セカンドコンタクト2





 扉が開き、現れたのは明るい髪の色をした男子生徒だった。「ユキヒト、『営業』終わったか〜? 帰りにマック寄ろうぜ! 今日ダブルチキンフィレオバーガーが……、」とそこまで一気に言ったところでアキラに気づき、しまったという表情になる。
「あ、悪い。俺、邪魔したな……」
「そうだ、邪魔だぞ、トウヤ」
 ユキヒトはちょっと高圧的な調子で言う。が、おどけた表情からして本気の言葉ではなく、ふざけているだけのようだ。それでも、アキラはトウヤと呼ばれた男子生徒に申し訳ない気がしてくる。
「いや、いいんだ。もう用は終わりだったから。俺、もう行くから」
 そう言って歩きだそうとすると、再びユキヒトに呼び止められる。
「待てよ、アキラ。この後、予定あるか?」
「いや、別にないけど」
 唐突な質問に、アキラは戸惑いながら答える。本当は午後七時までには帰るようにと母親から言われているのだが、それまでまだ二時間半もある。何にしても、そこまで帰りが遅くなることはないだろう。
 ユキヒトは、アキラの答えを聞いて「よし」と笑みを浮かべた。
「じゃぁさ、マック寄って行かないか?」
「えっ……だけど、俺がいたら邪魔だろ」
「邪魔なわけないだろ。恋人同士のデートでもあるまいし……なぁ、トウヤ?」と、ユキヒトはトウヤに目を向ける。「お前とこの前話しただろ、ほら、こいつがA組のアキラだよ」
「あ、そいつか! この前体育の授業で、B組の奴からゴール取ったってのは」トウヤがいきなり大声を出す。「なぁ、アキラ、知ってるか? あのときのB組のキーパー、中等部はサッカー部だったんだぜ。女にもてそうだからって、高等部ではバスケ部に入ったけど」
 そんな話をされても、アキラはそんな経緯を知らなかった。『学園』には途中入学だから、過去のことは分からない。未だに親しいというほどの友達もいないから、教えてくれる者もいない。熱心な調子のトウヤに向かって、首を横に振って見せた。
 すると、トウヤは「知らないだって!」と叫び、ずんずんとこちらへ近づいてくる。
「そうなんだ、B組のあいつは女にもてたいがために、中等部時代から一緒にやってきた俺を見捨てやがった。あいつをコテンパンにしたお前は、俺のヒーローだ!」
「ヒーローって……」
 そんな大げさなものに、アキラはなった覚えがない。というより、サッカーの授業でたまたまシュートが決まっただけのことで、そのB組の元サッカー部をコテンパンにしたというほどでもない。
 ないのだが、トウヤはすっかり盛り上がっていて、アキラの話など聞きそうになかった。「つーわけで、行こうぜ、マック」などと、いつしか最初にアキラを誘ったユキヒトよりも、乗り気になっているようだ。
「いや、だけど……」
「行こうぜ、アキラ。トウヤもあぁ言ってるし。行ったらトウヤはサッカー部の勧誘をすると思うけど、そこはまぁ勘弁して流してやってくれ。――あ、これは下心なしで誘ってるんじゃないからな」
「下心ってどういうことだ」
 すると、ユキヒトはニヤリと笑って、アキラのことが知りたいのだと言った。アキラは途中入学の上、この街に来たのも最近のこと。更に、クラスメイトとなれ合おうとしない。つまり、情報が極端に少ない状態なのだそうだ。
 自分の情報など集めても意味はないだろう、とアキラは思ったが、ユキヒトの見解は違っていた。意味有り気に笑って、「お前の情報には価値が出る……特に女子にな」と自信たっぷりに言う。
 そういうものだろうか、とアキラは疑問に思ったが、結局誘いに乗ることにした。二人がもし、ただこの場に居合わせたからと気遣って誘っているなら、アキラも誘いは断っただろう。けれど、ユキヒトにもトウヤにも目的があって誘っているというのが分かるので、妙な話だが気楽に応じることができたのだった。


