Party4 side リン 宴会は、最も遠い招待客であるnが到着してから間もなく始まった。会場が実家であるリンは、しかし、ホスト役として手伝うでもなく、最初からテーブルの料理を食べることに専念していた。 決して怠けているわけではない……と思う。自分は食べる係でいる方が上手くいきそうだから、そうしているつもりだ。 テーブルの料理に気を配ったり、酒を出したりと忙しく立ち働いているのは、兄のシキと客であるはずのアキラだった。現在、洋食屋で働いているという彼は、宴会の準備のときから率先して手伝ってくれていた。おかげで、リンは実質的にお役御免、堂々とおいしい料理を満喫できるというわけだ。 (むしろ、率先して食べる係をやってる俺は、偉いと思うんだよね……)リンは内心で呟いた。 最初から何となく分かっていたことだが、今日、邸で再会した当初、シキとアキラはどことなく気まずい雰囲気だった。険悪な仲というのではない。ただ、お互いに気を遣い合っているような――言ってしまえば、互いに想い合いながらも別れてしまった恋人同士のような、遠慮しあった様子だった。そこで、リンは一計を案じて、招待側の人間ではあるが、働くことを放棄して宴会の準備をシキとアキラに押し付けてしまった。気を遣い合いながらも相手に近づきたがっている二人は、一緒にする仕事を与えておけば、気まずさも忘れて息ぴったりに働いてくれた。 それにしても、とリンは辺りを見回す。 家族が離散してからはガランとしていたダイニングは、今日は男ばかりで満員になっていた。トシマでリンが親しかった源泉やケイスケはともかく、兄と因縁のあったらしいnや処刑人、源泉と同業の情報屋だったユキヒトという具合に、三年前のイグラ関係者が敵味方、関係なく集まっている。彼らを招待することにしたのは、他ならぬリンだった。 旧祖を出て、三年。トシマでの出来事に区切りを付けるために、敵味方関係なく騒いでしまおうと思った。そうすることで、お互いの間に残る因縁などを帳消しにしてしまえるだろう。リン自身、生命を助けられたことから仲間の仇であるシキを憎悪する気持ちは薄らいでいたが、今回の宴会を期に、完全に憎悪を捨てるつもりでいる。死んだ仲間たちも、きっと許してくれるはずだ――なぜならば、そうして闘いの後の敵味方の遺恨を捨てて笑い合うことが、ペスカ・コシカの流儀であったのだから。 しかし、三年経ったとはいえ、敵味方に分かれていた者たちがいがみ合いもせず過ごしているのは、奇跡的なことだろう。皆、変わったのだ。 「あ、ケイスケ。そのから揚げの皿、俺にちょうだい」 リンはケイスケから受け取ったから揚げの大皿から、一つ口に放り込んだ。 今日の料理の多くは、近所の惣菜屋に注文をしたものだ。この邸には普段は料理人がいるのだが、彼は年末休暇で留守にしている。注文した出来合いの料理の他にもアキラやシキが簡単な料理を追加していた。このから揚げに関しては、アキラが作ってくれたものだ。 (あ……。おいしい) 洋食屋勤めで腕を上げたらしい。あの、食べることに無関心だったアキラが――。リンはかつてのアキラを思いだし、彼の手料理の美味さに感動した。 そのときだった。 大柄な人影がぬっとリンの傍らに腰を下ろした。見れば、処刑人だったキリヲだ。 「よぅ、子猫」 「もうチビじゃないよ、俺」 「あぁ……。年も背丈もそうだなぁ。兄貴に似て、でっかくなりやがった」キリヲはにやっと笑った。「オメェ、酒は飲める年かぁ?」 「三年前からもう飲んでる。俺は強いよ」リンもにやっと笑って見せる。 「そうかい。そりゃぁ、頼もしいな。その左脚に響くんじゃねぇなら、一杯どうだぁ?」 キリヲはコップに酒を注いだ。