アンノウン10
手がかりは、巧妙に隠されていた。 最初はシキでさえ、アキラとリンを探し出すことなど、到底、不可能としか思えない状況だった。 誘拐の目撃者であるトウヤとユキヒトは車のナンバーを覚えていなかった。車種もごくありふれたもので、手がかりになりそうな情報はない。一方、トシマ組への怨恨の線でも、対抗勢力の目立った動きは一つとしてなかった。 しかし、諦めずに探り続ける内に、見落としそうなほど微かな手がかりがシキの目の前に現れた。そのうち幾つかは作意を感じるような――まるで差し出されたとしか思えないものもあった。例えば、最初に見つかった手がかりは、夕方トシマ組の末端の事務所に届けられ、リンの誘拐事件の混乱から放置されていたという小包だった。そこにリンの持ち物の一部が入っていたのだ。 些細な手がかりはその後も現れ、まるでシキをどこか決まった場所へ導いているかのようだった。これは罠だ、といつしかシキははっきり感じていた。リンとアキラの誘拐は、単に身代金目当てであったり、トシマ組を牽制したりといった目的で行われたのではない。 (おそらく、俺を引きずり出すためだ) そうだとしたら、犯人はよく分かっていたということになる。何が弱点なのか、どこを突けば己という人間を突き崩すことができるのか、ということを。 しかし、同時に犯人は勘違いをしてもいる。誘拐ということは、いずれ交渉が行われるということだ。交渉は結局のところは、利益の奪い合い――互いにいかに己の利益を守りながら、相手に己の望む行動をさせるかという点に尽きる。ところが、シキにとってリンとアキラは何を犠牲にしても守るべき人間だった。己自身など、最初から投げ出す覚悟はできている。交渉になった際にまもるべき自己の利益は、リンとアキラ以外にはシキの側には存在しない。 (無事でいてほしいからこそ、アキラに別れを告げたというのに……まだ、足りなかったか) 探索は、次第に核心に近づきつつあった。シキの頭の中では、既にリンたちを拉致した首謀者の姿が視えていた。しかし、なぜあの男が、という疑問が浮かぶ。その男――フジクラは、組の構成員の中でも最も忠誠心の篤い部類であるというのに。 「理由が、あるのか……?」シキは誰にともなく呟いた。 もしも、己の知らない理由があるとしたら、事情を知らずに下手な策を打つことはできない。無謀な策は、かえってアキラやリンを危険にさらすだけだ。だとすれば、誰ならばフジクラの理由を知っているだろう。 (……父上、か……) シキは脳裏に、布団に横たわる病み衰えた父の姿を描いた。 *** アキラとリンは、再び、先ほどの小部屋の中にいた。フジクラが丁重な、しかし有無を言わせぬ調子で、二人に小部屋に戻っていてくれと頼んだからだ。その際、彼はいずれ時が来れば必ず二人を無事に帰すと約束した。 もっとも、アキラの心配事は余所にあった。フジクラは先ほど、シキをおびき出すと言った。おびき出して、シキをどうするつもりなのか――最悪の想像がふつふつと浮かんでくる。しかし、アキラ以上に混乱し、不安に思っているのは、シキの実の弟であり、トシマ組の組長を父に持つリンだった。また、リンは信頼していた父の部下に裏切られたばかりでもある。そんなリンを目の前にして、アキラは自分自身の不安感にかまけているわけにはいかなかった。 リンはフジクラの前でこそ気丈な態度を保っていた。が、再びもとの小部屋に連れ戻されると、衝撃を受けて沈んだ様子を隠そうともしなかった。今は部屋の片隅で膝を抱え、膝頭の上に顔を伏せている。普段の元気なリンを知るだけに、アキラは消沈したリンの姿が痛ましくてしかたがなかった。 大切な相手の危機を知らされたというのに、年下の友人が不安に押しつぶされそうになっているのに、何もできない。アキラがどれほど頑張ろうと、犠牲を払うつもりになろうと、どうにもならない状況が目の前にある。自分は無力な子どもに過ぎないのだと、改めて思い知らされた気がした。 