What I know3
期末テストが終わると、大学を除く学園の授業は半日になる。そこで授業のない午後を利用して、学園祭の準備は急ピッチで進められていた。 高等部では、学年は無関係に数クラスが合同で、店を出したり劇を行ったりする。どのクラスとどのクラスが組むのかは、各クラス学級委員と生徒会が会議を開いて決める。このとき、一年のクラスは必ず、二年か三年のクラスと組まなければならない。高等部の出しものは中等部より本格的に、複雑になるから、上の学年から一年生へノウハウを伝授するためだ。 アキラのA組は、三年D組と合同になった。 この三年D組といえば、シキのクラスである。最初アキラは、どんな顔でシキと顔を合わせればいいのかと、憂鬱になった。けれども、すぐにそれは心配する必要がないことは、明らかになった。生徒会役員たちは各クラスの進行状況の監督や、大学・中等部・初等部との調整に走り回っている。もちろん、彼ら自身のクラスの出し物に関わっている暇などなかった。 準備のときにも、シキはクラスに顔を出さなかった。出し物の準備を取り仕切っているのは、三年生の哲雄という委員長と蓉司という副委員長だった。 一年A組と三年D組は合同で、『猫耳執事メイド喫茶』なる店を出店することに決まっている。このアイデアは匿名で出し合ったため、誰のものかは分からない。案を聞いたとき、アキラは呆れたものだった。『猫耳』で『執事』で『メイド』など、いくら何でも特殊嗜好を詰め込みすぎだ。これは高校生の学園祭の出し物としては、あまりよろしくないのではないか。 ところが、無記名投票の結果、驚いたことに大多数が『猫耳執事メイド喫茶』を支持していた。それで、結局アキラが一番あり得ないと感じた案が、実行されることになったのだった。 出し物が決まると、すぐに役割分担が割り振られた。メニューを考える係、衣装係、店のセットを作る係など、皆がいずれかの係に入れられた。 ちなみに、アキラはセット係だった。 メニュー係や衣装係は、主に男子の料理や被服に詳しい者と、女子が選ばれている。男子で特技のない者は、取り合えずという感じでセット係にされた。必然的にセット係は人数が多く、人手が有り余っていた。 セットの製作は、一部の熱心な男子が主体となって進めた。あまり熱心でない残りは、その時々に手伝ったりサボったりという風だった。多くの男子と同様、アキラも時々参加して手伝い、手伝う以上にしばしばサボっていた。 二週間の学園祭準備期間の真ん中に当たるその日、アキラは少しだけ改心した。残り一週間ということで、真面目にセット作りを手伝おうと、放課後三年の教室へ向かった。 そして、廊下の角まで来たときだった。 「――『猫耳執事メイド喫茶』のことだが、飲食物を配布することになるから、こちらのマニュアルを全員に読ませておいてくれ。それから――」 聞き覚えのある、低く響きのいい声が聞こえてくる。それで、ぼんやりしていたアキラは、はっと顔を上げた。見れば、三年D組の教室の前で、シキが委員長の哲雄にプリントを渡しているところだった。 (――シキ……!) あまりに急な遭遇だったので、アキラはすっかり慌ててしまった。そうやって慌てる方が余計に不審な動きをしてしまうのだが、慌てているアキラは冷静になれない。 先日シキに襲われかけたこと、自分がこのところシキを思い出しながらしてしまう後ろめたい行為のことなどが脳裏に浮かんでくる。おまけに、このところのシキの、あくまで家庭教師としての事務的な態度を思い出すと、もう駄目だった。ずっと考えまいと堪えていたマイナス方向へ、思考が流れていく。 あのとき、公園の前で拒絶したから、シキは自分を嫌いになったのかもしれない。だから、家庭教師の授業のときにも、事務的な態度を取るのかもしれない。 ――だったら、何だというんだ。 ――自分を襲った同性に嫌われたって、それがどうしたんだ。 強がってそう考えようとしても、動揺は堪えられなかった。アキラは、シキに嫌われることを恐れている自分に気づいてしまった。 最早シキの前を通って三年の教室に入る気にはならず、アキラはさっと踵を返した。 「――アキラ?」 