ジョーカー5
*シキ×アキラ行為の最中に一瞬女性との行為を想起する場面あり注意。





 紅い双眸がゆっくりと近づいてくる。
 口づけられる――しかし、そう思った瞬間、ふっとシキは離れていった。シキはソファから立ち上がり、アキラに泊まって行くように勧める。時計を見れば確かにかなり遅い時間だ。明日は非番なので夜更かし自体に問題はないが、もう寮の門も閉ざされているだろう。
 シキの言葉に甘えるしかない。そうは思いながらも、アキラは素直にシキの勧めを受け入れることはできそうになかった。
 先日泊まったときも、今も――遡ればホテルに泊まったあの夜さえも、シキは自分に性的に触れることはなかった。まるで自分への性的な興味を一切失ったかのように。それが、やけに辛く感じられた。
 押さえようもない自分の感情に、アキラはきつく唇を噛む。さっき純粋にシキの役に立ちたいと思ったのに、一方で今は抱かれたいと望んでいる。いったい自分はどれだけ卑しいのだろうか。
 シキについて行きたいという意思は、決して性欲からくるものではない。だが、トシマで自分とシキを結びつけたのは、あのボロアパートでの時間に他ならない。今のままでは、抱き合うことなしにシキとの関係が成立するとは思えない。
 いっそ、もうお前を抱くつもりはないと言ってもらえれば諦めはつく。純粋な部下としてシキに従える。
 だから――。
 自分の心の声に背中を押されるような気持ちで、アキラは居間を出ていきかけたシキの腕を捉えた。
「中佐……」
「どうした」
「……中佐、浅ましいこと言う俺を許してください。貴方の答えを得た後には、必ず貴方のご意思に従います……ですから……、」
「アキラ……?」
「中佐……シキ……貴方は、どうして俺を抱かなくなったのですか? 俺はこの一年、あんたが俺にどうして触れないのかとときどき考えて……考えないようにして……。こんなの女々しいと思ってる。だけど、考えずにはいられないんだ。だから、はっきりさせたい。どうか、俺を抱いてくれ。でなければ、『もうお前を抱かない』と言ってくれ。そうしたら、俺は割り切ってあんたの忠実な部下になることができる。――どうか、俺にあんたの答えをくれ」
 アキラはシキの手を握りしめ、跪いて額に押し当てて懇願した。いつしか軍で仕込まれた敬語を使うのも忘れ、素のままの自分の言葉で話していた。「アキラ」と、シキが名を呼ぶ声音が、最後の審判のようにさえ思えた。

「立て、アキラ。そして顔を上げろ」

 シキが静かな声で命じる。その声音に引っ張られるように、アキラは立ち上がった。顔を上げれば、間近にシキの紅い双眸が見える。気のせいだろうか、シキの目の中には何かの感情が燃え上がっているようだった。
 いつかシキのこんな目を見たことがある。それはいつだったか。
「俺がお前への執着を失うことはない」シキははっきりと言った。
「……だけど、……だったらどうして一年も俺を抱かずに……?」
 しかし、その問いにシキは答えなかった。紅い双眸に複雑な色合いが一瞬だけ閃いて消える。ためらいのような、恐れのような何か――それが何なのかアキラは読み取ることができなかった。
 考えるうちにもシキの顔が近づいてきて、唇を奪われる。いきなりの激しい口づけに溺れながら、アキラはシキの目に燃え上がった感情の正体に思い至った。
 情欲だ。
 トシマで自分を抱くとき、シキはあんな目をしていた。