アキラはリンに声を掛けようとしたが、何と言えばいいのか分からなかった。口を開いたまま躊躇っていると、ふと、その気配を感じたかのようにリンが顔を上げる。フジクラの配慮で部屋の灯りは点されており、その灯りの下で見るリンの顔は、わずかな時間の間にひどく憔悴したようだった。 それでも、リンはアキラに向かって弱々しく微笑してみせた。 「……アキラ。俺、何も知らなかった。親父は、当たり前のように組長になったんだとばかり思ってた。それが、まさか、不正な手段で地位に居座っていたかもしれないなんて」 「そんなこと、分からないだろう? もしかしたら、あのフジクラって男が嘘をついてるのかもしれない。たとえ嘘でなかったとしても、不正な手段というのはフジクラの誤解で、実際にはリンの父さんは正当な理由で組長の地位にあり続けているのかもしれない」 「……そうかな……? あの親父なら、やりそうなことだ。可哀想なのは、兄貴だよ。不正な手段で親父が居座り続けた地位を、望みもしないのに押し付けられようとしてるんだから……!」 そう言うリンの目には、父親への憎しみの光すら宿っていた。内心で抱え続けてきた父親への反抗心のあまり、リンは正当に父親を評価できなくなっているようだった。 「リン……」アキラはリンに冷静さを取り戻させようとして、諌める声音で名を呼んだ。 しかし、リンの勢いは止まらない。憤ることで、これから起こるかもしれぬ事態への恐怖を誤魔化そうとしているかのようだった。 「アキラだって、間接的にはウチの親父の被害者じゃないか! 兄貴は、本当は誰よりもアキラを好きなんだ。別荘で、兄貴がアキラを見る目は優しかった。前にも言ったけど、俺は今でも、兄貴がアキラを嫌って遠ざけたんだとは思わない。親父に組を押し付けられなかったら、兄貴はアキラの身の安全を考えて離れようともしなかったはずなんだ! アキラは言葉に詰まった。心の片隅の自分勝手で甘えた自分が、リンの言葉に同意したがっているのが分かった。 けれど、そうではない、とアキラの理性は言う。シキに拒まれたことも、今の自分の状況も、何もかも誰かのせいにはしたくない、と。苦しくても、辛くても、全てのことは起こるべくして起こり、全て自分とシキにとって必要なことだと信じたいのだ、と。 たとえば、今このときが過ぎ去って、再び元の日常に戻れたとき。自分はもう一度、シキの傍にいたいと願うかもしれない。或いは、やはり別離の決意を固くして、その通りにするのかもしれない。けれど、いずれにせよ、先日シキに拒絶されたときのように、わけも分からないままに選択するのではない。今度はシキの事情を知り、彼の抱えているものの重さを見つめた上での選択することができる。それだけでも、アキラにとっては感謝すべきことだった。 だから、シキに拒絶されたことや今のこの状況を、誰かのせいにして目を逸らそうとは思わない。 「リンの言っていることは、間違ってる」アキラはきっぱりと言った。「シキもリンも、筋の通った真っ直ぐな性格をしてる。そんな二人の父親である人が、地位や保身のために卑怯な真似をするか? ……俺は、そうは思わない。お前の父さんを、もっと信じてやれよ」 アキラの言葉に、リンははっと目を見張った。先ほどの勢いを失って、気まずそうに俯く。リン自身もまた、実の父への批判が根拠のない行き過ぎたものであるということに気付いた様子だった。とはいえ、すぐに自分の非を認めて態度を変えられるほど、素直にはなれないらしい。 多少、リンが冷静になった風なのを見て、アキラはほっと息を吐いた。 と、不意にざわざわと外から慌ただしい気配が伝わってきた。何かが起こったらしい。アキラは確信を抱いて、壁の高い位置にある窓を見上げた。もちろん、そこから外を見ることはできない。 見れば、リンも窓を見上げていた。やがて視線を下したリンは、アキラを振り返る。その表情がひどく不安げに見えて、アキラは痛ましい気持ちになった。 