺していないんです。それだけは、事実です」 「あんたは一体…」 ユズルが言いかけるのを遮って、マスターが私の名を呼んだ。いろいろボロを出したりしないよう、助け舟を出してくれたのだろう。そうして話題を切り替えるように、マスターは私に「あなたはどうする?」と身の振り方を尋ねた。 今、私の前には選択肢が3つあった。一つ目は、マスターと共に<城>での反乱に加わること。二つ目は、源泉たちと共にリンの救出に向かうこと。三つ目は、単身シキに直談判をしに行くことだ。 「私は――」 答えようと口を開いたとき、頭の中でふと疑問が浮かんだ。 選択肢は、本当に3つしかないのだろうか? <城>での反乱とリンの救出――そもそもなぜ私たちは、どちらかしか選べない前提で話をしているのだろう。2つのことは、同時に成立するはずだ。それに<ヴィスキオ>を相手に反乱を起こすのに人手が足りないというのなら、協力し合うことでなんとか対抗できないだろうか。 いや、それならいっそのこと――。 「…?」 言葉の途中で黙ってしまったのを不審に思ったのか、マスターが顔を覗き込んでくる。それでも、私はとっさに言葉を返せなかった。迷っていたのだ。 ふと思い浮かんだ考えは、弱肉強食で極端な話自分以外は敵になるかもしれない、このトシマにおいては成功しないアイデアのような気がした。今の今まで誰も口にしなかったところを見ても、あり得ないことなのだろうと思える。 それでも、私にはその思いつきが一番いい方法に思えた。だから、挑むように顔を上げてその思いつきの一つを口に出した。 「リンの救出と<ヴィスキオ>への反乱、この2つを同時に行ったらどうでしょうか」 言った途端、皆がぎょっとこちらを見た。こういう注目を集めるのは、実は苦手だ。たとえ自分の考えに結構自信があったとしても、どうしても怯んでしまう。今も「やっぱりさっきの発言はなしで」と逃げたくなったが、堪えて早口に説明を始めた。 皆殺しにするために<城>に人を集めるということは、<ヴィスキオ>の人間はその警備や対応に追われるということだ。何かことが起っても、黒服たちが持ち場を離れて即座に駆けつけるのは難しいだろう。そもそも、源泉の計画はその隙を狙って爆弾を仕掛けようというものだった。これに、マスターの反乱を連動させて、いっそう<城>を引っ掻き回せば黒服たちを右往左往させることができるかもしれない。 まず、<王>戦の開始と共にリン救出のため、闘技場の一部を爆破する。これを陽動として人員が手薄になった隙に、マスターたちがアルビトロの確保している地下通路を奪う。この時点で、アルビトロは<王>の手前もあって、<王>戦に立ち会うために闘技場にいると思われるので、脱出する地下通路を奪われれば、アルビトロは<城>を爆破しないだろう。 一通り考えを述べると、マスターが目を丸くしていた。 「あなた、見かけによらず意外と過激なのね…まぁ、それくらい腹が据わってないと、あんな奴の傍にはいられないものね。――あなたのアイデアには問題がある。地下通路は厳重に警備されている。奪取の際に起る小競り合いで、少人数のこちらが押し切るのは、難しいのよ。武器だって、あっちの方が最新だしね」 「方法はあります。こっちが多数になればいい」 そして、私は思いつきの後半を口にした。 「この街のイグラ参加者を説得して、協力してもらうんです」 どうもトシマの人口は、<ヴィスキオ>に属する人間よりも、イグラ参加者やそれ以外の外から来た人間の方が数が多いようだ。ただそれでは反乱が起きる可能性があるので、<ヴィスキオ>の人間は強力な銃を持つ。それで、勢力の均衡が保たれる。表面だけとはいえ、トシマの平和が保たれる。だが、もし今回のように内部に手引きする人間がいて、尚且つ、トシマの住人の何割かでも結束して攻めたなら――或いは、力のバランスは変化してくるのではないかと考えた。 イグラ参加者たちにとって、協力するメリットはあるはずだ。報酬は出ないただ働きだが、地下通路が奪還できれば皆内戦に巻き込まれることなく、トシマを出ることができるのだから。 最初は――それこそ、味方が少ないなら増やせないかというほどの――ぼんやりとした輪郭しか持たなかった考えが、話すうちに次第に形を成し始める。いつしか、見出した形を見失わないように、言葉にする。いつしか私の頭から可能性の低い思い付きを説明しているのだという意識は薄れ、後半はまるで独り言のように思いつきを言葉に変えていった。 