アンノウン7






 翌日。ユキヒトの家を、くたびれたスーツの男が訪ねてきた。叔父の源泉だった。
 源泉は、ユキヒトの父の弟であり、育て親でもある。ユキヒトは生後間もなく母親を、十のときに父親を、いずれも病で亡くした。その後、幼いユキヒトを引き取って育ててくれたのが、源泉だった。
 当初、親族は皆、源泉が甥っ子を引き取ることに反対したらしい。というのも、源泉も当時、妻子を交通事故で失い、深い悲しみからようやく立ち直ろうかというときだったからだ。しかし、源泉自身がぜひ兄の忘れ形見を引き取りたいと主張して、結局、それが通ったのだ。全ては、ユキヒトが親戚の大人の一人から聞かされた話だった。
 親族の心配とは裏腹に、源泉は十分にユキヒトの面倒を見てくれた。ユキヒトにとって、源泉の側は居心地がよかった。家族を亡くして同じ痛みを抱える者同士、通じ合う部分もあったのだろう。
 しかし、高等部に上がると同時にユキヒトは家を出て、一人暮らしを始めた。理由の一つには、新聞記者である源泉は多忙であったため、少しでも彼の負担を減らしたいというものだった。また、同時に、いつまでも源泉に甘えていてはならない、とも思ったのだ。

