Gangster2
3. 昼下がり。アキラが事務所で仕事をしていると、どかどかと乱暴な足音を立てて大柄な男が入ってきた。キリヲだ。キリヲはヴィスキオの勢力圏の中で、酒場や娼館の取りまとめ役を任されている。彼は朝から幾つもの店に顔を出し、今戻ってきたところなのだ。 「おかえり」アキラは言った。 キリヲは先代ボスの右腕で古株だから、本当は敬語を使うべきだ。けれど、根っから堅苦しいのが嫌いなこの男は、必要な場面以外で敬語で話しかけられるのを好まない。ヴィスキオ内では、キリヲの手下以外は彼に敬語を使っていなかった。 「おぅ、嬢ちゃんか。今帰ったぜー。まぁ、すぐまた出て行くんだけどなァ」 「忙しいな。どこへ?」 「ム所さ。今日はヒヨの保釈の日だからよぉ、迎えに言ってやらねぇと」 ヒヨというのは、キリヲの相棒のグンジという男のあだ名だ。グンジは他の組との戦闘を一手に引き受けている戦闘員で、いざとなれば非常に凶暴だった。とてもヒヨなどと可愛らしい呼び方の似合う男ではない。そう呼ぶのは、相方のキリヲだけだ。 そんなグンジとキリヲのコンビは、抗争となると目覚ましい働きをする。そのあまりの強さと凶悪さから、処刑人だとか狂犬だとか言われて、恐れられていた。 そのグンジがなぜ刑務所に送られたかといえば、ついこの間路上で他の組の人間と喧嘩して――というより、一方的に痛めつけて、傷害事件になったせいだ。その程度ならヴィスキオの力でもみ消すこともできるのだが、もみ消しの必要はないとグンジ本人が言った。 下っ端とはいえ、傷つけたのは他の組の人間。グンジが刑務所送りにならなければ、先方の面子を潰すことになるだろうと、配慮したのだ。グンジは闘うことしか興味のないような男だが、その分自分がどう動くべきかという点において鋭い勘を持っていた。 おかげで、シキはグンジの逮捕後すぐに相手組織と話をつけることができた。ついでに、警察と司法取引をして、グンジはわずかな収監期間で保釈されることとなった。 元弁護士だけあって、こうした手続きは、シキは上手い。 ちょうど一息入れに執務室から出てきたシキは、アキラに行ってもいいと許可をくれた。そこで、アキラはキリヲと共に、グンジを迎えに行くことにした。そう長い収監ではないが、刑務所の中で不便をしてきたであろうグンジを、ちゃんと迎えてやりたかったのだ。 グンジの収監された刑務所は、リトル・トシマの街から十キロメートルほどの郊外にある。二人はなるべく地味な車を選んで、刑務所に向かった。 今日はしとしと雨が降り続く、憂鬱な天気だ。時折雨足が強まったり、弱まったりしているが、止むことがない。どんよりと厚い雲の下、そびえ立つ刑務所の建物はひどく陰鬱な雰囲気だった。 しかし、刑務所の門を潜って出てきた男は、いつものように無駄に活気に溢れていた。陰鬱さなど、男の周囲から跳ね除けられてしまっているようだ。 男はアキラたちの車を見つけると、駆け寄ってきて素早く乗り込んだ。乗り込むなり男が頭を振ると、雨の水滴が車内に飛び散る。アキラとキリヲは顔をしかめたが、男は平然としていた。 「おい、ヒヨ、テメェ犬っころみてぇなこと、してんじゃねぇよ」 「だってー濡れたしー」男――グンジはそう言って唇を尖らせたが、やがてアキラに目を向けてぱっと笑顔になった。「ネコちゃん、久しぶりじゃね? 相変わらずちっちぇー!」 後部座席から身を乗り出し、グンジは運転中のアキラの頭をぐりぐりと乱暴に撫で回す。「やめろ! それと俺はチビじゃない!」アキラがグンジの手から逃れながら叫んだ拍子に、手がハンドルに当たった。 あっと言う間に車は進路を変え、道路の脇の畑に突っ込みそうになる。 「嬢ちゃん、前だっ、前!」 グンジを押さえ込みながら、キリヲが叫んだ。アキラは慌てて進行方向を修正し、ほっと息を吐く。 「ネコ、アブねーじゃん!」 「オメェが言うな、バカヒヨ! オメェのせいだろーが。今すぐ放り出すぞ。そこらの牛と見合いして、婿に取ってもらえや」 「新居は牛舎かよ。冗談じゃねー。臭ぇのは、ム所ん中で十分だってぇーの」 軽口を叩きながらも、グンジはこれ以上車内で暴れるべきではないと悟ったらしかった。急に大人しくなったのを不思議に思って、アキラがミラー越しに確認すると、彼は眠ってしまっていた。その寝顔は子どものようにあどけなく、邪気がない。狂犬と恐れられる男とは、とても思えない。 