 数分後。アキラは一人でシキの寝室にいた。先に行って待っているようにと言われたのだ。やがて、シキが何かの瓶を片手に寝室へ戻ってきた。
「それは?」アキラは尋ねる。
「オリーブオイルだ。潤滑剤に使う。ちょうど使わないで余っていたのでな」シキは答えた。
「俺とするのは、冷蔵庫の残り物を整理するのと同レベルかよ」
「そう拗ねるな。潤滑剤は必要だろう? 久しぶりでは、特にな」
「あった方が助かるけど、確かに……」
 アキラは恥ずかしくなって俯いた。が、シキに衣服を脱げと言われ、ごく自然にそれに従う。言葉遣いは素に戻るのに、身体は上官であるシキの命令への服従が染みついているようだ。
 全て衣服を取り払うと、シキはじっとアキラの身体を見つめた。頭の天辺からつま先まで、観察するようにゆっくりと視線を移動させる。アキラは更に猛烈な羞恥に襲われた。
 シキはアキラにベッドに横になるように指示し、自分もベッドに上がってきた。オリーブオイルの瓶の蓋を開け、自分の掌に垂らす。そして、横になったアキラの腹部にオイルにまみれた掌で触れた。
「トシマの頃より腹筋がついたな」
 そう言いながら、アキラの腹部を撫で回しす。愛撫というより診察のような手つき、にも関わらずアキラはシキの手のもたらす感覚に体内の熱が煽られるのを感じた。
「胸筋も発達したし、腕も引き締まった」
 シキはアキラの腹部から胸、肩、腕とオイルを塗り広げていく。途中、臍のピアスや胸の突起を悪戯のように弄るので、その度アキラはさざ波のような甘さに堪えきれず身をくねらせた。
 やがて、シキの手は下へと向かった。太腿やふくらはぎ、臑などをオイルにぬめる掌で撫で、やがて内股にたどり着く。勃ち上がっているアキラの性器は無視して、シキはじらすように丁寧に内股を愛撫した。
 その感触がもどかしく、アキラは思わず脚を閉じようとする。それを押しとどめてシキが愉しげに笑った。
「触れてほしいか、アキラ? 一年ぶりにお前を抱くんだ、素直になったらどうだ?」
「っ……ふ、……ソコに……触れて、ほしい……」
「いいだろう」
 シキは頷き、すぐにアキラの望みを叶えた。オイルにぬめる手でアキラの性器に触れ、形をたどるように丹念に撫で回す。その感覚に、アキラはずんと腰に直接的な快楽が生まれるのを感じた。
 このままいけば、すぐにでも達しそうだった。そうしてしまいたかった。けれど、シキはまだ衣服を乱してもいないのに、自分だけ達してしまうのは嫌だった。
「――シキ……っぁ……俺も、あんたに……っ……触りた……っ……」
 腕をつかんで訴えれば、いいだろうとシキが頷く。そこで、アキラはベッドの上で起き上がって、シキの衣服を脱がせていった。
 上半身の衣服を脱がせてしまうと、いくつもの傷跡の残るシキの白い肌が露わになる。それだけでも、もう鼓動が速くなった。アキラは息を一つ吸って、シキのベルトに手を掛けた。
 ちらりとシキの様子を伺ってみたが、シキは特にアキラを止める様子もない。アキラは思い切ってシキのベルトを外し、下半身を覆う衣服も全て取り払った。
 目の前に、素裸のシキがいる。シキの全裸を見るのはこれが初めてだと気づき、アキラはまた言いようのない羞恥に襲われた。が、同時にふと悪戯心に襲われる。
「動かないでくれ」アキラは言った。
「どうするつもりだ?」
 尋ねるシキに密やかに微笑んで、アキラはシキの身体に抱きついた。ぴたりと皮膚を触れ合わせ、オリーブオイルを塗られた自分の身体をシキに擦り寄せる。そうしながら、アキラはそっとシキの肩を押してベッドに横になるように合図した。
 アキラは横たわったシキの上に覆い被さり、胸や腹を密着させて自分の身体のオイルをシキに塗り付ける。シキを愛撫しているはずが、時折シキの身体に胸の突起やピアス、勃ち上がった性器が擦れて、アキラ自身もさざ波のような快楽を覚えた。
「ん……ふ、ぁ……あ……っ」唇から勝手に吐息がこぼれ落ちる。
「なるほど、ずいぶんと、艶めかし誘いだな」
 シキもまた息を弾ませながら愉しげに笑い、その後アキラと体勢を入れ替えて今度は自分が上になる。唇を重ねて断続的に口づけを交わしながら、シキは勃ち上がった自身をアキラの性器に触れさせた。
 身体のオイルを塗り付けるようにしながら、シキは盛んに性器同士をすり合わせる。その刺激に、アキラは身悶えた。が、シキはアキラの身体を押さえつけて、行為を続ける。
「んぁ……! シ、キ……ダメだ……もう……――あっ……!」
 シキのものや腹部に性器を擦られて、腰にわだかまった快楽が弾ける。気づけばアキラは小さな声を上げて達していた。