飲みながらぽつぽつと話を聞けば、キリヲはすぐ傍で源泉に絡んで……と見えて相手をしてもらっているグンジと共に、今も裏の世界で雇われているのだという。 「まぁ、俺たちには、それが一番、性に合ってるのさ。他の生き方は選べねぇ。天職って言うのかもなぁ。……オメェが写真を見つけたみたいになぁ」 「!?何で知ってんの!?」 「何でって、オメェ。この前、写真集出したんだろーが。それもなかなか話題になってて、新聞の書評にも取り上げられてる。さすがに分かるってぇの。それにしても、まさか、トシマにいた悪ガキが今じゃいっぱしの写真家だとはなぁ」 「ガキガキって、ウルサイよ。どうせ三年前の俺はガキだったよ。無鉄砲だったし、背だって低かったし……何より、弱かったしさ」 「そう拗ねるなって。ガキの頃は誰だってあるさ。ガキの頃の悲劇ってのはなぁ、言ってみれば、力がないことなんだよ。普通の大人なら、金や時間や権力があればそこそこに解決できる問題でも、ガキは力がなくてどうにもできないってことが多々ある。そういうことは、誰にでもあるんだ。俺にも、そこで情報屋のおっさんに絡んでるヒヨにも――お前の兄貴にも、な」 「兄貴が、弱かったっていうの……?」 キリヲの言葉に、リンは目を丸くした。 確かに、どんな強い男でも、闘いはじめた頃は弱かったに違いない。経験と訓練を積んで初めて、人は強くなれる。――そういう道理は、もちろん、分かっている。だが、シキはそうした道理からは外れたところにいるのだろうとばかり、リンは思っていた。シキにも弱い頃があったには違いないが、それはごく幼い時分のことなのだろう、と。リンの記憶にある兄は、いつでも強く、その上リンの先を走っていた。 しかし、キリヲはシキの弱い頃を知っているという。リンは思わず身を乗り出した。 「それ、いつ頃のこと?」 「気になるかぁ?」キリヲはにやっと笑った。「第三次大戦の後な、あいつは初めて裏の世界に足を踏み入れたのさ。そこらのチンピラよりは多少は腕の立つガキだったが、何しろ育ちが良くて裏の世界のことは何も知らなかった。それでだろうなぁ。あいつは力で周囲をねじ伏せ、或いは力を誇示することで、侮られまいと必死だった」 「兄貴が……」 リンは日本酒の入ったコップに視線を落とした。 第三次大戦の後といえば、シキがペスカ・コシカを襲った時期に近い。ペスカ・コシカのアジトが潰滅させられた夜、リンは立ち去るシキを視線で射抜かんばかりに睨んだものだった。あのときは、シキの背が大きく、まるで越えられない壁のように見えていた。けれど、もしかしたら、あの背は裏の世界の住人から侮られまいと必死で張った虚勢だったのかもしれない。 だとしたら、世間に馴染めぬ者が寄り集まって牙をむいていたペシカ・コシカと、シキとは同じような存在だったのだろうか。 リンはコップを握る手に力を込めた。キリヲはおそらく、更にシキについて話してくれるだろう。それを聞いてしまったら――シキの真実を知ってしまったら、殺されたペスカ・コシカの仲間たちに顔向けができなくなるのではないかという予感が、不意にリンを捉えた。 その不安を、リンは振り払った。旧祖を出て三年――過去に決着を着けるために、今日の宴を企画したのだ。もはや、どんな過去を知るのもためらうべきではない、と思った。 「……知りたいかぁ? シキがペスカ・コシカを潰滅させたときのことをよぉ」試すようにキリヲが尋ねる。 「聞かせてよ。俺、知りたい」リンはしっかり頷いた。 「そうかい。……あのとき、シキはまだ、ほんの駆け出しだった。あの頃には俺も裏の世界にいたから、よく覚えてる――」 そして、キリヲは独り言のように呟いた。 ――あのとき、あいつは『踏み絵』を踏まされたんだろうなぁ。 