「よぉ、久しぶりだな」

 源泉は玄関で出迎えたユキヒトに、片手を上げて見せた。久しぶりという割には、昨日も会ったかのような何気ない口調。しかし、実際のところ、ユキヒトが源泉と会うのは、五月のゴールデンウィーク以来のことだ。現在、大手新聞の国際部に籍を置く源泉は、頻繁に海外を飛び回っていた。連絡は取り合っているが、顔を合わさない期間が長くなることも、珍しくない。
「急に電話して悪かったな」ユキヒトは言った。
「何を水臭いこと言ってるんだ。俺はお前のさんの保護者なんだから、困ったことがありゃ、頼ればいいんだよ。オイチャンから言わせてもらえばな、お前さんはむしろ、手間が掛からなすぎて不安になるんだ。俺が十六、七の頃といえば、兄貴に散々、飯をおごってくれってたかってたもんだが」
「スネをカジってたってやつ?」
「あぁ。そりゃ、もう、ガリガリとな。――それはそうと、学校の方はどうだ? 半年経ったから、もう慣れただろ? ……例の小遣い稼ぎは続けてるのか?」
「まぁね」ユキヒトは頷いた。
“例の小遣い稼ぎ”というのは、学園の情報屋のことだ。進学の際、ユキヒトにそうした役の存在を教えてくれたのは、源泉だった。実は源泉もユキヒトの父も、学園の卒業生であったのだ。とりわけ、源泉は在学時に学園の情報屋の役をやっていたこともあるという。
 その話を聞いたユキヒトは、高等部の入学式の前に当時の情報屋に会いに行った。といっても、実際には会おうとして行ったわけではなく、興味本位で放課後に校舎の屋上に忍び込んでみただけなのだが。しかし、それが縁でユキヒトは先代の情報屋から、地位を引き継ぐことになった。
 そうした経緯を、前に源泉には打ち明けていたのだ。
「学園生活を楽しんでるみたいだな」源泉は安堵した様子で目を細めた。「それで、俺を呼びだした件だが。“トシマ組”の内情が知りたい、だって?」
“トシマ組”というのは、シキの父親が組長を務める組の名だ。ユキヒトは源泉に頷いてみせた。
「すまない、源泉。迷惑をかけて」
「別に迷惑じゃないさ。お前さんに頼ってもらえて、嬉しかったよ。……だが、ヤクザの内情が知りたいなんて、何か危険なことに巻き込まれてるんじゃなだろうな?」源泉は心配そうな表情をした。
「そうじゃないんだ。ただ……トシマ組の組長の息子がダチなんだ。最近、様子がおかしい。何かあったみたいだけど、何も言わない。それで、気になって……」
「組長の息子? 確か、高等部には長男の方……シキがいるんだっけか」
「あぁ。俺も何があったか調べようとしたんだけど、最近、何かあったらしいってことしか分からなかった」
「そうだろうな。トシマ組はこの街と縁が深い。地元の警察や報道関係者なんかとも繋がりがある。その気になれば、組の内部でもめ事があったとしても、漏れないようにするくらいのことはできなくない」
「警察や報道関係者との繋がりって……賄賂ってことか?」
「あー。まぁ、そういう場合もなきにしもあらずだろうか、そんなはっきりと法に触れることじゃなくて、だな。――あぁ、お前にこんなことを教えてたら、あの世で兄貴が怒ってるだろうな。息子に変なこと教えるなって」
「叔父貴は悪くない。俺が頼んだんだ」
 すると、源泉は困ったように頭を掻きながら、丁寧に説明してくれた。その解説によると、トシマ組は寄付などによって地元に貢献する形で、縁を深めているのだという。また、そもそもトシマ組の構成員には、この街の出身者が多数を占める。街の警官や報道関係者と顔見知りであることが珍しくないのも、街と組を結びつける一因となっている。 トシマ組がこの街に拠点を置いているということで、他のヤクザが介入できず、犯罪が抑止されている面もある。街の人々は組を拒絶はしない――どころか、ときには贔屓しようとする場合もあるのだそうだ。
「そうなのか」
 道理で調べても、何も出て来ないはずだ。ユキヒトは納得する思いだった。
「あぁ。お前さんが『何かがある』って嗅ぎつけられただけでも、まぁ、大したもんだ。こういうのはコツと伝手があれば、割と情報を見つけ出せるものなんだが。……というわけで、オイチャン独自ルートから入手した情報によるとだな――」
 そうして源泉が語った情報は、ユキヒトにとって驚くべきものだった。シキが困難な状況にあるだろう、とは予想していた。だが、その状況の厳しさは、ユキヒトの予想を超えていたのだ。
 その後。源泉はユキヒトの家で夕食を共にしてから、帰っていった。何でも、明日はまた海外に行くので、その準備をしなければならないのだという。ユキヒトは無茶を言って叔父を呼びだしてしまったことを申し訳なく思いながら、玄関先で叔父を見送った。
 再び一人になったユキヒトは、部屋に戻るとすぐ、携帯電話に手を伸ばした。アドレス帳から昨夜登録したカズイの番号を探し出し、電話を掛ける。
 コール数回の後に、カズイは電話に出た。
『――はい』
「昨日、番号を教えてもらったユキヒトだ。また、リンと話したい。なるべく早く、取り次いでもらえないか?」
『ということは、答えが見つかったんだな? 分かった』
 カズイは嬉しそうな声で、ユキヒトの頼みを受け入れた。