不意に、こちらに気づいたシキが呼ぶのが聞こえる。アキラは一瞬振り返りたくなったが、次の瞬間には怖くて振り返りたくない気分になっていた。それで、聞こえなかったふりをして、急ぎ足でその場を立ち去った。 *** 「知り合いなのか?」 哲雄に尋ねられ、アキラに注意を向けていたシキは我に返った。一瞬「いや……」と言葉を濁しながら否定しようとしたが、すぐに思い直して頷く。 これまで、シキは学園内で、あまりアキラに親しく声を掛けることを控えていた。 学生の世界というのは、案外閉鎖的なものだ。男子と女子、上級生と下級生、優等生と劣等生……それぞれのグループがしっかり出来上がっている。そして、そこからはみ出す者は、いじめまではいかなくとも、ある種異物のように扱われる。 シキはそのような閉鎖的なグループには、拘らないタイプだ。アキラにも、おそらくそうだろうと思える節はある。けれども、そうであったとしても、まだ三年間学園生活を送らなければならないアキラには、今後居心地の悪い思いをさせるわけにはいかない。 けれども、哲雄は年の割に大人びて、落ち着いている。他の生徒たちのように軽々しく、自分とアキラが知り合いだと触れて回ることはないだろう。シキは、そう判断した。 もっとも、それでも釘を刺すことは忘れなかった。 「アキラは、俺が家庭教師のバイトで教えている生徒だ。俺たちが知り合いだということは、皆には言わないでくれ」 「あぁ。なら、言わない。……だけど、追いかけなくてもいいのか? 用があったから呼び止めようとしたんじゃないのか?」 シキは首を横に振った。 「いや、構わない。それより、マニュアルの配布を頼んだぞ。クラスの出し物を手伝えなくて、すまないな」 「いや。こっちはクラスの皆が良くやってくれるから、そう大変でもない。生徒会の方が、大変だろ。いろいろ会長でないと駄目なことも多いだろうし……あまり無理するなよ」 「あぁ。それでは、俺はもう行く。あと十五分で打ち合わせが始まるのでな」 マニュアルを印刷したプリントを哲雄に渡し、アキラは踵を返した。学園祭の準備であちこちの教室から楽しげなざわめきが聞こえてくる中を、生徒会室へ戻ろう歩いていく。 そうしながらも、考えるのはアキラのことだった。 先ほど呼びかけたにも関わらず、行ってしまったアキラの背中が、脳裏に蘇る。あのとき、アキラは本当に聞こえなかったのか。それとも、聞こえないふりをしたのか。 本当は気になっていたが、追っていくわけにはいかなかった。学園内であまりアキラと頻繁に接して、アキラを孤立させるわけにはいかない。声を掛けたのが、そもそも間違いだ。それでも、アキラの顔を見た瞬間には、どうしても声を掛けずにはいられなかった。先日の夜道での一件でアキラとの間がぎくしゃくしているというのに、学園祭の準備に忙しくて会うこともできない――そのことに焦っていたし、それ以上に会いたくて仕方がなかった。 初めて会った雨の日以来、何となくアキラには興味を持っていた。校内で話しかけようとしたが、目立ちすぎるため控えていたところへ、折りよくバイトでアキラを教えることになった。そこまでは、シキ自身も自分がそれほどまでアキラに惹かれているつもりはなかった。 アキラへの執着を自覚したのは、家庭教師として初めてアキラの自宅を訪れた日だ。手を伸ばせば届く距離にいたアキラに、気づけば口付けていた。そこで、ようやく気が付いた。 一旦自覚してしまうと、そこから広がる望みは際限がなかった。アキラに触れたい。他の誰にも渡したくない。――これではまるで、異性に抱くべき感情だ。 シキは常識に囚われるなど馬鹿らしいと考える人間であったから、自分が同性に惹かれていると分かっても動揺しなかった。といっても、シキは平気でも、アキラがそうであるとは限らない。 それでも、シキは諦めなかった。初めて口付けたときにも、アキラは困惑を見せたが、嫌悪した様子はなかったからだ。この分ならば、時間を掛けて手順を踏んでいけば、アキラを手に入れることができるだろう、と考えていた。 けれども。 『あんたの話が聞きたい』 あの晩、共に夜道を歩いた際にアキラが告げた言葉に、一瞬そんな慎重さは吹き飛んでしまった。