第三次大戦後の混乱期。シキは裏の世界に足を踏み入れて、間もなかった。しかし、最初の数件の仕事だけで『腕の立つ新顔』という評価をものにしていた彼には、そこそこ仕事が舞い込んでいた。 とはいえ、シキはまだ裏の世界では、新人である。仕事をえり好みすることは、あまりできない。そんな中、シキに一件の依頼がもたらされた。 依頼人はとあるヤクザの組織。依頼内容は、麻薬の密売に手を着け、ヤクザのシマを侵した若者たちのチーム、ペスカ・コシカを、見せしめも兼ねて潰滅させてほしいというものだった。 それは、シキのような殺しを請け負うプロに依頼するには、簡単すぎる仕事だった。イグラに参加するチームとはいえ、所詮、群集まる不良少年たちだ。プロの腕前などなくとも、簡単に潰すことはできる。ヤクザの組織が敢えてそれをシキに依頼したのは、彼を試す目的があったに違いない。 か弱い女子供や老人を殺させる。倫理的に手出しをためらうような相手に、危害を加えさせる。家族を売らせる。――そうした類の非道な命令は、裏の世界では踏み絵と呼ばれ、度々、行われていた。踏み絵を踏ませることで、裏の世界に入った者の覚悟を試すのだ。もしも、情に負けて非道な行いを拒否した場合には、侮られ、失墜していくしかない。 それを分かっていたシキは、依頼を受けた。弟がチームにいることは、調べれば、すぐに分かっただろう。しかし、シキは請けた依頼を断ることはなかった。家族がチームにいる、その家族を庇いたくて依頼遂行を拒否したとあれば、シキは甘い奴だと嗤い者になるだろう。もはや裏の世界で生きていくことは、できなくなる。 しかも、それだけではない。しばらくの間、裏の世界で仕事をしてきたシキの弟がチームにいるとなれば、リンはシキに恨みややっかみを持つ人間から狙われるだろう。 シキは、何としても、弟がチーム、ペスカ・コシカにいることを他人に明かすわけにはいかなかった。また、たとえリンの存在が周囲に判明したとしても、情を掛ける相手だと知られてはならなかった。――そうしなければ、弟の身に危険が及ぶからだ。 結局、シキはペスカ・コシカを潰滅させた。取り逃がした少数のメンバーがいたが、『チームそのものが再結成できない状態なのだから、依頼は達成した』と彼は主張して、それ以上、ペスカ・コシカに関わることを拒否した。そればかりか、依頼主のヤクザが報酬を保留してチーム全員を殺すことを迫ると、シキは逆に契約違反だと依頼主のヤクザの組織を潰滅させてしまった。 この一件により、シキは若者をも容赦なく殺した非情さとヤクザの組織を潰滅させた腕前で、裏の世界でも有名になった。『腕は確かだが、気を抜くとこちらが食い殺される』というのが、彼への評価だった。そんなシキが関わったということで、潰滅させられたチーム、ペスカ・コシカの生き残りたちに手を出すことは、いつしか、裏の世界ではタブーのようになっていった――。 「――それが、俺の知ってる全てさ」キリヲが言った。 「そう……なんだ……」 リンは呟いた。キリヲから聞かされたペスカ・コシカ潰滅の裏でのシキの行動には、意味深長な部分が多くあった。どうしてペスカ・コシカを完全に皆殺しにしなかったのか。皆殺しを命じたヤクザを、かえって潰滅させたのか――。 自分のためだったのかもしれない、とリンは思う。けれど、そうではなく、シキの気まぐれだったのかもしれない。シキの行動の真意は、本人に聞かなければ分からないだろう。その本人さえ、正直に答えてくれるかどうかは怪しいが。 リンは、シキに真相を尋ねたい気がした。辺りを見回し、アキラと共に料理を食べているシキを見つけ、思わず立ち上がりかける。が、結局、止めた。 おそらく、聞いたとしても、無駄だろうという気がした。