Party2 sideケイスケ *ケイスケはアキラに失恋済み。現在は友人。 *そういう設定が苦手な方は回避してください。 ケイスケは、自分のことを臆病な人間だと思っている。それは三年前に参加したバトルゲーム・イグラを生き延びた今でも、変わっていない。 旧祖を脱出した後、ケイスケはしばらく日興連の避難民収容施設にいた。やがて、工場勤務の経験があったことから、施設で新たな職場を斡旋された。今、ケイスケは、通常の規格にはない機械部品をオーダーメイドで造る工場で働いている。規格外の部品というのは意外にかなり需要があるもので、海外からも発注を受けて、工場は連日フル稼働だった。 ウーウーウー。午前の仕事の終わりを告げるサイレンが鳴り響く。ケイスケはキリのいいところで、操作していた機械を止めた。ふぅと静かに息を吐き、額に滲んでいた汗を拭う。汗に気づかないほど、息をひそめるほど、仕事に集中していたようだ。今は冬で本来なら汗をかくような気候でもない。だが、工場内で機械を操作していると、機械が熱を発していることもあって、薄く汗をかいていることも珍しくなかった。 ケイスケは、工場の仕事が好きだった。ケイスケ自身の担当は部品製造の一工程に過ぎない。けれども、黙々と作業をしているうちに、部品が出来上がっていく過程がすべて自分とつながっている感覚が訪れることがある。ケイスケは、その感覚が好きだった。他の過程に関わる工員たちに受け入れられ、共に作業工程の歯車の一部として噛み合って動いているという安心感を覚えるからだ。トシマの非日常を経験してなお、今の平穏な日常に喜びを見い出せる自分を、誇らしく思うことができる。 ケイスケは機械から離れ、昼食を取るために食堂へ向かう。その途中、ケイスケは親しいベテラン工員と出会った。六十歳を過ぎているというその工員は、ケイスケにとっては父か祖父のように思える相手だった。 「どうしたんですか? ヌマタさん」ケイスケは声を掛けた。 ヌマタはケイスケを見てから、足下の箱に視線を落とした。 「A社から注文があった部品の試作品ができたんだ。それで、保管室に持って行こうとしたんだが……ここ最近、寒くなってきたせいか、運んでいるうちに腰が痛くなってな。まったく、年は取りたくねぇなぁ」 「あ、じゃあ、俺が持って行きますよ」 ケイスケはヌマタの足下にあった箱を二箱とも持ち上げた。かなり重い。が、ケイスケにとっては苦にもならない重さだった。 「おい、重いだろ? 一箱持つから……」ヌマタが気遣わしげに言った。 「平気ですよ、ヌマタさん。俺がこの箱を運んでおきますから、先に休憩に入ってください」ケイスケは明るく応じた。 「じゃあ……。すまねぇな」 「いえ。ヌマタさんも、腰、大事にしてくださいね。じゃあ、保管室へ行って来ます」 ヌマタと別れたケイスケは、重い箱を抱えて歩きだした。目的の保管室まで、距離はさほどでもない。だが、途中に下りの階段があって、箱を抱えているせいで足下が見えにくかった。とてもではないが、年輩者に運ばせたのでは危険だっただろう。 保管室へたどり着くと、ケイスケは適当な場所に試作品の箱を下ろした。ほっと息を吐き、自分の手に視線を落とす。 (ラインの副作用の怪力……。重いものを運ぶくらいにしか役に立たないけど、それでも、誰かを傷つけたりするよりは、よほどマシな使い方だよな……) ケイスケは三年前、アキラを追いかけて行ったトシマで麻薬であるラインを服用した。幼なじみであり、密かに想いを寄せていたアキラを手助けするため、力が欲しかったのだ。しかし、ケイスケは逆にラインのもたらす狂気に呑まれてしまった。力に溺れ、何人もの生命を奪い、好きだと思った相手さえも殺しかけた。 臆病で無力なはずの自分が。――いや。臆病であったからこそ、自分はラインに溺れたのだろう。幼い頃からいじめられっ子であったケイスケは、加害者になる可能性など想像もしたことがなかった。自分に誰かを傷つけられる力があると認識していなかったからだ。それゆえ、ラインで得た力を振るう自分に、歯止めを掛けることができなかったのだろう。 結局、ラインで暴走したケイスケは、アキラと彼の血によって救われた。アキラは狂気に陥ったケイスケと生命がけで闘い、ラインの効果を抑制する彼の血液を飲ませたのだ。その瞬間から、ケイスケは記憶がほとんどない。覚えているのは、ただ、身体が燃えるように熱く、わけが分からないままに走ったことだけだ。 次に気がついたとき、ケイスケは廃墟の片隅で源泉に介抱されているところだった。そこで初めて、アキラが行方不明になったと源泉から知らされた。 《――きっと、俺のせいだ》 ラインの禁断症状に苦しみながら、ケイスケはしきりに後悔したものだった。早く回復して、アキラを探しに行きたい――そんな願いも虚しく、内戦が始まってしまう。