ひとしきり考えを言葉にしてしまってからふと我に返ると、皆、今度こそ呆然としてこちらを見ていた。やはり馬鹿げたことを言ってしまっただろうか、と急に羞恥と不安に襲われる。 心もちその場で身体を小さくしながら俯くと、源泉の声がした。 「…まぁ、確かに最初の策はありだな。小規模とはいえ闘技場を爆破すりゃぁ、嫌でも目立っちまう。こっちを陽動にするのは、上手いやり方かもしれん。…だが、イグラ参加者に協力を募るってのは、難しいな」 「そう…そこが問題だわ」と、同意してマスターも頷く。 というのも、組織である<ヴィスキオ>に対して、イグラ参加者は個々バラバラだからだという。皆個人で行動し、互いに敵対し合っている。それを和解させ互いに協力させるのは、至難の技だ。それに、トシマの住人の中にはラインで理性を失った者もいる。トシマの住人に協力してほしいと言って状況を説いて回るのには時間も足りないし、また、逃げ場のないトシマで現状を知らせることで混乱が起きる可能性すらある。 不可能だ、というのがマスターの意見だった。 言われてみれば、確かにその通りだ。やはり、私の思いつきは絵空事でしかなかったのだろうか――諦めと共にそう思ったときだった。 「方法なら、あるかもしれない」 黙って聞いていたユズルが不意に口を開いた。彼が提案したのは、このトシマで有力なチームに協力を依頼するということだった。 トシマには大小幾つかのチームが存在するが、中でも有力なところは4つほど。互いに縄張りを決め、主に東西南北の地区に分かれてそれぞれ活動している。そのチームに協力を頼み、メンバーを動員することができれば、人手はかなり増えることになる。それに、片っ端からイグラ参加者に事情を説明するよりは、各チームに絞って情報を打ち明ける範囲を限定した方が、<ヴィスキオ>にこちらの動きが漏れる危険も減るだろう、というのである。 すると、それを聞いたマスターが眉をひそめた。 「そう簡単にいくかしら。イグラ参加者は、互いに敵対し合っているだけに排他的よ。説得どころか近づくだけで、敵として排除されるかも。説得に行く人間がどんな目に遭うか――」 「私が行きます」 マスターの言葉を遮って、私は声を発した。 これは、最初から決めていたことだった。ユズルの提案のお蔭で実現の可能性が出てきたとはいえ、他のイグラ参加者との結束というのは、いまだ空想の域を出ない。それでも実現の可能性に賭けるとしたら、思いついた私が行くべきだと思った。 それに、源泉とケイスケはリンの救出、マスターは<ヴィスキオ>への反乱――闘技場の爆破が成功しなければ陽動にならないし、地下通路の奪取がかなわなければ誰もトシマを逃れられない。皆、それぞれに失敗できない一瞬のため、備えなければならない。 今、それらの備えから外れて動けるのは、私しかいないのだ。この際、私が無力だとかいったことは関係ない。そんなことを理由に逃げようとすれば、“生きていて動くことができるなら、死ぬまでは動け”とケイジがいたら言うだろう。私も同感だ。 (もしかしたら、説得に回るうちに何かあって、シキに会えないまま終わるかもしれない…) ふとそんな恐れも感じたが、それを押さえつける。 怖がって自分の身を惜しんでいては、駄目だと思った。それは私の考える強さではない。ケイスケのように、自分がしたいことではく、すべきだと感じることを優先する。困難な状況でもこの手に抱ける限りのものを、切り捨てず抱えていく――そうしなければ、シキを殺すことは――牙をぬくことは、できないから。これはどうしても必要な遠回りなのだ。 腹の底でそう覚悟を決めている自分を確認しながら、もう一度同じことを言った。 「私が各チームの説得に行きます」 *** 少し前まで皆で集まっていたバーの店内は、今はがらんとしていた。あれから1人減り2人減りして、今では打ち合わせのためにマスターとケイスケ、そして源泉の3人が残るだけだ。 マスターの弟分だったという男は、内応の準備を進めるため<城>へ戻って行った。各チームへの説得役を買って出ていたもその主張を押し通して、今は各チームのリーダーに会うために街へ出ている。当初「協力できない」と言っていたユズルとキョウイチは、そんなの覚悟に動かされたのか護衛と道案内を申し出て、彼女に同行していた。 『言い出したのは私ですから、私が行くべきです』 止めようとする皆に対して、はあくまでもその決意を変えることはなかった。 