そのときだった。フジクラの部下の黒服が、小部屋に入ってきた。はっと身構えるアキラたちに、黒服の男はついて来いと言う。何があったのかとアキラは尋ねたかったが、黒服の緊張した様子がぴりぴりと伝わってきた。とても言葉を掛けられる雰囲気ではない。アキラとリンは大人しく、黒服に従って部屋を出た。 *** 小部屋を出てすぐの広い空間には、既に多くの人間が集まっていた。アキラたちから見て手前にいるのは、フジクラとその手下のようだった。集まったフジクラの手下は十数名ほど。先ほどアキラが小部屋から連れ出されたときは、姿を見せていなかったらしい。また、おそらくこの場にいないだけで、フジクラの手下はまだいるのだろう。 意外に数が多い、とアキラは感じた。しかし、それも不思議はないのかもしれない。フジクラは、トシマ組の幹部でありながら、組長の息子を誘拐して、組を裏切ったのだ。味方する者がいなければ、フジクラの企ては成功しなかっただろう。 アキラはフジクラたちの先に目を向けたところで、はっと息を呑んだ。 フジクラの向かいに数メートル離れて立っているのは――シキだった。その傍らには、恰幅のいい壮年の男が佇んでいる。二人の背後には、トシマ組の構成員らしき男たちが三名いるだけだった。全員でたったの五名。リンを人質に取られて主導権を握られていては、大人数で押しかけることもできないのだろう。 (だけど、それにしたって、人数が少なすぎる……) アキラはいっそ叫びだしたいような緊張感を押さえつけながら、傍らのリンを振り返った。リンはアキラ以上に気を揉んでいるに違いない、と思ったのだ。しかし、振り返って見たリンの表情は、アキラが予想したものとは異なっていた。リンは呆然と目を見開いて、シキの傍らに立つ壮年の男を見つめていたのだ。 「……親父……」 掠れた呟きが、アキラの聴覚に触れる。アキラははっとして、シキの傍らの壮年の男へ目を向けた。 初めて見るシキとリンの父親、トシマ組の組長。土気色の顔色をしたその人物は、ひどく具合が悪そうだった。銃撃を受けて負傷したのだとリンは言っていたが、その傷が完全には癒えていないのだろう。しかし、負傷しているのだとしても、すっと背筋を伸ばして立ち、病人であることを感じさせなかった。組長の顔立ちには、シキやリンと似たところは少しもなかった。しかし、強い意思の宿る目や毅然とした態度が、はっきりとシキたちとの繋がりを思わせる。 そんなことを考えていると、前方のシキの視線が一瞬だけアキラを捉えた。シキ、と叫びたい気持ちを抑えて、アキラもただシキの目を見返す。シキは冷静な表情を保ったまま、ふぃと別の方向へ顔を向けた。おそらく、人質を心配して声を掛ければ、フジクラたち的勢力に付け込まれると判断したのだろう。 (だけど……さっきフジクラは、シキをおびき出すと言っていたはずだ。どうしてシキとリンの父親まで呼んだんだ?) アキラは冷静になろうと意識しながら、疑問に思った。 その疑問は、すぐにフジクラによって答えが与えられることになる。 「よく来てくださいました、組長、若」フジクラは恭しい態度で言った。その様子だけ見れば、彼は裏切り者などではなく、忠実な組員のようでもある。しかし、フジクラの目には挑むような光が宿っていた。「まさか、組長までもお運びくださるとは」 「……息子と、堅気の息子の友達がさらわれたんだ。俺が安全なところにいるわけにもいくまい。……シキから、お前のことは聞いた。今まで組に忠実だったお前のことだ、思うところあっての行動だろう。その理由は大方分かる。だが、誤解があるようだ」シキとリンの父親は、落ち着き払った態度で言った。 「誤解とは?」フジクラが尋ねる。 「俺がトシマ組を受け継いだ経緯について、だ。ここには堅気の人間がいる。しかも、まだ子どもだ。争いになることは、本位ではない。抗争を避けるために、俺は真実を話そう」 (2011/09/04) 目次 |