***


 次の日――日曜の昼間。ユキヒトがカズイに呼び出されたのは、繁華街にあるカラオケボックスだった。
 ユキヒトは待ち合わせの時間通りに、店へ入っていった。すると、待合いのスペースには、既にカズイがいた。ユキヒトを見つけるとすぐに近づいてくる。
「俺は普段、ここでバイトしてるんだ。今日も、さっき仕事が終わったとこ。リンならもう、中に来てるよ。行こう」
 そうしてカズイに案内された一室には、言葉通りリンの姿があった。歌ってはいない。カラオケのモニターには、CMが流されているままだった。静かな部屋に響くCMの音声がやけに騒々しい。
「――それで、俺を呼び出した用件は?」
 リンが先に口を開いた。ユキヒトが何を言い出すか、もう分かっているような顔をしている。
 そんなリンを真っ直ぐに見据え、ユキヒトは言葉を発した。間違っていたら指摘してくれと前置きし、源泉から得た情報を並べていく。リンとシキの父――トシマ組の組長が体調を崩しているということ。そのために、他の組や勢力の動きが活発化しているということ。それらを抑えるためい、シキが父親の代理として動いているということ……。
 全てを聞き終えたリンは、ぽつりと零した。よく調べたね、と。それは、ユキヒトの持ってきた情報が真実だ、と認めたも同然の一言だった。
「俺の手柄じゃないさ。身内に助けてもらって、ようやく掴むことができた情報だ」ユキヒトは頭を振った。
「そう。なら、よかった。たかが高校生にそう簡単にウチの組の情報がばれたんじゃ、ヤバいからね」リンは力なく笑ってみせた。「……親父が寝付いてから、兄貴は家族や組を守るのに必死だ。ずっと怖い顔してる。――あんたの用件は分かったよ。まず、俺がアキラに会って、ウチの事情を説明してみる」
「あんたが会うのか?」ユキヒトは首を傾げた。
「そうだよ。だって、いきなり兄貴とアキラを会わせるのは不味いでしょ。事情があるとはいえ、兄貴はアキラにひどいことをしたんだ。アキラは、もう会いたくないって言うかもしれない」
「分かった。それもそうだな」
 リンがアキラと会う段取りについては、リン自身がアキラに電話して決めることになった。話し合いの結果は、後でリンからユキヒトに伝えるということで、携帯の番号を交換して分かれる。
 用の済んだユキヒトは、部屋を出ていこうとした。戸口でドアを閉めながらふと振り返った。さっきまで二人の会話を黙って聞いていたカズイがリンに寄り添い、労るように頭を撫でている。
 リンは俯いているので、ユキヒトの視線には気づかなかった。対してカズイがユキヒトを見つめ返し、目礼を送ってくる。ユキヒトはそれに目礼を返し、静かにドアを閉めた。


***


「本当は、分かってたんだ」
 ユキヒトが去っていく気配を感じながら、リンは弱々しく呟いた。カズイが傍にいるのに――いや、いるからか――弱音が零れ落ちてしまう。リンは自分が他人に弱音を吐く性格ではない、と認識していたが、それは間違いなのかもしれないと今になって思った。
 本当に弱音を吐かない人間というのは、兄のような者のことを言うのだ。
 リンは、ただシキのようになりたいと願って、真似をしていただけだった。兄のような強さは自分の本質ではない――結局、背伸びをしても兄のようには生きられないのだと思い知らされる。自分の未熟さに歯噛みしながら、それでもリンは溢れ出した弱音を止めることができなかった。
「親父があんなことになってから、兄貴は一人で頑張ってたんだ。兄貴は、決して俺に何かしろとは言わなかった。でも、本当は、俺は兄貴を助けなきゃならなかったんだ。分かってた、のに……できなかった。怖かったから」
「怖かった……?」カズイが少し意外そうに呟く。
「そうなんだ、カズイ。一度、組のことに手を付けたら、俺は将来、ずっと組のために働かされるんじゃないかって思って……。前に俺、あの組から離れたいって言っただろ? 親父みたいにヤクザ者として生きたくないって。だから、見て見ぬふりをしたんだ。兄貴は、俺や母さんたちや組員たちを守ろうと、動いてくれてたのに。――でも、兄貴がこれ以上自分を犠牲にするのは、見ていられないよ。俺は、たとえ兄貴を犠牲にして自分の望む将来を手に入れたとしても……きっと、喜べないと思うから」
「そうか」
 カズイは頷き、くしゃくしゃとリンの頭を撫でた。慰めるような手つきだった。時折、兄が頭を撫でてくれる手つきに似ている、とふとリンは思った。
「――ねぇ、カズイ」
「どうした、リン?」
「今日のことを、兄貴に報告するの?」リンはカズイの掌の下から、目を細めてカズイを見上げた。「俺、知ってるよ。カズイが兄貴に言われて俺のこと、監視してるってこと」
 カズイは、組が別名義で多額の寄付をしている孤児院の出だ。
 孤児としてそこで育ったカズイは、今は奨学金を受けて公立学校に通いながら、院の手伝いをしている。リンはその孤児院の敷地を遊び場にしていた縁で、カズイとは幼い頃からの知り合いだった。が、まさか自分がチームを作ったときに、カズイが入ってくるとは考えていなかった。カズイは、そんな子どもっぽい集まりからは無縁なタイプなのだ。
 それでも、カズイはチームに入ってきた。そして、リンを守るように付き従っている。初めはカズイの行動を不思議に思っていたリンだが、しばらくしてその疑問は氷解した。こっそりと兄に電話して、チームでの出来事などを伝えているカズイを見かけてしまったからだ。もっとも、リンはそのことをカズイに問い詰める気はなかった。
 ――そう、こんなことでもなければ。
「……シキさんからは、命令されたわけじゃない」カズイはリンに指摘されたことに動じるでもなく、微笑んでみせた。「ただ、リンのことを頼むと、気に掛けてやってくれと言われただけさ。だから、このことは報告しない。リンがさっき言っていたことも。――リンは、思うように動けばいいさ。ただし、危険なことはしてくれるなよ」
「分かってる。……ありがと、カズイ」
 リンは今日この部屋に入ってから、初めて微笑をした。