ふとミラー越しにグンジの隣に座るキリヲと目が合うと、キリヲは苦笑めいた表情を浮かべて見せた。『仕方ねぇ奴だよ、コイツは』と言いたげな様子に、アキラもまた苦笑を返す。 車は、静かに雨の降る道を進んでいった。 *** 事務所に戻ると、妙な雰囲気だった。 そこにいる人間は皆、いつになく黙々と自分の仕事をこなしている。まるで何かに怯えているかのようだ。いったい何があったのかとアキラは尋ねたかったが、生憎、気安く声を掛けられそうな源泉は席を外していた。 困惑しながら部屋を見渡すと、壁際に見知った顔があった。ユキヒトだ。ユキヒトは、街の様子や他の組の動きなどを探る仕事を、シキから任されている。普段は外へ出ていることが多く、事務所で見かけるのは珍しいことだ。 ふと目が合うと、ユキヒトは厳しい表情で近づいてきた。 「何かあったのか?」アキラは尋ねた。 「ヴィスキオの勢力圏で、ヤクを売ってる奴がいた。そいつが余所の組とつながってたんだ。俺が見つけてボスに報せた。ボスは……今、地下でそいつから話を聞いてる。源泉は相手の組と話をしに行った」 ユキヒトの言葉に、アキラは眉をひそめた。 ヴィスキオは、ヤクザとしては珍しい部類で、麻薬を扱ってはいない。 麻薬は莫大な利益を生む。けれど、先代ボスや当代のシキは、麻薬をひどく嫌っていた。また、ヴィスキオ一家の構成員の中にも、キリヲやグンジを初めとして麻薬を嫌悪する者は多い。そのため、ヴィスキオは他の組と勢力圏の不可侵協定を結ぶと同時に、ヴィスキオの支配圏では決して麻薬を売らないという約束を取り付けていた。 今回、その約束が破られた。これは、いつ抗争になってもおかしくない事態を意味している。アキラは緊張に息を詰めながら、更に尋ねた。 「それで、ヤクの売人がつながってた組っていうのは?」 「ENED――売人が売ってたのは、ラインだ」 それを聞いた瞬間、アキラは駆けだしていた。 ENED。CFCという大きな街を拠点とするこの組は、nというボスのもと、麻薬の売買を主なシノギとしている。中でもENEDが目玉商品として扱うのが、ラインという精神増強剤だ。 このラインは、ほんの二、三年前までは合法ドラッグだった。 この国は、七年ほど前まで他国と戦争をしていた。その戦場では、兵士の恐怖を取り除くため、開発後間もないラインが当たり前のように投与されていたそうだ。しかし、安全な麻薬と思われていたラインは、実はそうではないことが後になって判明した。ラインを投与された兵士は、帰国後、禁断症状に悩まされるようになった。 こうした人々の中には、元ニホン人の移民も多かった。この国は、国内で生まれた子どもには、この国の国籍を与えている。けれど、ニホンで生まれて移り住んだ人々は、いくつかの条件をクリアしなければ、この国の国籍を手に入れることができない。そのいくつかの条件の中で比較的簡単なのが、兵士に志願することだった。 アキラより少し上の世代――シキやグンジ、キリヲなど移民直前に生まれたので、兵士に志願して国籍を得たクチだ。ヴィスキオにライン嫌いが多いのは、そういった避けようのない事情で兵士になりながら、戦場で処方されたラインの禁断症状に苦しんだ者が多いからだ。 とりわけ、シキのライン嫌いは格別だ。 戦場で、シキはある特殊部隊に所属していた。そこでは、一般兵より高濃度のラインの服用を義務付けられていたらしい。シキはそのときのことをほとんど話さないが、ラインの副作用がきつかったとだけ聞いたことがある。シキほどの人間がこぼすのだから、おそらくそれは地獄のような苦しみだったのだろう。アキラは、そう想像するしかなかった。 ラインは、その名だけでもシキを憎しみに狂わせる。 地下で売人を尋問しているというシキのことが、アキラは心配でならなかった。階段を駆け降り、普段は倉庫として使われる部屋の前に立つと、絶叫が聞こえてきた。アキラは一瞬動きを止めたが、すぐに扉を開ける。 途端、血とアンモニアの臭いが鼻に突いた。 部屋の中では、売人の男が椅子に括りつけられていた。その前にシキが立っている。他に三人シキの部下がいて、売人の周囲に集まっていた。 情報を引き出すため、拷問をしているのだ。 「ボス!」 アキラが叫ぶと、シキが振り返った。薄暗い裸電球の下で見たシキの目は、危険を感じるほどに怒りがたぎっている。束の間立ちすくみそうになったが堪えて、アキラはシキの元へ歩み寄った。 