アンノウン11
*キャラが死にそうな目に遭いますが死にネタではありません。






 シキは一歩下がった位置で、父の背中を見ていた。意識してそうしていなければ、視線は勝手に対峙しているフジクラたちの背後のリンとアキラの姿に吸い寄せられていきそうだったのだ。シキはそんな己を懸命に制していた。
 今、シキは父親の補佐とはいえ、トシマ組を背負ってフジクラたちと対峙している。間違っても、己自身の私情に流されるわけにはいかなかった。わずかでも弱みを見せれば、相手に付け入る隙を与えることになるからだ。弟であるリンが血の繋がり故に弱点であるというのは、誰から見ても動かしがたい事実だった。しかし、アキラとシキが親しい関係にあることだけは、気取られてはならない。万が一、敵にアキラのことが知られれば、一般人である彼を、この上要らぬ危険に巻き込んでしまう可能性が高かった。
 今は、心を殺して行動するのが、最善の道だった。
 シキは意識を目の前の父へと戻した。父は、銃撃された傷がいまだ癒えていないにもかかわらず、真っ直ぐに背筋を伸ばして毅然と立っていた。姿勢を保つだけでも辛いだろう。しかし、父の背中は負傷などなかったかのように、揺るぎなかった。
 父は今、自分が組を継承したときの真実について、語ろうとしているところだった。
 シキは数時間前、フジクラが誘拐犯であると気付いた時点で父親を問い質し、予め話を聞かされていた。シキの父が語ろうとする内容について把握しているのは、シキばかりではない。シキと父親の背後に控えるトシマ組の主要幹部たちも、シキと共に真実を知った。その上で、彼らはシキと彼の父と共にフジクラの元へ来ることを決めたのだ。トシマ組の幹部ばかりがこの場にいるのは、フジクラによって交渉に当たれる人数を制限されたためだけではなかった。万が一のために、事務所には幹部クラスの人間が一人、詰めてはいる。しかし、もし本当に事が起こってこの場の人間全員が死ねば、組は機能不全に陥るにちがいなかった。
 父に、そして幹部たちに捨て身の戦術を取らせるほど、組に隠された秘密は重いものだった。


 シキの父の語ったところによれば、トシマ組はそもそも、誰のものでもなかったのだという。
 トシマ組の成立は、先の大戦――第三次世界大戦の直後まで遡る。今からおよそ八十年もの昔だ。世界を敵に回した戦争での敗北とその後の内戦の混乱の中で、トシマ組の原型であった組織は力をつけていった。その勢いはまさに飛ぶ鳥を落とすという比喩がふさわしいほど。一時は内戦後の新しいニホンを牛耳っているとまで言われたのだとか。
 その組織の初代の首領は、徹底した実力主義者だったらしい。そして、彼の信条がその後の組織の形を決定付けた。すなわち、組織の構成員は常に実力――戦闘能力の高さによって評価され、地位を与えられることとなったのだ。このことは、もちろん、組織の首領も幹部たちも例外ではなかった。
 初代の首領が自らの地位に――その地位を誰に継がせるかに拘らなかったのは、実力主義の信念の他にもう一つ理由があったようだ。彼には妻子も愛人すらもいなかったのである。彼が生涯を通して愛したのは、自らの側近の一人だけだったという。
 実力主義が根付いた結果、組織はこの上なく強くなった。疲弊した歯車は取り除かれ、新しく力に満ちた部品が補充されていくためだ。だが、厳密に実力主義を首領の地位交代に適用するならば、クーデターすら許されることになってしまう。結果、この“部品交換”にはしばしば血が流されることとなった。取り除かれるのは人間であり、“部品交換”がクーデターや決闘の形を取ることも、少なくなかったからだ。
 原型の組織からトシマ組へと続く八十年は、否が応にも血に塗れた歴史となった。
 しかし、八十年の間に、時代は移り変わっていく。もちろん、組織も時代の流れに対応せざるを得なかった。戦後の混乱に乗じて絶大な力を手に入れはした。しかし、ニホンが平和になり、国家として安定していくにつれて、非合法な組織の関与できる余地は減っていったのだ。組織の権勢は少しずつ衰え、組織は形態を変えてトシマ組を名乗るようになった。