***


 ファーストフード店に寄り道して、アキラが家に帰る頃には、午後六時になっていた。結構長い間ファーストフード店にいたのは、ユキヒトとトウヤとの話が意外に弾んでしまったからだ。二人と話すのは初めてだったが、苦痛にはならなかった。高校生になってから同じ学年の生徒とあれほど楽しく過ごせたのは、転校して来て以来だろうか。
 話題は、他愛もないことが多かった。
 話を聞くに、トウヤはサッカー部で、アキラと同じ一年ながらもキャプテンなのだという。と言っても、サッカーが上手いからではない。サッカー部の上級生は不祥事を起こして全員退部になっていて、それを知らずに入部しに行ったトウヤが、キャプテンにされてしまったのだそうだ。
 ユキヒトもまたサッカー部員なのだと聞かされたときには、アキラも驚いた。どちらかというと、ユキヒトは集団に入るのを好まなさそうな雰囲気があるからだ。もっとも、よく聞いてみれば、ユキヒトはトウヤに頼まれて人数合わせのために名前を貸しているだけらしい。案の定、アキラもサッカー部に誘われたが、断った。サッカーに興味はなかったし、集団の中に入っていくのはやはり苦手なのだ。アキラの答えはトウヤも分かっていたようで、断られたからといって気にした風もなかった。
 家に帰ると、その日はなぜか母親が待ち構えていた。一体何事かと戸惑うアキラを急かして、母親は早く夕飯を食べろと言う。その迫力に気圧されながら、アキラは着替えて食事をした。
 普段より早い夕飯の席で、母親は唐突に今日からアキラに家庭教師をつけると宣言した。どうやら中間テストの成績があまり良くないことに危機感を抱いて、両親がそう決めたようだった。自分のいないところで勝手に決められたと知って、アキラは少しむっとした。が、結局母親の言葉に頷くしかない。これまで苦労してきた母親が、息子にいい大学に行っていい会社に入って欲しいと願っているのは、常々感じていた。それに、家庭教師の契約だって既にしてしまっているのだ。


 午後七時になると、アキラは仕方なく二階の自室へ入った。
 家庭教師との約束は七時半だというので、まだ少し時間はある。それまで、取りあえず殊勝に勉強でもしておくかと思ったが、やる気は全く起きなかった。テストはこの間終わったばかりだ。テスト前しか勉強しないアキラの行動パターンからすれば、テスト後でだれたこの時期に意欲が起きないのは、当然の結果だと言える。
 教科書を開いたままぼんやりしているうちに、時刻は七時半に差し掛かろうとしていた。トントントンと階段を上ってくる母親の足音で、アキラははっと我に返った。耳を澄ませば、母親の足音に重なってもう一つ、別の足音が聞こえる。とうとう家庭教師が来たのだ。
 やがて部屋のドアが開き、母親と家庭教師が入ってくる。振り返ってその姿を見た瞬間、アキラは呆然とした。母親が家庭教師にアキラを紹介し、「息子をよろしく頼みます」などと言っている。家庭教師はそれに応じて、何かを答えている。しかし、話題の中心は自分のことであるにも関わらず、アキラは二人の会話をほとんど聞いていなかった。 やがて、母親が二人分のケーキとジュースを置いて出ていくと、家庭教師はアキラを振り返った。
「さて、始めるとするか、アキラ」
「っ……待てよ、何であんたがここにいるんだ……シキ!」
 すると、シキは紅い双眸を細めて笑った。