女の身でトシマを歩くのは危険だが、トシマにいないはずの女だからこそ、説得する相手に利害を超えた中立の立場を印象付けられるかもしれない。また、<ヴィスキオ>との小競り合いは、相手が銃を持っているだけに銃撃戦になる可能性が高い。協力してもらう相手は、最悪の場合、銃弾を受けて斃れることになる。協力とは、つまり、そんな危険に身を晒してくれということなのだ、せめて言い出した者が頼みに行くのが筋というものだ、と主張し続けた。 そんな彼女の言葉に、何かが動き出しているのを源泉は感じていた。傭兵時代、戦場で膠着しきった戦況が、不意に決着に向かい始めたときの、あの感じに似ている。流れの中にいる者には全体は見えないが、停滞していたものが動き始めた気配だけは、不思議と伝わってくるのだ。 そもそも、アルビトロはイグラ参加者同士の共闘など、考えもしなかっただろう。イグラというのは、ライン供給のためのシステムであると同時に、トシマの中で<ヴィスキオ>以上の勢力が生まれるのを妨げる意味を持っている。敵対し、互いに削りあうイグラ参加者たち。そして、<ヴィスキオ>だけがその上に君臨し、富み栄える。 その構造が、根底から崩れる可能性が出てきた。 それも、崩すのはイグラの勝利者でも何でもない。何の力も持たない非力な一人の娘だ。 (まったく、あれは大したお嬢さんだ。…シキの傍にいるには、あれくらい腹が据わってないとやってられんのだろうなぁ) 話し合うマスターとケイスケの声を聞きながら、源泉は頭の片隅で考える。 『マスターや源泉さんたちは、私を気にせずに準備を進めて下さい。――もし、私が合流できなくなったときは、切り捨てて下さって構いません。どうかリンとアキラを取り戻して、皆で外へ』 去り際にそう言い置いていった彼女。 彼女が懸念したような事態にはさせるまい、せめてリンの救出と<ヴィスキオ>への反乱は絶対に成功させなければ、と源泉は思った。非力な娘が進んで危険に身を晒すのだ、トシマでそれなりに生きてきた男が揃いも揃って、最後に失敗しましたと言うわけにはいかないではないか。 *** ホテルの建物を後にした私は、広い通りを歩いていた。 両隣には、護衛と道案内を申し出てくれたユズルとキョウイチが、脇を固めるようにしている。このような位置関係を取ることについて、最初にユズルから「男2人に挟まれて息苦しい気がするだろうが、何かあったときこの方が対処しやすいので、我慢してほしい」と断りを受けていた。私は別段息苦しいとも思わなかったが、まるで重要人物になったかのように守られるのは、どうも落ち着かない気になってしまう。そのことを言うと、ユズルは真面目な顔で「あんたは重要人物だ」と頷いた。リンの救出とトシマ脱出の2つを成功させる鍵なのだから、ということだった。 そうして、私たちは北区へと向かっている。 話し合った結果、説得すべき4つのチームのうち、最初に北区を拠点にするチームを説得することになったのだ。この北区のチームは、4つのうちで最も規模が大きい。説得して協力の約束を取り付けたなら、他のチームも賛同しやすくなるのではないか、というのがキョウイチの意見だった。 キョウイチは、トシマ内の勢力について、意外に詳しいようだった。ユズルと私が感心すると、彼はばつが悪そうに「ユズルと会うまでは、早いとこどっかの強いチームに潜り込もうって、日和見してたんだよ」と告白した。 それにしても、リンの行く末を見届けたいユズルと、トシマを生き延びたいのであろうキョウイチ――仲間同士とはいえ目的の異なる2人が、何の利益もないのに私に協力してくれる気になったのは、不思議だった。思わずそのことを口にすると、ユズルとキョウイチは顔を見合わせ、揃って“何を今更”と言いたげな顔をした。 「――俺はさ、イグラに参加してる癖にあんまり強くないないんだ」 脈絡もなくキョウイチが言い出す。その内容に私はぎょっとした。腕に覚えのある者ばかりのこの街で「自分は弱い」と言うのは、イグラ参加者としてはかなり勇気のいることではないだろうか。 思わずキョウイチを見ると、彼は何かを吹っ切ったような表情をしていた。 「ユズルとツルんでたお蔭でここまで生きて来れたけど、実は筋金入りの臆病者なんだ。だけど、俺より弱いはずのあんたが、単身トシマを歩く覚悟をしてる。これで自分だけ安全なところにいようとしたら、俺は臆病者は臆病者でも、最低の臆病者になる気がした」 「お前はいい奴だ。