あの瞬間アキラに対して感じたのは、それまでの甘やかな感情とは違う。 あれは紛れもない――苛立ちと恐れだった。 家庭柄、嫡子という立場柄、シキは優等生を演じて来なければならなかった。真にやりたいことは、優等生の演技の裏側でするしかなかった。そうすることが、最も安全で簡単な方法だった。 同級生は、ちょうど反抗期の真っ最中。彼らと親との話を、教室で耳にすることもある。その度に、シキは同級生たちは幸せだと思ったものだった。 反抗を許してもらえるならば、まだいい。シキの父親は、同級生の親とは押さえつけのレベルが違う。もしも本気で父親と対立しようものならば、父親はシキの知り合いなどにも、平気で手を出し脅しつけるだろう。実際、過去に一度、シキはそんな経験をしている。そのことを思えば、我を通す代わりに優等生を演じることなど、わけはなかった。 それでも、いずれ、父親と真っ向から対立してでも、意思を通さなければならないときが来る。そのときには、周囲に迷惑を掛けざるを得ない。だから、そのときが来るまでは弟や知人など周囲の人々を、平穏の中に置いておきたかった。 さすがにシキでも、自分の境遇に対しての鬱屈は抱いている。けれども、それを他人に見せることは、弱さを見せること――シキにとって恥ずべきことだ。優等生を演じるのは自分の選択であったし、その苦労や鬱屈を他人にしたり顔で同情されたいわけでなない。特に、アキラには尚更、知られるわけにはいかない。家庭教師の立場としては導くべき教え子であり、年下であり、何よりアキラは――心惹かれている相手なのだから。 それなのに、『シキのことを知りたい』と言われた瞬間、信じられないことに、心が揺らいだ。鬱屈の全てを、アキラに打ち明けたいという誘惑に駆られた。 そして、次の瞬間には、それは恐れに変わっていた。今まで無理をしてでも優等生を演じてきた自分の強がりを、アキラは簡単に取り払おうとした――アキラを前にすると、自分が変化していくのが分かる。 その変化が、怖かった。自分が変化して、弱くなってしまうのではないかという予感が膨れ上がった。それで、焦り、苛立ちながら、シキはもとの自分を必死で保とうとした。 一瞬、アキラを大事にして手に入れたいという感情を越えて、苛立ちを感じた。今まで築いてきた関係も、何もかもぶち壊して、望みのままに行動したくなった。 そして――気が付けば、アキラに手を出しかけていた。 その後、アキラのシキに対する態度は、やや冷淡になった。それでも、完全な拒絶を見せるわけではない。それで、シキは少し距離を置くことにした。アキラの気が治まるのを待つつもりだった。それに、何より自分が時間を置いて冷静にならなければ、また同じことを繰り返すのではないかという気がしていた。 ちょうど折りよく学園祭の準備期間に入り、しばらく家庭教師の授業は休まなければならない。 (その間に、俺の頭は冷えると思っていたのだがな……) シキは人気のない廊下で立ち止まり、すぐ傍の窓へと顔を向けた。窓ガラスには、皮肉な笑みを刻んだ自分の顔が映っている。感情が表に出にくいため、よく冷静だと言われる顔だ。これまでは、自分でもそう思っていた。 けれど、自分は実際には冷静とは程遠い、とシキは思う。 特に、今の己はそうだ。 頭を冷やさなければと思うそばから、もう、アキラの顔が見たくて仕方がない。顔を見れば、声を聞きたくて仕方がない。それでも、信頼関係を壊してしまったせいで、近づけばアキラは警戒する。そして、言葉を交わすことができず、辛くなる。 アキラのことも、自分の行動も感情も、上手くコントロールできないでいる。シキは、そんな自分を歯がゆく思わずにはいられなかった。 父親の支配から脱するために、早く大人になりたいと思っていた。優等生を上手く演じて、大人になった気でいた。けれど、それは間違いだった。 (アキラとの距離も上手く測れずに、動揺ばかりして……どこが大人だ) シキはそう思いながら、ガラスに映る自分自身を睨みつける。思わずきつく握り締めた拳の中で、余りのプリントがぐしゃりと音を立ててつぶれた。 (2009/10/01) 目次 |