 やがて、シキが身体を離して起きあがる。射精の余韻から戻ったアキラは、自分だけでなくシキの下腹部もまた自分の精で汚れているのを見て、ひどくいたたまれない気持ちになった。
「えっと、その……すまない……」
「構わん。というより、俺がわざと続けたことだ。この後のことを考えると、一度抜いておく方が身体の力も抜けるだろうと思ってな」
「この後……」
 アキラはシキの下腹部を見た。シキはまだ一度も達しておらず、性器は張りつめている。これを受け入れるのかと思うと、怖いような、ぞくぞくするような、奇妙な感覚が背中を抜けていった。
 そうするうちにも、シキはサイドテーブルからオリーブオイルの瓶を取り上げる。アキラの脚を大きく開かせると、露わになった後孔に直接オイルを垂らした。そして、瓶を戻し、指の腹で後孔の表面を押し解してから指一本を挿入する。
 ぬるりと体内に入ってくる異物感に、アキラは喘いだ。オイルのおかげで予想していた痛みはなく、ただ違和感だけがあった。
 シキは丁寧にアキラの身体を解し、指を増やして開いていった。やがて、後孔が十分に解れたところでシキは指を抜き取り、再びオリーブオイルの瓶を取り上げた。
「手を出せ」
 言われてアキラが左手を差し出すと、シキはその手にオイルを垂らした。
「っ……何だ……?」
 戸惑うアキラの手を掴んで、シキは彼自身の性器に導いた。そして、アキラの手を動かして性器の表面を撫でさせる。潤滑用のオイルを塗らせようとしているのだ。
 やがて、シキは手を離したが、それでもアキラは自分で手を動かしてシキのものにオイルを塗り込めていった。そうしながら、棹の部分やくびれ、先端の形まで丹念になぞる。
 これが自分の中に入ってくる――シキの一部が。そう思うと、恐れや羞恥の向こう側にそれらを上回る期待を感じている自分がいることを認めざるを得なかった。
 そう、期待しているのだ。
「アキラ、もういい。俺は、できればお前の中で達したいのでな」
 シキが苦笑したので、アキラは慌てて手を引いた。その反応に更に苦笑してから、シキはアキラの脚の間に割って入る。脚を大きく開かせて露わになった後孔に、シキは自分自身を押し当てた。 
 指とは比べものにならない質量が、じわじわと体内に侵入してくる。十分に後孔を慣らされてオイルの滑りもあるとはいえ、挿入にはやはり圧迫感と苦痛があった。アキラは懸命に身体の力を抜こうと努めたが、やはりそれでも苦痛は変わらない。
「っ……大丈夫か、アキラ?」
 シキが、自身も苦しげに顔をしかめながら、額にかかった髪を払ってくれる。トシマでは見たこともない優しげな仕草に、アキラはじわりと嬉しさが胸に広がるのを感じた。
 苦しい――けれども、もっとシキを受け入れたいという気持ちがこみ上げる。アキラはシキの気遣いに返事する代わりに、すぐに全部欲しいと囁いた。
 シキはそれに応え、少し強引に腰を進めた。やがて。
「全て、入ったぞ」
 囁きと共にシキが身体を倒し、唇を重ねてくる。アキラはシキの背に腕を回し、縋りながら与えられる口づけを受けた。
 下半身で繋がりながら、深い口づけを交わす。更には互いにオリーブオイルのせいで肌と肌との摩擦が殆ど感じられず、こうして抱き合っていると互いの境界線が溶けていくかのようだ。シキと自分が溶け合い、一つになる――そんなイメージが脳裏に閃き、意識が恍惚となる。
 しかし、やがてシキは顔を離し、動き始めた。初めはゆったりした動きだったのが、次第に速くなっていく。結合部にもオイルが使われているせいか、挿入のときほどの苦しさは感じなかった。そればかりか、結合部から上がる濡れた音に聴覚を刺激され、身体が熱を帯びていく。
「っ……ん……っ、ぅ……!」
 いつしかアキラは唇を噛み、こぼれそうになる喘ぎ声を必死で堪えていた。
「声を抑えるな」
 一旦動きを止めて、シキが囁く。そうして、彼は掌でアキラの胸元から腹部、更に反応している性器までをなで下ろす。その感覚に驚いて、アキラは思わず「あっ」と声を漏らした。
「そうだ。それでいい」
 再びシキが動き始める。アキラはその動きを追うように、シキの動きに合わせて腰を揺らした。自分だけでなく、シキにももっと快楽を得てほしいと思っていた。
 二人分の動きに合わせて、結合部から水音が更に大きくなる。
「……っ……シキ……ぅ、んっ……あっ……!」喘ぎ声の下から甘えるように名を呼べば、
「アキラ……そろそろ、限界、か……?」
 シキは吐息で笑って、アキラの張りつめた性器に手を伸ばした。
 ぐぃと少し強めの力でそこを掴まれ、上下に擦られる。オリーブオイルで摩擦が少ないために、アキラは一瞬コンドーム越しに感じた女の身体の締め付けと滑りを思い出した。性器を刺激され、シキのもので体内の感じる箇所を擦られて、急速に快楽が膨れ上がっていく。
 そして。
「あっ……ああぁぁ……!」
 ある瞬間、脳が焼き切れそうな程の快感の波が襲ってきて、アキラは声を上げながら達していた。射精の会館に身体が勝手に強ばり、体内のシキのものを締め付けてしまう。
 シキはその締め付けに逆らって一度腰を引き、収縮する内部をこじ開けるようにしてさらに深くまで侵入する。アキラは達した余韻の中で、体内のシキを感じた。体内の感触から、先ほど手で触れて確かめたシキのものの形が分かるような気さえする。
「くっ……」
 と、シキが低く呻き、体内のものが精を吐き出す。それをアキラは恍惚と感じていた。誰にも分からない、誰にも触れられない場所に、シキのものであるという証を受け止めているのだ――と、誇らしささえ覚えた。