「お前の家庭教師は、この俺だ」

 なるほど、この状況からして、それは事実なのだろう。が、問題はそこではない、とアキラは思った。シキは頭が良く、教え方も上手いということは、よく知っている。けれども、高校生が高校生の家庭教師になるというのは、何かおかしくはないだろうか。母親は、学園に正規に依頼して家庭教師を派遣してもらった、と言っていたはず。学園の事務局でその依頼が処理されたとして、普通は高校生が高校生の家庭教師にされることはないだろう。大学生が高校生を教えるというならば、まだ話は分かるが。
 と、なると。
「……あんた、ウチに来るはずの家庭教師を襲って、入れ替わったんじゃないのか?」
「なかなか面白い発想だな。その無駄な想像力で、ファンタジー小説でも書いたらどうだ?」
「俺は冗談で言ってるんじゃない。母さんは、家庭教師の派遣を学園に正規に依頼したんだぞ。何で、高校生に高校生を教えさせるんだよ」
「事務局が問題ないと判断したんだろう。俺はここへ、正式に派遣されて来たんだ。知らないのか? 高等部でも成績優秀者は、大学生と同じようにアルバイトが出来るんだ。……もっとも、母親に聞いたお前の成績では、卒業まで必要のない知識だろうがな」
「う……うるさいな!」
 やはり何かおかしい気がしたが、シキが正式に家庭教師として来ている以上、アキラには何も言うことができない。始めるぞ、と促され、アキラはシキと共に机に向かった。並んで座っていると、先日図書館でレポートを手伝ってもらったときのことを思い出す。
 何だか、少し落ち着かない気分だった。
 最初に、シキは中間テストの復習から始めると言った。その言葉に、アキラはぎくりとした。どの教科も赤点スレスレの低空飛行、ものによっては赤点を切っている教科もある。シキがどこまで母親から聞いているのかは分からないが、見せれば確実に馬鹿にされるだろう。とはいえ、復習も授業の一環だと言われれば、見せないことには話は始まらない。
 仕方なく、アキラは答案用紙を出した。
 それを見て一言、シキは「馬鹿が」と吐き捨てる。予想通りといえばあまりに予想通りの反応だが、それでもムッとしてしまう。
「家庭教師が、自分の生徒にそんなこと言っていいのかよ?」
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い。話に聞いてはいたが、ここまで酷いとはな。どうやったらここまでの点数が取れるのか、逆に不思議なくらいだ」
「あんたなぁっ……!」
 仕方ないだろ。俺には学園のレベルは高すぎるんだ。そう叫びかけて思いとどまる。学園のレベル云々と言っても、おそらくシキは言い訳だと一言で切り捨てるにちがいない。 甘えている、とシキに思われるのは、癪だった。
「……英語のこの問題、この間違い方は何だ」シキは答案用紙の一点を、ペンの先で指した。「ここはこの間のレポートのときに、教えてやった慣用句だろう。それに、これもあのとき教えてやったことの応用だ」
「っ……一番嫌いなんだよ、英語は。文の中で未来だの過去だの、いろいろ形が変わるし。あんたは頭がいいから一回で覚えられるけど、皆がそういうわけじゃないんだよ」
 弱みは見せまいと思うのだが、ついついそう言ってしまう。半ば自棄になって開き直りながら、アキラは傍らのシキを見据えた。シキも真っ向からアキラを見返してくる。
 肩が触れ合うほどの距離で、にらみ合うこと数秒。あれ、何だか距離が近づいているような……と思ったときには、唇が重なっていた。それもほんの束の間のこと。アキラがあっと思ったときには、シキは離れていくところだった。
「――なっ、なっ、なっ……?」何だ、今のは。
「罰だ」ごく冷静に、シキが言う。「俺が教えた内容を忘れたことと、言い訳をしたことへの、な」
 そうか、罰なら仕方ないよな。赤点を取ったのはこっちの方だし。一瞬シキのペースに巻き込まれて、そう納得してしまいそうになる。いけない、いけない。アキラは頭を大きく振った。
「罰って! 罰だからって、普通そんなことするか? 家庭教師が自分の生徒に、こんな……こんな……キ…………」
 キスなんか、と言いかけたところで、なぜか猛烈に羞恥がこみ上げてくる。頬がかっと熱を帯びるのを感じながら、アキラはシキを恨めしく思った。大体、仕掛けたのはシキの方なのだ、なぜ自分が恥ずかしさを感じなければならないのか。というか、ああいう行為は一般的には男同士ですることではないはずだ。
 しかし、混乱するアキラを余所に、シキはあくまでも「罰だ」と言う。普段と変わらないその無表情に、アキラは先ほどの行為がシキなりのからかいか嫌がらせなのではないか、と思い至った。
 といっても、シキは悪意を持って相手に嫌がらせをするというようなタイプには思えない。気に入らない点があれば、相手にはっきり言うだろう。今回のあの行為は、だから、きっと悪意とまではいかない、もっと軽い感情から出たものなのだろう。きっと、シキは自分の答案では見たこともないような、バツマークまみれの答案に心底呆れたのだ。それで、言葉通りアキラを反省させようと『罰』を与えたに違いない。そうだ、きっとそうなのだ。
 唇が重なったことは、真面目に受け取るようなことではない。
 アキラは一つ息を吐き、分かったと呟いた。
「あんたに罰されないように、勉強する。それでいいだろ? だから、あんたもさっきみたいなのは止めてくれ。ああいうことを冗談でするのは、俺はあんまり好きじゃない」
 すると、シキはわずかに目を見張り、「馬鹿が」と呟いた。
「馬鹿で悪かったな」馬鹿と直球で言われて、さすがにアキラも頬を膨らませる。「これから勉強するって、言っただろ」
 それを聞いて、シキはなぜか大きくため息をつく。そして、呆れた表情を打ち消して唇をつり上げ、自信に満ちた笑みを浮かべる。アキラは束の間、その表情に見惚れた。
「ならば、勉強してもらおう。この俺が教えてやるんだ、今の成績では済まさん。次の期末には、上位とまではいかなくとも中程度の順位に、上がってもらう。学年末には……そうだな首位でも取ってもらおうか」
 さらりと、シキはとんでもないことを言った。







(2009/08/01)
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