「ボス。売人から話を聞き出すのに、あなたのお手を煩わせるわけにはいきません。どうか、この場は下の者に任せて下さい」 「お前こそ、下がっていろ、アキラ」 尋問を他人任せにする気はないと、シキの目は物語っている。しかし、このままシキをこの場に残すわけにはいかない。アキラは再びクチを開きかけた。 そのときだった。 「こいつかぁ? うちのシマにクソラインばら撒いてやがったクソ野郎はよぉ?」 背の高いキリヲが、ちょっと頭を下げて敷居にぶつかるのを避けながら、部屋に入ってくる。その後にグンジが続いていた。 「楽しそうなこと、やってんじゃねぇか、ボス? もちろん、俺らもそのクソ野郎と遊んでもいいよなァ?」キリヲはニヤっと嗤った。 「久しぶりの血の臭い……ぞくぞくすんぜ。やっぱー娑婆はこうでねーとな! なぁなぁ、ボス、出所祝いに俺にその野郎ヤらせてくれよー」グンジも言う。 シキはキリヲとグンジを順に見たが、やがて諦めたようなため息をついた。「いいだろう」と頷き、グンジやキリヲと入れ替わりに戸口へと向かう。行くぞ、とシキに声を掛けられて、アキラもそれに従った。 部屋を出てドアを閉める間際、売人の絶叫が耳を突く。それでもアキラは構わず、ドアを閉めた。 これからあの売人には、過酷な責めが待っている。グンジやキリヲの拷問は、死んだ方がマシと心底思えるというので、敵対勢力の間で有名だった。そうした過酷な拷問を喜々として行うことも、グンジとキリヲが狂犬と言われる一因だった。 人間の正常な神経をしていない。誰にでも噛みつく、狂った犬――だから、狂犬。 けれど、アキラは知っている。キリヲにしろグンジにしろ、拷問は確かに彼らの趣味だ。けれど、決してそれだけでやっているのではない。相手を痛めつけけるとき、彼らは確かにそのヴィスキオへの敵対者に対して、怒りを抱いているのだ。 とりわけ、相手が麻薬中毒者や麻薬の売人である場合の敵意は、一層激しい。ほとんど憎んでいると言ってもいいほどだ。 シキは、同じ怒りを抱く者として、キリヲやグンジの気持ちを理解している。だからこそ、あの場を二人に任せたに違いなかった。 売人の悲鳴を背に、アキラとシキは階段を上って行った。ちょうどシキの執務室へ戻ったところで、デスクの上で電話のベルが鳴る。アキラより早く、傍にいたシキがそれを取った。 「――源泉か」受話器を耳に当て、シキがすっと目を細める。「どうだった? …………そうか……あぁ…………あぁ、分かった…………」 いくつか指示を出してから、シキは電話を切った。そこでアキラの視線に気づき、源泉からだと教えてくれる。おそらく源泉は、ENEDとの話し合いの結果をシキに報告してきたのだろう。 「あの売人のことですか?」 「あぁ。ENEDは、売人は自分たちとは無関係だと言っている。不可侵協定を破るのは本意ではない、とな。あの売人は、こちらで処分して構わないそうだ」 「本当にあの男は、ENEDとのつながりはないのですか?」 「いや。ENEDはあの売人を切り捨てただけだろう。蜥蜴が尾を切り離すようにな。ユキヒトの調べで、あの売人はENEDの末端の構成員だということが分かっている。それを切ったのは、ENED――nもウチと事を構える気がないんだろう……今はまだ、という話だが」 どうにも釈然としない話だった。アキラは、自分でも気づかないうちに眉をひそめていた。 身内をそう簡単に切り捨てるなど、ヴィスキオ一家では考えられない話だ。一家に入れば家族同然なだけに、上の人間は部下をしっかり教育する。だから自然と、組の構成員は、組を裏切るような真似や、組の不利益になることはしないだけの分別を持つようになる。好き勝手しているグンジやキリヲでさえも、その最低ラインは常に守って行動している。 もっとも、そうした考え方は、余所の組からは古いと言われるのが常だった。 ふとため息が聞こえて、アキラは顔を上げた。見れば、滅多にないことにだらしなくデスクにもたれたシキは、少し疲れているようだった。 「ボス……お疲れのように見えます。本日のこの後の予定は、キャンセルなさいますか?」 「必要ない」シキはそう言いはしたが、少し考えてからまた口を開いた。「いや……やはり、そうしてくれ。今日はもう帰る。お前も上がれ、アキラ」 「承知しました。それでは事務所に伝えて、帰りの車を手配して参ります」 (再録2009/11/07) 目次 |