***


 後にリンからの連絡があり、週明けの火曜日にアキラと会うことになったと告げられた。「分かった」とだけ、ユキヒトは答えた。
 そして、火曜日。その日の夜、ユキヒトは珍しく外食をした。外食より安くつくので普段は自炊なのだが、夕方、買い物に出かけたところでトウヤと出くわしたからだ。二人で、割り引きしてもらえるトウヤのバイト先の店で食事を済ませた。
 店を出たユキヒトたちは、車の通行が少ない川沿いの道を選んで帰途についた。他愛ない話をしながら歩くこと十分ほど。不意にトウヤが「あっ」と声を上げたのは、通学路に指定されている橋が見えたときだった。
「どうしたんだ、トウヤ?」
「ほら、あの橋の上の二人。あの片方、アキラじゃねえか?」
 ユキヒトはトウヤの指さした方を見た。確かに、橋の上に学生らしひ人影がある。暗くなりはじめているのではっきりしないが、二人のうち片方の背格好はアキラのようだった。
 となると、もう一方の小柄な方は、リンか。二人が何時に待ち合わせしたのかは、分からない。が、この時間に下校するということは、かなり長い間話し込んでいたのではないだろうか。ユキヒトはふっとそう思った。
「おーい、アキ……」
「やめておけ、トウヤ」
 ユキヒトは、アキラに手を振ろうとするトウヤを止めた。何となく、アキラは今、自分やトウヤと顔を合わせたら無理に明るく振る舞うのではないか、と思ったからだ。
 そのときだった。
 キキーッ。甲高く耳障りなブレーキ音。ユキヒトがはっとして周囲を見回すと、橋の上に黒っぽいワゴン車が急停車するところだった。勢いよくワゴンのドアが開き、中から手が伸びてきて、横を歩いていたリンとアキラを車内へ引きずり込む。声を上げる間さえない、一瞬の出来事だった。
 バンッ。
 ワゴンのドアが閉まる音で、ユキヒトは我に返った。拉致。誘拐。不吉な言葉が脳内で踊る。ユキヒトはアスファルトを蹴って、駆けだした。と、その横を誰かが追い抜いていく。見れば、トウヤだった。
「アキラ!」
 途中で鞄も投げ捨てたトウヤが、動き出したワゴンへと走っていく。そのまま車に跳びつきそうな剣幕だ。が、人が車に跳びついて止めようとしたからといって、誘拐犯が車を止めるとは思えない。ユキヒトは慌ててトウヤに追いつき、その手を掴んで引き留めた。
 後少しで車に接触するというところで、二人は勢い余ってアスファルトに倒れ込む。そうする間にも、車はスピードを上げて走り去っていった。





(2011/05/15)
前項/ 次項
目次