ケイスケは、源泉たちと共に逃げ出さざるを得なかった。 もちろん、アキラは見つからないままだ。もしかして、死んでしまったのではないだろうか。そうだとしたら、彼の死の責任は自分にある。ケイスケは絶望し、トシマを出ずに生命を絶とうかと悩みもした。 それでも思いとどまったのは、源泉に説得されたからだ。 『――ケイスケ。誰かの生命を奪ったからって、自分の死であがなおうとするな。それは、結局、逃避でしかないんだ。……俺もお前と同じように罪を犯したことがある。だから、お前の気持ちはよく分かるよ』苦しげな声で源泉は言った。 『源泉さんが……?』ケイスケは思わず尋ねた。 『あぁ。俺は昔、ENEDの研究員で、ラインの原料となるニコルウィルスの開発の末端にいたんだ。俺のいた研究所で被験者が暴走をして、研究所に来ていた息子が巻き込まれて死んだ。それで、研究員をやめたんだ』 源泉は、研究所を辞めた後、傭兵になって海外へ行ったという。が、やはり息子の死とENEDの非人道的な研究の真相を明らかにしたいという思いを捨てきれない。そこで、ジャーナリストになり、危険なトシマへ潜入することに決めたのだと告白した。 『俺もまた、罪を犯した人間なのさ。非人道的なENEDの研究を、見て見ぬふりをしていた。どんなことをしても償えはしないだろうが、それでもニコルウィルス開発の犠牲になった者たちのために、真相を闇から引きずり出したかった』 源泉が言っているのは、綺麗ごとではなかった。自身は離れた安全な場所にいて、物事のいい悪いを決めつけようとする類の言葉ではなかった。源泉も過ちを犯しており、ケイスケを説得するための言葉は彼自身へも向けられているものだった。 だからだろうか。ケイスケの胸に、源泉の言葉はすとんと落ちてきて、収まった。それで、ケイスケは源泉に従って、トシマを出ることにしたのだった。 ――リリリリリ……。 不意に作業着のポケットで携帯電話が鳴り始めた。かつて贅沢品であった携帯電話は、二年ほど前から一般市民にも普及し始めている。ケイスケも昨年、自分の携帯を購入した。 点滅する液晶ディスプレイを見れば、アキラの名が表示されている。ケイスケは慌てて通話ボタンを押した。 「もしもし、アキラ?」 『ケイスケ……。急に電話してすまない。昼休みに入る頃を見計らって掛けたんだが、今、話せるか?』落ち着いたトーンのアキラの声が、受話器から聞こえてきた。 三年前トシマで行方不明になったアキラは、ケイスケたちとは別ルートで旧祖からの脱出を果たしていた。今はケイスケの勤め先から少し離れた、隣町の洋食屋で働いている。 避難所でアキラと再会を果たしたとき、ケイスケはほっと安堵したものだった。親友が生きていたという事実にだけではない。ラインの狂気から醒めてから、ケイスケは罪悪感から、罪を犯した自分は世界から阻害されているように感じていた。けれど、アキラが生きていたことから、自分はまだ完全に世界から拒まれたわけではないのだと思うことができた。 ケイスケにとって、幼い頃からアキラは自分の世界に等しい相手だったのだ。そのことを思い出し、ケイスケは悟った。アキラに自分の世界を背負わせてはいけない、自分の世界は自分で引き受けなければならないのだ、と。 ケイスケは再会したアキラに謝罪し、改めて『好きだ』と告げた。アキラのケイスケへの感情が、同種のものではないことは承知している。アキラの回答も予想できる。それでも、言わなければならなかった。アキラへ告白してその答えをもらうことで、初めて、アキラに背負わせていた期待や自分の世界そのものを、引き取ることができる気がしたからだ。 アキラは、ケイスケの謝罪に対し、恨んではないと答えた。さらに、自分も悪かったのだと謝りさえした。けれど、愛の告白には、きっぱりと首を横に振った。 ケイスケは、アキラの意思を受け入れた。 結局、ケイスケとアキラは、以前と同じ親友の間柄に落ち着いた。一度、アキラが半年ほど消息を絶った時期があったが、休日に出掛けたり、酒を飲みに行ったりと基本的に交流は続いている。 恋人にはなれなかったが、今、自分がアキラに最も近い場所にいるという確信があった。そんなケイスケは、電話をしてきたアキラの様子がおかしいことにすぐに気づいた。どこがどうと言うわけではないのだが――何かためらっているような雰囲気がある。 「アキラ、どうかしたの? 今はもう休憩時間だから、話を聞けるよ」 『そうか。……いや、その……』 アキラの言葉は歯切れが悪い。 ケイスケは、そんなアキラの態度に心当たりを思いついた。昨日、自分の元に届いていた一通の招待状。差出人は“シキ”となっていた。 “シキ”の名には、ケイスケも覚えがあった。三年前、トシマでラインの狂気に侵されて、闘ったことのある相手だ。シキといえばトシマ最強と誉れ高い人物だった。