ペスカ・コシカを潰滅させられたときと同じ激しさの憎悪を、自分はもう持てなくなっている。それと同様に、当時のシキの心情も、今の穏やかになったシキには正確に辿ることはできないだろう、と。 「……教えてくれて、ありがとう、キリヲ」リンは静かに言った。 「いーや。俺が好きでした昔話だぁ。まったく、年は取りたくないよなぁ。昔話が好きになるなんざぁ、どうしようもねぇや」キリヲが飄々と肩を竦める。 「ちょっと、俺、シキのとこに行ってくる」 そう言って、リンは席を立った。気まずいような、妙に緊張したような雰囲気で話しているシキとアキラに近づく。 「リン!」 こちらに気づいたアキラが、笑顔になってリンを手招きした。ここに来いよ、とアキラは自分とシキの間を指さす。 (いくら緊張するからって、それはシキが可哀想なんじゃないかな、アキラ……) そう思いつつ、リンはアキラの言葉に甘えて、二人の間に座った。手近にあった飲み物の瓶を手に取り、シキにはビールを、アキラにはオレンジジュースを注いでやる。自分自身は、缶入りの果物のカクテルを開けた。 「二人とも、働いてくれてアリガト。でもさ、こういうのも、悪くないでしょ?」 明るい調子でリンは尋ねた。 闘いの中に身を置き、走り続けていたシキ。アキラとの出会いによって立ち止まり、戸惑っていたシキを今の生活に繋ぎ留めたのは、他ならぬリンだった。目指して走るべき目標を失っていた兄は、簡単に、リンの頼みに従って、ひとところに留まってくれた。 しかし、リンは覇気を失ってしまったシキを目にする度に、兄を安定した生活に繋ぎ留めたことを後していた。もしかすると、シキは走り続けていた方が良かったのかもしれない。立ち止まって長生きするより、短い生でも駆け抜けた方が彼にはふさわしかったのではないだろうか――。 家族を捨て、仲間を殺した兄に対しては、恨みも憎しみあった。時が経った今でも、わだかまりの全てを水に流すことはできない。それでも、リンは兄への情を感じていた。 かつてペスカ・コシカを潰滅させたときのシキも、そうだったのかもしれない。非情になろうとする反面、兄弟の情を捨てきることはできなかったのではないだろうか。そうだとしても、リンは今更、兄を恨むつもりはなかった。情と非情、愛と憎悪――人が相反する感情を同時に持つのは、決して珍しいことではないのだと、今なら分かるからだ。 シキに幸せになって欲しい、とリンは心から望んでいた。だから、問いかける。 こういうのも悪くないでしょ? 走るのではなく、立ち止まっているのも、悪くないでしょ? 闘いではなく、平穏に生きるのもいいものでしょ? ――だから、ここで幸せを見つけられるでしょ? ここにいて……俺の兄でいてくれるでしょ? 「こういうのも、楽しいな」先に言ったのは、アキラだった。かつては冷たい無表情の目立った端正な面に、柔らかな笑みを浮かべている。「リンが企画してくれたんだってな。ありがとう」 「……そうだな。確かに……悪くない」シキも微かに笑みを浮かべ、頷く。 その答えに、リンは破顔した。 自分は勝ったのだろう、と誇らしくなる。闘いの後に敵も味方も一緒になって騒ぐのは、ペスカ・コシカのやり方だった。そうして、皆、闘った者同士の間にある絆のようなものを深めるのだ。 ペスカ・コシカは、確かに、裏の世界の人間から見れば、素人のガキの集まりだったに違いない。けれど、今このとき、裏の世界で名の知れたキリヲやグンジ、確執のあったnやシキも宴を楽しんでいる。ペスカ・コシカの流儀がそうだったように、過去の争いも忘れて。 にぎやかな宴のほんのひととき、リンは死んだ仲間たちのことを思い浮かべ、彼らのために祈った。 (2012/02/04) 目次 |