 血で血を争うほどの苛烈な実力主義は、もはや時代に適さなくなっていた。いずれ、どこかで誰かが弱肉強食の連鎖を断たねば、組は生き残れない――そう考えて実行した人物こそ、先々代のトシマ組組長だった。
 先々代は、力で多少は劣っていても、組の体質を変えうるだろう者を後継者に選んだ。このときの代替わりは一見したところ、組の伝統的な実力主義による継承に見えたが、実際はそうではなかった。先々代組長が予め障害となりそうな候補者を、謀殺していたのだ。
「――組の伝統に逆らった地位の継承が行われてからというもの、組長たる人間は部下たちに対して秘密を抱えることとなった」シキの父はそう言い、皆の理解を待つようにひと呼吸の間を置いた。「秘すべき事柄は二つ。一つは己が組織の信条に反して選ばれた者であること。もう一つは、組の弱肉強食の連鎖を断ち切るために“使命”を帯びているということ」
 血気盛んな者――まさにフジクラのように――が多いトシマ組においては、組長に力がないと分かればすぐにクーデターが起きるだろう。そうなっては、“使命”を継ぐ者がいなくなり、組織改革が止まってしまう。かといって、苛烈な実力主義を廃すと皆に宣言すれば、やはり反発によってクーデターが起きる可能性がある。故に、組長の地位の継承の経緯については、組の他の構成員に長い間、隠されてきたのだそうだ。
「……しかし、地位継承の不自然さから、一般人を巻き込むような事件が起きてしまった今、真実を明かさねばならない。そう判断したのだ」
「……」
 一言も発さずシキの父の言葉に耳を傾けていたフジクラは、やがて慎重な面持ちで口を開いた。
「一つ、確認させていただきたいことがあります。先代が後継者を選んだ基準というのも、やはり……?」
「お前の想像している通りだ。“使命”を果たしうる人間かどうか、その一点だけが選別の条件だった。先代が実の息子であるお前を跡継ぎ候補として盛り立てようとしなかったのは、決して力がなかったからではない。苛烈な実力主義……今でも表向きは組の信念とされているそれを、純粋に信奉していたからだ」
「俺のことなど、どうでもいいのです!」フジクラは急に激しい口調で言った。「俺には跡目への野心はなかった。他に相応しい方がいると分かっていたからだ!」
「――コードネーム・nのことか……」シキは誰にともなく呟いた。
 コードネーム・n。それはいつの頃からか、トシマ組の中で暗殺者の役目を果たす男のコードネームとして受け継がれてきた。といっても、『n』と呼ばれることになる人間は決まっていた。初代の『n』から今まで、そのコードネームは彼の血縁者が継いできたからだ。コードネームの継承者が血縁ばかりなのは単なる偶然であったが、それにしても『n』の血筋はある種の力を行使することに適正のある血筋なのかもしれない。
 先々代が先代を組長にするために謀殺したのが、当時の暗殺者である『n』だった。また、先代が後継者を決める際にも有力候補と見られながら選ばれなかったのも、同じく『n』――こちらは謀殺された男の息子――だった。
 シキの父はゆっくりと首を横に振った。
「謀殺された先々代のnは、強い男だった。彼はまるで戦闘兵器のようだった。命じられれば、その人殺しの意味については考えない。もちろん、暗殺者としてそれは必要な資質だ。……彼の不幸は、組長候補として担ぎ出されたことだ。――先代nは自らの父がどういう人間だったのかを理解していた。自らも同じような人間だとも。それ故、先代nは組長候補に上がる前に自ら身を引いた」
「それでは、先代n自身も承知していたというのですか。俺だけが何も知らずに、組長の地位継承は間違っていると思い続けて……」フジクラは肩を落として呟いた。
「全ては儂の責任だ。もはや時代は変わったというのに、組の方針転換を隠し続けてきた。そのために、忠実なお前は追い詰められてしまったのだろう……」
 項垂れるフジクラに向かって、シキの父が一歩近づいて言った。「戻ってくれ、フジクラ。組にはお前の力が必要だ」その言葉に、フジクラはおずおずと顔を上げた。迷いに揺れる目で、シキの父を見つめる。
「――俺は……」