そして、決して臆病なんかじゃない」ユズルはキョウイチに言ってから、私に目を向けた。「俺は、リンの救出を成功させたい。あんたが言ってたリンの無実…今は信じることにしたんだ」 「ありがとう」 「感謝されるようなことじゃないさ。それより、俺たちに理由を尋ねるくらいなら、あんたこそなぜ俺たちを信用した?もしかしたら、あんたを放置して去るかもしれないし、どこか路地裏に引き込んで襲うかも知れない…ここじゃそんなこと珍しくもないのに」 「信用できる相手かそうでないかくらい、分かります」 そう言って私は笑って見せた。 もちろん、他人というのはそう簡単に信用しきれるものではないだろう。特にトシマのように人の本性が剥き出しになる環境では、どれほど誠実そうな相手でも一転裏切られる可能性だってあると覚悟しておいた方がいいに違いない。 けれど、このトシマで私の武器になりえるのは、信頼だけだった。思えばトシマに来てから私はずっと、不確かな綱渡りを続けてきたのだ。自分が信頼できると判断した相手を全力で信頼する――それが生き延びる機会につながる。一度でも信じることを躊躇えば、そのまま弱肉強食の論理に呑まれていただろう。 そう告げると、ユズルは私から目を逸らし、ぽつりと呟いた。 「――あの人も、きっと、そんな風に覚悟してたんだろうな…だから、あんなに真っ直ぐで…」 「あの人って?」私が尋ねると、 「な、何でもない!」はっとしたユズルが、慌てた様子で打ち消すように手を振る。 と、ぶつかるような勢いでくっついてきたキョウイチが、私の肩を抱いた。身長差があるので、少しこちらにのしかかるような姿勢になって、耳打ちしてくる。 「あの人ってのは、前にバーで働いてた奴だよ…あんたの身内だっけか?ユズル、そいつに惚れてた…っつーか、今でも惚れてるからなぁ」 「惚れて、た…?」 初めて聞く意外な話に、思わず声を上げてしまう。 すると、ユズルは苦い顔でこちらを見て、しかつめらしく注意した。まず、キョウイチには、交際もしていない女性に馴れ馴れしく接しないこと。私には、悪目立ちするので大声を上げてはいけないということ。そして、今はじゃれ合っている場合ではないのだ、とお説教を結ぶ。 私たちが素直に謝ると、彼は重々しく頷いてから、表情を改めた。 「それで、これから向かう北区のチームのことだが…」 「あそこのチームって、確かリーダーのトモユキは元<ペスカ・コシカ>だよな?だったら、説得楽勝じゃねーか!ユズルが昔の知り合いの誼で協力を頼めば、知らない仲じゃないんだ、あっちだって、」 「いや。俺はトモユキに口利きはしない」 「え?何でだよ!?」 キョウイチが驚きの声を上げる。それでも、ユズルは揺ぎ無い面持ちをしていて、不意にこちらへ視線を移した。 「確かにトモユキは俺の昔の仲間だ。だが、俺は一切交渉しない。あんたの仕事だからだ。――さっきイグラ参加者と協力するって話をしていたとき、俺はあんたが言うのなら何か協力したいと思った。それだけ言葉に熱意があるんだ。きっと、あんたが説得した方が上手く行く」 確かに、もしここで北区のリーダーを説得できないようなら、他のチームだって同じことだろう。ユズルの伝手に甘えているわけにはいかない。私はそう思いながら頷き、はっきりと告げた。 「えぇ、交渉は私がします」 *** もとは中立地帯であった映画館を、トモユキのチームは本拠地にしていた。けれど、いつしかチームのメンバーは増え、別にもう一つ溜まり場としているビルがある。用があって一晩をそちらで過ごして明け方映画館に戻ってきたトモユキは、ひとり劇場脇の小さな映写室でぼんやりとしていた。 今のトモユキのチームには、かっての<ペスカ・コシカ>からのメンバーも少なくない。そういうこともあって、チーム内のルールは<ペスカ・コシカ>の頃と似通ったものが多い。リーダーに別に一室を与えるというのも<ペスカ・コシカ>と同じ慣習であり、それに則って劇場脇の映写室はトモユキの部屋となっていた。 壁際に置かれたスプリングの壊れたソファに仰向けになって、トモユキは天井を見上げていた。昨夜は碌に寝付けず、映画館に戻って眠ろうとしたが、やはり眠れなかったのだ。 眠れない原因は分かっていた。 昨夜通りで会ったリンのせいだ。あのとき、リンは「ケジメをつけに行く」と言った。そうして今朝、<ヴィスキオ>がリンが<王>に挑戦すると発表した。しかし、今まで<王>に挑んだ者は皆殺された――リンの言うケジメとは、死ぬことなのだろう。