しかも、後にリンから聞いた話では、シキは麻薬組織ヴィスキオの王でもあったという。よくそんな男に挑んだものだと、今になってみれば三年前の自分に呆れるばかりだ。 それにしても、シキからいったい何の招待状だろうか、と戦々恐々としながら、ケイスケは封筒の中身を確認してみた。中身は、脅迫状やカミソリの類よりもなお、ある意味では衝撃的だった。封筒の中に入っていたのは、パーティの招待状だったのだ。ケイスケは、参加不参加で悩むよりもまず驚愕で頭が真っ白になってしまった。結局、招待状は居間のテーブルに置いたまま、出勤してきている。 もしかして、アキラも同じ原因で悩んでいるのだろうか――。 「ねぇ、アキラ……。もしかしてなんだけど、アキラの話たいことって……シキ、さん、からの招待状のことだったりする……?」 『……そうだ。ケイスケのところにも、来てるんだな』 「アキラはどうするの? 参加するの?」 『だから、それで悩んでるんだよ……』 たぶんアキラは参加したいのだろう、とケイスケは思った。参加したくないならば、そもそも、アキラは悩んだりしない。ただ、何らかの理由で、参加することに不安のようなものを持っているらしい。 「なら、行ってみない?」 ケイスケは、携帯電話の向こう側で途方に暮れているアキラの頭をなでてやるような気持ちで、優しく告げた。トシマでひどいことをした自分を許し、今も友人でいてくれるアキラ。そのアキラに、ケイスケは言葉では表しきれないほど感謝している。何かにためらって、したいことをできないでいるアキラの背を押すくらいのことは、してやりたかった。 *** 二週間後の朝。ケイスケの家のチャイムが鳴った。 「はーい!」 元気よく返事して、ドアを開ける。外には予想通り、フード付きの厚手のコートを着て、バッグ一つ提げたアキラが立っていた。 結局、ケイスケはアキラと共に、シキからの招待状に出席の返事を返した。招待状が届いてから二週間後の今日こそが、パーティの当日だ。当日、二人はアキラがケイスケを迎えに来て、一緒に現地へ向かう約束をしていた。アキラがやって来たのは、その約束通りの時間だった。 「おはよう、アキラ」 「お……おはよう、ケイスケ」 アキラは少し緊張した様子だった。もちろん、ケイスケに対して緊張しているのではない。きっと、この後のパーティに関して、気を張るような要因があるのだろう。そんなアキラを宥めるように、ケイスケはにっこり笑ってみせた。 「ごめん。すぐに鞄を取ってくるから、待っててくれる?」 「あぁ」アキラが頷く。 ケイスケは踵を返そうとして、ふと気づいた。三和土の上から玄関に立っているアキラを見下ろせば、彼のコートのフードの中に黄色い色合いが見える。おそらく、アパートの前の銀杏の木に残っていた葉が、偶然、アキラの通りかかったときにフードに舞い落ちたのだろう。 「アキラ。フードに落ち葉が入ってるよ」 手を伸ばして、ケイスケは銀杏の葉を摘まんだ。そこで、ふと、以前にも同じ出来事があったことを思い出す。 あれは、ケイスケが工場に就職して、避難所を出てこのアパートで暮らし始めてから、半年ほど後のことだった。避難所でケイスケと仲直りをした直後、アキラは姿を消していた。その彼が、急にケイスケを訪ねてきたのだ。 『アキラ、今までどこにいたの?』尋ねるケイスケに、 『言えないんだ。言うと、お前に迷惑が掛かるかもしれない』アキラは困った顔をした。『本当は、俺はここに来ちゃいけなかったのかもしれない。でも、どうしても、一人でいるのが嫌で……お前のところしか、行くあてがなかったんだ。勝手ですまない』 あのとき、アキラは大きな悲しみを抱えて、心が竦んでいるようだった。ケイスケはわけもなく思った。自分が以前アキラへの恋を失ったように、アキラも何かを失ってきたのかもしれない、と。 だから、ケイスケは何も聞かず、アキラを家へと招き入れることにした。そのとき、靴を脱ごうと屈んだアキラのフードの中に、赤い紅葉の葉が入っていた。ケイスケは紅葉の葉を摘まみあげ、アキラに見せた。すると、アキラは痛みを覚えたような、けれども、愛おしげな表情で紅葉を見つめたのだった……。 「ありがとう、ケイスケ」 アキラもケイスケの手の中の銀杏の葉を見て、同じことを思い出したに違いない。一瞬、古い傷が痛んだような表情をして、けれど、過去のことには触れなかった。 ケイスケもまた、かつてのことを言いはせず、鞄を取りに戻るために踵を返す。アキラに背を向けてから、ケイスケは祈らずにはいられなかった。かつてアキラの心から何がが失われ、今もなお残る痕跡を埋めるものが、いつか現れますように、と。自分には、アキラと共に在って友人として辛さを分け合うことはできても、心の空虚を満たすことはできないのだということは、よく分かっていた。 (2012/01/01) 目次 |