 フジクラが言いかけたときだった。彼の背後に立っていた男の一人が、冗談じゃねぇと声を上げた。その手の中には、拳銃が握られている。
 やはり何ごともなく事を収めることはできなかったか。シキは口の中だけで小さく舌打ちをした。銃を取り出した男は、シキの集めた情報の中にプロフィールがあったから、知っている。カントウ地区の別の組で裏切り者として追放された、タニグチという男だった。
 短期間で多くの支持者を集めたフジクラの器量は、大したものだ。しかし、いくらフジクラでも自らの支持者だけでは、事を起こすにはまだ力不足だと判断したのだろう。手下と共に行くあてを失っていたタニグチを仲間とすることで、ようやく今回の誘拐を実行に移せたらしい。
 しかし、タニグチは厄介だった。フジクラの部下の中でも特に力を持ち、今や古参を押しのけてナンバー・ツーのような振る舞いだという。しかも、いつクーデターを起こして、フジクラの勢力を乗っ取っても不思議ではなかった。――というより、もとよりそのつもりでいたのかもしれない。
(そして、今、クーデターの好機が訪れたというわけか……)
 シキは油断なく身構えながら、冷静に考えた。今この場なら、タニグチはフジクラだけでなく、トシマ組の組長と幹部をも仕留めることができる。そうなれば、タニグチは裏の世界で名を売ることができるだろう。まったく下衆の考えることだ、とシキは内心で吐き捨てた。
 と、そのときだった。唐突に遠くからサイレンの音が響いてきた。紛れもなく、それはパトカーのサイレンに違いなかった。音は次第に近づいてくるかのようだ。
 フジクラの勢力は、サイレンを聞きつけると急に浮足立った様子を見せた。短期間に集めた、ある意味では『烏合の衆』の勢力である。早くも一部が、我先にと逃げ出していく。てんで統制が取れていない。
(――予定通りだな)
 シキは逃げ出す敵を泰然と眺めていた。シキの父やトシマ組の幹部にも、慌てた様子はない。フジクラたちの元へ乗り込むと決めたときから、適切なタイミングで警察を呼ぶことは打ち合わせ済みだったのだ。
 本来ならば、ヤクザ同士の抗争に、警察の介入など招くべきではない。とはいえ、今回は一般人であるアキラを巻き込んだ、卑劣な誘拐事件だ。アキラやリンの身の安全を第一に考えて、また卑劣な敵とは抗争する価値もないという父の意向もあっての作戦だった。
 警察への通報の段取りは、シキが任されていた。こちらが敵地に乗り込むからには、警察の介入を受けるタイミングを慎重にコントロールする必要がある。そこでシキはユキヒトを通じて、彼の叔父である記者の源泉に連絡を取った。今回の誘拐事件の詳細な情報を渡すのと引き換えに、時期を見計らって指定した情報を警察に『提供』してくれと頼んだのだ。
 源泉は、上手くやってくれたらしい。警察が来たタイミングは、これ以上ないほどに絶妙だった。
 シキは逃げ出す敵勢力の姿を眺めてから、動こうとしないでいる二人に目を止めた。フジクラとタニグチだ。
 フジクラはこれから起こることを全て受け入れようという諦めの境地らしく、じっとその場に佇んでいる。しかし、タニグチはそうではなかった。手にした銃の引き金に、指を掛けていたのだ。銃口は、シキの父に向けられていた。
「こうなったからには、せめてトシマ組組長の生命をもらう! そうすれば、俺の経歴の箔付けくらいにはなるからな!」
 まずい。そう思った瞬間には、シキはとっさに父の前に跳び出していた。
「兄貴!」「シキ!!」
 リンとアキラの声。逃げ出す人の流れに逆らって、二人が駆けだすのが見えた。シキは「来るな」と叫ぼうとした。そのとき、銃声が全ての音をかき消した。
 しかし、衝撃は訪れなかった。発砲された銃弾はシキの足元ぎりぎりを穿ち、コンクリートにめり込んでいたのだ。はっと顔を上げたシキは、驚くべき光景を目にすることとなった。リンとアキラが、タニグチに跳びついて押さえ込もうとしていたのだ。二人がとっさにぶつかっていったために、タニグチは狙いを外したらしかった。
 タニグチとリン、そしてアキラは、銃を取り合って揉みあっている。三人の姿を見て、シキは心臓が凍りつくかというほどの恐怖を感じた。
 今、タニグチが銃を取り戻したらどうなる?