そう思うと、腹の底でじくじくと何かが疼くのを感じた。 確かに、自分は仲間が殺された件でリンを責めた。けれど、死んでほしかったわけではない。仲間であるからこそ、隠している何かを打ち明けてほしかった。リンを責めたメンバーは皆、同じような気持ちだっただろう。その気持ちがどうしようもなく捩れてしまったのだ。 リンを責めながらも、或いは彼が去ってからも、本当はまたもとの仲間に戻りたいと思っていた。甘いといわれようが、それがトモユキの本心だった。しかし、リンはそれはもう無理なのだと言った。そうして、死に行こうとしている。こんな結末は納得できない、とトモユキは思った。何が何でも、リンを生き永らえさせたい。そうして、今度こそちゃんと話してみたい。 <城>にいるリンを助け出せれば――そう考えもしたが、それは不可能だった。ここで<ヴィスキオ>に喧嘩を売れば、チームは潰されてしまう。今のチームのメンバーに、自分と同じ仲間を失う苦しみを味わわせることだけはできない。 “リーダーになったからには、どんなことをしてでも自分のチームを守れよ” 昨夜リンに言われた言葉が頭に重くのしかかり、また腹の底で何かがじくじくと疼きを発する。そもそも自分はリーダーの器ではない、とトモユキは思った。チーム戦で背中を味方に任せて先陣を切る役――本来なら<ペスカ・コシカ>にいた頃のあの役が、最も適している。あの頃自分の消耗をも省みず先駆けできたのは、リンとカズイがいたからなのだと今になって分かった。 つまり、リーダーとはそういう役廻りなのだろう。敵と戦うだけでは足らず、味方を守らなければならない。だから、安易に動くことは難しい。リンを助けるために、<ヴィスキオ>を敵に回すことはできない。 自分に言い聞かせるようにそう思ったとき、ドアをノックする音が聞こえた。返事をすれば、外から客が来ていると告げられる。そもそもトシマは知人が互いに訪ねあうような環境ではないのに、と首を傾げながら、トモユキはソファから起き上がって客を通すように言った。 ドアを開けて入ってきたのは、3人の男だった。 そのうち2人は見知らぬ相手だが、残りの一人に見覚えがあった。<ペスカ・コシカ>解散後、トモユキのチームには入らずに、どこかへ去って行った男だ。イグラに参加していたのだと知り、少し意外に思う。<ペスカ・コシカ>の頃から、男はどちらかといえばカズイに近い考えの持ち主で、無駄な争いを好まなかったのだから。 「――久しぶりだな、ユズル」 「あぁ…<ペスカ・コシカ>解散のとき以来だ――トモユキ、今日は話があって来た」 「話…?何だ」 「その前に紹介しておく。こっちがキョウイチ」 ユズルが少し後ろに佇む2人を振り返る。キョウイチと呼ばれた左後ろにいた金髪の男が軽く頭を下げると、ユズルは今度は右後ろに佇むやけに小柄な男を視線で示した。「それから、この人が――」そう言う声音になぜか気遣いというか恭しさのようなものが込められていて、トモユキは微かに違和感を覚える。 と、小柄な男が伏せがちだった顔を上げた。 「―― といいます」 そう名乗った声は、低く落ち着いた響きではあるが、男にしては高い。そういえば体つきも小柄で、衣服に隠れてはいるものの、どこか丸みを感じさせる輪郭をしている。女か――トモユキは顔には出さずにぎくりとした。このトシマに女がいるなど、聞いたことがない。イグラ参加者の誰かが、慰みに情婦を連れてきたとでもいうのだろうか。 しかし、という女にそういった印象は全くなかった。地味で化粧っ気のない顔――水商売などでなくても、トシマの外の街にいる普通の娘でも、もっと華やかな装いをしているだろう。ならば一体なぜここにいるのか。そう思いながらも、さすがにトモユキも本人の前でその疑問を口にするほど無神経ではない。 浮かんだ疑問を無視して、「それで、話というのは?」とユズルへ目を向ける。すると、ユズルは、と名乗った女に目配せをした。はそれにひとつ頷き、トモユキに向き直った。強い意志の光を宿す目が、物怖じすることなくトモユキの視線を受け止める。 ふとトモユキは思った。 自分が向かい合っているのは、ただの地味で大人しそうな女ではない。もっと別の――。 そのとき、いかにも無害そうな顔立ちで、は信じられないことを言った。 「お願いがあります。私たちは<ヴィスキオ>への反乱を計画しています。それに協力していただけませんか」 目次 |