**


 それからひと月後のこと。
 シキは女と共にとある料亭の一室にいた。娼館に席を置く彼女には、軍幹部の動向を探らせている。今日はその定期報告のための密会だった。以前はこうした密会はホテルで行い、時には肌を合わせることもあったが、ここしばらくシキは女に触れていない。今日もまたそうした意思はなく、そのために密会場所に料亭を選んだのだった。
 そうしたシキの変化について、女は気付いているのだろうが、何も尋ねたことはない。たとえ肌を合わせたところで、自分たちを繋ぐのが男女の情でないことを互いが一番承知しているからだ。
 シキは女とは旧知の仲だった。互いに世が世ならばどのような身分であったのか、敗戦でどれほどのものを失ったのかもよく知っている。だからこそ、シキは再会した彼女を信用し、スパイとして使うことにしたのだ。
 シキ自身は軍国主義時代の特権など不要だと思っていたし、女もまた受け継ぐべき正当な財産を失ったことを恨んでいるのではない。ただ、同じ過去を知る者同士として、不思議と共感する部分がある。
 ――倒された旧軍国体制の側の人間から見ても、現体制は腐敗している。この腐敗を許すならば、敗戦後、新しい世のためにと倒され虐げられてきた旧軍国体制の人間の苦しみは何だったのか。
 結局のところ、シキと女を繋いでいるのはそうした『現在』への問いだった。

「――中佐、どうかお気をつけください」

 女が酒を注ぎながら、ぽつりと呟いた。
「少尉がシマダ少将の誘いを断った今、シマダ少将は少尉を使って貴方を陥れようと画策しているようです」
「アキラをか……よりによって」
「あのご老体は、少尉を自分の陣営に引き入れて手をつけようと考えていたのです。何しろ好色な男ですから。あてが外れて、かえって少尉が憎くなったのでしょう」
「フン、あんな老人に手出しはさせるものか。アキラは俺が守る」
 シキは、やや強い語調で言った。言ってしまってから、シキは己にしては感情的すぎる物言いだと感じた。
 同じことを女も思ったのだろう。彼女はじっとシキを見つめて、しばらくの沈黙の後に口を開いた。
「――戦を始めてしまったら、必ず勝たねばなりません。途中で止めることはできません。敗ける戦なら、最初からすべきではありません。……私たち、敗戦でそのことを学びましたわね? そして、貴方は既に戦を始めてしまわれた」
 遠回しなその言葉に、シキは女が何を言おうとしているのかに気付いた。彼女は、アキラを手に入れたシキが満足して、上を目指すことを止めてしまうのではないかと不安がっているのだ。
 一瞬シキはそんな不安を抱いた女に腹を立てたが、すぐに腹を立てた己自身を恥じた。近頃の己の浮かれようを見れば、そう思われても仕方がないかもしれない。一年を経て再びアキラと心を通わせたことは、それだけシキにとっても大きな喜びだ。
 けれど。

「――ツバキ

 シキは女のかつての名を呼んだ。再会してその名を口にしたのは、初めてだった。彼女の意識をこちらへ向けさせようとしたのか、過去に奪われた名と特権を取り戻してやると言いたかったのか、どうなのかは自分でも分からない。
「それは、もう私は使うことのない名です、」彼女は首を横に振る。
「案ずるな」女の言葉を遮るような形で、シキは力強く言った。「俺は目的を捨てるつもりはない。そうできるなら――今この手の中にあるもので満足できるなら、いいのだろうがな。上を目指すのは俺の業のようなものだ」
「私の業は、プライドを捨てきれないことですわ。……出過ぎた忠告をしたようですね。申し訳ございません」
 女は優雅に頭を下げ、シキの杯が空になったのを見て再び酒を注いだ。






(2010/03/26)

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