 あるいは、銃が暴発したら?
 シキは父を守るべき自分の立場も忘れ、三人に駆け寄ろうとした。と、そのとき揉み合う三人の均衡が崩れた。最初に身の軽いリンが振り切られ、すぐ後にアキラも突き飛ばされて倒れ込む。「ガキ共が! 邪魔すんじゃねぇ!!」赤く顔を染めたタニグチが、怒りに任せて前方に倒れていたアキラに銃口を向けた。
 アキラは立ち上がりかけたが――銃口を見て恐怖で身が竦んだらしい。呆然とタニグチを見つめている。
「アキラ……!」
 シキは無我夢中で手を伸ばした。






***


 自分は撃ち殺されるのか――。
 恐怖のあまり、立ち上がりかけた半端な姿勢のまま、アキラは身を強張らせていた。鼓膜をつん裂くような銃声が上がり、ぎゅっと目を瞑る。だが、恐れていた痛みはいつまでも感じられなかった。痛みどころか、何か暖かくてひどく優しいものに包まれている気がする。
 いったい、どうなったのか。
 アキラはおずおずと目を開けた。途端、紅い双眸と視線が絡む。ずっと、意識的にも無意識にも求め続けていたシキの眼差し。気付けばアキラはシキと共に、先ほどより少し離れた場所に倒れ込んでいた。シキに守られたらしい。
 緊迫した状況にも関わらず、シキはひどく穏やかに笑っていた。
「アキラ……。もう一度、こうして、お前に触れることが許されるとは……幸せな、夢……のようだ」
「夢って……。何だよ。俺を突き放したのは、あんたの方だろっ……」
 とっさにアキラの口から出たのは、シキを詰る言葉だった。今はシキとの関係について話し合う暇はないのだが、実際に彼の顔を見て安堵してしまうと、何をどの順序で言えばいいのか分からなくなってしまったのだ。
 それでも、シキはアキラの混乱を、ただ柔らかく受け止めた。
「すまない、アキラ……。お前を、守りたかった……。――離れるのは、本当は、俺も辛かったが……あの辛さに比べれば……生命ひとつでお前を守れるなら、安いもの……だ……」
 そう言って微笑し、目を閉じる。アキラに覆いかぶさった彼の身体が力を失い、崩れ落ちた。脱力したシキを受け止めたアキラは、温かな液体が掌を濡らすのを感じた。天井の照明に手をかざしてみれば、赤く染まっていた。
 赤い。シキの双眸よりもなお赤い。血の色――流れ出していく生命の色。
「シキ……? 嘘だろ、シキ……。シキ!!」
 こんなの嘘だ、とばかりにアキラはシキの身体を掻き抱いて絶叫した。






(2011/09/19)
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